09. 桜色のダンスを一緒に(3) |
「では皆さん静粛に。そろそろはじめますよー。」 もうすっかり準備の整った中に由紀と私が足を踏み入れた途端、司会者に開始の一声を告げられた。 間に合ったねと由紀と小声で話しながら、さざめき合う人の波に紛れ込む。 うーん、それにしても……何だか結構凄いことなってる? じっくりと辺りを観察してみて、その様子にちょっと吃驚。 入り口真正面にあるステージには、華々しい飾り付けとオーケストラ……って、あれプロ……? 何だか物凄く本格的?パーティと銘打っているだけあって、室内に並べられたテーブルの上には色とりどりのオードブルからメインディッシュにデザートまで揃ってるし。 それにしてもこういうところはホント、私立の学校。校風も割と自由だし。 自由すぎるっているか、野放しって気がしなくも無いんだけど。 でも今までそれで問題が起こっていないって事は、それなりに皆ある程度の一線は弁えているって事なんだと思う。 小さな人の話し声がまとまり、さわさわと大きな流れを形作る。 不意に、由紀が私の腕を肘で軽く突き、振り向くと苦笑いを浮かべていた。 「七夜、私、海月君の手伝いしてくるわね? どうも裏方手伝わされてるみたい。」 確かにステージの下辺りで忙しそうに動き回っている人たちの中には、両手一杯に色々な物を抱えた副委員長の姿。 ああ、確かにあれは大変そうかも。 私がちょっと笑いながら無言で頷くと、由紀は人垣を上手くすり抜けステージの方へと向っていった。 ステージ上ではどうやら主催者の挨拶が始まるらしい。 何故か、辺りが一気に静まり返った。 そして――、舞台袖から現れたのは今回の首謀者……もとい、主催者だったわけで。 ……腹黒狸……こと、奥丹先輩。 人の良さ気な笑みで見事なまでに本性を包み隠しながら流暢に言葉を繰る姿は、判っていてもついうっかり騙されちゃいそうになるくらい、完璧。 幾つかの注意事項、今回のパーティの大義名分、流れるように語られるそれは何故か確実に頭の中に残る。 最後に指を一鳴らしで、ゆっくりと音楽が流れ出すという段に至っては、ちょっと演出過剰すぎじゃあないの?と言いたくなる程。 おまけに、その件の主がステージから降りて、 「やあ、黒河さん、こんばんは。ちゃんと参加してくれたんだね、嬉しいよ。」 なんて暢気な挨拶をしてきた日には。 ――なんで昨日の今日でこう平然と……ああ、むかっ腹が立つ。 「……悪霊退散……。」 不機嫌にそっぽを向き、ぼそっと呟く。 が、それが聞こえたのか聞こえないのか、奥丹先輩はどこ吹く風と相変わらずの笑みを浮かべていた。 「何か言った?」 「いいえ、別に。」 さっと正面を向き、表情だけは笑顔で。 ――内心、額に青筋が浮かびそうな勢いなんだけど。 最も笑顔にしたって明らかに作っている的雰囲気が拭えないけど、それは致し方ないってものだ。 「さて、じゃあ約束どおり一曲分、僕の相手をしてもらおうかな。――ところで黒河さん、踊れる?」 「まったく全然。だから踊り中、ついうっかり足を踏んづけちゃうかもですが。」 「怖いね、覚悟しとこう。――では、お手をどうぞ?」 ついうっかりの部分を殊更強調して言った私に、苦笑いの奥丹先輩が手を差し出す。 その手を取るのに、少し……かなり、躊躇った。 どうしても、料亭での出来事が生々しく脳裏を過ぎて。 ……なんで今そんなことを思い出すかな、私。ほら、頑張らないと。 手を取る。それだけなんだってば! でも理性と感情は別物らしい。どんなに自分を叱咤してみても、中途半端にあがった手はそれ以上動いてくれない。 周りを楽しげに踊りながら何組もの人たちが通り過ぎていく中、凍りつく。 「……黒河さん。」 そんな私に業を煮やしたのか、とうとう奥丹先輩が私の手をつかんだ。 体が、竦む。 ……っ、ああ私の馬鹿! この人に弱みなんて見せるかって思ってたのにっ。 俯いて黙り込む私に、奥丹先輩が小さく溜息を落とす。 「昨日は、本当にごめん。……もう二度としない、誓うよ。」 「……信じられないんですが。」 きっと睨みつける私に、まあ当然だよね、と先輩が笑った。 この人……やっぱり全然本気なんかじゃ無いんじゃなかろうか。 なんていうか、こういうこところをみると、私のこと毛色の変わった遊び道具ぐらいにしか思ってない気がする。 「昨日の脅迫は冗談だよ。君のお父さんに何かするつもりは無い。さすがに僕の祖父は仕事にそんな私情を挟むような真似はしないよ。君のお父さんは優秀だしね。それに、僕は黒河さんの全部、心も身体もが欲しいんだし。」 「それ、昨日の今日じゃ全然説得力がないです……。」 もうなんていうか、怒るよりいっそ脱力する。 だって気持ちが欲しいんだったら、あんなこと出来るはずが無い。 相手の心なんてお構いなしに自分の行動を押し付けてくるのは、心なんて――気持ちなんていらないからだとしか思えない。 呆れかえる私の手を奥丹先輩が急に引っ張る。咄嗟のことで前のめりに倒れ込んだ先は、先輩の腕の中だった。 「そう? だって体に気持が引きずられる事ってあるでしょう? 君が志筑君の所に戻れなくなればいつか……っていう算段だったんだけれどね。」 「や……っ!」 両腕を突っ張って思い切り目の前の身体を突き飛ばす。どくどくと心臓が鼓動を打ち、胸が痛んだ。 でもこれは志筑に感じるちょっと照れくさいような、恥ずかしいようなものなんかじゃなくて、ただ怖かった。 でも意外なことに先輩の腕はあっさり私を解放した。相変わらず手はまだとられたままだったけど。 「でも無駄そうだってわかったら、もうしない。たとえ黒河さんが僕に抱かれたことで志筑君を拒んだとしても、彼がそう簡単に諦めるわけが無いんだよね。」 諦めたように目を瞑り、奥丹先輩が溜息を吐く。 本当か嘘か。今の私にそれを判断できる材料は無い。 顔を背けつつ「……もう誰かを巻き込むの、止めてください。」と、吐き出した。 その私に、臆面も無く突きつけられた言葉は。 「うん、そうだね。ちょっと今回のことで懲りたかな。――本当に困ったね、あんなふうに泣かれると手も出せなくなる程君のことが好きだなんて。」 ……な……っ、何言っているんだこの人! どうして私の周りにはこう平然とこっぱずかしい台詞を吐く人が多いかな……っ! 大体これだって本気か嘘か、それこそ判断なんて不可能なわけで! もう怒れば良いのか呆れれば良いのか、私にどうしろっていうんだ。 あんぐりと口を開けっ放しで先輩を凝視する。 そのうち、さりげなく……気付かないうちに、腰に手を回された。 音楽がゆっくりと流れるなか、奥丹先輩につられて足が動き出す。 え!? うわ、私、本当に踊ったこと無いんだけど。まさかこんなに本格的だったとは予想外なわけで。 「大丈夫、あんまり力を入れないで、そうそうゆっくり、ね?」 気を張ってぎこちなく動く私に奥丹先輩が穏やかに声を掛けてくる。 う……、そんなこと言われても。 あ、だけどなんとなくそれらしくなってるような? 凄く不思議なんだけど、これってやっぱり奥丹先輩のリードが上手いから、とかそういうことなんだろうな。 間違っても私に才能があるとか、そういうことじゃないのは確かだ。 さらさらとドレスの裾が衣擦れの音をたてる。 相手は奥丹先輩だって言うのに、さっきまでの険悪さはなりを顰め、もう踊ることに必死。 ひとつのことに集中しすぎると周りが見えなくなるのは、かなり悪い癖だと思う。 でも――繋いでいる手には、なんとなく、なんだけど意識が向いた。 奥丹先輩の手は温かくて、志筑との明確な違いを感じたからかも。 ……手の感じも、違う。志筑の方が手は大きいし、それにごっつい、と思う。 「――僕と踊っていても、僕のことはみてくれないんだ?」 「え? は?」 手元ばかりを見ていた顔を急いであげた。 何を言われたのか、ちょっとの間理解できなくて。 奥丹先輩は私を見て軽く溜息をついていて。 ぱっと、一気に頬が熱くなった。 だって……私、何やってるんだろ、奥丹先輩と志筑……比べてた……。 多分、奥丹先輩には見透かされている。 「……っ、すみま……っ」 何故だが凄く寂しそうに笑っている奥丹先輩に、咄嗟に謝ろうとしていた。 でも唇に指が添えられ、遮られる。 「謝罪の言葉は要らない。僕が卒業するまでに、必ず君を彼から奪ってみせるから。」 強い眼差しに、射貫かれた。 こくん、と咽が鳴る。 ……なんていうか、捕食対象になってるような、いやぁな気配がこう……。 「……どうして、私にこだわるんです、か?」 だから、私の質問に奥丹先輩の目が緩むのを感じてほっとした。 「うん? そうだね――初めはただ目が行くだけだったんだ。でもそのうち独占したくなってきた。…今は、志筑君を見るように僕を見て欲しいから、かな。」 「志筑をみるように?」 「そう。まっすぐに、志筑君しかみてないよね、黒河さんは。その目を僕に向けて欲しいんだ。黒河さんこそ、志筑君じゃないと駄目な理由があるの? 僕でもいいと思わない?」 「……っ、そ……そんなにころころ自分の気持を変えるなんて出来ません……っ! それに……理由、なんて……。」 そうだよ、理由なんて……多分、些細な事で。 はじまりはきっと志筑の笑顔だった。そこから志筑を知って、どんどん惹かれていった。 でもそれに気づけなくて、苦しくて。 志筑に八つ当たりしちゃったことも、ある。 付き合いだしてからだって、知らないことばっかり。何せ驚く事の方が多いくらいだし。 志筑の腕の中で暖かい鼓動を聞くのが、好き。色っぽい目で見られるのは苦手。 知らない自分の一部を、引き出される気がするから。 志筑と一緒にいて気づいたのはきれいな気持ちばかりじゃなくて。 むっとして、もやもやして……初めて嫉妬……なんてものも感じたりして。 だけどそれも確かに私の一部で。 「理由なんて、いっぱいありすぎて見当がつきません。でもそのどれも全部、私が納得したものなんです。」 ああ、そっか。志筑を好きになったことで変わったのは私も一緒なんだ。 もしかしたら始まりは他の人と……なんてこともあったかもしれない。 でも、もう今は――今の私は、志筑と一緒に居ることを自分で選んでるから。 少しずつ一緒に。志筑と進んでいきたいと思う。 志筑は不器用で。私は……鈍いらしいし。 いつかもっと上手にお互いの気持ちをわかりあえるように。 もっといっぱい信じあえるようになれたらいい。 「――いいよ、時間はまだあるし、ね。その理由を全部――僕が書き換えるから。」 「もういい加減、諦めてください。」 うう、ちゃんと理由答えたのに。まだ私にちょっかいをかける気か、この人は。 がっくりと肩を落とす私の頭上からは、奥丹先輩の暢気な笑い声。 あああ、まだまだ受難は続くってことか……私の平穏な学生生活は何処……。 「それにしても――黒河さん……懲りないねぇ。」 「え?」 しみじみと呟かれ、力なく顔をあげる。と、下を向いていた奥丹先輩とばっちり目が合った。 懲りないって、何がですか? は……っ! まさか、まだ何かするつもりなんじゃ!? 「それとも僕に対する牽制、かな。これ、所有の印みたいで実に腹が立つんだけど?」 これ、の部分を言うときに、警戒心むき出しで毛を逆立てた私の胸元にちらりと奥丹先輩の目が向いた。 あ、あーっ! ……し、しまった、身長差! この距離で上から覗き込まれると、見え……見えーっ!? 慌てて隠そうとしたものの、片手はつかまっているし、もう片手は奥丹先輩の腕に阻まれて身動きが取れない。 それにしても……け、牽制ってそういうこと? うわーん、志筑の阿呆!! 恥ずかしーっ、とりあえず穴があったら光の速度で潜り込みたいよ! 「……だから、ですね、これは……その、そういうことじゃなくて……っ!」 「ふぅん。それで、僕にまた何かされるとは思わなかった?」 な、何かって何ーっ!? こんな公衆の面前で! 一体貴方は何を仕出かす気ですか! なんだかやけに近寄ってくる奥丹先輩の胸を肘で押さえながらガードしつつ、逃げ出す隙を窺う。 だけど、私がその隙を見つけるより先に、何故かふわりと身体が浮き上がった。 え!? 何? う、わ! 高…っ、怖っ! ……でもこんなことするのは……。 突然抱き上げられて、驚きつつも見下ろした先には予想通り――志筑。 かなりでっかい志筑に、小さい子が高い高いをされるみたいに持ち上げられて視界が一気に広がる。 でも、地面まで遠いー、なんて暢気に思っている辺り、私、こういう事態に最近慣れすぎな気が……。 うん……それはそれで問題あるような。 「一曲分はもう終わっただろ、返してもらおうか。」 側面から突然、掻っ攫うかのごとく私を抱き上げたらしい志筑の目線の先には、どうやら奥丹先輩。 二人が険悪な雰囲気の中。 私はというと、志筑の肩に手を置いてどうにかバランスを取りながら顔をあげた。 ああああ、なんだか、め、めちゃくちゃ、注目を集めていやしませんか? なんだかこう、周りからの野次とか、野次とか、野次とか! 色々聞こえるんだけど! 志筑ってば人前でのスキンシップがこのごろ過剰だっ! そのお陰で父さんにとんでもないところをみられちゃって、それで今回の騒動だったんだし! ここはひとつ志筑にはきつく言っておかないと駄目かも、うん、そりゃもう絶対駄目!! むしろお預けとか待てとかそんな感じで! でも私、猛獣は飼ったこと無いよ! ……混乱、ここに極まれり。 いい加減自分でも何がしたいのかわからなくなってきたところで、奥丹先輩がこれ見よがしに顔を顰めて溜息をついた。 「――本当に心の狭い男だね、志筑君は。そんなことじゃいずれ黒河さんに捨てられちゃうよ?」 「な……っ、そんなことしません!」 呆れたように志筑を揶揄する先輩へぐりっと顔だけを向け、思いっきり否定する。 でもその反動で体勢が崩れ、志筑の肩につかまっていた手がずり落ちた。 落ちる……っ、というところで、志筑の腕に力が篭って。 再度抱えなおされた私の前には、何故かばっちり志筑の顔が。 「そうだな。助けた猫はそのまま飼うんだよな、七夜は。」 志筑がからかうみたいに。 ん? 助けた猫? ……それってシンのこと? 「……拾った動物は最後までちゃんと面倒をみるんだろ?」 「それは責任を持って……ん?」 えーと。この場合、動物って……志筑のこと? な、なんて例えをするかなぁ、もう。 や、さっきまで心の中で獣扱いしようとしていたことは、この際置いておこう。 大体志筑だったらおとなしく捨てられているようなことはしないんじゃないか? 拾われる前に野良になって……うん、逞しく野生化して生きていけそう。 あー……、でも簡単な切っ掛けで案外全部どうでもいいって感じに投げやりになっちゃいそうな気がする、かも。 「んー、志筑って微妙にめんどくさがりやだよね。」 「そうか?」 「そうだよ。ほっといたらご飯とか食べなさそう。」 「――。」 む、黙り込むってことはやっぱり心当たりがあるんだ。 そういえば私とお昼ご飯食べるようになる前ってどうしてたんだろう。 栄養のバランスとかバランスとかバランスとか……。 ちゃんと考えて食べてたのかな。これはぜひ今度問いただしてみるべし、かも。 「大体ちゃんとお料理できるくせに。」 昨夜食べた志筑作のごはんを思い出して、むっとしながら言うと、志筑がそ知らぬ顔で「面倒」と一言。 あーもう、やっぱり。 でもそれでどうしてこんなにすくすくでっかくなるのか、ものすっごく不思議だ。 「――で、君たちはいつまでここで、その会話を続けるつもりかな?」 「え?」 ……っ! うああ、しまった、ここは公衆の面前……っ! 奥丹先輩の冷ややかな一言で、一気に現実へと引き戻される。 よくよく考えなくても、今の志筑との遣り取りはここで繰り広げちゃうようなものじゃなくて。 私の馬鹿ーっ、だからどうしてこう自分の考えに嵌って思考がすっ飛んじゃうかな! 「し、志筑志筑志筑ーっ、おろしてー! 今すぐ即刻即座に迅速に!」 「断る。もうダンスは充分だろ?」 「え、は? そりゃ、もういいけど。……って、どこ行くのー!?」 「どこだろうな?」 突然奥丹先輩に背を向けて志筑が歩き出す。 や、寧ろもう目的地はどこでもいい! だからとりあえず! 「おろして、おろして、おーろーしーてーっ!」 「いーやーだー。」 暴れる私に、単調に返す志筑。 あーもう! 口調は淡々としてるくせに、何でそんなに表情は楽しそうなの、志筑ーっ。 いつもの無表情はどこに置いてきちゃったんだーっ、と心の中で絶叫する私を抱え、自然と道をあける生徒の間を志筑は悠然と歩く。 湯気が出てるんじゃないかっていう勢いで熱くなる頭、顔、首筋。きっと見た目も真っ赤になってると思う。 ……ま、周りの反応が怖くて見られない……。うう、志筑、降ろしてくれる気はまったく無しか。 でも、だけど。今日はお祭り。お祭り、だから……なら――多少のはめ外しは許される、かも……。 うー、と低く唸りながら、観念し大人しく志筑の肩に額を埋める。 私の耳元で、志筑が低く笑った。 |
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