読み切り短編 |
焼きそばがじゅうじゅうと音をたてています。 白い煙がゆらゆらとのぼり消えていく先には真夏の太陽が燦燦と神々しいまでに輝いています。 突き抜けるような青さの空は高く、海から生まれたように水平線を覆う入道雲は群青色の絵の具がぽっかり抜け落ちたかのように白く、ひたすらに白く――。 無意識のうちに一歩、後ろに足を引いて、ビーチサンダルの下でざくりと鳴った砂の音にはっとした。 ソース焼きそばを作っている鉄板の向こうで、切れ長の目をした男の人が不思議そうにわたしをみている。 白い雲にうっかりポエムチックな文章をつけている場合じゃなかった。 ――事件発生のようです。 家族連れでにぎわう真夏の海は、猛暑続きの所為かいつもより人出が多い。 この人も誰かと一緒に来てるんだろうけど、体型にフィットした白のカットソーとストンとまっすぐに伸びた緩めのボトム姿じゃ、泳ぐ気があるとは到底思えない。 一体、夏の海に何しに来たんだこの人。 否。そんはことはどうだっていいけど。どうしてよりにも寄ってこの海に。 わたしが働いてる海の家が設置されてるこの海に。 いやいやいや。でも今日のわたしは眼鏡をしてない。髪形も違う。制服じゃない。 大丈夫、なはず。今迄も同級生に会ったりしたけど、相手はわたしに気付かなかった。 かなり予想外のお客さんではあるけれど、いつも通り、このままそ知らぬ顔で接客をしてさっさとお引取り願おう。 「や……焼きそばふたつですねー。少々お待ちください」 接客用の笑顔を浮かべつつ両手に持ったフライ返しでガッシガッシと手早くソースを絡め、ささっとプラスチックの容器二つに詰め込む。 蓋をして輪ゴムで止めた後、割り箸を二本突っ込んで完成。 自分で言うのもなんだけど、二年目だけあって手際だけは無駄にいい。味はともかくとして。 「お待たせしましたー。二つで千円になりまーす」 用心の為、普段より高めの声をだし、間延びした話し方も付け加える。 無言で差し出された千円札を受け取って、換わりに焼きそばパック二つを手渡した。 普通のお客さんは、大抵これで立ち去ってくれる。 が、焼きそばを受け取ったにもかかわらずさっぱり動く気配を見せなかった彼は、何か確信を得たように軽くうなずくとおもむろに口を開いた。 「――許可、取ってないだろう」 「は?」 「だから、バイトの許可。取ってないだろ」 気付かれ、た? そんな馬鹿な。わたしの変装――という程の物でもないけど――は、家族にすら普段とは別人だ、と笑いの種にされるのに。 でも相手はものすごく確信しているというか、自信があるというか。 何故。どうして。 「えー、なんのことでしょ? やっだー、人違いじゃありません? それともナンパ? ごめんなさーい、仕事中なので」 精一杯の笑顔を作ってうふふとのたまってみた。 多分、無駄だろうな、とわかっちゃいたけど悪あがきというか一縷の望みに縋ってみたというか。 うん、大変に視線が痛いです。 わたしだって好きでこんなことしてるわけじゃないんですもん。 なのにその氷点下な目つきはつらいですよ。泣きたくなるじゃないですか。 「わかった。いい度胸だ、東雲。そっちがそういう態度なら学校に報告」 「わーっ! ま、待って下さい……っ、ご勘弁! 会長、後生ですからそれは待ってくださいぃぃっ」 くるりと向けられた背中のシャツを引っ張って。 焼きそば片手に至極迷惑そうに振り向いた生徒会長に、半分以上の涙目で必死に懇願した。 *** 「お前ね、生徒会会計の身分で掟破りなことするなよ」 「……すみません。でもうちの学校、よほどのことがないと許可がおりないから、つい」 防波堤の上に座ってしょんぼり謝ると、隣から盛大なため息が聞こえた。 仕事終わりの時間にもう一回くるからと、一応あの場では見逃してくれた会長だが、やっぱり見て見ぬ振りをしてくれる気はないらしい。 夕暮れの海を背景にこってりお説教を貰いそうな雰囲気だ。 「で? なんでバイトしてるんだ?」 「バイト、というか。あそこ、親戚が経営してるんです。でも人手が足りないらしくて。それでお手伝いに去年と今年、呼ばれまして」 「一年の時もやってたのか。よくばれなかったな」 というか、わたしとしてはばれたことが驚きです。 割と個性がないし、唯一強く印象に残る眼鏡をはずしてコンタクトにしちゃえば、わからないと思ってたのに。 「学校に報告、ですよね」 退学、まではさすがに行かないと思うけど停学か厳重注意か。 会長にも迷惑かけちゃうことになる。 申し訳なくて顔を見ることが出来ない。 それにきっと呆れられてるに違いないと思えば、ますます直視なんて出来なかった。 任期は十月までだけど、生徒会、やめないと駄目かな。 後少しあると思ってた会長との接点も、そしたらなくなっちゃうな。 自業自得。わかってるのに、ゆっくりと視界が滲んでくる。 「給料は」 「え? はい?」 「給料、もらってたのか?」 慌てて目元を拭い、言われたことを頭の中で繰り返す。 お給料といえば、お金? でもわたしの場合、どうなんだろう? 「あ、いえ? あ、でも、はい? ええと、お金じゃなく、干物とか海の幸をいただいてます」 つまりは現物支給。 だけど働いて対価を貰ってるんだから、やっぱりバイトなんだよね、これって。 「現物支給か。で、今年は後何日働くことになってる?」 「ええと、残りは明日とあさってです。その後は手伝ってくれる人の当てがあるらしくて」 叔母さんから渡された予定表を思い出し答えると、会長が黙り込んだ。 会話が途切れた後に残るのは、歩道に植えられた常緑樹から聞こえるセミの鳴き声、背後からの波の音。 それに、宿に引き上げる人たちの話し声。少し離れた国道ではせわしなく車が走り去っていく。 背中にあたる日差しが暑い。じわりと肌に汗がにじむ。 そんなのんきな状況じゃないのはわかってるけど、会長と二人きりになるのって――あの時以来だ。 嬉しいけど、嬉しくない。心境は複雑すぎて、暑さにふやけた脳みそには、荷が勝ちすぎる。 「――わかった、後二日だな。今回は見逃そう。学校には知らせないから」 ぼんやりしてたから、聞き間違いかと思った。 今なんて、と言いながら思わず横を向いたら、仕方なさそうに会長が微苦笑していて。 「……いいんですか?」 「本当はよくない。でも金は貰ってないし親戚のところなんだろ? 家の手伝いって事で目をつぶる。だけど来年からはちゃんと申請するか、止めるか。筋は通せよ」 「あ……ありがとうございます!」 自分の膝頭が間近に迫るくらい頭を下げると、後頭部にぽんと手のひらが乗せられた。 「ばか、頭上げろ」 「はい」 促され、おきあがりこぼしみたいにがばっと頭を上げと、会長はそっぽを向いてた。 照れたり困ったりすると声が少し低くなるってこと――会長は自分で気付いてるのかな。 会計に就任したばっかりの四月、わたしは大層な失敗をやらかした。 パソコンに保存されていた会計データを軒並み全部消し去ってしまったのだ。 それはもう見事にばっさりすっきりと。 気をつけて作業するようにいわれた矢先だったので、それはそれは生徒会の面々に怒られた。 特に会長には半端でなく雷を落とされて。 だけど、会長が怒ったのは最初の一回だけ。 その後は文句の一つもいわれなかった。何より、データ復旧に一番手を貸してくれたのは会長だった。 結果、なんとか消す前の状態に戻すことが出来たときには、気がゆるんでホントに泣けた。 最後までわたしと残って手伝ってくれていた会長は、机に突っ伏しておんおん泣くわたしの頭にぽんと手のひらを乗せて。 やっぱり少し低い声でその時、言った。 「よくがんばったな東雲、まあ、なんだ……泣くなよ」 この声と手のひらの温かさに、やられた。撃ちぬかれた、心臓のど真ん中を。 そして――あれから四ヶ月。わたしの片思いは、いまもしっかり続いている。 *** 防波堤に寄りかかった会長の全身は、背後から照る夕日で茜色に見えた。 吹き付ける風に揺れる髪がうっとうしいのか、片手でぐいっと後ろに押さえつけてる。 とりあえず話は終わったけど、会長が帰ろうと言い出さないのをいい事に、わたしはまだ防波堤に座り込んでいた。 ちらりと窺う会長は、全然いつもどおり。切れ長の目とすらりと通った鼻筋。きゅっと結ばれた口元。 そしてわたしはといえば。現金なもので、安心した途端、ふたつ注文された焼きそばのことがとても気になってたりする。 やっぱり誰かと一緒だったと思うべきなんだろうな。 彼女がいるって噂は聞いたことないけど、噂になってないだけなのかも。 もしくは、夏休みの間にできたのかもしれないし、彼女にせがまれたから海に来たのかも。 彼女、どこか違う場所で待ってるのかなぁ。 「あの、会長は何でここに?」 どなたかと一緒なんですか? という、一番訊きたいことはきっちり飲み込んだ。 想像通りの答えが返ってきたら、きっとこの夏休み中、立ち直れない。 「夏だし暑かったから――ということにしておく」 付け足された言葉に、ん? と思った。 「しておくってなんですか会長」 「建前だから」 きっぱりと言い切られ、唖然とする。 それって本音は内緒ってことですか? 「ずるいです、卑怯です」 「誰が卑怯だ。人間、建前が必要なときもあるんだよ」 「会長、意味がわかりませんが!」 びしっと挙手をして主張してみたら、なぜか深くため息をつかれた。 切れ長の目が、ちらりとわたしをみる。 「東雲は本音で勝負しすぎだからな」 なぜにそこまでしみじみと言いますか会長。 わたしにだって建前ぐらいありますよ。どれがと訊かれても咄嗟に出てこないですけど。 でも正直。会長の本音は聞いてみたいけど、聞いてみたくない。 立ち直れなくなりそうな気がして怖い。下手に藪をつついて蛇とご対面なんてしたくない。 「……建前で納得しておきます」 納得いかないものを感じつつも降参し、くるりと上半身だけをひねって後ろを向く。 波間に輝く反射光がまぶしい。目を細めて、水平線の上にまだ残っている夕日を眺める。 「風、気持ちいいですねぇ」 「そうだな。海なんて久々だ」 海で二人。これってはたからはどうみえるんだろう。 もしかして、お付き合いしてる二人、とかに見えちゃうんだろうか。 もっともいくら傍目にそう見えたとしても、実が伴ってないから虚しい。 それもこれも普通に喋ったり笑ったりできるこの位置が安心過ぎて踏み出すことが出来ないせいなんだけど。 だけどそれも十月まで。会長は会長じゃなくなって、わたしも会計じゃなくなる。 その後は。ただの先輩と後輩になるんだろうな。 だってやっぱりどこを探しても告白する勇気なんて見つからない。 もしも。もしも告白できるとしても。それは六ヶ月先の卒業式の日だと思う。 会長が卒業しちゃえば校内で会うこともなくなるわけで……。 あー、止め止め、止めよ。考えれば考えるほど落ち込んでくる。 「会長! アイス食べません? アイス。わたしおごっちゃったりしますから」 唐突な提案に、会長はやや目を見開いて。次いで、口止め料か? と言いながらくっと吹き出した。 からかうような会長に、違いますよ感謝の気持ちですと答え、防波堤の上から鞄を振り上げピョンと飛んだ、はずが。 実際にはつま先がしっかりくぼみにはまり込み、水面に向かうかの如く、歩道めがけてダイブしていた。 間の抜けた自分の悲鳴がスローモーションのようにゆっくりと聞こえ、どかっと衝撃。息が詰まって、二、三度咳き込む。 でも思ったような痛みはない。 「――あ、ぶね」 声は、思いっきり至近距離で聴こえた。 痛みが少ないはずだ。間一髪、抱きとめられてる。会長に。 わたしってやつはどこまで間が抜けてるんだ……っ! 「すみませ……っ」 焦って謝ったわたしの耳に、ふうと風がふれた。 え……えっ!? 「か、かかか会長!?」 な、なん!? い、いま。耳、耳に、やわらかいものが……っ。 解かれた腕から逃げ出して、確かめるように右耳を押さえる。 手の中に納まった自分の耳は、信じれないくらい熱を持っている。 まさか。な、なめられた? 気のせいじゃなく、なめられた? 会長に。ぺろっと。 「あ、あの、いま、ですね」 「どうした?」 ――あれ? 全然、普通。まったく平常通り。むしろ驚いたような会長に、わたしも豆鉄砲をくらったような心地になる。 気のせい? だけど確かに感触が。 いやいやでも会長がそんなことするはずないもん。 そうだよね。じゃあ、気のせいだ。 なんだってそんな勘違いしたんだろう、馬鹿だなあ、わたし。 「……なんでもない、です」 なんとか口の端を持ち上げてみたけど、随分ぎこちないというか、顔が引きつる。 「あの、アイス……買ってきます。ちょっと待っててください」 「走るな、転ぶ」 駆け出したわたしの背中に、命令口調。 ぴたりと足を止め、ゆっくりと歩を進める。 ちがう、ちがう、気のせいなんだってば。 そんな間違いをする自分がもうとんでもなく恥ずかしい。 一歩、また一歩。どんどん熱くなる頬に押し当てた手のひらも、熱かった。 *** 横断歩道を渡ってすぐの場所にある売店でアイスバーをふたつ。 橙色の方が杏シャーベット、小豆色の方がそのまんまの小豆アイス。 「どうぞ」 「賄賂として遠慮なくもらっとく」 わたしが差し出した小豆アイスを、会長が冗談ごかした調子で受け取る。 「いいんですか会長がそんなこと言って」 「よくないな」 言葉とは裏腹に悪びれる風もない。苦笑いするわたしを尻目に、会長は機嫌よさそうに笑った。 コンクリートの防波堤の上に座って、アイスを食べる。 しばらくの間、わたしはほぼ無心だった。 なにせ風に煽られてるから、瞬く間に溶けること溶けること。 とうとう橙色の雫が指先に滴ってきて、慌てて齧りついたら、喉を通過する冷たい塊に頭がきーんとなった。 「なあ東雲、俺がここで何してたか知りたい? ちなみに本音の方な?」 「え? はい?」 「お前がここでバイトしてるって、昨日、関本から聞いた」 「……はあ、なるほ……え!?」 ええええ!? なんですか会長その新情報! 関本って、副会長ですよね? ちょっとまって、ということは。 まず副会長にばれてたってことですか!? うわぁ、アイス食べて頭痛いとか思ってる場合じゃない。 「しかも彼氏っぽい男と」 「彼氏!?」 呆気にとられて、あんぐりと口をあけた。 どう間違ってそんな話になったんだろう、人生って不思議に満ちてる。 「違うのか」 「違います。彼なんていませんもん」 慌てて否定したけど、小豆アイスを齧る会長の目は不信気。 まったく自慢にならないけれど、今まで彼氏がいたことなんてないです会長。 しかもわたし、絶賛あなたに片思い中です会長。 嗚呼、副会長ってば会長にどんな言い方をしてくれたんですか……っ。 「短髪の高校球児みたいなやつだったらしいが」 ……短髪の高校球児? もう一人のバイトさんはそこそこ髪が長い。 それ以外で、というと。 「あ、それ、従兄弟」 叔母さんの息子で、わたしより一つ下の高一。 まさに高校球児で部活が忙しいらしい。 でも隙を見てちょこちょこ手伝いに顔を見せてるから、そのとき、副会長に見られたんだろうな。 「なるほど従兄弟ね……くそ、関本に担がれた」 「担がれた、ですか?」 この場合、からかってだます、一杯食わせるの意だと思うけど。副会長が会長を? 不思議に思って首をかしげると、会長が困ったような呆れたような、なんともいえない表情でこちらをみた。 なんだろう? あ、でも会う前からとっくにばれてたってことは、不祥事はまずいから、学校に報告する前の確認に会長自ら今日来てくれたってことか。 端くれとはいえわたしも生徒会のメンバーだもんね。 あ。もしかして。 「それじゃ今日って副会長と?」 一緒なんですか? 恐る恐る訊いてみた。 眉根を寄せた会長がやや嫌そうに肯く。 彼女とじゃ、なかったんだ。副会長とだったんだ。 うわ、わたしってば思いっきりほっとしてる。 「野郎二人で海なんてむさ苦しいことこの上なかったけどな」 「すみません。わたしがバイトしてることを確かめに、ですよね?」 せっかくの夏休みだっていうのに、余計な手間だったろうなぁ。 なのに賄賂が百円の棒アイスじゃどう考えても割に合ってない。 「いや、それもあるけど――」 「あるけど?」 「寧ろ東雲の彼氏を見に来た」 ……はい? 彼氏を見に? ええと会長、それはどういう意味に受取ったら……まさか、わたしの彼氏になるような奇特な男の子を見学にとかでしょうか? それって悲しすぎます、わたしが……っ。 「だから彼氏、いませんってば」 若干やさぐれた気分で否定したわたしに、会長がぽつりと。 「ああ、安心した」 ――安心、した? それって、まさか、彼氏がいないこと……? 「あの、どういう意味」 「どういう意味だと思う?」 どういう意味、といわれても。 自分に都合のいい解釈しか思いつかないです会長。 これって白昼夢かな。そろそろ日が暮れるけど。 ぼうっと会長の横顔を眺める。食べかけのアイスが溶け、レンガの敷き詰められた歩道の上に落ちた。 「あ」 それに気をとられた一瞬、小豆味が。わたしの唇に。 目を極限まで見開いて、呆然とする。周りの音が一切消えて、真っ白になる。 至近距離に会長が、いる。 「――帰るか。送る」 切れ長の目が一度瞬いて、金縛りが解けたように周りの世界が動き出した。 頭に血が上る。指先が震えてる。 「今のってどういう」 「どういう意味だと思う?」 震えるわたしの問いに、会長は問いで答えた。 「か、からかわないでください」 「なんだ、本気だとは思ってもらえないんだな」 「思えません、よ!」 「そうか、困ったな。本気にしてもらいたいんだが」 「本気って、何を」 「オレな、東雲のことが好きらしい」 ふらりと足元が揺れた。 やっぱり夢? うん、夢かもしれない。白昼夢じゃないなら、いつの間にか寝ちゃってたのかも。 でも、その『らしい』とは一体。この曖昧さが妙にリアルです会長。 夢でくらいバシッと『好きだ』って言ってくれてもいいじゃないですか。 「……らしい、とかじゃ、ヤです」 「そうか、ヤか」 困ったな、と頭を掻いて。 「――東雲、好きだ」 わたしを惑わす少し低い声。 「あの、これって夢ですよね?」 「残念ながら違う。なんなら確かめてみるか?」 「え!?」 きゅうっと両手で抱きしめられて、息が止まりそうになった。 「感触あるだろ?」 「あります、が! ありますけど……でもっ」 「まだ疑うか。だったら、この先も試してみようか?」 先? 先ってどいうことでしょうか。 心臓はばくばくするし、頭はぐらぐらするしで、事態がまるで理解できない。 困り果てて、もういいです大丈夫ですわかりました、と叫びながら会長を押し返した。 だって困る、この状況は困る。予想してなかった、こんなこと。 ずっと片思いだと思ってたから、その先なんて考えてなかった。 「わたしで遊ばないでくださいっ」 「失礼な、オレは遊んでるつもりはない」 「遊んでるようにみえますもん」 「……わかった。だったらもっと本気に見えるようにしようか?」 ぐっと身を乗り出されて、距離の近さに眩暈がした。 どこか不穏な空気を感じ、いいです信じますと防波堤の上を横に退いた。 会長が、残念、と口の端を持ち上げて。 いったいなにがどうなって。残念って何がでしょう。 普段、悪ふざけなんかする人じゃないのに。 ちょっと人相は悪いけど面倒見がよくて――なのに。もしかして会長、暑気あたりでどっかおかしくなってるんじゃ。 さまざまなことが交じり合って頭の中がマーブル模様になる。 でも真顔になった会長の次の一言で、全部吹っ飛んで、真っ白になった。 「東雲、好きだ。オレと付き合って」 わたし、この人に殺されるかもしれない。 *** 帰り道。蝉の鳴き声を聞きながら歩道を歩いた。 でも真横にいるのはどうしても気恥ずかしくて、会長より一歩、下がってる。 ゆっくりした歩調の会長だが、どうやらわたしの心境を汲んでくれたらしく、無理に並ぼうとはしなかった。 「会長」 「ん?」 海を見てる会長に、そろそろ呼びかける。 肩越しに振り向いたこの人が、わたしの彼氏になったってことがいまだに信じられない。 ずっとずっと片思いだと思ってたのに。 「どうした?」 「あ、いえ」 不思議そうに問いかけられて、ぶんぶんと頭を振る。 うっかり見惚れていました、なんて云えやしない。 「あ、あの。そう、さっきわたしがこけた時! 会長、何か……しませんでした?」 「転んだとき? ――さあ、なんのことだ?」 事情が飲み込めないというように云われ、なんでもないですと慌てて手を振る。 どうにも引っかかっていたから訊いてみたけど、あれは本格的にわたしの勘違いだったらしい。 そうだよね、いくらなんでも舐めたりしないか。 納得しかかったところで、ふと視線を上げる。会長と、目が合った。 ……なんだか口元が笑っていやしませんか会長? 「……会長?」 「いや、なんでもない」 と、言いながら、なんで口元を押さえるんですか。 「あーっ、やっぱり! 耳! わたしの耳、なめましたねーっ!?」 思いっきり叫んだわたしの前で、会長が身を二つに折る勢いで大笑いしていた。 「もうすぐ引退だろ? だから結構焦ってた」 ようやく笑い収まった会長が、それでもまだ目尻に涙を浮かべながら云った。 わたしはといえば、まだむくれたまま、じとりと会長を睨め付けている。 「そんな風には見えなかったです全然」 「一応好かれてる自信はあったから」 そ知らぬ顔でさらりと言う。会長ってば案外、自信家? 意外な一面。でもそれより、わたしの気持ちに気付かれてたってことの方が衝撃度は高い。 「云ったろ? 東雲は本音で勝負しすぎだって」 ……そんなにあからさまでしたか。自分じゃ隠しているつもりだったのに。 穴があったら入りたい。寧ろ自分で掘って埋まりたい。 「だけど関本が東雲には彼氏がいるって断定するし」 断定って……断定って! 副会長、全体、会長に何を吹き込んだんですか! 「東雲は東雲でオレが誘っても断るし」 「ええ!?」 誘った? 話が見えません会長。 わたし、会長に誘われたことなんて、まったくありませんが。 「わかってないって表情だな。夏休み前、外で会わないかって言っただろうが」 「あれって、生徒会の皆でって意味じゃなかったんですか!?」 呆れたため息に、すみません、とつい平謝り。 確かに夏休み前、言われたけど。雰囲気的に、二人でとかじゃなくて、任期終了前に生徒会の皆でどこかにいかないか的なものだと。 わたしは海の家の助っ人予定が入ってたし、その予定にしてもいつ変わるかわからなかったから、辞退したんだけど。 「まさか個人的に誘われてたなんて夢にも思わず」 「そうだろうと思った。わたしにかまわず皆さんでどうぞ、なんて妙な断り方したからな」 わ、わあ、怒っていらっしゃる? わははと乾いた笑いを洩らすと、まあ東雲らしいよな、とフォローなのか呆れているのかいまいちわからない一言が会長から告げられた。 *** 街の灯りを反射する波が、キラキラと星のようにときおり光る。 吹き付けてくる風を孕んだ髪がふんわりと舞い上がって、涼しさに息を吐く。 「東雲、ほら」 一歩分前を歩いていた会長が立ち止まって、わたしに手を差し出した。 これはつまり。そういうことでしょうか。 後ろに回して組んでいた手を解いて、ためらいつつ伸ばしてみる。 指先が、重なる。会長が切れ長の瞳を細めて、晴れやかに破顔一笑。 「――会長」 「ん?」 「すみませんわたしぶっ倒れそうなんですが」 「ぶっ倒れそうってお前……おい?」 耳まで赤くなってるに違いない自分の顔を片手で覆って、もう俯くしかなかった。 やられた。それは一撃必殺の最終兵器です。会長。 ――駄目だ、やっぱりわたし、この人に殺される。 〜Fin〜 |
この作品は『なつこい。』企画へ参加していました。 |
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