11―15
カロ様の華麗なる日常・11


私の背後から吹きぬけた風が再びビズ嬢の部屋へ流れてゆく。
部屋の中では、ビズ嬢が強張った表情のままクラから遠ざかろうとしていた。

風を孕んだ外套を僅かに揺らしながら、クラが微笑む。

「とても良い晩ですね、ビズ。…今宵は、貴方に贈り物を。」

「贈り、物?」

やはり強張った声でビズ嬢が答え、クラがその身を引いた。

よし、合図だ!

漸く回ってきた出番に、私は意気揚々と背筋を伸ばしビズ嬢の部屋へと続く窓を越える。


「――――――シ……シス?」

月光の下へ足を踏み入れた私を見て―――否、正確には私ではなく、シスの姿を見たビズ嬢が驚愕の響きも顕に小さく呟いた。


―――ああ。これはやはり…そういうことなのだろうな。

ビズ嬢の瞳に浮かぶ色を見て、無条件にそう感じる。

朧気にではあるが、今の私には事の顛末を予想することが出来ているんではないかと思う。
目に映るビズ嬢の様子―――憂いを帯び、女性として成長しようとしているその姿。

けれど私へ向けられるビズ嬢の瞳に恋慕の気持は感じられない。

では、このビズ嬢の変化は一体誰の為だというのか。

…クラは…ビズ嬢の許に通っていた時、本当にわからなかったのだろうか?
だとしたら、まさに恋は盲目ということだろうが―――もしかしたらクラが通わなくなったからこそ気づいた真実だということもありえる。

しかし、例えそのどちらだとしても。

今日のクラとシスの勝負…ビズ嬢が選ぶのは――――勝利を齎すのは恐らく…。



「…な、何故…ですか?」


仮面の下から事の成り行きをただ黙って見守る私の前で、震える自身を細い両手で抱きしめたビズ嬢が困惑の声を上げる。
クラは感情を押し隠した様子で、私と打ち合わせた手筈通り静かにビズ嬢に対して仕掛け始めた。

「貴方がもっとも会いたがっていた男、でしょう。…貴方への最後の贈り物ですよ。」

「さい、ご?」

クラの言葉にビズ嬢が目を瞠る。

「ええ、もうこれで最後です。貴方がシスを選ぶというのなら、私は貴方の傍には居られない。…貴方はシスを選ぶのでしょう?」

切り込むようにクラはビズ嬢へ言葉を投げかけている。
ビズ嬢が黙り込む。

クラにとっては酷く重く、長く…そして短い間であることだろう。

果たしてビズ嬢は今何を思っているのだろうか。
否、それ以前にビズ嬢は自分の気持に気づいているのだろうか。

ああ、それにしてもまったく。
ビズ嬢が恋愛ごとに対して免疫があまり無いということは傍目にもしっかりわかる。

しかしクラの奴はそれなりに経験があるだろうに。
何故こんなに不器用な進め方しかできないんだ。この男はまだビズ嬢の気持に気づいていないのだろうか。


存外不器用であったらしい我が親友殿に呆れる。

その私の前で、クラがビズ嬢を一度まっすぐ見つめた。
何かを振り切るように踵を返す。

ビズ嬢はクラを追うか。この場に残るか。ここが正念場だ。
これで全てが決まるだろう。

追い詰められた時の咄嗟の行動に程、その人物の真実は現れものだ。



そして―――ビズ嬢は、クラを追った。


この瞬間、私はクラの勝利を確信した。









カロ様の華麗なる日常・12


しかしこのままではまた埒の明かないことになるかもしれんな…。

これまでのクラとビズ嬢の言動から来るかなりの高確率であり得るだろう予想だった。

どれ、ここは一つ私も何かしておくか。
折角来たというのに何もせずにただ立っているだけというのも芸が無いだろう。


丁度、私の横を過ぎようとしていたビズ嬢。
クラを必死に追おうとしているその身体へ腕を伸ばす。

そして細い腰を捉え、腕の中へ引き寄せた。
ビズ嬢が腕の中で暴れ、クラの名を呼ぶ。
しかし精一杯のその抵抗は私の腕を振り払うには大分力不足だった。

しかし…これはまた随分と軽い上に…細い。
暴れるビズ嬢を押さえながら、予想以上の細さにやや驚く。

だが、薄い夜着から伝わる感触は女性らしく柔らかい。

これは少し…役得かもしれんな。

抱きかかえたビズ嬢を眺めながら暢気に思っていると、クラの冷たい一瞥に射抜かれた。
どうやらビズ嬢の呼びかけに足を止めたクラが私の暴挙を見咎めたらしい。

振り向いたクラはビズ嬢を見つめる合間、彼女に気づかれないようにちらりときつい視線を私に向けてくる。

今宵、クラはまだビズ嬢に触れることすら叶っていない。
だというのに、私が堂々と彼女の腰に手を回しているのが気に入らないのだろう。

まあ、そうは言ってもこればかりは仕方が無い。
肩を竦めて見せれば、幾分納得がいかないという様子を見せながらもクラは諦めたようだった。



「…何故、私を呼ぶんですか?」


淡々と強弱の無い声でクラがビズ嬢へ問いかける。
腕の中でビズ嬢の身がびくりと震えた。

「貴方の望んだシスは、貴方の傍に。なのに何故私を引き止めるんですか、ビズ。」

「…それは…。」

静かではあるが、畳み掛けるようにクラは困惑したように唇を噛みしめるビズ嬢へ答えを求める。

再び部屋の中へ静寂が満ち、恐らく無意識なのであろうが、ビズ嬢は抱きとめている私の腕をきつく握り締めた。

迷っているな、と思う。
僅かに震え、何度も瞬きし…口を開きかけ、閉じる。

その姿はとても痛々しかった。
しかもこの状況は、ビズ嬢の真意を聞き出す為に私とクラが作り出したものだ。

しかし、申し訳なくはあるがやめるわけにはいかない。


ビズ嬢が一度、軽く息を吐きながら目を瞑った。
そして―――その瞳がゆっくりと開かれる。月光に照らされたそれは酷く気高い。


「――――クラ様が…クラ様が、好きだからです。」


ビズ嬢のブルーアイから、最上の宝石すら敵わないであろう輝きを持った涙が、散るように零れ落ちた。









カロ様の華麗なる日常・13


よし!よくぞ言った!天晴れだぞ、ビズ嬢!


待ちに待ったビズ嬢の本音。
つい歓喜の声を上げそうになり、だが、慌てて口を閉ざす。

いかん、いかん。
私は今、シスの姿を纏っているんだからな。

何か拙い態度をとらなかっただろうかと、些か心配し―――。
しかしそれはまったくの杞憂だったと思い知る。

何とはなれば、クラの手によりビズ嬢はとっくに私の腕から奪い去られていたからだ。
ビズ嬢の告白に気の緩んでいた私は、ついでに腕の力も弱めていたらしい。

私が今見ることが出来るのは、クラの腕の中にきつく抱きしめられているビズ嬢の姿。

それに。

ああ、まったく…。なんて顔だ。
あれが私の知る中で随一の策士殿のする表情とはね。


はあ、と仮面の下でそっと溜息を落とす私の目には、クラの実に緩んだ―――蕩けそうな笑顔が映っていた。


「…貴方に一目ぼれだったといって、信じていただけますか?」

恐らく今この国中で一番の幸福を味わっているのだろう男がそっと囁く。
囁きは甘く、私が今まで聞いたことのない種類の響きを含んでいた。

まあ、こんな声でクラが私に囁いて来たりなんぞしたら…それはそれでとても気色悪くはある。

クラも恐らく意識的にしているわけでは無く、心底ビズ嬢が愛しくて仕方が無いのだろう。

その証拠に、占有権を主張するかのごとくビズ嬢を抱き込んで、まったく離す気配は無かった。


「シスよりも、私を選んでくださるんですね?」

クラが、泣き濡れたビズ嬢の顎を持ち上げ問いかける。

今晩此処に遣ってくるまでにもっとも拘っていた、己とシスとのどちらをビズ嬢が選ぶかというその一点。
もうビズ嬢がどちらを選んだかなど明白だというのに、まだこの男は言質を取りたいらしい。

クラの独占欲の強さと―――シスに対する、明らかな嫉妬心。
それらに呆れる私の前で、ビズ嬢の頭がかすかに動きクラに対して頷き返す。


ああ、それにしても何だか馬鹿馬鹿しくなっていたぞ。

私の存在なぞさっぱり眼中にないクラの様子に、つい諦めの溜息が漏れる。
もう用無しだというなら、さっさと去った方が良いのかもしれない。

…うむ。そうだな、本格的に邪魔者になる前に立ち去るべきだ。
このままでは馬にけられそうだ。何より、これ以上留まるのは野暮というものだろう。

決意して、二人の様子を覗う。

常では考えられない程優しげな笑みを浮かべた我が親友殿が、ビズ嬢の頬にそっと触れているところだった。
ビズ嬢に触れるクラの手は、まるで壊れ物に触れるかの如くだ。

さて、今宵クラはビズ嬢と一夜を共にする事が出来るか、否か。
どうせなら賭けでもしておけばよかったな。

やや下世話なことを考えつつ。
しかし――――ここで不意に何かが私の心引っかかった。


……ん?…ビズ嬢に触れる、手?…………クラの手には…確かまだ…。


そうか!しまった!まだその問題が残っていたのか!
クラの手にはあの晩の傷がまだ残っている―――っ!

その事実に気づいた時には、しかし。
ビズ嬢の細い指は、既にクラの掌を捕らえてしまっていた。

―――ああ、どうやら私はまだ御役御免、というわけにはいかないらしい。









カロ様の華麗なる日常・14


さて、どうしたものか。

クラの掌を掴んだままのビズ嬢の姿を、僅かに目を細め見据える。

私とクラの間でこの件―――つまりクラがシスであると…ビズ嬢に判明した時の打ち合わせはしていなかった。
クラが拒絶されるにしろ受け入れられるにしろ、何も今日告げることは無いと思っていたからだったのだが…それが裏目に出たか。

軽く舌打ちをして、足を一歩踏み出す。

シスの正体について、何呉れかのフォローを入れるつもりだった。

私の正体を明かすことになるかもしれないが、それはそれで仕方なかろう。
元より隠しとおせるはずも無いと思っていた事だ。

しかし、その私の行動は軽く向けられたクラの視線により阻まれてしまった。

それは、明らかに今は何も言わないでくれ、と物語っていた。

何か策があるのか…?

やや視界の悪い仮面の下からクラの様子を確かめる。

そこには、先程までとは打って変わって私が見慣れたクラの表情。
自分のペースを取り戻している、と思う。

今までの経験上、この男は勝算無くして今私が目にしている様な、飄々とした表情はしない。

では、何か考えがあるということなのだ。
この上クラがビズ嬢に対して何を望むのか謎ではあるが、ここは傍観するのが懸命だろう。


踏み出した足を再び引く。

クラが僅かに唇の端で笑み、今だ動こうとしないビズ嬢へと再び視線を落とした。


クラの手にはまだ傷が残っている。それは確かだ。
見目ではわかりにくいが、触れればはっきりと判ってしまう。

事実、ビズ嬢はクラの掌を見つめたまま微動だにしない。
これでクラの正体に感づいていないと思うのは、あまりに楽観的過ぎる。

しかし、ビズ嬢に真相を見抜かれたとわかっているのだろうに、クラはやはり冷静だった。
少なくともその態度はまるでこの事態を意図していたかの如くに見える。

……否、意図していた―――のか。

私が知っている限りではあるが、今までクラはビズ嬢に会いに行く際には黒手袋を欠かしてはいなかったはずだ。

それを今宵はしていない。
思い返してみれば、まったく身に着ける気配すらなかった、と思う。

私に対して何も言いはしなかったが、クラの事だ…充分有り得る。
恐らくクラは今夜、全ての決着をつけるつもりだったのだ。

うむ。確かにクラが此処までかなりの忍耐力を試されていたことはわかる。
それは一番被害を被った私が一番良く理解している。

折角ビズ嬢が己を選んでくれたというのなら、早々にシスの正体を明かして最後の障害を取り払いたいという気持もわからんではない、が。

…だがしかし。そうならそうと、一言ぐらい私に相談があって然るべきではないのか…?

仮面の下で僅かに眉根を寄せ、それでも私は腕を組んで目の前で繰り広げられる二人の成り行きをただ静かに眺めた。









カロ様の華麗なる日常・15


「なっ、あ、貴方!?まさか…貴方!?」

「…ああ、今日は手袋をしていませんでしたね。」

凍りついたようにクラの掌を見つめていたビズ嬢が漸く顔を上げた途端に発した驚愕の篭った声に、クラがごくごく冷静に受け答えをする。
その物言いにビズ嬢はどうやら絶句したようだった。

なるほど。ビズ嬢はクラの一面でもある―――つまり、策士としての顔を見るのは初めてということか。
これはなかなかに見ものかもしれない。

クラはビズ嬢に会うとき、余程本性を隠していたと見える…それが無意識か意識的かはわからないが。


「舞踏会の時、貴方が私と踊ってくださればすぐにわかっていたはずなんですけどね。あの時は、手袋をしていなかったので。」

クラの苦笑を含んだ声。

目の前に居る男のあまりといえばあまりな変貌振りにビズ嬢が呆然としている。

私は仮面の下で、そっと苦笑いを浮かべていた。


舞踏会―――それは私がクラに行けと持ちかけたそれに他ならないだろう。

私としては、クラがビズ嬢に対してシスの正体を告げる良い機会だと思ったのだが…。
しかし、舞踏会の翌日。やけに思案気なクラから聞かされたのは実に簡潔な一言。

―――シスの正体は明かしていません、というものだった。

当然の如く何故だと問うた私に、暫く様子を見たいとクラは告げ、ビズ嬢の元へと通う日々を始めたわけだ…が。
実はクラのその行動は…社交の場でちょっとした騒ぎを引き起こした。

幾ら放蕩息子として名高ろうが、高い身分を持ち、かつ、一人身のクラは現在未婚の女性たちの夫候補としてかなり高い位置に居る。
それが、今まで浮名を流してはいても特定の女性に執着することが無かったという事実が嘘のように、連日連夜ビズ嬢の元へ通い詰めたのだ。

是で騒ぎにならないほうがおかしいというものだ。

恐らくあまり世事に通じてはいないと思われるビズ嬢は知らないであろうが、口さがない女性などはビズ嬢がクラをその身体で落としたのだろうと、到底淑女とは思えないような事を公然と言っている。
まあ、実際にはこの二人の関係はそんな艶っぽい事態にはまったく進展してはいなかったわけだが…。

何にせよ、ビズ嬢がクラを選ぶというのであればこの先その手の謂われない中傷や誹謗が必ずついてまわることになるのは間違いない。


「し―――、信じられない方だわっ!ずっと黙ってらしただなんてっ…ずっと…私を騙していたんですね…?」

「気づかなかった貴方が悪い。」


ビズ嬢が紅潮した頬をしながら、クラの差し伸べた手を激しく振り払う。
その頬には幾筋も涙が伝っていた。月の光を纏いながら流れ落ちる透明な雫。

これから先、ビズ嬢はクラのために何度こうして泣くことになるのだろうか。

睨みつけるビズ嬢のきつい視線をものともせずに、クラは皮肉気な笑みを口元に浮かべている。
飄々とした態度は、いつものクラそのもの。

人を騙し落としいれ、それを当然の如く行える男。
しかしその実、自分の損得だけで動く人間ではないことも私は知っている。


「…一体どの貴方が真実なんですか?」


濡れた頬を手の平で拭い、ビズ嬢がクラを見据えた。


……真実のクラ、か…。

その質問は恐らくクラにとって酷く難解なものであろうと思う。
クラ自身、どの自分が真実であるのかわかってはいないだろう。

―――否、寧ろ全ての面を合わせてこそ、クラという男が出来上がるのか。


「もちろん貴方が選んでくださったクラが、真実。」

「はぐらかさないでっ!」

「…私が貴方を好きなのは真実です。それだけでは、駄目ですか?」

きつく告げるビズ嬢に、クラが苦笑する。
笑みを含んだ漆黒の瞳は真っ直ぐにただビズ嬢にのみ向けられていた。



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