Side.海月


「あ、副委員長ー!」

昼休み。明るい陽射しの差し込む図書室から出たところで突然呼び止められた。

ふと顔を上げた途端ずり落ちてきた眼鏡。やれやれと思いながらそれを片手で押し上げて右へ振り向く。

廊下の端。そこから僕を呼んでいるのは、元気一杯にこちらへ手を振っているやや小柄な女生徒。

さらさらの髪を翻して廊下を小走りにどんどん近づいてくる。


「よかったー、捜してたんだ」

軽く息を乱し、大きな眼をすこし細めて、僕の前まで来た彼女がにっこり笑った。

庇護欲をそそられる笑顔だといつも思う。
こう、無条件で味方してあげたくなるというか。

もちろんそれは笑顔だけじゃなくて、彼女の人柄に寄る部分も多くはあるんだけど。

彼女は、黒河 七夜さん。

クラスメイトであり、僕の中学時代からの知り合い――友達というには多分接点が無さすぎる男――志筑 連と、今から四ヶ月と少し前のハロウィンパーティで、最後は全校を巻き込んだ騒動の末ようやく付き合い始めた女の子。

うん。あの時の騒動はちょっと見ものだった。
志筑が…あの志筑が。すっかり彼女に振り回されまくってたし。

もちろん、黒河さん自身は志筑を振り回していたなんて思ってもいなかったと思う。それに志筑が振り回されているってこと自体に気づていたのがごくごく少数の人間だけ。

こういう言い方はかなり失礼なんだけど…黒河さんは超級に鈍い。
あ。もちろん普段の事じゃなくて―――恋愛事、限定で。

もうなんていうか、最強だ。

これじゃあ彼女の友人であるクラス委員長―――こと、叶さんが心配するのも当然かもしれない、とはハロウィン・パーティの前後に感じた僕の偽らざる感想。

もっとも叶さんの場合はかなり過保護になりすぎるきらいが無きにしも非ずだけど。

黒河さんに近づく男はことごとく木端微塵に撃退されていたという事実は最早公然の秘密状態。委員長は自分に近づく男にはにっこり笑顔でお友達でいましょうねとのたまいつつ利用しても、黒河さんに近づこうとする男には容赦ないのだ。



「―――えっと、副委員長?」

涼やかな声にはっとした。どうやら黒河さんの顔をみてしげしげと考え込んでしまっていたらしい。目の前で黒河さんが不思議そうにしている。

「あ。ごめんね、なんでもないから」

慌てて手を振りながら謝った。

いけないいけない。
それにしても今考えていたことを黒河さんが知ったら確実に怒り出すだろうな。

思わず、苦笑いが漏れる。


それにしても、どうしたのかな。

呼び止められた理由がわからなくてすこし首を傾げながら黒河さんを見る。
僕のことを捜していたということは何か用があるんだろうけど、さしあたって思い当たることはない。

「そうそう!あのね、これ。この間話したときに読みたいって言ってたから」

手にしていた小さな紙袋をがさがさと音をたて開けると、黒河さんはその中から大分草臥れた一冊の本を取り出した。

それが僕に差し出される。

あれ、これ?

表紙を見て吃驚した。

黒河さんが持っているのは、僕の好きな作家の初期作品集だ。
でもこれ、人気がなくて絶版になっていたし、あまりにも知名度が低すぎて古本としてもまったく出回っていない。

前に、言っていた?確かに何かの話の流れで言ったかも知れないけど。
それにしたって多分他愛のない話の途中で。まさか覚えているなんて全然思ってもいなかった。

「どうしたの、これ」

差し出された本を受け取りながら黒河さんに尋ねる。

「父さんの書棚にあったから借りてきちゃった。…んー、うちのお父さんと副委員長ってばなんだか趣味が合いそうかも?」

彼女が悪戯っぽい笑顔を浮かべる。つられてつい笑顔になった。

うん。でも確かに彼女のお父さんとは趣味が合いそうだ。
僕が手にした本は未読というわけではなさそうで、しっかり読み込まれた形跡がある。

「本当にありがとう、これすごく読みたかったんだ」

「そっか。よかった。父さんにもそう伝えとく」

「うん、もし機会があったらぜひ黒河さんのお父さんと話がしてみたいな」

黒河さんが「それも伝えとく」と言いながら楽しそう笑う。


……不思議な人だよなぁ。

外見は文句なく可愛くて。でも実は気が強いところもあって。
細かいところまで気が利いたり、だけど恋愛ごとには鈍かったり。

それにどうやら黒河さん本人は自分が可愛いと認識してないらしく。
入学当初も叶さんと二人、大分目立ってたにも関わらず、それは叶さんといたから、とおもっているらしい。

もっとも以前は叶さんが防護していて、今は志筑の彼女ということで迂闊に彼女へアプローチしてくる男はいな―――くもないんだっけ。
そういえば一人飛びきり厄介な人がいたんだよね。

思い出したのは、僕たちより一学年上の先輩。
あの志筑とかなり対等に渡り合っている、らしい、稀少な人。

もっとも黒河さんにその気はないらしい、けれど。


…なんて事を考えながら、教室へ向けて歩き出した黒河さんの横で他愛ない話をする。

黒河さんが、楽しそうに笑いながら話を聞いてくれるものだからついしゃべりすぎちゃうんだよね。

でもふいに会話が途切れた。僕は何気なく窓の外へと目を向ける。
すると、僕のいる2階から見下ろした校舎裏の庭に、見知った姿を見つけた。


「あれ、志筑?」

そう、志筑だった。
僕の上げた声に反応して黒河さんが窓の外を覗き込む。

「あ、本当。志筑ったらまた午後の授業サボるつもりかな、もう」

むぅっとすこし眉根を寄せ呟く姿が微笑ましかった。

黒河さんと付き合うようになって志筑はかなり真面目に学校に来るようになった。午後も黒河さんが昼食後に志筑を連れて教室に戻ってくるし。
もっとも出席してはいても居眠りしていることは多々あるんだけど。

「しょうがないなぁ…」

黒河さんがぽつりと言葉を落とす。
窓枠に手をかけて下を覗き込み―――多分、窓から志筑を呼ぼうとしたんだと思う。

でも突然その動きが止まった。

あれ、どうしたのかな?
不審に思って僕も窓の下を覗き込む。

と、志筑の傍にいる女生徒の姿が見えた。
真上から覗き込んでいるので良く分からないけど、多分上級生、かな。

でも志筑の関心はまったくその人に向いていないことは一目でわかった。
恐らく一人でいた志筑の姿を見つけて傍に寄っていったという所だろう。

ああ、このところ志筑の雰囲気、大分柔らかくなったと思っている人多いから。
でもそれは勘違い。志筑の雰囲気が変わるのは黒河さんにだけ。
志筑と黒河さんが一緒にいるところを見てあれ?と思うんだろうな。

で。これは私もいけちゃうかも、と。

だけど大抵は一人になった志筑に話しかけて玉砕するというパターンになっているらしい。

もちろん、これは黒河さんの知らないことだけど。


おお、それにしてもあの人、頑張るなぁ。
見下ろす先では、懸命に志筑に話しかけている上級生の姿が見える。

だけど志筑は鬱陶しげに顔を背けているだけでまったくの無反応。
そのうえ、どうやら大分辟易していたらしい志筑はとうとう歩き出してしまった。

慌てたように上級生が何か志筑に向けて声を掛ける。
でも志筑は止まらない。

と。その上級生はとんでもない行動にでた。
なんと、背後から志筑に抱きついたのだ。

む、無謀なことするなぁ…。

呆れながら真っ先に思ったのはそれだった。
さすがにそこまでの唐突な行動は予想外だったのだろう。

志筑が無表情な顔で僅かに後ろを向き、身体に回されている手を振り解こうしていた。でもその人の腕は志筑に解かれても解かれても諦めない。

志筑が心底うんざりしたような溜息を吐いたように見えた。

そろそろ助け舟を出した方がいいだろうか。
はっきりいって志筑は容赦ない。このままでいけばあの上級生に何をいうかわからない。

眼下の展開はそろそろ限界のようだった。
開いた窓から身を乗り出して声をかけようとする。

でも、僕が志筑に声を掛けるよりも僅かに早く。


「志筑の阿呆ーーーーっ!」

黒河さんが、叫んだ。


え、ええ??

あまりに突然のことに目が白黒した、気がする。

「く、黒河さ…」

呆然としつつも声を掛けた。
でも僕には目もくれず、黒河さんが駆け出す。引きとめようとして、でも。

…うわっ。

駆け出す前に少しだけ見えた黒河さんの表情。
すこし辛そうに目を細め、紅色の頬をして…凄く女の子、だった。

不覚にもドキッとしてしまい、タイミングを逃した僕の腕だけが間抜けにも上がったまま。

ああ、それにしても…吃驚した。あんな風に叫ぶ人だったんだ、黒河さん。
や、感情豊かだとは思っていたけどいつも楽しそうにしていたし…どちらかというと、あんまり激しく怒るようなことはなさそうだなとか思ってたんだけど。

ああ、でも今、そんな分析をしている場合じゃない。

間抜けにあげたままだった腕を下げ、とにかく志筑に何か言った方がいいだろうと、ばっと窓の下を覗き込む。


―――けれど。そこに志筑の姿は既に無く―――。

呆然と佇む上級生の姿だけが僕の目に映った。



***




「黒河さん、大丈夫かな…」

5限目の終わった中休み。黒板を消しながらぼんやりと呟く。
お昼休みに姿を消した黒河さんは未だに教室へ戻ってきてはいない。

当然の如く、志筑も。

このところ無かったとはいえ、志筑は割りといつものことだったので先生も何も言わなかったけど。
黒河さんは、今保健室、ということになっている。このままだと6限目もその手で行くことになりそうだ。


「心配することないわ」

どうやら僕の独り言を聞きとめたらしく、僕の隣で同じように黒板を消していたクラス委員長、つまり叶さんが忌々しげに吐き出した。

はは、相変わらず志筑のこと嫌ってるんだ。

ずり落ちてきた眼鏡を押し上げ、自然と苦笑いが浮かぶ。


彼女も、微妙な心境なんだろうな。志筑のことを認めてはいるけれど、やっぱり黒河さんの相手として志筑は―――やっかいだと思っているんだろう。

でも確かに中学時代の志筑を知っている身としてはあながち否定できない。


「さ、終わった。後は―――海月君、地図」

「え?」

ぱんぱんと手を叩く叶さんを振り返る。

「だから、地図。次の授業で必要なんですって」

にっこりと叶さんが微笑む。
ああ、これは―――…やっぱり取ってこいといわれてるの、かな。

僕は苦笑いを浮かべたまま、大人しく教室を後にした。




社会科準備室は、実はかなり遠い。
小走りに行っても授業開始に間に合うかどうか。

それでもカタカタと揺れる眼鏡を片手で押さえつつ早足で、まだ教室に戻っていない生徒たちの間をすりぬけ、どうにか人影の殆ど無い階にたどり着いた。

目当ての社会科準備室を目指して只管廊下を進む。
ちらりと腕時計に目を向ければ、時間はぎりぎり。

速度を上げようとして―――でも、急に聞こえてきた話し声に僕の足はぴたりと止まった。

あれ、この、声?

そう、常であればどんな声だろうと通り過ぎたであろう僕が足を止めたその声。
それは確かに聞き覚えのある響きで。

黒河、さん?

声のする扉の前。上を見てプレートに書かれた教室名を確認する。
そこは『社会科準備室・2』。つまり用のある社会科準備室のすぐ隣の部屋だ。

黒河さん、ひょっとして5限目の間、ここに隠れてたのかな。
あれ?でもじゃあ…志筑は?

疑問。でもそれは聞こえてきたもう一つの声により、すぐ解消された。
まあ、黒河さんの声が聞こえたということは、誰か一緒にいるということなんだから当たり前か。

「七夜」

聞こえてきたのは志筑の声。

それにしてもやけにはっきりと聞こえると思ったら、扉がほんの少しだけ開いている。なるほど。それで黒河さんの声も漏れてきたんだ。

妙なところで納得してみたりする。

「―――七夜」

一度目より、かなり艶を含んだ志筑の声。

……。

もしかして僕…物凄くまずい場面に居合わせているのかな…?

ついさっき、志筑が女の子に抱きつかれているシーンを目撃した黒河さんが志筑に怒鳴りつけて姿を消して。きっと志筑は黒河さんをみつけだしたんだよね…?

それでいま、二人で人気の無いところにいるってことは…ことは?


「志筑の阿呆ぉ…なんで、一人にしといてくれないのさ…」

「一人になりたかったのか?」

考え込んでいる間にもどんどん二人の会話が進行してく。
うわ、これはまずい。絶対にまずいよ。

どうしよう、とりあえず立ち去りたいんだけど…。
今動いたら物音がしそうで。それでなくても扉、開いているし。

僕が歩いてきた気配に気づかれた無かったのは、奇跡的だ。
もしかしたらそれだけ志筑にも余裕が無いって事なのかもしれない。


「……なりたかった―――わけない。……それくらい、察し…んぅ…」

僅かの後に、黒河さんの震えるような声がして。

衣擦れの、音。

狭い室内からの二人の話し声が途切れ―――でも黒河さんの小さな声だけが時たま漏れてくる。

何が行われているかは、流石にわかった。
どくどくと鼓動が早い。勝手に顔が熱くなる。

まさか、知り合いのラブシーンを盗み聞きする嵌めになるなんて。
早く立ち去るべきだとはしっかりわかってはいるんだけど、とても今は冷静に行動できそうにない。

絶対に気づかれる。それならここでじっとして…て、二人がこれ以上先に進んだらどうするんだ、僕。

逡巡すること、たぶん数十秒。

どんどん黒河さんの声が甘くなる。
けれど、ある程度の甘さまで来た時、それが拒絶の響きに変わった。

「ちょ…ちょっと、志筑…っ!」

「…何」

「何って!何じゃ、なく!…………この!いい加減に…っ!」

何かが床に落ちる音。
多分資料用に置いてある書籍類。

「学校では、嫌なんだってば!」

黒河さんのやや怒りを含んだ声のすぐ後。

志筑の…諦めを含んだ溜息が聞こえた。



…うわ、これは…なんていうか…。

本日二度目の黒河さんの意外な一面。
とうとう立ち去れなかった僕は、扉の前で安堵すると同時にほんの少しだけ笑い出したい衝動に駆られる。

黒河さんって、実はかなり豪気なんじゃなかろうかと思う。あの志筑に怯むことなく噛み付くし。

そりゃ志筑の態度、黒河さんにだけは違うけど。それにしても大体の子は志筑の前で物怖じする。

かく言う僕も最初の頃、志筑の迫力に押されっぱなしだった。
今でこそ、黒河さんが傍にいれば―――若しくは黒河さん関連であれば、他の人に向けて感情のある表情をするけれど。昔の志筑は、本当に一匹狼で、無表情で、感情の起伏なんてまったくなかった。

中学時代、僕は志筑の怒ったところも笑ったとこも見たことがない。
当時のクラスメイトだった女の子たちは、そこがいいのよっていっていたけど。

でも昔より―――今の志筑の方が僕は全然良いと思う。

自由気ままな獣。なのにそれは、酷く無機質で無感動で―――まるで生きていないようだった。

けれど今は、違う。

志筑は自分に欠けていたものを漸く手にいれたんじゃないだろうか。
もしかして黒河さんを求めるのは、志筑の本能なのかもしれない。

ふうっと小さく小さく息をつく。
漸く冷えてきた頭。うん。これならなんとかなりそうだ。

次の授業開始には間に合わないけど、地図がなかなか見つからなかったとでも言えばいいや。

そっとそっと扉の傍から少しずつ離れる。
そのまま隣の社会化準備室の扉を静かに開け、その中に忍び込む。
目当ての地図は入口のすぐ傍にあった。

両手で抱えて抜き足差し足で扉を潜り、再び廊下へ。
静かに扉を閉めると、再び隣の部屋から声が漏れてきていた。


「んう?…て。ちょっと志筑何…っ、次の授業は出ないと…」

はは、黒河さん、真面目だなぁ。
地図を抱えたまま、聞こえてきた声にほんの少しだけ口の端があがる。

でも多分志筑は、次も出るつもりはないんじゃないかな。

「…どうせもうすぐはじまる。戻ったところで、二人でいたことがばれたらまたいろいろといわれるぞ?」

ほらね。
これはどうやら6限目も黒河さんは保健室ということになりそうだ。
地図を抱えなおし、僕はそっと歩き出そうとした。

「え?えええ?や、待…っ」

けれど、黒河さんのかなり慌てた声。再び足が止まる。

まずいかな、とは思いつつ、僕は好奇心に負けて、僅かに開いている扉からそっと中の様子を伺った。
多分黒河さんが学校でそういう行為に及ぶつもりはないとわかっていて少し気が緩んでいたのかもしれない。


…うわ。


かなり、驚いた。

幾つか椅子を並べたその端に腰掛けて顔を真っ赤にしている黒河さんの膝の上に、志筑が頭を乗せてごろりと横になっていたのだ。

あの志筑が…。

なんというか…黒河さんが猛獣使いに見える…。

実際その光景はなんだか野生の獣が寛いでいるようで。
のんびりと目を瞑っている横顔は今まで僕が見たこともないほど穏やかだった。


呆然とする僕の耳に、授業の開始を告げる鐘が鳴り響く。

…っ!?

慌てて身を起こして、地図を手に抱えなおした。でもまだ物音を立てるわけにはいかない。ある程度の距離まで静かに足音を忍ばせて。

後はもう脇目も振らずに廊下を走った。



***




そして、翌日。快晴の空の下。僕は欠伸をかみ殺しながら通学路をとぼとぼと歩いていた。

昨日の衝撃映像の影響か…昨日はなかなか寝付けずにすっかり寝不足だ。それに見るべきものではないものを見てしまったという罪悪感もあるのかも。

「うー、眠」

ごしごしと目を擦り、もう何度目かわからない欠伸をする。
これは授業辛いかも、と思いながら今日の時間割を頭に思い浮かべて。

「海月」

「ん?」

突然背後からかけられた声に咄嗟に振り向いていた。

しづ…ッ!

後ろにいたのは、僕より大分背の高い…これで本当に同じ年なのかと疑いたくなるような、志筑の姿。

昨日見てしまった場面がくっきりはっきり脳裏に浮かぶ。
自然、言葉に詰まって。何もいえなかった。

微動だにしない僕をよそに、志筑が歩き出す。
はっとして、慌てて志筑の横へ並んだ。

「あの…志筑…昨日は、その…」

とりあえず昨日、黒河さんが志筑に怒鳴りつけた場面に居た身としては何か言うべきだろうとは思うんだけど、何を言うべきか。

しゃべりながら、言葉をさがす。

なんだか意味のよく分からない言葉をはく僕に対して、志筑は無言のままだ。
そして、とうとうしゃべることも尽き、僕は黙り込むしかなかった。

こういう時って…志筑の無口さが恨めしくなるよ。

内心でやや見当違いな恨み言を呟きながら、そっと溜息をつく。
志筑が、ちらりと僕の方を見た気がした。

なんだ?
志筑の方へ顔を向ける。その僕にたいして。


「―――海月、次からは覗くなよ?」


しっかりとした声で、はっきり志筑が言った。

――――――は?

驚いて目を剥く。
凝視する先では、口の端を小さくあげて志筑が笑っていた。

気づいてたのか。
本当に侮れない奴だよ、志筑ってば。

一瞬のショックから立ち直ってみれば、なんだかおかしくて仕方なかった。腹の底からこみ上げてきた笑いが口から漏れる。

はは、と声を上げて笑いながら謝る僕を、志筑が呆れたように見ていた。

自由気まま。志筑のその本質はきっと変わっていない。
そう。この獣が自ら捕らわれに出向くのは黒河さんにだけ。

でもそれで―――きっといいんだろうな。



〜Fin〜



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