マンションの5階。502号室の前。

華は鞄から鍵を取出し、玄関の扉を開けていた。
テスト期間が終了した学校帰り、仕事が休みで家にいるはずのゆうきの元へと訪れたのだ。

玄関に靴を脱ぎ、廊下を歩く。


「ゆうきちゃーん?」

リビングの扉を開けながら声をかけた。

しかしそこにゆうきの姿は無かった。

昼過ぎの明るい光だけが華を出迎えている。

出掛けているのかなと首を傾げつつ、ふと床に目を向ける。
と、そこには点々と脱ぎ散らかされたスーツ一式やワイシャツ。


――あ……もしかして……?

リビングに脱ぎ散されたスーツの間をすり抜け、華はそっとゆうきの寝室の戸を開ける。

――やっぱり。


遮光カーテンの引かれた部屋の中。昼過ぎだというのに薄暗いそこには、案の定ゆうきの姿があった。


華は躊躇うことなくゆうきの寝室に入り込む。
むっと籠もった酒気に思わず眩暈を起こしそうになった。


とりあえずカーテンを開け窓を全開にすると、ゆうきが実にだるそうに目を開けた。

「ゆうきちゃん、すっごいお酒臭い。」

華が腰に手を当て、ベッドの中にいるゆうきの上に身をかがめる。
窓から入り込む光が余程まぶしいのか、ゆうきは目の上に腕を乗せ小さく呻いていた。

「……ああ、夕べかなりつき合わされたからな……。」

漸く搾り出したというような、声。かなりかすれている。
華は苦笑しながらベッドの端に腰を下ろし、申し訳程度にゆうきの体を覆っている薄がけを手に持つとやんわりと取り去った。

「とにかく起きて、シャワー浴びよ? もうお昼過ぎてるよ。」

ゆうきの髪に触れその中に指を差し入れて、華がそっと撫で上げる。

「もう昼か……。」

「もう昼です。」

溜息をつくゆうきに対して、くすくす笑いながら華は答えた。

どうやらゆうきが起きる気になったようだと感じ、華がベッドから立ち上がろうとする。

その途端に、ゆうきに腕を捕らわれていた。

「……っ、きゃ……っ!」

立ち上がろうとしていた華が再びベッドに引き戻される。
驚いてゆうきを見下ろした華に、ゆうきがにやりと笑いかけた。

「起きるにあたっての、お姫様からのキスは?」

「……え?」

ゆうきの言葉に華が頬を染める。

どうすべきか迷っている華を見ながら笑みを浮かべているゆうき。
その様子からして、どうやらキスが無ければ起きるつもりはないらしい。

華は意を決するとゆうきの上に屈みこんで、薄く開いたゆうきの唇の上に自らのそれを重ねた。

「……ん……ん?」

ゆうきの舌が華の口の中に滑り込んでくる。
すぐに唇を離すつもりだった華とは対照的に、ゆうきには早めに切り上げるつもりはまったくなかったらしい。

ゆうきから離れようと突っ張った華の腕はたやすくゆうきに捕まった。
口内に感じるしっとりとした柔らかな感触は、大胆に華の中を蹂躙していく。

いつの間にか、華の背中はゆうきのベッドの上に沈みこんでいた。



「う、ん……んんっ! ……ゆう、きちゃん……ダメ、き、キスしたら起きるって言ったのに……っ」


キスの合間。制服の上から胸に触れられ、華が身をよじる。
ゆうきの唇が華の抗議により名残惜しそうに離れた。

潤んだ目で華はゆうきを下からじっと見上げる。

ゆうきに触れられるのはとても気持が良く、ともすれば流されてしまいがちだが、流石にカーテン全開、日光が燦燦と入り込んでいる明るい部屋の中で行為に及ぶのには抵抗があった。


華がじっと見つめる先で、ゆうきが軽く溜息を落とす。

「……しょうがないな。じゃあ、今は此処までで満足しとく。」

華の心情を理解したのか、ゆうきは苦笑しながらも華を解放してくれた。
ほっと胸を撫で下ろす。

華は起き上がると、乱れた制服をささっと整えベッドから滑り降りた。

そして、その後に続くように実に残念そうな顔をしたゆうきがのそりと起き上がり――やっとベッドから足を下ろした。



***




バスルームへと向うゆうきの後姿を見送った後、華はかなり乱れたベッドを直し、シーツをベッドから引き剥がして両腕で抱え込んでいた。
そのままパタパタとリビングに戻り、ソファの上にシーツを置くと、辺りに脱ぎ散らかされた衣服を拾っていく。

と。スーツの上着に手を掛けたとき、カツンと床に何かが転がった。

「……箱?」

華が腰を屈め拾い上げる。手に取ったそれは、とても簡素な包装紙で包まれた長方形の箱だった。

「何だろう、これ?」

スーツの上着を腕に掛けたまま、華がぽつりと呟く。
包装紙はまったくの白色で特に何が印刷してあるわけでもない。それを見ただけでは中身の見当は皆目つかなかった。


そのままじっと箱を見つめ首を傾げたまま華が佇んでいると、リビングの扉が開く音がした。


「華、どうした?」

拾った箱を手に持ったままリビングに立ち尽くしていた華に、シャワーをざっと浴びたゆうきが声を掛けてくる。
上半身裸のまま、まだ水滴の垂れる髪をがしがしと拭いていた。


「ゆうきちゃん、これなぁに?」

手に持っていた箱を華がゆうきに向けて差し出す。

「ん?」

ゆうきが髪を拭っていた手を止めて、不審そうに華のもっているその箱に目を凝らした。

しばらく考え込み、再びがしがしと髪を拭い出す。不意に何かを思いついたらしい。

「……ああ。それか……確か昨日橡が新製品の試供品だとかいって無理やりよこしたんだ。そういえば、中身は何か聞かなかったな。開けていいぞ?」

肩をすくめてゆうきが華に告げた。


「え、いいの? ……じゃ、遠慮なく。」

華が床に座り込み、白い包装紙を慎重に解いていく。
実はなぜか昔からお中元やらお歳暮やらの包装を解くのが好きで、華にとってこれは少し心躍る瞬間だった。


そして綺麗に止めてあったテープを剥し終わり、中から覗いたのはカラフルな箱。

「えっと、なんだろう、これ? フルーツの香りだって、ゆうきちゃん。」

英語表記の商品名、その上に書かれていたフルーツの香りという部分を読み上げ、華がからからと箱を振った。


髪を拭き終わったらしいゆうきが、華の手元に再び目を向ける。

パッケージをよくよく眺め――ゆうきは一瞬無言になった後、深く溜息をついた。


「……あいつ、なんてものを……。」


ゆうきの反応の意味がわからず、華が不思議に思ってゆうきを見上げる。

ゆうきが座り込んでいる華の前に同じように座り込みながら、苦笑いを浮かべた。

「使ってみたい?」

「え、使うの? うーん、と? 使うもの? ……芳香剤、とか……?」

尋ねられ、華が瞬きしながら答える。何に使うものなのかまったくわからず、とりあえず香りに関係するものをあげてみたのだが、どうやら違っているようだ。
その証拠にゆうきの苦笑いは深まっている。

「芳香剤ではないかな。」

「違うの? ……うーん??」

やはり否定され、華が再び考え込んだ。


――芳香剤じゃなくて、香りがするもの? 入浴剤? ……香水はそのまま過ぎるかな……?


じっと考え込む華。と、その腰がすっとゆうきに引き寄せられた。
そのままゆうきの腕の中へと華は抱きこまれてしまう。

何も身につけていないゆうきの上半身に顔をうずめる形となり、華はやや動揺していた。

「ど、どうしたの?」

「いや、実際に使ってみたほうが早いかなと思って。」

華を抱きこんだまま、華の頭の上でゆうきが喋っている。

「で、なんでこゆことになる、の?」

華に届く、さっぱりとした石鹸の匂い。それに少ししっとりとした湯上りの肌。
それらにかなり動揺を深めつつも、華は捕らわれた腕の中からゆうきを見上げた。

視線の先には、口元に笑みを刷いているゆうきいる。

「オレがその気にならなきゃ、使えないから、かな。」

「その、気……?」

ゆうきのこの態度……。そして、手の中の箱。華はゆうきと箱を交互に見ながら、最後にゆうきをまじまじと眺めた。

そして、しばし考えた後に華が真っ赤になる。

「え、えええぇ、と、これ……ひょっとして?」

辿りついた結論に、声が上ずった。

「そ。避妊具。つまり、コンドー……」

「っ!? い、いい! つ、使わない!」

思った通りのゆうきの回答。
華はぶんぶんと頭を左右に振り、ゆうきの胸に手をついて必死に逃れようとする。

「そりゃ、残念。」

おかしそうに笑いながらゆうきがぱっと華を解放した。

ゆうきの腕が解かれ、華が勢いよく立ち上がる。

「わ――、私……っ、珈琲……珈琲、入れてくるっ!」

座り込んだままのゆうきに告げ、華はあたりにちらばったスーツやシーツをそのままにキッチンへ向って早足に歩き出した。

――く、橡さん……何て試供品を……もう……もうっ。

真っ赤に熱くなった頬を両手で押さえ、華は恥ずかしさで一杯だった。

そしてその後姿を、ゆうきが笑いをかみ殺しながら見送っていたことを――真っ赤になっている華は知る由も無かった。



〜Fin〜



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