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カロ様の華麗なる日常・06 そよそよと木の葉が擦れあう音。 穏やかな陽が降り注ぐベンチ。 自らの妙案を披露した後、私はクラの諾という返事を満面の笑みを浮かべつつ待っていた。 が。しかし。 「―――まさか、本気で言っているわけではないでしょうね?」 私の話を聞き終えたクラは、あろう事か眉間に寄った皺を指で押さえ―――あまつさえ首を振りながら溜息まで落としながらのたまったのだ。 「何を言う!私はまったくもって本気も本気。かつて無いほどやる気一杯だぞ?」 ふん、とばかりに胸を反らせた私へクラが実に胡乱気な目を向けてくる。 なんだなんだその態度は。私の受けた素晴らしい天啓に文句があるとでも? むっとしながら口角を下げ、変わりに顎をやや上げながら目を眇めてクラを見据える。 私は至極真面目だというのに、相変わらずクラは呆れたような態度を崩さない。 それは…まあ若干、興味本位であることも否めないが。 しかし何にせよこの卒の無い男の弱みを握れるかもしれない絶好の機会であることも確かだ。 今本気で協力せずに、一体いつするというのか。 これで借りを返せる。その上私に対する借りを作らせることができるかもしれないのだぞ。 おまけにこの件に協力しておけば、後々からかう種にでもできようというものだ。 僅かの間、私とクラに会話が無くなる。 お互いに無言のまま、相手に向けて圧力をかけていた。 柔らかな風が私の髪を揺すり、クラへと流れていく。 ふと、木の葉の擦れ合う音が止んだ。 そして先に屈したのは―――クラだった。 私から目を逸らし、諦めを含んだ笑みを浮かべ息をつく。 「……私に協力していただける見返りは…?」 ぽつりと、クラが呟いた。 これは私の案に乗ってもよいというところまで後一歩ということろだろう。 拳を握りながら内心よし、と喜びの声をあげる。 そして、もう一押しとばかりに私はクラの肩に手を乗せた。 「馬鹿なことをいうな。私が長年の友に対して見返りを求めるような真似をするわけがないだろう」 軽く肩を叩きながら力強い口調で告げる。 クラがちらりと私に視線を向け、呆れたように再び逸らした。 「カロ…。そういう台詞は少なくとももう少し顔を引き締めてから言ったほうが説得力があると思いますよ?」 あ。これはしまった。そんなに顔にでてしまっていたか。 いやいや、しかしどうにも口元が緩んでしまうのは、仕方が無いというものだ。 クラが一度溜息をついて、目を閉じながら空を仰いだ。 「――――では、貴方の策に乗ってみましょうか」 「よし!そうこなくてはな!」 勢いよく、そして今度はかなり強めにクラの肩を叩いた私に対して、クラは―――やはり諦めたかのような苦い笑みを漏らしていた。 カロ様の華麗なる日常・07 夜の闇から月光の下へ。 一歩足を踏み出した先には光に白く浮き上がる道があった。 道の先にあるのはライ殿の屋敷だ。 つまり、花と樹木に満ちた庭で守られたビズ嬢の住まいである。 「ビズ嬢に初めて出会った晩のような見事な月じゃないか。なあ、クラ?」 ひらりと外套を翻し、背後を振り向く。 そこには私と同じように道の先を見つめて佇んでいるクラがいた。 からかいを含んだ私の声に不機嫌そうに目を眇め、闇の中から月光の下へとゆっくりと歩み出る。 「―――まったく貴方の性急さには呆れますよ、カロ」 クラが溜息を落とした。 その姿に私はにやりと笑みを漏らす。 ふふん。流石のクラも、今朝話した策をその夜に実行するとは思っていなかっただろうとも。 だがしかし事は緊急を要している。 何せここしばらくの私の安眠はクラのお陰で妨害されまくりなのだ。 出来るだけ早くこの件を解決しなければ、明日の朝もたたき起こされるであろう事は火を見るよりも明らかである。 折角明日は公務が休みだというのにまた早朝にたたき起こされるのは冗談ではないぞ。 ……と、まあ…私の豪く私的な事情もあるにはあるのだが。 それ以上にクラが周りに与える被害の大きさが、緊急に事を起こす理由だ。 「馬鹿者。さっさとケリをつけないと周りへの被害が増える一方ではないか」 「―――それはまた…私が一体何をしたというんですか」 冷たく言い放つ私に、クラが実に心外だというような顔をする。 …一体、何をしたかだと?この場でそれをあげ連ねていったら夜が明けるわ! 些細なことから大きなことまで多種多様な問題を起こしおってからに。 今日までそれが表沙汰にならなかったのはひとえに私の努力あってのことなんだぞ? だが、それもいい加減限界だった。 今朝のサシャとクラの一戦。それが齎した波紋は予想以上に大きかったのだ。 「おーまーえーはー…。いいか、知らないとは言わせんぞ!サシャが第弐連隊々長を辞したいと言い出したのは明らかにお前との勝負が原因だろうが!」 出来るだけ音量を抑えながら、それでも地を這うような声音で言う。 「……そんなこともありましたね」 「あったともさ!それも今朝な!」 腰に手をあてフンと鼻息荒く言い切った私に向けてクラが肩を竦めた。 そう、サシャはあの後…クラに負けた後。隊長職を辞したいと―――申し出てきたのだ。 今まで格闘術でクラに遅れをとるとは露ほども思っていなかった男である。 余程ショックだったのだろうことは想像に難くない。 が、まさかそこまで極端な行動に走るとは思ってはいなかったので私の対応が遅れたのだ。 手を回す前にそれは父王の耳に入ってしまった。 とりあえずサシャの申し出は一時保留ということにはなったそうだが、この後まだ一波乱ある事は必死だろう。 カロ様の華麗なる日常・08 まったく事の重大さがわかっているのか、この男は! 私は昼間、父上に呼び出されて今朝の説明をさせられたんだぞ。 何とか誤魔化しはしたが、ここしばらくのクラの様子はどうしたのかと、やんわりと…しかし有無を言わさず問い詰められてどれだけ私が苦労したことか。 つまり私はクラに処理させようと思っていた件を思わぬ形で背負い込む羽目になったというわけだ。 だからこそ、もうこれ以上被害が周りに及ぶ前に白黒はっきりさせねばと決意は固まった。 そしてあっさり決行は今夜ということになったのだ。もちろん私の一存で。 その結果、私とクラはシスとして…怪盗としての仕事をするかの如く闇へ紛れ込み街中を駆け、ビズ嬢のすぐ近くまでやって来ているというわけだ。 しかし、いつもの怪盗仕事とは明らかに違っていることが二つ。 まず第一に今夜は盗みではなく、ビズ嬢の気持を確かめることが目的であるということ。 そして第二に…今宵のシスは…シスであってシスでない、ということ。 「―――まあ、こんなところで言い合っていても仕方がない。そろそろ行くか」 外套を翻した私に、クラが軽く頷いてみせる。 そう…クラが、だ。 普段より動きやすい格好をしているとは言え、今のクラを見てシスと思うものはいないだろう。 そのかわりに私はといえば…。 まず間違いなく王太子だと思うものはいまい。 クラと同じように通常よりかなり動きやすい服装。 しかし身体を覆う外套はやや足元に纏わりつく。 それに―――この仮面。何とも視界が阻まれるものなのだな。 ふむ。なるほど。自分で試してみてわかることというのは矢張りあるらしい。 今更ながら感心してみる。 これは普段は私ではなくクラが身に纏っているシスとしての姿。 だが今宵ばかりはクラではなく私がシスとならねばならない。 そう、私の策。それは―――私がシスとして。クラはクラのまま。 ビズ嬢の前に姿を見せるというものだった。 カロ様の華麗なる日常・09 ―――さて。ではこれから一芝居だ。 いい加減覚悟も決まったところで、私はクラを従え白い道から再び闇に紛れる。 とりあえず今夜だけはシスに為りきってみせなければな。 まあ…私はしゃべる必要もないだろうからなんとかなるだろう。 暗闇の中、音を立てずに駆けてゆく。 目的の屋敷は目前だ。 近隣の屋敷に漏れず、ライ殿の屋敷もすっかり大方の灯りは落ちている。 もちろんビズ嬢の部屋にもそれは灯っていなかった。 初めてここに忍び込んだときと同じ手順で私とクラは見事に手入れの行き届いた庭園へと身を潜ませる。 寸分も無駄な動きを見せないクラ。 茂みの中へ片膝をついて一息ついたところで、私は隣に居る友へ目を遣った。 ―――なんて顔をしてるんだか…。 ふと苦笑いが漏れる。 何とはなれば。我が親友殿は実に切なげな顔でビズ嬢の部屋を見上げていた。 やれやれ、これではビズ嬢に振られでもした日には一体どうなることやら。 うん。そうだな…一応釘は刺しておくべきかもしれない。 「おいクラ、これだけは言っておくがな?」 「―――何ですか?」 ビズ嬢の部屋を見上げていた表情を見事なまでに素早く切り替えたクラが、神妙に声を掛けた私を見る。 薄く笑みを刷いたその顔からはもうクラの心情をうかがい知ることは難しい。 だがこれがクラのいつもの顔だ。 此処まで来て漸くクラの腹も決まったのかもしれない。 「あのな。もしこれでビズ嬢がシスを選んだとしたら―――その時は男らしく諦めるんだぞ?」 したり顔で、びしりとクラへ指を突きつけながら告げる。 クラが僅かに目を見張った。 緑の色濃く香る静とした中、クラが笑みを消して黙り込む。 リンと虫の鳴く声。さわ、と風が動き…。 不意にクラが再び口元へかすかな笑みを見せた。 「……クラ?」 眉根を寄せ、目の前の男を軽く睨む。 何故答えないのかと非難を籠めたつもりだった。 しかし小さな笑みを見せるだけのクラは、無音で立ち上がってしまい終ぞ私に対して返事をすることは無かった。 すっとビズ嬢の部屋へ向けて進みだしたクラの後を仕方なく追う。 クラのこの態度。きっとビズ嬢がシスを選んだ時に自分がどうするかを決めかねているに違いなかった。 しかしビズ嬢がクラとシス、どちらを選んでも―――恐らくひと悶着あるだろう。 どのみちシスの正体がクラであると隠し通すわけにはいかない。 どうか願わくばビズ嬢が己の真実に気づいてくれることを。 クラの背中を追いながら祈るように願う。 そう、当事者二人は気づいていないだろう真実に多分私は触れている。 ―――恐らくビズ嬢のシスに対する気持は憧れ…。 恋と勘違いしやすく、また恋に発展しやすいその気持。 けれどまだその芽はビズ嬢の中で芽吹いてはいなかったはず。 なぜならシスへの憧憬が恋になるよりも前に彼女はクラに出会っているのだから。是ほどまでに恋焦がれている男の気持に、僅かも心動かされない女性が居るとは思えない。 後はクラが彼女の元へ通いつめていた日々にどれだけその心を得ることができているか―――それが今現在クラがシスに勝つ為の切り札であろうと私は思っている。 カロ様の華麗なる日常・10 もう窓一つ隔てた先はビズ嬢の部屋。 クラの指が物音一つさせず繊細な装飾の施された窓を開く。 そして、一呼吸。 やはりこの男も緊張しているのだと、その僅かな間が私に教えてくれた。 外套に覆われた広い背中が大きく開かれた窓の中へと消える。 私はその姿を窓の外にあるバルコニーから見送り、クラからの合図を待つ。 クラの合図があり次第私もビズ嬢の部屋へ足を踏み入れる手筈になっていた。 そっとクラの背後から中の様子を伺う。 外からはよくわからなかったが、どうやら燭台に火が灯っているようだ。 薄暗い灯りに人影が一つ浮かび上がっている。 寝台の脇に据えられた椅子へ座した細く華奢なその姿。 解かれた髪が顔にかかり表情をうかがい知る事はできないが、ビズ嬢本人に間違いないだろう。 息を潜める私の背後から涼やかな風が流れていく。 開いた窓から入り込んだそれがクラの髪を僅かに弄り、炎がかすかな風の流れにゆらりと揺れた。 ビズ嬢が、はっとしたように顔を上げる。 印象深いブルーアイが姿を現す。 クラの想い人だとわかってはいても、思わず目を奪われた。 闇夜の中でも煌く蒼。白く柔らかそうな肌。濡れ羽色の艶やかな髪。 それに―――以前見たときには無かった憂いを帯びた表情。 これはまた…随分と美しくなった。 心底そう思う。 前に垣間見た時も美しくはあったが、私の目にはどこか人形めいた無機質さの方がより強く映っていた。 しかし今のビズ嬢に無機物めいた感はまったく無い。 寧ろ王宮に集う妙齢の女性たちの誰よりも――そう、誰よりも。 少女めいた雰囲気の中にではあるが、ビズ嬢に女を感じた。 「…シス…?」 不安気な、頼りなげな響きの混じったか細いビズ嬢の声が耳に届く。 私の前で、カーテンの陰に潜んでいるクラの肩が僅かに動いた。 「違います。」 そして、クラが即座に返したのは否定の言葉。 「っ!?…クラ、様…。」 ビズ嬢が目を見開き、信じられないというようにがたりと音をさせ椅子から立ち上がる。 その声と同時にクラが月光の中へと姿を晒した。 白い光が風に揺れるクラの外套に降り注ぎ、月光に照らされた我が親友殿の…眇めた目と引き結んだ口元が私の目に映る。 …やれやれ。この状況ではシスと間違えられても仕方ないだろうに。 今から不機嫌になってどうするんだ、まったく。 苦笑いを浮かべつつ見守る私の前で、久方ぶりの再開を果たした二人。 しかしその雰囲気は…もちろんの事ながら到底甘い―――とは言い難かった。 |
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