01



常とは違う賑やかな明かりと熱気に包まれた神社の境内。
白色に光る星々がくっきりと望める夜空を背景にした本殿、そこへ続く石畳の左右にはとりどりの露店が並ぶ本道が延びている。

そこから少し外れた場所にある石垣に華は座っていた。

ゆっくりと行き交う人の流れを眺め、地面につかない足をぱたぱたと振りながら浴衣の袖を夜風にそよがせている。
座った横には買ったばかりの綿菓子が置かれていた。
高い湿度や昼間の熱を残した空気も気にならない。寧ろ夏の祭りには不可欠とすら思える。

自然と浮き立っていた華の心は、けれど突然すうと冷えた。
あたりを見回していた華の目に一際はっきりと飛び込んできたものは、白地に大柄の赤い花模様が散る浴衣を着た後姿、そして背中に流れる茶色の長い髪だっ た。
傍らにはジーンズ姿にTシャツという軽装の男性が並んでいる。
並んだ女性より頭一つ分背の高いその人は、華の大好きな人に間違いなかった。

「……ゆうきちゃん?」

ぽつりと華が呟く。
けれど今まで華が見たことのない表情をしたゆうきは見知らぬ人のようで。

伏し目がちに浴衣の彼女を見下ろしたゆうきの口元が動く。何を喋っているのかはもちろん華にはわからなかったが、隣に並んだその彼女は頬を赤く染め、愛ら しく笑っていた。
手にした薄桃色の巾着の紐を握り締め、華はうつむいた。

「華? ……どうかした?」

右横からの呼びかけにはっと振り向く。片手に赤い小さなりんご飴を持った奏が不思議そうに首を傾げていた。

標準より幾らか小柄な華が人の波に飲まれている様子をみかねたのか露店の途切れている石垣付近へ抜け出て休ませてくれたのは他ならぬ奏だ。
中学に上がって数ヶ月、随分と身長も伸び大人びた仕草もみせるようになった幼馴染は、けれど変わらず華の面倒をかってでてくれる。

「あのね、今そこにゆうきちゃんが……。」
「ゆうき? 今日は来ないって言ってたはずだけど。どこ?」

はい、と渡されたりんご飴をありがとう、と受け取り、華はゆうきを見つけたはずの方向を指差した。
器用に編み上げられた華の髪に結ばれている組紐が揺れ、先についた小さな鈴がちりんと涼やかに鳴る。

「いないみたいだ。」
「う、ん。」

遠くに見えていた二人の姿はもう人ごみの中に紛れ、とうとう見つけることは叶わなかった。

――その日食べた甘いはずのりんご飴は、何故か幾分味気なく感じられた。

華にとって、ささったまま抜けない小さな棘のように残る、小さな頃に訪れた夏祭りの記憶だった。



***




熱を帯びた陽射しがまだ形を潜めてはいても、充分に人の気配が感じられる早朝。
カーテンで遮られた朝日が忍び込む室内に据えられたベッドの上で、ゆうきは実に快適な休日を味わっていた。

穏やかで優しい人の温み。
腕にかかる重みすらも心地よく、かすかに聞こえる寝息は穏やかな眠りを誘う。
ゆうきは浅くなった眠りにふと目を開けてはみたものの、無意識のうちに腕の中の体温を抱き込み、再び深い眠りに落ちようとしていた――が、それは失敗に終わった。
空気を伝った振動に邪魔をされたのだ。不機嫌に再び薄っすらと目を開ける。
マナーモードにしてある携帯電話がサイドボードの上で揺れていた。

眉間にくっきりと皺が寄る。不機嫌ここに極まれりという風情で、それでも慎重に起き上がった。無論、腕の中に抱き込んでいた人物を起こさないように。

軽い舌打ちと共に折りたたみ式の携帯電話を手にして開く。
画面に表示された名前を見て、眉間に刻まれた皺は確実に深くなった。
何の用だよ朝っぱらから、と無言のうちにゆうきの目はしっかり語っている。
このまま無視を決め込むつもりで、電源ボタンに指を伸ばしたが、タイミングをはかったようにインターフォンが鳴り始めた。

明らかに訪問時刻としては非常識だ。
おまけにこの状況からして、ゆうきには一人しか訪問者が思いつかない。

「……ん、ん。」

衣擦れの音を立てながら寝返りを打った華がベッドの上で身体を丸める。まだ起きたくはないのだろう。
ゆうきは薄掛けを華に掛けるとたっぷり未練を残しながらも仕方なくベッドを降りた。



***




「帰れ。」
「うわ、顔を見ての第一声がそれってどうなの、つっめたーい。」

インターフォン越しに行われた暫しの押し問答の末、渋々ながらゆうきが開けた玄関扉の向こうには見慣れた男が立っていた。
人の良い笑みを浮かべ、人を食ったことをいう、たちの悪い男――橡だ。

「……橡、今日はホントに駄目だ、帰れ。」
「えー、何でよ、入れてくれるぐらいいいだろー? あ、何、もしかして女の子がいるとか?」

さらりと言われ、ゆうきが不機嫌に眉根を寄せ押し黙る。
それこそ今気付いたように橡は装っているが、散々渋るゆうきの態度に大方の事情は察していた節がある。ゆうきの機嫌も悪くなろうというものだ。

「もしかして図星? だけどお前、女の子が居てもいつもならそっちを帰すくせ、に――。」

不自然に橡が口を閉じた。
絶やされる事のない橡の笑みは一種のポーカーフェース、けれど、どうしたことがそれが一瞬でかき消え、唖然とした表情に変わっている。

「橡? なんだよ、どうし、」

不審に思ったゆうきの質す言葉は途切れた。橡が何に驚いたのか、わかったからだ。

背中に柔らかな感触があった。
見下ろせば自らの腹部に白い手がまわされている。

訪問者が誰だかわかっていたこともあり、面倒だったのでゆうきは上に何も着ていない。そもそも寝間着の上は華に譲り渡してしまっている。その肌に直接触れているのは、先ほどまで確かにベッドの上で寝息を立 てていた恋人に他ならかなった。
体半分程度しか扉は開いていなかった為、華の姿は橡からはみえてはいないのだろう。ゆうきの後ろから行き成り腕が見えたのだから驚くはずだ。

とっさにそこまで考えて、ゆうきは橡が押さえていたドアを思い切り引き、ガン、と閉めた。ドアノブを押さえ息を吐き、振り返ろうとする。が。

昨夜、華につけられた背中の傷にざらりと何かが触れた。
抱きついたとき丁度目線の位置にあったのだろうそれを、華が――舐めていた。
湿度を含んだ舌の感触に、勘弁してくれと、ゆうきは本気で思った。

「……ああ、まったくもう。」

我慢の限界、とばかりに眉間に寄せられた皺。振り向き様、華の両手を捕らえ、壁に押さえつけた。
昨夜、情事の後に眠り込んでしまった華へゆうきが着せたパジャマの上着に、下着だけの姿。
とろりと半ば伏せられた瞼、くたりと力の抜けた身体。
実に珍しい事に、華は寝ぼけているようだった。

まともに止められていない胸元から、赤く色付く頂が覗く。

唇を開き深く華に口付けながら、ゆうきは片足を華の足の間に入れ、くっと上に持ち上げた。

「んん……っ。」

華の肩がびくりと震え、声に甘さが滲む。

長いまつげに彩られた瞳がはっと開かれ、しっかりと意思を持った。 キスの合間にもれる戸惑う声に、ゆうきは漸く華が目覚めた事を知る。
捕らえた腕を離し、さらりと流れる華の髪をかきあげて、紅潮した頬をそっと手で包んだ。

「え? あ、の、ゆうきちゃ、」

戸惑いを含んでゆれる華の瞳を見ながら、殊更ゆっくり唇を合わせる。
口腔内を丁寧に愛撫して身体を離すと、華の息が上がっていた。

まぶたの上に、今度は軽く口付ける。

「おはよう。」
「え、と……おはよう……ございま、す?」

困惑もあらわに答えた華を、ゆうきは苦笑とともにもう一度抱きしめた。



***




目を覚ましたとき、一人きりだった。
ダブルベッドの上はひろくて、一人だとひどくさびしい場所になる。

華は瞼を擦りながらゆっくりと起き上がり、大切な人の姿を捜した。

けれどどこにも居ない。前にもこんな風にゆうきの姿を捜したことがなかっただろうか、とふと思う。
ベッドから降り、部屋の扉をあける。玄関の方から声がしていた。
廊下に続く扉を抜け、ようやく捜し人を見つける。ひどく安堵した。
肩甲骨が浮き出た背中。少し寝癖のついた髪。
寝巻きの下だけを穿いた後ろ姿。

気安げな雰囲気を纏って――わずかに横を向いている顔から、ゆうきの口元が動いたことがわかった。

見つけて安心したはずだというのに、不意に胸が痛んだ。理由のわからない寂しさがこみ上げてくる。 見慣れた姿をただ目指して華は足を進める。
素足に板張りの廊下。踏み出すたび触れるそれは、ひどく冷たく思えた。


そして、後先を考えず――なぜ玄関にゆうきがいたのかを考えずもせずに抱きついてしまった。
幾ら寝起きだったとはいえ、どうしてあんなことをしてしまったのだろうと、ゆうきに抱きしめられた華は、明らかに思慮が足りていなかった自分の行動に頬が熱くなるのを感じた。

「珍しいよなぁ、華が寝ぼけるの。」
「……ごめんなさい。あの、今の橡さんだったよね? 私、向こうに行ってるから。」

頭上から降ってくるしみじみとした声。華は顔を上げることができなかった。両手で押さえた頬が熱い。

しっかりと背中にまわされている腕の中から抜け出そうと、両腕に力を込めてゆうきの胸を押し返す。 けれどやすやすともう一度抱えなおされてしまい、困り果てながら華は目線だけでゆうきを見上げた。

「橡も状況は察してるよ。ほら、静かになっただろ?」

玄関扉を親指で指し示し肩をすくめる。
確かに人の気配は微塵も感じられないほど、しんと静まり返っていた。

「……どうしよう……。」

結果的に橡を追い返してしまったことになる。 ここに居たのが華だったと恐らく気づいていないであろう橡に謝る手立てもなく、華はただ玄関を見つめるしかなかった。

「いいんだよ、こんな時間にくるあいつが悪い。」

ぽんと華の頭に手を載せ、当然というようにゆうきが笑む。

「でも……。」
「後で連絡いれとくから。ほら、もう気にしない。それよりせっかく早く起きたことだし、どこかいくか?」

何度か玄関とゆうきを交互に見遣り、華はこれ以上自分に出来る事はないらしいと、こくりとうなずいた。
まさか今この姿で出て行って橡を呼び戻すわけにもいかない。

「う、ん――わかった。あ、じゃあ朝ごはん作るから待ってて。」

言うなりきびすを返す。今度はゆうきも引き止めなかった。
リビングに向かいながら、華はもう一度、橡にこころの中でそっと謝る。

――でも、どうして今日に限ってあんなことしちゃったんだろう……?

じりじりと日差しの力が増している暑さの中、向かったリビングのカーテンを開け放った華は、自分の行動が不思議でならなかった。



***




着替えるためにもう一度寝室へ戻ったゆうきは、サイドテーブルの上におきっぱなしだった携帯電話を取り上げた。

案の定、メールが入っていた。

先ほどのやり取りの直後に遣したのだろう橡からのメッセージを読むゆうきの目元が剣呑になる。

『顔は見えなかったけど、さっきの子、美人? 今度紹介して』

「誰が紹介なんぞするか。」

悪態をつき、ばちんと携帯を乱暴に閉じてベッドの上に放り出す。
口ではそう言っても、ゆうきにはこのままずっと黙っているつもりも、華を恋人として紹介しないつもりももちろんない。

が、つまりところ、橡がやけに華に構うのが気に食わないのだ。

寝癖のついた髪を両手で後ろへ撫でつけ、ゆうきはベッドの上にちらりと一瞥をくれた。
メタリックブラックの四角い電話がシーツに沈み込んでいる。

――そういえばここ最近だよな、あいつが頻繁にくるようになったのは。

人のよさそうな外見を持ち、けれど内面は一筋縄ではいかない――それが橡の性だ。
大学卒業後も交流はあったが、会うことは良くて年に数回程度。
季節の挨拶状をやり取りをした覚えなど終ぞないし、電話ですら滅多にかかってはこなかったはずだ。

あいつ、何考えてるんだ――と短からぬ付き合いである悪友の顔を思い浮かべる。
だが腹にいちもつどころかにもつもさんもつも抱え込んでいると思しき男の真意はつかめなかった。

「ゆうきちゃん、珈琲入れたよ?」
「ん? ああ、いま行く。」

あけたままのドアからひょっこり顔を覗かせた華が、花が綻びる様に笑みを見せる。

――まあ、あいつのことだ。そのうち何か言ってくるだろ。

腹の立つこともあるし本気で付き合うにはなかなか気難しい人間だが、それでもゆうきは橡のことが嫌いではなかった。
でなければ邪険にしているとは言っても、これまで付き合いが続いているはずもない。
吐息と共に着替えを終え、華の待つキッチンへと向かう。

何はともあれせっかくの休日、さてどこに行こうか、とゆうきは頭を切り替えた。



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