08. 融けない雪、咲く花


「……奏ちゃん?」

部屋に戻った奏を、まだまどろみを含んだ声で雪葉が出迎えた。
毛布に包まったままソファの上に座り込み、乱れた髪もそのままに眠そうにしている。

「いない、から……吃驚した。」
「少し外に出てたんだ。まだ眠い?」
「ん、平気……もう帰らないと駄目、かな……?」

どこか不安そうに雪葉が尋ねてくる。
奏は暫く考え込んでから、雪葉の目の前に座り視線を合わせた。

「――泊まって行く?」
「……え、と?」

ぱちぱちと雪葉が瞬きする。さっと頬に赤みが差した。意味を理解したらしい。
眠気のとんだ顔で、目を見開いて奏を凝視している。

自分の台詞がどういう意味合いを持って雪葉の耳に響くか充分わかっていながら、意地の悪い訊き方をしたなと奏は苦笑しながら言葉を補足した。

「客間の方だけどね。準備するよ?」
「あ、ああ! うん、きゃ、客間ね、そうだよね。」

毛布の端を握り締めて慌てている雪葉を抱きしめたくなる。
不味いな、付き合った女性にこんな風に触れたがる事なんて今まで無かったのにと、知らず知らずの内に奏はじっと雪葉に見入っていた。

「――あー、あ、でもいいの? 今までは泊めてくれたこと無かったのに。」

隠しきれない動揺を滲ませ、雪葉は落ち着き無く俯いている。
見つめられているから落ち着かないのだろうが、奏は真っ直ぐ雪葉を見つめていた。

「今日は特別。ちゃんとパパにも了解を貰ったしね。」
「パパ?」

はっと雪葉が顔を上げる。
強張った表情で奏の視線を受け止め、張り詰めた気配を纏った。

「――何か、言われた?」
「どうかな。」

答えを濁した奏に、雪葉がぎゅうっと抱きついてくる。
毛布に包まっていた雪葉の体温は大分高くなっているようで、服越しにも伝わってきた。冷えた体に、それはとても心地が良かった。

「何を言われても私……絶対諦めないんだから……っ!」

明確な意思を含んだ声に気持が高揚する。触れる体温に体が熱くなる。
奏は目を閉じ、雪葉の背に腕をまわして力を込めた。

「――困ったな。ゆうきに――雪葉のパパに、もし雪葉と付き合う事になったら、卒業するまで手は出すなって言われてるんだ。」

熱を含んだ吐息と共に雪葉の耳元で囁く。
これ以上手出しすることは出来ないとわかっているが、腕を緩める事は出来そうも無かった。

が、奏の言葉に驚いたらしい雪葉が、腕の中で暴れた。
奏の胸に両手をついて身を起こす。噛み付かんばかりの勢いだ。

「なっ! なに、それ!?」
「言葉通り。ただ……上手く嵌められた――かな、多分。」
「え?」

首を傾げる雪葉に苦笑し、奏は名残惜しく思いながら腕を解いて立ち上がった。

「雪葉のパパはやっぱりイイ性格をしているって事。これで少なくとも、雪葉が卒業前に俺と別れるか、卒業するまでは雪葉の貞操は守られるわけだね。」
「……っ、パパってば超親馬鹿、信じられない……っ!」

被さっていた毛布に顔を埋め、雪葉が呻く。
奏は苦笑いのまま雪葉の頭をくしゃくしゃと撫ぜた。

正確に言えば確りと交わした約束というわけではない。
だが奏はそれを守るつもりでいる。あと二年――雪葉を抱かない、そう決めていた。

「雪葉、そんなに焦らなくていいよ。ゆっくり行こう。」
「私……焦ってるみたいに見える?」

眦を下げた雪葉に訊かれ「少しね」と奏は肩を竦めた。
項垂れた雪葉が泣きそうな顔をする。

「奏ちゃん、私とその……できなくて、も……浮気、しない?」
「浮気?」

――ああなるほど、そっちの心配か。

妙に納得する。だが、奏は元々その手の欲求が強い方ではない。
雪葉の手をとり、安心させるように極上の笑みをみせた。

「しないよ。」
「本当に? 本当に絶対、約束だよ?」
「約束だ。雪葉だけだよ。」
「なら……証を、くれる?」

証? と奏が訊き返すと、雪葉はこくりと頷いた。

「寝顔を見るのは後二年我慢する。だから……約束のキス……が、欲しい。」

目元も頬も紅く染め、雪葉が小さな声で願う。

奏は暫く逡巡し、雪葉の頬に片手を添えた。
軽く上向かせ身を屈める。雪葉の瞼がゆっくりと閉じられ、頬に睫が影を落とす。
奏は空いている方の手で雪葉の前髪を持ち上げると、あらわれた白い額に唇を触れさせる。
感触にぱっと目を開けた雪葉が「違っ、」と不満そうに口を開いた所で、ふっくらとした唇に自らのそれを重ねた。雪葉の体が強張ったのがわかる。

最初は軽く啄ばむように何度か。
雪葉が甘く喉を鳴らした頃合に一度深く口付けて、奏は身を離した。

「何があっても守るよ。」

「――うん……うん……私も奏ちゃんを守る。でもどうしよう、今は泣きそう……嬉しくて、幸せでどうにかなっちゃいそう。凄く、幸せ。私、パパとママの娘でよかった。だって奏ちゃんに会えたんだもん。」

泣き出しそうに、けれど同時に幸せそうな笑みで大切なものを守るように雪葉が口元を押さえる。
彼女がゆうきと華、二人の娘でよかったと奏こそが感謝したい気持だった。

「……奏ちゃん……もう一回、して?」

猫のように眼を細めた雪葉が、奏の胸の寄りかかってくる。
いつもより潤んだ瞳で見上げられ、揺らぎそうになる理性を立て直すのに少し苦労した。
「――もう焦らないんじゃなかった?」

あまり強請られても歯止めが利かなくなりそうだと、軽く雪葉の肩をつかんだ奏が苦笑する。

「別に焦ってるわけじゃ……。」
「じゃあ、どうして?」

雪葉が言葉に詰まり、眉間に皺を寄せ明後日の方向を見ていた。
あからさま過ぎる態度に苦笑しながら、雪葉の頬を両手で挟んで覗き込む。

「……だって、奏ちゃんってば凄く生真面目でしょ? だからそういう関係になっちゃえばもう後に引けなくなるかなぁ……なんて、思って。」

「………。」

流石に二の句が次げなかった。凝視する奏に居心地の悪さを感じたのか、雪葉が頬を紅潮させながら反論してきた。

「そんな顔するけど! もし奏ちゃんと付き合ってることで何か私に不利な事態が起きたりしたら、身を引いちゃうでしょ! そんなの絶対嫌だからね!」

呆れて沈黙する奏に雪葉がむっとしたように目を逸らす。

言われた内容はあながち間違っているともいえず、奏が曖昧な笑みを浮かべると雪葉がほらやっぱりと頬を膨らませた。

幸せだと思う。だが、それでもまだ抱けないと思う。
それはゆうきの事ばかりが原因ではない。
これから先、雪葉にもし自分以上に大切な人ができた時、きっと手放せなくなるから。

雪葉がきけば怒るだろうが、奏は雪葉の選択肢を狭めたくは無かった。

雪葉が愛しい、守りたい。
それは比べる術も無いが、きっと誰よりも――自分にとって彼女は、大切で愛しい者であることに間違いは無い。

まだ頬を膨らませて、訥々と諭すように雪葉が自分の心情を奏に訴えてくる。
それを聞きながら、奏は身をかがめ雪葉の上に覆い被さると、触れるようだけの軽いキスを落とした。

唇を離すと、突然の行動に驚いたらしい雪葉が目を見開いて硬直している。
自分からねだったというのに随分と初心な反応をすると、ふと奏が笑う。
雪葉の白い頬が、一瞬で紅色に染まった。

「か……かな……ああ、もう! ずるい!」
「そうかもしれない。雪葉は、そんな奴でもいいと思う?」

むっと眉根を寄せ、頬膨らませたまま雪葉が憮然と頷く。

「――いい。奏ちゃんだもん。私は全部丸ごと貴方を受け止めるよ? だから、逃げないで。」

予想外に真剣な表情で雪葉に請われ、奏はゆっくりと頷いた。
満足そうに雪葉が笑い奏に抱きついてくる。背中に縋るような手を感じた。

随分と長く一緒に居たというのに、たった数日で雪葉は奏の愛しい人になった。
否、多分今までの間に積み重なった思いが、今咲いたのだと思う。

永遠を求められる程、世間を知らないわけでは無い。けれど今この時は、雪葉を腕の中に閉じ込めることに何のためらいも無かった。
奏は雪葉を求め、雪葉もそれに答えてくれた。

木の葉のように淡雪が舞う夜。
腕の中には温かく白い雪。奏の心を満たす、白い雪。



***




ゆるりと閉じた雪葉の瞳の下にうつるのは、雪と見まごう程に舞う花吹雪だった。
奏の腕の中、雪葉は奏を抱きしめる。

初めて触れた唇は予想外に熱かった。
どうしようもなく幸せで、雪葉の閉じた瞳から涙が零れ落ちる。

今までは常に崩れる事の無かった境界線が、まるで溶けて消えたようで。

――もう寂しい目をしないで。大丈夫、幸せになれる。ううん、幸せにするから。

雪葉の小さな囁きは、耳に届く暖かな奏の鼓動の中へ融け、それはまるでこれから先へと続く長い道のりの、確かな道しるべのように聞こえる。


『あのね、奏ちゃん。雪葉、大きくなったら奏ちゃんのお嫁さんになったげる!』
『うん? はは、それは嬉しいな。それじゃあ――雪葉が大きくなっても気持が変わらなかったら。』
『絶対?』
『絶対。』


小さな子供と大人の、他愛の無い会話。
けれどそれは確かな絆となって今、実を結び始めていた。



〜Fin〜



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