WebClapお礼小話

ラヴァーズ・ライン番外編

エイプリル・フラワー


「あのね、ゆうきちゃん。…実は…ね…好きな、人が…好きな人が、できた、の。」

まったく突然の、華からの告白だった。


「――――――――は?」


危うく取り落としそうになった珈琲カップ。
まだたっぷりと華の入れてくれた珈琲が入ったそれ。

どうにか落とさずに済んだものの、若干手に零れた熱い液体を気にしている余裕すら失ったゆうきは、テーブルの向かい側に座している華を信じられない心境で凝視した。

少し俯いて、困ったように視線を彷徨わせている、華。

「―――好きな―――男、だよな?…誰?」

半ば呆然とゆうきが呟くと、相変わらず困惑したように俯いていた華がちらりと目を上げゆうきを見た。
ほんのり頬を染め「同じ…クラスの子。」と掠れるぐらい小さな声で囁く。

―――同じクラスの男?同級生?

くらりと眩暈を覚えながら、ゆうきは片手で額を押さえた。


「それはつまり2年の時の同級生?」

「え…あ……う、ん。」

華が頷く度にさらさらと揺れる髪。

子供のころから長いままである華の髪は14歳の今でも変わってはいない。
その華もこの春休みが終われば、中学三年になるのだ。

確かにそれは恋だってするだろうな、と頭ではわかっている。
けれど、ゆうきにはまるで実感が湧かない。

もし華が恋をするなら、奏だろうと思っていた。

―――それが、同級生?

奏は一体何をしていたんだと、若干見当違いな八つ当たりをしながら、ゆうきは握り締めたままだったカップから珈琲をゆっくりと喉に流し込む。

すっと体の芯が―――冷えていく気がした。

まだ待とうと思っていた。待てると、思っていた。
なのに、今。
恥らうように俯き、頬を染める華を見て押さえることの出来ない劣情が湧く。

自分以外の誰かを想って。
自分以外の誰かの為に。

そんな表情をしてみせるのかと―――。


「ゆうきちゃん…!?」


手にしていたカップがテーブルの上で転がったのを、ゆうきはまるで他人事のように感じた。
意識の外で、警鐘が鳴っている。

華が手近にあったタオルを手に、慌てたようにゆうきの傍に駆け寄ってきている。
テーブルから零れた茶色の液体が、床へと溜まっていく。

テーブルの上からあまり高く持ち上げていなかった為か、コップも割れず、周囲に珈琲も飛び散らなかったのは、多分不幸中の幸い。

動かないゆうきの足元に華が屈んで、床を拭っていた。

華の動きに合わせて揺れる黒髪へ、手を伸ばす。
やさしく指を髪の中に入れて梳くと、華が驚いたようにゆうきを振り仰いだ。

けれど、逃げようとはしない。嫌がるそぶりさえまるで見せない。
不思議そうに首を傾げてはいるが、じっとゆうきのなすがままにされている。

―――いっそのこと、逃げてくれればいい。

そうであれば、逃がさないように抱きしめてしまえるのに。
腕の中に、閉じ込めてしまえるのに―――。


差し入れていた指を、離す。

さらりとした感触と共に、華の髪が手の上を滑っていく。


「華、今日は用事があるんだ。―――悪いけど、帰ってくれるか?」

自分の中に残っている理性の欠片を総動員して、ゆうきは小さく笑みを浮かべながら、漸くその言葉を告げた。





「え…―――ゆうきちゃん?」

驚きに見開かれた、黒目がちな瞳。

ゆうきは華の手からタオルをやさしく抜き取ると、テーブルの上にも広がっている液体の上へと落とした。

じんわりと白いタオルに茶色の染みが広がる。
それはまるで―――ゆうきの心を写し取ったかの如くに見えた。

心に鈍く広がる黒い感情。
押さえることに精一杯で、華を見ることができない。

顔をそむけ、濡れ布巾を…と思い、ゆうきは椅子から立ち上がり、キッチンへ向かおうとした。

けれど突然背中を引かれ、何かと思って振り向けば、軽く羽織っていたシャツの裾を華がしっかりと掴んでいる。

「ごめんなさい…っ。」

ゆうきは僅かに目を瞠ってシャツを握り締めている華を見下ろした。
けれど、華は俯いてしまっていてその表情を伺うことはできない。

それをひどくもどかしいと思いながらも、ゆうきは何も出来ずただ立ち尽くしていた。

「―――なんで華が謝るんだ?」

謝られている原因が本当に思い当たらなかった。
いや、一つ心当たりがあるとすれば、華を想う気持ちに気づかれている、という場合だ。

―――他の男を好きになって、ごめんなさい?

まさかと思いながらも完全には否定は出来ない。が、しばらくすると、華がおずおずと顔を上げた。

「……だって…ゆうきちゃん…気づいたんだよ、ね?」

「何を?」

「あの……嘘、だってこと。それで、怒ってる…んじゃ…ない、の?」

「――――何が?」

妙な話のかみ合わなさ。
ゆうきと華がお互いとても不可解な顔で視線を合わせる。

「だからね…さっきの…。」

「好きな奴が出来たって話?」

微動だにせずゆうきがぽつりというと、華が小さく頷いた。

「うん。ごめんなさい。」

「嘘?…本当に?…本当に嘘?」

「―――うん…。」

すまなそうにしている華の様子。嘘だという言葉に間違いはないようだった。
しかし、ゆうきの頭はまだ衝撃から立ち直れない。


「もしかして―――驚いてくれた?」

ちらりとゆうきに視線を寄越して尋ねた華を見て、ゆうきは漸く深い溜息を吐いた。
心に広がりかけていた黒い感情が、霧散していく。

「ほんっとに、驚いた。また、何だってそんな嘘。」

「―――あのね。今日、四月一日なんだよ?」

つまり、エイプリル・フール。


―――俺は四月馬鹿か。


ゆうきは一気に脱力した。
が。心境的には、自棄を起こして華を襲わなかった自分の理性に拍手喝采を送りたい気分だった。
まさか華がこの手の冗談を仕掛けてくるとは思ってもいなかったのだから、その真実味は有り余るほどだったとはいえ―――まったく疑わなかった自分に呆れる。

「華、頼むからその手の冗談は―――勘弁してくれ。」

額に落ちていた髪を乱雑にかきあげながら天を仰ぐゆうきの声には、苦笑が滲んでいた。

「その…まさかそんなに吃驚されるとは思わなくて。」

気落ちしたように華が項垂れる。
ゆうきはやさしく笑んで華の頭を軽く撫でた。そしてそのまま手のひらを滑らせ、柔らかな頬に触れる。

華が心地よさそうに目を閉じて、ゆうきの手の上に自らの華奢な手を重ねて。
もう一度「ごめんね」と囁いた。

とても無防備で、無邪気な姿。
長い睫、触り心地の良い頬。それに―――艶のある柔らかそうな唇。

ふっくらとしたそれをおもうさま味わってしまいたい。

華に感じるそれらの衝動に、ゆうきはもう苦笑するしかない。
一度限界まで擦り切れた理性は簡単に壊れてしまいそうで、拒絶と思われない程度の動きでそっと華から手を離した。

「わかった、もういいから。気にしてないよ。でも一体どうしてその内容になったんだ?」

「それは―――…、あの…。」

何気なく聞いた一言。けれど、瞼をゆっくり開けて言いよどむ華の様子にゆうきの片眉があがった。
何か隠しているらしい華の顔を身を屈めて覗き込む。

「…はーな、正直に。」

やや顎を引き上目遣いで見つめてくる華の視線を絡めとり、ゆうきが眇めた目で見据える。

華は言いにくそうに「……妹に彼氏が出来た心境を疑似体験って、母さんが…」とやや言葉を濁しながら呟いた。

―――妹に彼氏…?疑似体験?

幾つかの単語。
それだけですべてを悟ったゆうきは、勘弁してくれと頭を抱えたくなった。

「つまり―――澄香さんが計画したんだな?」

こくりと小さく華が頷く。
心底、比呂平親子に振り回されていると思わずにはいられなかった。

果たして一体いつまで自分の理性は持つのだろうか?
多分、あまり長いことは無いだろうと胸の内でゆうきは苦く感じていた。

けれど、どうやらまだ猶予は与えられているようだ。
華に想い人が出来てはいないのなら、まだ自分にだって十二分にチャンスはあるだろう。

ほっと安堵の息をつく。
―――と、同時に…さっと真剣みを帯びた表情を作り出すと、まだ幾分申し訳なさそうな華の背後をじっと見つめた。

「……?ゆうきちゃん、なぁに?」

「―――華、後ろ……っ!」

「え……え!?……や、何……っ!?」

ゆうきが声を荒げると、慌てて華がゆうきの腕にしがみついてきた。
ぎゅうっと腕に捕まり、恐々といった様子で背後を振り向く。

けれど、そこには。

「―――え、あれ?」

何も変わったものは無い。いつもと同じ室内があるだけ。
見事に引っかかってくれた華に、ゆうきは思わず噴出していた。

華がばっと顔を上げて、ゆうきを見上げてくる。

「ゆうきちゃん…っ、もう…!」

「―――嘘だよ。ほら、これでお相子。」

華を見下ろしながら、ゆうきはお返しとばかりに笑いながら囁いた。



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