16―19
カロ様の華麗なる日常・16


「私が好きになった貴方は、紳士的で、やさしくて…っ」

クラから視線を外し、俯きながらビズ嬢が震える声を上げる。

頼りなげで儚げで…。

クラならずとも、男なら優しく抱きしめ、慰めたくなる姿だな。

ふと浮かんだ考え。しかし私はそれを一蹴した。
生憎クラを相手に恋の鞘当を繰り広げるつもりは毛頭無い。

ただでさえ敵の多い現在の身で、この上永の親友殿を失うつもりは無かった。

ビズ嬢には申し訳ないが、クラの為にこの先どれ程泣くことになっても彼女にはクラの傍に居てもらわねばならない。
厄介な相手に見込まれてしまったと諦めてもらうしかないだろう。

もしかしたらビズ嬢とクラを添わせるというのは諸刃の剣かもしれないが、それでもビズ嬢を手にすることでクラの何かが―――そう、何かが変わるような予感がする。
今までクラに欠けていたものをビズ嬢が埋めてくれるような…そんな予感が。


「本当に?…ビズ、貴方が好きになってくれた私は、本当にただそれだけの男でしたか?」

クラが静かにビズ嬢に問う。
ビズ嬢が僅かに口を開き―――しかし何も言うことなく絶句する。


戸惑うように青い瞳が揺れていた。


斜め後ろから覗えるビズ嬢の横顔に葛藤を感じる。
シスとしてのクラ。クラとしてのシス。

騙されたことを許せるか、否か。
クラの全ての面を受け入れることができるか、否か。

この選択はこの先の一生を左右する程の重みを持っていることに、ビズ嬢は気づいているだろうか。

しかし私は既に確信している。
ビズ嬢は、クラを受け入れるだろうことを。

何故かと問われてしまえば、明確な答えは導き出せない。
それでもシスよりもクラを選んだ時点で、ビズ嬢は心の深層でクラの全てを受け入れているのではないかと思えるのだ。


僅かに室内に入り込んできた風がビズ嬢の夜着をそよと揺する。
はっとしたようにビズ嬢が目を見開き、そして、きつく瞼を閉じた。


次いで、信じられないという色を宿した瞳が現れた途端。

「あ――――…貴方、なんてっ。貴方なんて、嫌い!…大嫌いだわっ!」

ビズ嬢の細い腕、華奢な拳がクラの胸へと打ち付けられた。



―――嫌い、大嫌い…か…。

苦笑いと共に、脳裏でビズ嬢の言葉を反芻する。

今のビズ嬢の言葉は―――私には、まったく反対の意味に聞こえていた。
つまり、ビズ嬢はクラを許し、今その全てを―――受け入れたということだろう。


クラにもビズ嬢の葛藤の結末がわかったのかもしれない。
壊れ物を扱うようにビズ嬢の手首を捉え、胸の中に飛び込んで来たビズ嬢をやや困ったように、しかし愛しそうに見下ろしている。

だが、ビズ嬢のきつい視線は…相変わらず。

どうやらビズ嬢に全面降伏してもらう為には、もう一押し契機が必要らしい。

…さて、では漸く私の出番ということかな。


「まあまあ、待ってやってくれ。」


私は極力暢気に、二人の間に流れる緊迫した空気を破るようにビズ嬢の背後から声を掛けた。









カロ様の華麗なる日常・17


驚愕も顕なビズ嬢が私に向けてきたのは、涙の跡を色濃く残した瞳。
さらと揺れる黒髪が月の光を照り返し、本来なら白い頬はうっすらと紅潮していた。

最初は不思議そうに。
しかし、だんだんとビズ嬢の表情は明らかな不信感に満ちてくる。

まあ、それはそうだろうな。
クラにのみ注意を払っていたビズ嬢の頭の中から、私の存在はきれいさっぱり忘れられていたとしても不思議ではない。
寧ろそうなるように、私は極力気配を消し息を潜めていたのだから当然だろう。


「貴方…どなた、ですか?」

細い手首をクラに捕らわれたまま、それでも眉根を寄せたビズ嬢が私の思った通りの質問を投げかけてくる。
確かに今の姿を見て、私がカロであるとわかる者は稀少だ。

やれやれ、それにしてもこれで漸く仮面越しの狭い視界から解放されるな。

「…ああっ、これは失礼。カロと申します、お嬢さん。」

大仰に礼をとり、私はさっと仮面を取り去る。
ついでに、私の金髪を覆っていた黒髪を模した被り物を、引き剥がすかの如くな勢いでシルクハットごと脱ぎ去った。

心地よい冷気に晒され、さっぱりする。
大きく溜息をつきたい衝動を抑え、私は軽く髪を撫でつけた後、ビズ嬢に向けてやんわりと微笑んで見せた。


ビズ嬢の青い瞳は零れ落ちんばかり。
ちらりとその背後へ目を向ければ、クラが余計なことをと言わんばかりの表情で私を見ていた。

ふふん。生憎とこれ以上突っ立っているだけ等という間抜けな役回りはもう御免だ。
ここはしっかり出張らせてももらおう。

…しかし。よもやビズ嬢は、私のことを知らない…ということは無いだろうな?
反応を見る限りでは、多分わかっている、とは思うのだが。

顔を晒しても気づいてもらえなかったとなると、それはそれで問題だからな。
王太子でもある私の外見は王家の血統を色濃く受け継いでいることもあり、記念式典の際などには何をやれ彼をやれと引っ張り出させることも珍しくは無い。
その私の姿を知らないとなると、ビズ嬢の箱入り娘っぷりは度が過ぎたもの、と言わざるを得なくなる。

しかしどうやらそれは杞憂であったようだ。

祭典や社交場に姿を見せないビズ嬢ではあるが、流石に私の顔は知っていたらしい。

「カロ…?……カロッ…様!?」

おお、無事気づいてもらえたようだな。

内心、安堵の息を吐きつつ、私に対して礼を取ろうとするビズ嬢を制した。


「ああ、いいから、いいから。私は傍観者だし。…まあ、今回はこの男があんまり不機嫌で、何かと回りに被害を撒き散らしていたからね。流石にちょっとフォローがてら弁解でもしてやろうと思って、こうして手伝っただけだから。…あ、ちなみに私はシスでは無いよ。正真正銘シスはそっちの男だ。」


私の言葉に、ビズ嬢が凍りつく。
息を詰め、何度も瞬きを繰り返し、困惑しているのであろうことが手にとるようにわかる。

これはビズ嬢の考えがまとまるまで少し待ったほうがよさそうだ。

僅かに苦笑しつつ、ビズ嬢から視線を外す。と、ビズ嬢の背後で目を眇め、不機嫌そうな色を浮かべているクラと目が合った。
どうも私の説明がお気に召さなかったらしい。

ふん。だが、私は事実と異なることは何一つ言ってはいないからな。
クラが不機嫌だったのも、周囲にたっぷり被害を振りまいていたのも違うことの無い事実だ。

被害者筆頭の私が言うのだから間違いようがない。

お互い気心の知れた仲だ。一方ではビズ嬢の動向を窺いつつ、目で会話を交わす。
しかし、クラと無言の遣り取りを行っていた私の耳に、涼やかな思案気な声が響くのにそう時間は掛からなかった。









カロ様の華麗なる日常・18


「弁解?」

僅かに首を傾げながら、ビズ嬢が問いかけてくる。

私はクラからビズ嬢へと目を向けた後、腕を組みながら何度かうんうんと頷いた。


「そう。別に私利私欲で怪盗なんてやってるわけじゃないんだよ。一応、これでも私の密偵なんだ、これ。」

言いながら、くいっと顎で指し示した先にはクラ。
不機嫌な様子を隠そうとしない男に、ちらりとビズ嬢が目を遣る。

けれどそれは一瞬。再び私を見るビズ嬢のその瞳には、不可思議な知性の光が垣間見えた。
それが、彼女は世間知らずではあるが、決して愚かではないことを私に教えてくれる。


「はじめは遊び半分。この男が私との賭けに負けてね。で。その時ちょっとした話題になっていた元老院の不正を手っ取り早く暴くのに協力しろといったんだ。」

真実の中に若干の虚偽、気づかれない程度に混ぜ合わせ私はビズ嬢に語った。
遊び半分―――これは当たっている部分もあるが、『クラが賭けに負けて』というのは私が話を持ち出す切っ掛けになったに過ぎない。
その時の状況を鑑みるに、話し難く思っていた私の態度に業を煮やしたクラが、わざと私に負けて話す切っ掛けを寄越したのではないかと思っている。

しかしそれはクラが何れビズ嬢に告げればよいことだ。
今の私の役割はクラの弁護。何故クラがシスとして行動したかをビズ嬢に理解してもらうことのみが目的。
私の密偵として働いていたことを理解してもらえるだけで充分だ。
この際私が多少の泥を被るのは仕方が無い。
私が無理やりクラを巻き込んだ―――つまり、クラには非が無いとわかってもらえれば良いのだ。

そう思いながら出来る限り軽く告げた私の態度を見て、ビズ嬢の眉間に皺が寄った。

「…それで…まさか証拠を盗みに…入られたのですか?」

慎重に紡がれる言葉。…けれどビズ嬢の口調は、明らかに呆気にとられている。
まあ、致し方無い事だ。


「その通り。いやー、それ以降もすっかり病み付きになっちゃって。」

重くならぬよう、からりと言う。
眩暈を感じたかのように、ビズ嬢が自身の細い指で額を押さえた。

…うむ。段々弁護になっているのか怪しくなってきた、か?
―――否、クラの弁護にはなっているかもしれないが、是では私の心証は―――かなり良くは無いだろうな。

僅かに苦笑しながら、ビズ嬢の背後に佇むクラを見れば、こちらも微苦笑だ。
これ以上続ければ墓穴を掘る可能性が高いということだろう。

私自身確かにそう思わないでもない。

では早々に立ち去り、後はクラに任せるのが最善か。


「そういうことだからさ、うっかり自分がシスだと言うわけにはいかなかったんだ。あんまり責めないでやってくれ。この性悪男が君の事となると目の色が変わる。まあ、ここしばらく見ていてなかなか楽しませてもらったけどね。そろそろ受け入れてやってくれ。でないといつ暴れだすかわからない。」

今だ衝撃から立ち直っていない様子のビズ嬢に畳み掛けるかの如く告げる。
僅かばかりの偽りが混じった真実。しかし、これで言うべきことは一通り言ったはずだ。

やれやれ、後はクラが手八丁口八丁でどうにかすることだろう。

最後に私はにっこりと最上の笑みを浮かべ、浸入してきた窓へと向けて足を踏み出した。

ビズ嬢の横を過ぎる。
次いで、クラの前を通り過ぎ様、私は我が親友殿の肩を軽く叩き耳元に素早く口を寄せ、そっと囁いた。

――――『ビズ嬢は初めてだろう、手加減してやれよ?』

にやりと笑った私に、余計なお世話だというようなクラの一睨み。
ふふんと鼻で笑い返し、外套を翻して月光の下へと近づく。

「なっ…ちょっとおまちくだ…っ」

しかし、慌てたようなビズ嬢の制止がかかり、私は足を止め一度だけ振り向いた。
言葉に詰まっているらしいビズ嬢と、憮然と佇むクラ。

さて、この二人…これから先も何かと騒動の絶えない恋人同士になるのだろうな。

「じゃ、私はこれで消えるから。後は二人で楽しんでくれ。」

ひらと手を振り、ベランダへ踏み出す。
来た時と同じように木枠に足をかけ、私は月光溶け込む闇の中へ―――身を躍らせた。









カロ様の華麗なる日常・19


さて、計画を立てた当事者としては、その後の二人の顛末を窓の外からでもそっと伺って見るべきか―――とも思ったが、生憎と私はそこまで無粋ではない。
結末の見えた経過だ。結局のところビズ嬢はクラを許し、クラを受け入れるのだろう。

どのみち、ビズ嬢はクラに好きだと告白をした時点で勝機を失っていたのだ。
本来の調子を取り戻したクラが、今更ビズ嬢を逃すはずも無い。

明日の昼には、私は思いを遂げた幸福な男の姿を目にすることになるはずだ。


王宮の中、ごく一部の者しか知ることの無い非常用に作られた通路の中を歩きながら、纏っていた外套を脱ぎ漸く一息つく。
手にした蝋燭がふわりと揺れ、私の影が通路の中で揺らめいた。

もう自室は目と鼻の先だ。

やれやれ。これでビズ嬢と我が親友殿の恋路も安泰だろう。
これでやっと私も安眠できるというものだ。

幸い明朝の公務はない。
久方ぶりにゆっくりと眠ることができる。

それにサシャについての後始末。
それもクラに任せてしまおうと、私はしっかり決意していた。

…いやいや、待てよ。
サシャの事のみの留まらず、いっそのことクラが荒れていた間に起こした問題全ての始末を押しつけてしまうか。
悪くは無い考えだ。さて、ではどうやってクラを動かしてやるかな―――。

きっちりと敷き詰められた煉瓦と私の靴が触れ合う音以外、何の響きも無い闇の中を進みながら私はのんびりと明日からの計画について思いをめぐらす。
まあ、これから先クラが多忙を極めることは間違いないわけだが、自分で仕出かしたことの責任は取って貰わねばな。

―――うむ。しかし、そう…だな…多忙を極める…ことになるのだろう。クラは。

ああ迄入れ込んでいる女性を愛妾として傍に置くだけで満足するような男ではない。
必ずビズ嬢を正妻として望むはずだ。

しかしそれにはまだまだ難問が山とある。
ビズ嬢家の貴族としての地位は、クラと婚姻を結ぶには低いと言わざるを得ない。

仮にもクラは伯爵家の跡取りである。
クラの親族達からの猛反対は目に見えるようだ。

もちろん―――クラがその程度の事で挫けるとは到底思えない。
あらん限りの手を使ってビズ嬢を妻に迎えるのだろうことは想像に難くない、が。

本当にビズ嬢も厄介な相手に惚れこまれたものだ。


微苦笑を浮かべる私の歩みに合わせて揺らめく灯り。
それとは別に、前方が薄明るくなってくる。

通路の突き当たり、仕掛けを施された壁の僅かな隙間から漏れて来ているのだ。
軽く壁に手をつき、力を込める。手応えと共に、壁が回転した。

薄暗い通路から出た先には、穏やかな明るさのある私の寝室。

寝台の上に、無造作に外套を投げ出す。
ついでに上着も脱ぎ去り、きっちり着込んだ襟元を寛げた。

撫で付けた髪に指を差込、くしゃりと掻き乱す。

そして、室内に置かれたテーブルに鎮座しているワインに目を留め、手を伸ばした。
横に置かれたグラスになみなみと注ぎ込む。

黒とも見紛う、深い赤―――。

私はグラスを手に寝室の一面を占める窓へと足を向け、一気にそれを開け放った。
清浄な、冷やりとする空気が流れてくる。

さて…では何に乾杯すべきかな。

我が親友殿の成就した恋か…それともビズ嬢のこれからの幸運を願って、か…。
いや、しかしどれもしっくり来ない。

「では―――そう、だな…、我が親友殿とビズ嬢の秘めやかなる一夜に!」


手にした杯を満天の星空―――その中でも一際輝く月へと掲げる。
一気に飲み干してしまった杯に満たされていたワインは、喉を過ぎ胃の腑に染みた。


まだ成長途上であろう彼女はこれから益々美しくなっていくことだろう。
クラに愛され、クラの傍に居ることで降りかかる様々な困難が彼女を成長させていく様が目に見えるようだ。

それによってクラがこれからどれ程苦労することになるのかと思うと、純粋に興味が湧いてくる。
手ずから育てた美しい花に振り回される日が、いつかクラにも遣ってくるのだろうか。


―――これは、まだまだ楽しませて貰えそうじゃないか。


恐らくクラとビズ嬢にも降り注いでいるのであろう月光を我が身に纏いながら―――そして、安穏とした朝を思い描きながら…私は極上の美酒に酔った。



が、しかし。

…物事というのはまったくもって予想通りには進まないもの、らしい。

翌朝、私は再びメイドにたたき起こされることとなる。
秘密裡にやってきたビズ嬢宅の召使が携えてきた言葉によって。



『当家主人と、クラ様が決闘を…っ!どうか仲裁を致してくださるようお願いに参りました!』



こうして私は昨夜忍び込んだビズ嬢宅にまたもや秘密裡に、だが今度は馬車を疾駆させて赴くことなるのであるが…。

それはまだ…ほんのしばらく先の話だ。



〜Fin〜



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