10. チェリー・ブロッサム!


「志筑の阿呆ー、恥知らずー、エロ魔人ーっ。」

校舎裏、桜並木の道を歩きながら、私は只管ぼやいていた。
隣では志筑が呆れたように微苦笑で、時折「はいはい、そうだな。」と返事をする。

……ぜんっぜん、反省してない。心が篭ってなーいっ!

どれだけ私が恥ずかしかったか、絶対志筑はわかってない!
そりゃ徹底的に抵抗しなかったけど。でも幾ら大人しくしてたからって、恥ずかしさが減少するわけもなく。

ブロッサム会場から歩き去る間、志筑は私の抗議を見事に無視し、人気が無くなるここに来るまで担ぎ上げたままおろしてくれなかった。
途中、冷やかしの声やら好奇の視線やら、一部の女子からは苦々しげな……嫉妬、っぽい視線をたっぷり浴びたんだから、多少の文句は当然許されてしかるべきだ、うん。

――今、校舎の表側では宴も酣。

校庭を囲むように咲き誇る桜の下で、若しくは各種イベントの用意された体育館の中で皆楽しく過ごしているらしく、校舎裏までやってくる人影はかなり疎ら。

やってくるのは、すっかり甘い雰囲気を醸し出している恋人達か、これから告白しようという感じの二人連れ位。
お互いあまり干渉しないという暗黙のルールでもあるみたいに、皆大体回りのことには構わない。

まさしく世界は二人の為に状態。
なので、出来るだけまわりは見ないように気をつけながら足を運ぶ。

でも志筑、どこ行くつもりなのかな。とりあえず学校の敷地内から出るつもりは無いみたいだけど。

ちらっと隣を歩く志筑を伺う。と、ある一角で急に志筑が立ち止まった。

「ん? 何、志筑どうし……あ……。」

ほぼ桜並木の終着点。一際大きな桜。
風が吹いて――花弁が盛大に舞い散っていた。それはとても綺麗な光景で。

ほのかな灯りに照らされて、薄いピンクの花びらが降って来る。
上を向いていると、落ちてくるそれがまるで雪のように見えた。

「うわ、キレー……。」

薄暗がりの中で見る桜はとても幻想的。
夜桜ってこんなに綺麗だったんだぁ……。

「大口開けてると、口の中に花びら入るぞ?」

耳元で、笑いの滲む声。
魅入られるように見つめていたら、いつのまにか志筑の手に後ろから腰を捕らえられていた。

失礼な。そんなに大口あけてないもんさ。
これは文句の一つでも言ってやろうと後ろを振り向く。

そこでいきなり。唐突に。

――口付けられた。

「んん゛ーっ!?」

や、や……ちょっとま……っ。
第一こんなところじゃ、人に見られ……見られちゃうからーっ!

でも、噛み付くみたいなキスは、息苦しくて。抗議は全て封じ込められる。

「大丈夫、見られない。」

唇が離れた僅かな隙。志筑が宥めるように私の髪を撫でながら囁く。
どうやら志筑の身体が私をすっぽり覆っている上に、辺りの薄暗さと桜の木の陰ということも手伝って、今立っている位置は死角になっているらしい。

だけど、もうどうにかなりそうな程、頭がくらくらしてきて。

「……しづ……き、も……くる、し……っ、」

これ以上されたらきっと足元も覚束無くなると、志筑に懇願した。
唇が漸く解放され、でもかわりに、今度は両腕の中にしっかり抱き込まれる。

「七夜、好きだ。」

耳慣れた、言葉。でもその響きにいつだって胸がざわつく。

志筑に告白されてから――もう半年……。
まさか、この志筑の彼女に私がなるなんて想像だにしていなかったっていうのに。

思えば、あの時は自分の気持ちを自覚したばっかりで。
志筑にどう答えたらいいものやら迷ってたんだっけ。

でも今は。もうあのときの曖昧さなんて嘘のように、しっかりはっきり心も身体もわかってる。

「うん、私も――志筑が好き。」

精一杯の言葉に、気持ちをこめて伝える。

が、志筑は何故か急に黙り込んだ。

ん? な、何? この沈黙。

どうしたのかと思って「……志筑?」と呼んでみても、やっぱり何やら考え込んでいるような様子で。
やがて、かなりの間をおいてやってきた志筑の突然の問いかけは、吃驚するようなものだった。

「どうして俺を選ぶ?」

んん? ど、どうして……?

――あ、でもこれって何だか、さっき奥丹先輩に似たようなこと訊かれたような?

志筑でないと駄目な、理由。

でも今度は、志筑を選ぶ理由。
んん、と……。うー……これって微妙に違うのかな。

うう、と低く唸りながら必死に考える。
でも最終的にでた結論は、やっぱり似たようなもので。

ええい、なるようになれ! と、私のほうに屈みこんでいる志筑の頬に両手を添えて、さらりとした志筑の髪の中にそっと指を忍ばせた。
改めてこういう状況になると、今更なんだけどかなり恥ずかしい。

頬が物凄く熱い。まともに顔が見られなくて、俯く。
けど、この質問の答えは誤魔化せない。誤魔化しちゃいけない気がするから。
全然まとまってなんていないけれど、思ったままの言葉を……志筑に。

「あのね――はじまりは志筑の笑顔。その後は、ハロウィンまでに見せてくれた志筑の意外な面。それに惹かれていったんだと思う。今は、志筑と重ねていく時間だけ、志筑を知って、好きになってる気がする。その理由は色々で……ほんの些細なことだったりすることもあるんだと思う。色々な所を私に見せてくれてるよね? 志筑の全部を知ることは出来ないけれど、それでも私は今の志筑が好き。だから、志筑を選ぶ、よ?」

これ、答えになってるかな?

不安な気持ちを抱えて、志筑の様子を窺うべくそっと頭を上げる。
と、志筑の表情を確認するよりも早く、きつく抱きしめられてしまった。

「うわ……!? しづ……っ、」

「――充分だ。」

少し掠れた低い声。普段ではあり得ないほど感情の滲み出た、それ。
どうやら私の答えは、ちゃんと答えになっていたらしい。

――うん、良かった。

志筑の嬉しそうな声に、私も自然と笑顔になっていた。




「明日は会えそうか?」

「あ、明日は駄目。由紀と約束があるから。えっと、来週末なら大丈夫。……で、あの志筑……そろそろさ、」

――離して欲しいな。

へろりと笑顔で言外に。
が、先程から何度目かになる私の提案は、今回も志筑の一瞥で見事に却下された。

うう、いつまでこの状態でいるつもりなんだろ。

しっかり私の腰に手を回し、桜の木に背中を預けたままの志筑はどう言っても離してくれなくて。
志筑に抱き締められたまま桜を眺めてかれこれ数十分。

いまひとつ時間の感覚がつかめないけど、多分それくらいだと思う。

「叶が先約か。」

頭上から心なし残念そうな志筑の声が降って来る。……う、それに関しては申し訳ない。
でもこの所全然由紀とゆっくり話してないし。

色々と話したいことも溜まっているというか何と言うか。女同士で話したいこともあったりするし。

「えーと……ごめん?」

「いや、気にしなくていい。ああ、いや。そうだな、それならかわりに――。」

「ん? ……何、って……しづ……んぅ……っ!?」

な、何何なにーっ!

急に持ち上げられ、抱き上げられたまま、桜の木の更に奥にあるフェンス付近にまで連れて行かれた。
フェンスの向こうは小川になっていて、真っ暗。

フェンスギリギリのところに降ろされたと思ったら、トンと肩を押され、背中がフェンスにあたる。
真っ黒な影が、覆い被さってくる。

志筑の腕が私を囲うみたいにフェンスをつかんでいて、逃げ場も無くて。
私の唇の上を志筑の舌が扇情的に滑るけれど、どうすることも出来なかった。

ただただ、志筑の服を両手でつかんで、もう必死。
唇を割って入ってきた熱が、私の舌を攫う。

息苦しくて、咽が鳴る。

「……ふ……は、しづ……き、何……、ん。」

切れ切れに突然の行動を問うてみるけれど、答えは返ってこない。

さっきと言い、今と言い。
どう考えても濃密過ぎるキスに、とうとう足に力が入らなくなって。
崩れ落ちそうになったところで、志筑の腕が私を支えた。

片手だけはフェンスにつかまって、荒く息をつく私を志筑がやけに艶っぽい目で見下ろしてくる。

「……どうしてこういつもいつも突然……。」

「――補充。来週までの。」

「ほ……っ!?」

絶句する私の前で、再び志筑の唇が重なってきた。

桜の下でのキスは、一応見られないよう気を使ってくれていたんだと思う。
いくら木の陰とはいえ、志筑が覆っていてくれないと死角にはならなかったし。

でもいまは。
多分その気遣いは、全然。

深く、深く入り込んでくる志筑の舌は、熱い。口の端から液体が零れる感触。

遠慮の無い手は、胸辺りに触れてきて。
止められずにいると、耳朶を軽く噛まれ、首筋を舐め上げられて。

気付いた時には、スカートの裾が大きく乱れていた。

ん、んん!? え、えええ嘘! 志筑ってばどこまでする気!?

「ちょ……っ、まった! 駄目、志筑やだ!! ん、やだって、ば!」

べしっと盛大に音をさせ、志筑の後頭部を平手打ち。
私の胸元に顔をうずめていた志筑が、溜息ひとつとともに頭を上げる。

「わかった。――ここまでだ、降参。」

両手を上げた志筑が、ついと視線を逸らし一歩身を引く。

もう志筑ってばやりすぎ!
それにしても、止めなかったら本当にどこまでするつもりだったのか。

……そ、想像するが怖い。

慌てて服を直し、口元を拭う。
ふと見ると、フェンスの向こうを眺めている志筑の様子はなんだか拗ねているみたいで。

志筑の傍に一歩、近づく。

少し間を置いて更に一歩。至近距離のそこから志筑の腕へとぎゅっと一気に抱きついた。
瞬間、弾かれたように志筑が見下ろしてきたけど、そ知らぬ顔で明後日の方向を見る。

諦めたようにフェンスに額をあずけ、志筑が溜息。


「来週、色々お店とか見に行きたいな。後ね、新しく出来たケーキが凄く美味しいカフェも。」

フェンスの向こうから聞こえる水の音に耳を傾けながら、志筑の腕に凭れかかる。
もうかなり暗くて、辺りはすっかり闇夜。

「――最後のは遠慮しておきたいところだな。」

フェンスに凭れたままの志筑がぼそっと呟く。
む、やっぱり? そういうと思ったけどさ。でも抜かりなく情報は仕入れてある。

「あんまり甘くないらしいよ?」

しかもシンプル。こてこてした飾りがないって食べた子が言っていた事を志筑に伝える。
だけどどうにも乗り気にならないらしい志筑は、実に意味深長な一瞥を私に向けてきた。

「甘いものは後で食べるからいい。」

ん? 後で……? でも、甘いもの、志筑は滅多に食べないよね?
んん? お持ち帰りして食べるって事? それならその場で食べても変わらないんじゃ??

「――それは家で食べたいって事?」

「そうだな、それもいいな。ここ最近食べてないことだしな……未遂ばっかりで。」

……えーと、未遂? そんなことあったけ? 私の知らない間にってこと?
でも何だか妙に引っかかるんだけど……だって、未遂って……。

「ええっと……それって食べ物だよ、ね?」

「どうだろうな。」

胡乱に尋ねた私にしれっと答える志筑の目が、僅かに笑みを含んでいた。

……っ! て、それ!! た、食べ物のことじゃないでしょーっ!

「……言い方が変態臭いっ!」

恐らく真っ赤になっているだろう私を見て、志筑が今度は本当に口角を吊り上げて笑う。

未遂っていうのは、つまりそういうことで。
でも私甘くないし!

うー、何だかいつもにも増して凄く志筑ペースな気がする。
乗せられているというかなんと言うか。

なにかこう――うーん、なんていうんだろ――逆襲したい、みたいな?

私の頭に浮かんだのは、物騒な二文字。

うんうん、そうだよね。
こう、いっつもいーっっつも志筑ペースっていうのはちょっといただけないよね?

しっかりこれからの自分の行動に意味づけをして。
力をこめ志筑のスーツの襟元を両手でつかみ、思い切り引っ張る。

ちょっと目を瞠りながら、それでも志筑は抵抗することなく私に引き寄せられてくれた。

「――父さんが今度遊びにおいでって。」

志筑が屈んだ所でにやりと笑いながら、からかいを込めて志筑を見上げる。
さて、どう反応するか。

ちょっと緊張しつつ返事を待つ私に、まいったって言うみたいに目を伏せて――志筑は静かな笑みを浮かべた。

「謹んでお伺いします、だろ。それはもちろん。」

「え、本気? あのだってその……多分居心地悪いよ?」

実のところ、勘弁してくれって言われるかな、なんて思ってたんだけど。

「まあ、それくらいは当然だろうな。」

「言い出しといて凄く何なんだけど……無理しなくても良いよ?」

「無理はしてない。」

やけにきっぱり言い切られて、言葉に詰まる。

うわ、頬が熱い。これは結構……かなり……うれしい、かも。
あー、でもこれじゃ全然逆襲になってない。寧ろ私が反応に困っちゃってるし。

「――あの、じゃあ……えーと、お願い……します。」

「ああ、覚悟して行くことにする。」

考え倦ねた末お願いした私に、志筑がさらりと返してくる。
そのまま続けて「ところで七夜、これからの門限は?」と尋ねられた。

ん? 門限? そっか、この間までは決められてたからなぁ。

「どうだろう。一応全部無かったことになったから、あんまり遅くならなきゃ大丈夫だと思うけど。」

多分状況は門限が出来る前に戻ったって事で。
もっとも門限なんて無くても、そんなに遅くなったことはなかったはず。
ちょっと遅くなるときは母さんにメールしてたし。

だから、前の状態に戻るって事で良いのかな、うん。

「なるほど。……でも俺はもうしばらく自粛って所か……さっき補充もしたしな。」

志筑が何気なく言いながら、空を仰いで溜息をつく。

――ん? 自粛?? 補充……て、ひょっとしてさっきのキス?

『禁欲生活何日目?』

色々連想していった結果、ぱっと蘇ってきた由紀の台詞。

自粛って――そういう意味!?

「もーっ、志筑はそういうこと言い過ぎだから! しばらくはそういうの禁止!」

びっと志筑の鼻先に指を突きつけて言い放つ。
志筑がちょっと吃驚したみたいに目を瞠って、次いで口角を吊り上げた。

う、その笑い方、あんまり印象よろしくないと思う。
何か企んでそうだし。

「いいぞ? でもちゃんと守れた場合のご褒美は?」

え? ご、ご褒美? それはちょっと、考えなかったけど……。

「……うーん、と、じゃあ……。」

つらつらと考えつつ言葉を濁す。
けれど、考えがまとまるより早く志筑の唇が私の唇に落とされていた。

掠め取るような一瞬のキス。

え、あ、まさかこれがご褒美?
え、でもご褒美ってちゃんと守れた場合だよね?

「手付金。」

眉間に皺を寄せつつ凝視する私に、志筑が極当たり前のようにのたまった。

ああ、もう……ご褒美の手付けって。
呆れる私を抱き寄せ、志筑が耳元で低く笑い声をたてた。

もう、今日はむやみやたらにキスし過ぎだよ、志筑ってば!
しかもからかうようなやつじゃなくて、かなり本気っぽいのばっかりだし!

――そりゃ、今のは軽かったけど。志筑のキスは――嫌じゃない、けど。

「――じゃあ守れたら、いっぱいご褒美、とか。」

少しだけ躊躇いながら、志筑の肩口に顔を埋め小さく呟いてみる。
恥ずかしくて顔なんてあげられない。志筑が私の顔を見てなくて良かった。

顔が熱いなー、なんて思いながら、更に志筑の胸に頬を押し当てる。
不意に、志筑の手に力が篭る。

きつく、きつく抱き締められて。

うあ、く、くるし…っ! 志筑苦しいってばーっ。
あ……っ、まさかさっきの続きを、とか言わないよね?

「し、しづ……っ。」

「これ以上は何もしない……だから」

――少しだけこのまま拒まないでくれ。

低く囁かれて、抗議の言葉は喉元で掻き消えた。抵抗の手が鈍る。

だってそんな風に言われたら。ずるいよ、志筑。

「――志筑、あのさ、わかったから……その……ちょっとだけでいいから、腕……緩めて?」

私の頼みに、志筑の腕が少し緩む。
その隙に身じろぎして、収まりのいい場所を見つけた。

そのまま志筑の背中に両手を回して、体全部を腕の中に預ける。


微かに感じる桜の香り。遠くに聞こえる楽しげな話し声や音楽。

来年のこの季節、また志筑と一緒に桜を見ることが出来たらいいな。
今度はお花見にでも誘ってみようか。由紀や副委員長やクラスの皆も。


志筑の熱を体全体に感じながら、目を閉じる。
今、志筑と居られるこの時間がとても大切で――とても幸せ。



〜Fin〜



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