読み切り短編 −ぎじゅつやかぎょうおぼえちょう− |
激しい閃光に続く爆発音。爆風の中心にいる青年の髪がまるで生命を持ったかの如くに舞った。 白煙が薄らいだ後、見渡す限りの野山に囲まれた草地の真中には、彼を軸にして更に深く抉られた円形が出現していた。 この惨状をおこしたのは、この細身の青年に他ならない。 あたりに飛散している土塊の量を見てもかなりの爆発があったと思われるが、彼はその身に傷一つ負うことなくただ黙として立っていた。 丈の長い外套に、群青色のジーンズ。 肩甲骨に届く程に伸ばされた黒髪は縛られる事無く肩の上に背中にと、無造作に散っている。 どこか茫洋とした眼差しの青年は一人佇み暫く微動だにしなかった。 が、白煙が完全におさまった頃、漸く焦点を結んだ目ははっとしたように足元へと向けられた。 独りでいるかに見えた青年は、けれどそうではなかった。 青年の足元には小さな女の子が一人蹲っていた。 黒羽色の髪は風にさらされた為か乱れ、その上体躯に似合わぬ大きさのしばみ色の着衣は肩から滑り落ちかけている。 「やれやれ、だな。やっと正気に戻ったか」 姿にそぐわぬ口調に達観した気配を漂わせ、のんびりと少女は立ち上がった。 青年のみぞおちに届く程の背丈でしかないにも関わらず、彼女の表情は凡そ子供らしくは無い。 「す……すまん桜花っ!」 「まあ気にするな紫円、いつものことだ」 鷹揚な返答とは反する存分に呆れた高い声を聞き、慌てふためきながら謝罪した件の青年はがくりと肩を落とした。 「毎回毎回仕事を手伝ってくれるのは嬉しいのだが、いい加減お前のその暴走癖は改めた方が良いな」 小さな手で首を摩りながら肩を竦める少女の名を、桜花という。 「あー、くそ、ホント、すまん」 その横で悄然としつつ頭を掻き毟る青年の名は、紫円という。 蘇芳 桜花(すおう おうか)、齢十八。 園道寺 紫円(えんどうじ しえん)、齢二十。 この二人、名高い陰陽師一族に君臨する主家の長女と、歴史の裏街道をひた走り続けた傍流分家の次男坊という一歩間違えれば敵対関係にすらなりうる環境の中でお互い協力し合うという稀有なる縁を築いている間柄だった。 「それにしても今回は殊更良く燃えたな。痕跡はこれだけか」 感心したように眺める桜花の視線の先では、抉れた大地に消し炭と化した肉塊が幾つか燻っていた。 「あー、ああ。木属性だったからな、この式――て、どうした?」 桜花の少し赤みを帯びた大きな瞳にしげしげと見つめられ居心地の悪さを感じたのか、紫円が不可解な表情で桜花に尋ねてきた。 「ん? いや、やっぱり見る力はお前の方が強いと思ってな」 「そうかぁ?」 「そうだ。だからお前はもっと自分の力を高く評価してもいいんだ」 大体にしてお前の兄はお前に辛く当たりすぎる、と語気を強くする桜花に、紫円は困窮したように眦を下げると明後日の方向を向いてしまった。 大分高い位置にある紫円の顔を見上げたまま桜花が微かに苦笑いする。 二人がいるのは力がものを言う世界、とはいえ古来からのしきたりに縛られてもいる。 始祖の再来と噂される紫円だが、次男であるということが微妙な立場を招いているという事は桜花も承知している事だった。 「技術屋とはいえ陰陽師、元の才というのは大きいものだからな」 呟きながら嘆息した桜花が、首を垂れる。 華奢な肩から落ちかけてきた服の首元をぐいと引っ張った。 「――いつものことならがどうにも間の抜けたことになるな。この身体では服が大き過ぎる」 「なんてーかなー。申し訳ないとは思うんだけど……俺の育てたDカップ、早く戻ってこーい」 桜花を見下ろしぼそと言う紫円を、桜花は呆れた眼差しで射た。 愚か者と一刀両断、ついでに力いっぱい背伸びをしながら手刀でびしりと青年の額を叩く。 「まったくそれしか頭にないのか。――何、お前が傍にいればまた半月程で元に戻るさ」 「半月か……なげーな」 情けなく項垂れた紫円に、桜花はもう一度愚か者、と言い放った。 「……だってほらもう絶望的なまでにちびっこい……」 「しばらく我慢しろ。今の私に手を出したら容赦なく幼女趣味と決め付けるぞ?」 「わーかってるよ。でもさっさとでかくなってくれねーと欲求不満で死ぬ、俺が」 常より大分低い位置にあるつやつやとした黒髪の上に掌を乗せ軽口を叩いていた紫円は、けれどふと様子の変わった桜花の表情に口を噤んだ。 「私だって、この厄介な身体は何とかしたいと常々思っているんだ」 強い意思を込めた言葉だった。 もどかしい思いをしているのは、紫円よりも寧ろ桜花本人だ。 「本家のじじいどもの見解は、力を抑止するための停止機構、だったっけか?」 「ああ。まったく己の能力も全て把握できていないとは、私も大概未熟者だ」 悲嘆でも自虐でもなく、桜花は淡々と言う。 現状を理解した上でなければ打開する為の努力も出来はしないことは、身に染みてわかっていた。 難儀な体質だよなー、と紫円にしみじみ頭を撫でられ、桜花は幼い口元を優しく綻ばせると、ことりと紫円の胸に頭を預けた。 「でもこの体質が無ければお前とこうしていられなかった――だろう?」 「――桜花」 驚いて口を開けたままの紫円に、桜花が微笑を見せる。 自らの身の丈を越える通力を使う事から守る防衛機能、それにより縮む桜花の身体を回復させる為に紫円は欠くことのできない存在、有体に言えば、閉じられた桜花の力を解放する為には、紫円の気を喰って元の身体に戻ることが必要なのだ。 だからこそ厄介な暴走癖を持つ紫円が傍に居ることを許されている。 仮にも主家、その跡取りたる桜花が回復するには質も量も充分な気が不可欠だった。 桜花の肩に紫円が手を乗せ身を屈める。 上向いた桜花が瞼を落とし、仕方の無い奴だな、と小さく呟く。 紫円が無邪気な笑みを口元に浮かべ、流れる桜花の黒髪に指を絡ませ、顔を寄せた。 「てめ、このやろ、紫円! 桜花に気安く触ってんじゃねぇ、今現在桜花がこんなにちみっちゃくなってんのは全部てめぇの所為じゃねーかよ! 桜花、だからこんな役立たずな次男坊なんて捨てちまえっていってるだろ?」 折角築かれていた甘い空気。 どこから聞こえてきたものか、それを見事に切り崩した変声期前と思われる少年の声にはたっぷりと毒と憤りが含まれていた。 「――んだと! てめ、ただの式神の癖して生意気なんだよっ」 邪魔をされたことに眦を吊り上げ、更にはこめかみに青筋まで立てた紫円が、桜花の背中からひょこりと顔を出している小さな茶色い塊を掴み揚げた。 「なにしやがる離しやがれこのやろうっ」 「いっそのこと燃やしてやるか、あ?」 人型に切り抜かれた茶色い和紙が、紫円の指に摘まれ頼りなくひらひらと風にたなびいていた。 驚いた事に、一体どこから言葉を発しているものか甚だ不明ではあるが、少年と思われた声の持ち主は違うことなくこの和紙だった。 かなりデフォルメされてはいるものの、手足と思われる部分をぱたぱたと動かしながら怒鳴り散す茶色の和紙に、負けじと応戦する人間の姿と言うものはなかなかにシュールだ。 「あーやめんか二人とも。それよりもさっさと帰るぞ。腹が減った」 もやは日常茶飯事になりつつある光景に、桜花が呆れながら投げやりに言い放つ。 怒鳴りあっていた一人と一枚は、ぴたりと押し黙った。 一瞬の間、互いを見やって、既に踵を返しすたすたと歩き出している桜花の背中を我先にと追う一人と一枚。 軍配は紫円に上がった。 紫円が走りだした時点で、地面に放り出されていた式神も高速回転で頑張っていたものの、如何せんコンパスの差は無情だった。 「桜花、俺のアパートこいよ。何でも好きなもん作ってやるから」 「あ、てめ、このやろ」 いまだ草地の上を韋駄天もかくやという勢いで走っていた式神が怒りの声を上げた。が、漸く追いついた式神が紫円の誘いを阻止すべく桜花の背中に張り付いた時には時既に遅く、馳走になろう、と桜花が頷いていた。 肩口によじ登った式神が、桜花の顔を覗き込み、次いで、横を歩いている男をぎろりと睨んだ――ような気配がした。如何せん顔が無いので式神の表情の変化に関しては、所詮想像の域を出るものではないが。 「――このぼんくら次男坊、見事に餌付けしやがって」 「黙れ式神。人生手に入れたもん勝ちなんだよざまーみろ」 へっと馬鹿にした笑いで式神に返した紫円の隣には、心なしか頬に赤味が差し口元には至福の笑みを浮かべた桜花がいる。 これは苦節十年、懸命に料理の腕を磨いてきた紫円の努力が実った結果に他ならない。 式神の背後に後光の如く、否それよりは禍禍しくぼうと火がともった。 めらめらと怒りの炎を陽炎の如く漂わせながら、桜花の髪を一房、腕と思われる部分で器用につかみ、自分にこの姿を与えた主へと式神は切々と訴えた。 「桜花、いい加減オレにもまともな姿をくれよ。もうこんな何処が腕で足かもわかんない上に、目も鼻も口も無い姿、やだよ」 「何でだ? いいじゃないか、その姿で。焼き菓子のようで旨そうだぞ?」 のぺりとして目も鼻も口もないはずの式神の顔が、確かにひくりと引き攣った――かに見えた。 訴えを退けられた上、見た目からは想像もつかないほど良い食べっぷりをみせる桜花からけったいな例えまで頂戴してしまったのだから、真剣に身の危険を感じていたとしても彼――という呼称でよいのかは不明だが――を責められはしない。 「お、俺は喰っても旨くない!」 「そうかぁ? でも一応喰ってみなけりゃわかんねぇし?」 紫円が無責任な横槍を入れると、桜花はふむと真剣に考え込み始めた。 式神は悲しくなるほど本気で身の危険を感じていた。 「よ、よーし、桜花! サクサク帰るか今すぐ帰るか! 紫円、それでお前今日は何を作るんだ!?」 性質の悪い顔つきで紫円がにやりと笑う。 明らかに話の矛先を持っていく相手を間違えるあたり、式神もまだ作られてから間もない経験不足が災いしていた。 「そうだなぁ、ジンジャーマンクッキーでも焼くか?」 「クッキー? 私はもっとがっつりしたものが喰いたいが」 「でもこれに良く似てて旨そうなんだよなー」 はっと桜花が紫円の指差した先を見つめる。 指差された式神はたらたらと汗を流して――いるように見えなくも無かった。 「やめろ、本当に俺は喰っても旨くない!」 悲痛な叫び声は穏やかな野山に木霊し、朗らかな陽光の中にするすると溶け消えた。 後に続くのは少女の朗らかな笑い声、それに青年の陽気で少し軽い笑い声。 稼業に圧し掛かる過去の業を背負った新米技術屋が二人、その前途は到底平坦ではありえない。 けれどそれらを払拭して余りあるほどのバイタリティを持ち合わせた少女と青年の出会いは偶然か必然かはたまた誰かの悪戯か、知る術も無いが為されてしまった。 果たしてこの絆は幸か不幸か。 誰にもわかりえない答えでは有るが、少なくとも一人、では無く一枚にとって、不幸だったということだけはどうやら間違いのない事実のようだ。 〜終〜 |
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