09. 桜色のダンスを一緒に(2) |
「うあー、まず……っ、遅刻遅刻ちこくーっ!」 これってやっぱり家でのんびりし過ぎたのが敗因!? 廊下を小走りで進みながら腕時計に目を落とすと、時刻は既に三時半。 ブロッサムは四時からだから、めっちゃくちゃギリギリだ。 現に校内にはもうすっかり準備を整え終わったとみえる人の姿が大多数。しかも体育館に向けて歩いている。 一応途中で由紀には連絡を入れたんだけど、何だか忙しそうだったし。 遅くなることだけは伝えたものの、あんまり話も出来なくて。 衣装はちゃんと用意済みだから、とは言われたんだけど……。 それがまた、ちょっとハロウィンの時みたいな露出過剰系だったらどうしよう、とか若干、というかかなり不安だったり……するんだけど、そこはもう由紀を信用するしかない。 「由紀、遅くなってゴメン!」 がらっと勢い良く教室の扉を開ける。 ……一瞬、来る場所を間違えたのかと思った。 何でかと問われれば、そこがえらく華やかなりし世界だったから。 「あ、七夜だぁー。遅いよー、早く着替えないと。」 「もうそろそろオープニングセレモニーだって。」 扉の傍にいたクラスメートの何人かが声を掛けてくれ、それにはっとしながら生返事をする。 ……うわー、一体どこの国に迷い込んできたのかと思った……なんていうか眩しいんだけど……。 色とりどりのふわふわな生地があちらこちらに。 それを纏った女の子達が動き回る度にさらさらと揺れていて、普段はちょっと草臥れ気味の教室がまるで別世界だった。 ん? あれ、でも女子ばっかり? 男の子たちはどうしたんだろ? 「男の子たちは隣の教室。こっちは女子専用臨時更衣室になってるのよ、七夜」 「あ、そうなんだ。って、由紀? 遅れてごめ……、」 扉のところで突っ立っていた私の横から、まるで考えていたことを見透かすような絶妙な回答。 それはまさしく由紀の声で、慌てて横に首を巡らす。 そこには腰に片手を当てすっかり用意万端の由紀の姿。思わず言葉が途切れた。 ……おおおー、何事! この可愛さってば……っ! ふんわりと結われた栗色の髪。 由紀のほっそりした身体に見事に馴染んでいる柔らかそうなドレスは、オフホワイトのオーガンジー。 上半身はぴったりめだけど、スカート部分はたっぷりと緩やかに揺れている。 ホント、こうして黙って立っていると可憐な美少女チックだわー、由紀ってば。 「ほらほら、ぼんやりせずに中に入って?」 「ああ、うん。」 由紀に促され、慌てて教室の中に入り込む。 背後で扉がしっかり閉ざされ、本当に別の世界に迷い込んだみたいな気がした。 ……かなり非日常的な光景だよ、これって。 いまいち状況についていけないまま、手近にあった机の上にとりあえず鞄を置く。 さてこれからどうしたものか。 や、もちろん支度しないといけないのはわかってるんだけど。 この状況じゃ、ブロッサムが始まるまでに志筑と話をする……なんてことは無理だよね。 でも出来れば事の顛末を少しくらいは話しておいた方がいいのかな、やっぱり。 うーんと、そのままついじっくり考えに耽りそうになっていると、何やらガサゴソと紙袋の中を探っていた由紀に「どうしたの?」と軽く背中を叩かれた。 「あのさ、志筑……見かけた?」 「志筑君? そういえばさっき着替え終わった姿でふらふら歩いてたけど。」 「そうなんだ。じゃあもう捜してる時間は無いか。」 由紀の答えを聞いて、溜息とともにすっぱり諦める。 まだ着替え中なら居る場所も限定できるけど、それが終わっているとなるといくつかある心当たりを全部確かめないといけないし。 運良くつかまったとしても、確実にブロッサムには間に合わない気がする。 うん、いいや着替えちゃおう。どのみち会場で会えるだろうし。 「で、ええと、私が着るのはそれ?」 気持ちを切り替え、由紀の手元にあるシンプルな白の紙袋へ目を遣る。 すると、由紀が首を傾げながら私の顔を覗き込んできた。 「志筑くんに何か用事?」 「んー、用事って程でもないから。ブロッサムが始まる前に話しておきたいことが少しあっただけ。」 「……ふぅん、そうなの……ちょっと待って。」 そう言うなり、扉を少しだけ開けて廊下に顔を出す。 んん? 何するつもり? 不思議に思って由紀の行動を見守る私の前で、「……あ、海月君!」と由紀が副委員長の名前を呼んだ。 「あれ? 叶さん、どうしたの?」 扉はちょっとだけしか開いていないので姿は確認できないけど、副委員長の声だけはしっかり聞こえてくる。 「あのね、申し訳ないんだけど、志筑くんを呼んできてもらえる? 七夜が来たからって。」 「え!? 待って待って、いいよ由紀、そんなにたいした用でもないし! 副委員長に悪いから……っ。」 突然過ぎる由紀の申し出。慌てて声を上げ、制止に入るも時既に遅し。 「あ、黒河さん来てたんだ。大丈夫、気にしないで。居る場所の見当は大体つくから。それに丁度今からそっち方面にいくつもりだったし。」 副委員長はばっちり快諾してくれていた。しかも声には全然嫌そうな感じなんてみえなくて。 うう、副委員長、凄く良い人だ。 じんわりと感動している私の耳に、じゃあ、ちょっといってくるね、なんて言いつつ副委員長が立ち去る足音。 あ、でも副委員長……準備とか大丈夫なのかな。多分しっかり者の副委員長の事だから抜かりは無いと思うけど。 なんて事を心配しつつ扉を見つめていたら、由紀が再び扉をきっちり閉めて天使のような笑みを浮かべた。 「さあ七夜、じゃあ着替えましょうか。」 ……由紀、なんだか凄く楽しそうなんだけど……。 まさかやっぱりまたハロウィンみたいなことに……? うう、その笑顔が今はとても怖い……。 でもハロウィンの時とは違って、若干心の準備が出来ているだけましかも。うん、きっと……多分。 傍からみてもわかるほど緊張しているであろう私の前で、先ほどガサゴソと漁っていた紙袋から由紀が柔らかそうな弾力の無い布の塊を引っ張り出す。 それが広げられたのを見た瞬間、ほっと安堵の溜息が漏れた。 だって布地が凄く多いし! 色もうすーいピンクだし! 良かった……。本当に良かった。 嬉しさのあまり拳を握り締め、ひとしきり色々なものに感謝中の私に由紀の冷ややかな視線が突き刺さるが、それすらもあまり気にならない。 「――なぁに、七夜ってば、そのあからさまにほっとした顔。失礼ね。」 「え、やだなー、そんな事ないってば! もう凄く感謝してるし! 心の底から!」 両手を合わせてありがとうと感謝の気持を目一杯篭めて言う私をみて、由紀が仕方ないわねと呆れながら苦笑する。 ああ、じゃあ安心したところでちゃきちゃき着替えようかな。もう時間も無いことだし。 手渡された服を一旦机の上に置き、上機嫌で一息に上着を脱ぐ。 今日は結構暖かな日差しだったから割合薄着。 上着の下には長袖の薄いニットと、更にその下に、薄いキャミソール一枚だけ。 あまり頓着せずに裾に手をかけ、それら纏めて一気に脱ごうと捲り上げる。 だけど、胸元まで腕を上げたところで、何故か周りの子に注目されているのに気付いた。 ん? 何だろう? 私がちょっと首を傾げて瞬きした途端、今年から同じクラスになった宮乃(みやの)が、ササッと傍に寄ってきた。 彼女は竹を割ったような男前な性格で、明るくて付き合いやすいと一部の生徒間で評判になっていたりする子で、割と直ぐ遠慮なく話すようになったクラスメートの一人だ。 その宮乃がやけに真剣な顔で、更に私ににじり寄ってくる。 脱ぎ途中の服をそのままに宮乃の不審な行動を観察していると、私の真正面まできてぴたりと足を止めた。 「ね、七夜。」 神妙に呼びかけられて、更に首をかしげる。 んん? 本当になんだろう? 「――どうかした?」 「あのさ、一年の時に体育を合同でやったの覚えてる? その時更衣室で一緒に着替えしたんだけど、七夜、ちょっと胸おっきくなってない?」 ん? 胸? 中途半端な格好のまま、ちょっと胸元を見下ろしてみる。 「え、そう? どうだろう……。あー、でもそういえばちょっとブラきつくなったかも?」 あんまり、というかまったく気にしてなかったんだけど。そう言われれば少しブラの胸の間部分が浮いてるかも。 うーん、一応成長期だし。でもどっちかって言うともうちょっと身長が欲しいんだけどなー。 だって志筑との身長差、結構あるし。並んだときもうちょっと釣り合うくらいは。 「あー、それってやっぱり揉んでもらったから?」 で、ああ、うん、揉んで貰ったら背も伸び……うん? ……もむ……? 何を? 「…………え―――は、ええええ!?」 宮乃が何を言わんとしていたのか、やっと理解した。 う、うっかり自分の考え事に耽っている場合じゃなかった……っ! つまりそれって、身長のことじゃなく、胸のことで。そいうことなわけで。 ――や、まって! ああ、やっぱりそうなんだーなんて納得されても……! 違うってばっ……! た、たぶん、違う、はず……。 おろおろ動転しまくる私の周りに、いつのまにかクラスの子達が集まってきていた。 なに皆! その興味津々な目はーっ! 「あ、でさ、私ずーっと訊きたかったんだけど、志筑くんってやっぱり上手いの?」 「う、上手いって何が……?」 脱ぎかけていたニットを思いっきり引き下げてきっちり着込みながら、慎重に聞き返す。 「やーだ、もう。あれよー、ほら。えっち。」 うわーん! なんだか話が妙な方向に転がってるーっ! ごふげふっと咽る私にはお構い無しに、どんどん厳しくなる追及の手。 本当にもう何なんだ、この一致団結感。 「や……あのその……っ、ほら、あれだ!! ――わ、わかんないってばーっ!」 「あ、そっかー。七夜、志筑くんが初めてなんだー?」 「は、はじ……っ!?」 そりゃ、そうだけど!志筑以外の人とか知らないけど! 皆、羞恥心をどこに置き忘れてきたのーっ!? ぐるぐる脳みそをフル回転させて、どうにかこうにか打開策……というか、この一団から抜け出す算段を立てようと試みるものの、周りでエスカレートする話に振り回されてそんなものはさっぱり思いつかない。 どうするどうするどうする。 考えれば考えるほど頭の中は真っ白。 「はいはい、皆。七夜で遊ぶのはそれくらいにしてあげて? 早く行かないと始まっちゃうわよ。」 だからもう。目を白黒させて動揺しまくる私を見かねたらしい由紀が漸く止めてくれた時には、天使の一声かと。 た、助かった。でも由紀、贅沢を言うようだけどもうちょっと早めに助けて欲しかった……。 それにしても遊ばれてたんだ、私……。 「ごめーん、だって七夜可愛いんだもん。」 「じゃあ、先行くね、七夜も早くしなよー。」 がっくりと脱力する私を尻目に、皆が楽しそうに笑いながらバタバタと教室を出て行く。 残ったのは私と由紀だけ。 まだちょっと立ち直れない私の肩を由紀が軽く叩いて「ほら、支度支度」なんて軽く言う。 うう、わかってるけどもさ。 次、皆の前で着替える時は蓑虫みたいになって着替えてやる。 静かになった教室の中、今度こそ服を脱いで、机の上から取り上げた服に袖を通す。 計ったようにぴったりしっくりするそれはとても着心地が良かった。 「あ、ぴったり。」 「当たり前よ。それで事の次第はどうなったの?」 丁度腰辺りに幾つかある小さなボタンを止めるのを手伝ってくれながら、由紀がさらりと尋ねてきた。 「うーん、何だか丸く収まったっていうところ、かな?」 問い詰めるでも無く、重く訊くわけでも無く。 自分の心情を押し出すことの無い由紀の問いに苦笑いで軽く答えた後、昨日の出来事を掻い摘んで伝える。 由紀は私の身支度を手伝ってくれながら、軽く頷きつつけれど何も言わずに聞いてくれた。 「そ、お許しが出たの。よかったわね。」 「んー、まだきごちないんだけどね。父さんも悪かったって言ってくれたし。」 「それはまあ……いきなりお見合いじゃあね。七夜のお父さんも極端よね。」 由紀が苦笑いで私の首に細いリボンを幾重かに回して結ぶ。 身体の両サイドにも小さなボタンを伝って同じような細紐が編み上げられていて、こちらは既に腰でしっかり結ばれている。 髪が頬にかかって少し身じろぐと、薄い桜色のふんわりしたスカートがさらさら揺れた。 「えっと……ごめん、心配かけた、よね?」 僅かに躊躇いながら訊くと、結び目の形を整えていた由紀がちらりと上目に私を見る。 わざわざ志筑に連絡をとってくれたくらいだから、きっと心配してくれたんだと思う。 それに由紀の連絡がなかったら、奥丹先輩から、というか――あの場から逃げられたかどうか。 「それはもう凄く――この貸しは大きいわよ?」 由紀がにやりと笑った。 一体、後で何に化けるか見当もつかない、借り。 怖いなぁ、なんて思いながらも自然に顔が緩む。 よし。じゃあ、ここは先手必勝。 「何か奢る。」 「そう?じゃあお言葉に甘えて、フロマージュのケーキセット、強請っちゃおうかな。」 私の提案に由紀があっさり頷く。 よっしゃ、大成功。あ、でも確かあそこのケーキセットって結構なお値段しなかったけ? お財布の中身、大丈夫か、私……。これはちょっと失敗したかも。 冷や汗をかく私の前では、小首をかしげた由紀。 うう、どう頑張ってもこの小悪魔的な笑顔には敵わない……。 「りょーかい。」 「じゃあ明日、ね?楽しみだわぁ。はい、終わり。」 観念して頷いた私の肩を、由紀の華奢な手がぱんと叩く。 ちょっと項垂れ気味な私とは対照的な由紀の楽しそうな姿。 ――まあいっか。今回は影で色々お世話になっちゃったし。 「ゆーき。」 「なあに、……っ、七夜?」 後ろを向いて片付けをしていた由紀の返事を聞き、直後に背後から思いっきり抱きついた。 かなり驚いたらしい由紀が振り向こうとしたところを狙って、小さく息を吸い、告げる。 「ありがと。」 たくさんの思いを込めて。たくさんのありがとう、を。 由紀の動きが少し止まる。 あ、吃驚させちゃったかな? 「――ホント、七夜ってば……。」 「ん?」 私の腕を宥めるように軽く叩いて抜け出した由紀は、こちらを向いて最上級の笑みを浮かべていた。 「お馬鹿。」 感謝の言葉への返答としては、あんまりといえばあんまりな言葉。 ちょっと呆気に取られて、反応が遅れた。 「――え、えええ!? それってちょっと酷いー!」 「はいはい、早くしないと遅れちゃうわよ?」 私が声をあげた時には、由紀はとっくに教室のドア付近に退避していた。 やや自棄気味に「わかってるってば」と答える私に、由紀が声を立てて笑う。 と、それに被るように、低くて――でも良く響く心地良い声がドアの外から掛けられた。 「七夜、いるか?」 「え、あれ――志筑?」 「あら、絶妙のタイミングね。もう終わったから入っても大丈夫よ、志筑くん。七夜、私廊下で待ってるから。」 由紀が言いながら、がらりと教室の扉を開く。 大きく開かれた入り口の向こうには、夕暮れの日差しを背に受けた志筑が立っていた。 志筑と入れ替わりに由紀が教室を出て行き、再び扉が閉められる。 ……う、わ。黒スーツだよ。 似合ってる、似合ってるけど……逆に嵌りすぎのような……。か、かたぎに見えない……。 割と失礼な事を思いながら、傍に近寄ってくる志筑を思わずじっくり観察してしまう。 ん、あれ。でもちょっと近づきすぎじゃない、志筑ってば? ――って、んん?! 私の腰に志筑の片手が回されて。 引き寄せられ、抱き込まれて。 「――ちょ……っ、ちょっと志筑!?」 抗議の声を上げた途端、胸元に志筑が顔を寄せてきて。 や、ちょ……何、くすぐったいってば……っ! たまりかねて振り上げた右手は軽々と志筑に押さえ込まれた。 胸元に息がかかる。左胸。鎖骨より少し下。 ドレスと肌の境界部分。 そこに、熱。志筑の――唇。 きつく、吸われた。 そして、志筑の唇が離れた後には、肌の上に赤い痣。 多分、丁度上からのぞいた時に、ぎりぎり見えるかみえないかというきわどい所で。 「い、いきなり何するの、志筑の阿呆ーっ!」 「結果はどうだった?」 私の抗議はさくっと無視か。 志筑ってばこういう時、人の話、全然聞かないし! 行動が唐突過ぎてわけわからん! 些かどころでなくかなり納得行かない。 でもわざわざ副委員長に捜しに行って貰った当初の目的は果たさないと申し訳ない。 「……無事、サクラが咲きました……っ」 悩んだ末、最後の抵抗とばかりにちょっと遠まわしな言い方をしてみる。 出来るだけ不機嫌に見えるよう、憮然としながらっていうオプション付きで。 なのに志筑はゆっくりと唇の端を持ち上げると――満足そうに、笑った。 ……大概私、この笑顔に弱すぎだと思う。 うー、動悸息切れ。 いつまでたっても、志筑の不意打ち笑顔は心臓に悪い。 「後で詳しく聞かせてくれ。――そろそろ始まるな、行くか。」 往生際悪くそっぽを向いてみた私の手を握って、志筑がのんびりと歩き出す。 笑顔ひとつで今し方の行動を許しちゃっている私の心なんて、志筑はとっくにお見通しなんだろうなと思うと少し悔しかった。 *** 教室を出ると、由紀が窓に寄りかかりながら校庭を眺めていた。 後ろから由紀と声をかけると、ふわりと笑顔で振り向いて……途端に眉を顰めた。 「余裕が無いわね。――牽制?」 私の胸元に由紀の視線。でもこの一言はどうも志筑に向けられたものっぽい。 牽制って何? や、言葉の意味は知ってるけど。 ……というか、胸元を見てなんでそれ……? さっき志筑がつけた痕は……まさか、見えてない、よね? だってこれ上から覗き込まないと、わからない位置のはず、で? でも由紀の明らかに呆れたようなこの態度は。 ぎりっぎり隠れてるはずなのに、やっぱりばれてる気がする。 「どうだろうな。」 由紀の言葉にもまったく動じることなく志筑が言い放ち、身をかがめて私の耳元に口を寄せる。 「じゃあ、七夜、しっかり踊ってこいよ?」 「ん? あれ? 志筑は一緒に行かないの?」 吃驚して仰ぎ見ると、志筑が曖昧に肩を竦めた。 「――ダンスの申し込み、会場ではきっと最後のチャンスとばかりに皆、必死になるもの。流石に志筑くんと言えども形振り構わずに申し込まれると思うわよ?」 何も言わない志筑のかわりに、由紀が補足してくれる。 あ……そう、か。そうだよね。志筑だって申し込まれる事、あるよね。 そしたら志筑、私以外と踊るんだ? それはちょっと……や、かなり嫌、かも。 ……うわ、私、心狭い! 自分は奥丹先輩と踊ることになっちゃってるって言うのに。 「あんまり気にするな。近くにはいるから。」 「うん……。」 志筑がぽんぽんと私の頭を叩いて、体育館とは逆の方向へ歩き出した。 気にするな、は……多分奥丹先輩と踊ることに対する言葉。 でも――志筑、私やっぱり気にすることにする。それで今度こそもう絶対隙なんてみせないし。 何だかもう今回は奥丹先輩にやられっぱなしで、駄目駄目で。 だけど今は反撃開始ってところかな、うん。 決意も新たに志筑を見送る私の腕に、由紀の細い指が触れる。 振り向くと、苦笑いで「行きましょ」と促され、次いで言われた内容にその場にへたり込みたくなった。 「――ところで、それ。つけたの志筑くんよね?」 それが刺しているのは、は、これ。つまり私の胸元にある赤い痕。 うう、まさかと思ってたのに、ばっちりしっかり気付かれてたんだ……。 「うーあー……そ……う。でもさ、何でわかったの? 見えてないよね?」 それがさっきから凄く不思議だった。確かめたけどギリギリ見えてないはず。 心底不思議そうにしている私に気付いたらしい由紀が、ふうっと息を吐き、額を押さえた。 え? 何その反応? 「七夜。あのね、無自覚かもしれないけど、真っ赤な顔であからさまにそこを気にして手で触ってるんだもの。気付くわよ。」 「そ、そんなことしてた!?」 「してた。――それにしても志筑くんも相当きちゃってるわね。禁欲生活、何日目?」 「き…っ!? なななな、何言って!」 これはそういう意味じゃないと思う! や、よく意味はわからなかったんだけど! でも直ぐ離してくれたし! そういう雰囲気にはならなかったし! そりゃ、ちょっとは熱が篭っていたような気がしなくも無い、けど。 「一週間位? 根性なしね、志筑君。」 うう、どうしてわかるんだろう……。本当は一週間とちょっと……だけど。 「……でも、私も…志筑に触ってもらうの、嫌じゃない、かも。」 ぽつりと言葉が零れた。由紀が驚いたように目を瞠っていて、言った後にはっとした。 って……うわ、はずかし!! 何言っているんだ、私っ! 自分で吐いた台詞の恥ずかしさに、全身をかっかさせながら頭を抱えてとうとうその場にへたり込む。 その私の耳に、由紀の鈴を転がすようなかわいらしい笑い声。 うう、志筑がわけのわかんないことするから! 「うー、私ってやっぱりまだ志筑のこと良くわかってないのかなぁ。この頃かなりわかるようになってきたって思ってたのに、今回の件でまだまだ知らないことだらけだったんだなって……。」 考えたままを考えたままに口にしていた。 ……あー、すっごい弱音だな、これ。しっかりしろ、私。 ごめん由紀なんでもないからと言いながら、立ち上がりかける。 でもそこで、由紀の細い腕に背後から抱きしめられた。 ん、どうしたんだろ? 由紀にしては珍しいスキンシップ? ちょっと驚きながらもぞもぞ首を巡らせ後ろを向くと、そこには呆れたような由紀がいて。 「さっきのお返し。もう七夜ってば、本当に邪気が無いし、騙され易いし、直ぐ感情が顔出てわかり易いし。一定以上より深く人と関わりたくないって思っているのに、なんだかすんなり懐に飛び込んでくるんだもの。」 ん? 何のこと? でもとりあえずこれは褒められている、というよりも。 「――それって、考え無しで馬鹿ってこと……?」 やや眉間に皺を寄せ、顎に指をあてながらぼそっと言ったら、由紀が笑い出した。 「そう。だから本当に嫌なんだけど、志筑君の気持ちがわかっちゃうのよね。――彼も多分戸惑っているんじゃない?どう接していいか、まだ距離感がつかめてないのよ。深く自分の中に入れすぎて、上手く感情がコントロールできなくなるの。……それは奥丹先輩にも言えることだと思うけれど。」 「あ、もしかして不器用……?」 ってそういう意味で? ふと志筑が昨日行っていた言葉を思い出した。 何気なく言った私を驚いたように見てから、由紀が少しだけ苦笑いする。 あ、でも……由紀、今、志筑の気持ちがわかるって……由紀はどう考えても不器用、なんて言葉は当てはまらないし。 ということは違うかな? でも予想に反してそれは由紀に肯定された。 「ええ、そうね。きっとある意味では、とても不器用な……愛情表現、よね。だけど、奥丹先輩のやり口はそれだけで済ませられるようなものじゃないわよ。無理やりなんて論外だわ。」 意外な答えに吃驚しながら、問い掛けるように由紀の目を覗き込む。 だが、どうやら由紀はそれ以上何かを言うつもりはないようで、ただ笑顔で返された。 こうなったらもう、梃子でも由紀は私の疑問に答えないってことを知っている。 だから、諦めて軽く息を吐きながら話を続けることにした。 「……何か習いに行こうかなぁ、護身術とか。今まではそんなこと無かったのに、昨日は流石に凄く非力だなって思った。」 心も身体も、今はもりもり元気だけど、昨日は本当に怖くて。 あの時、やっぱり二三発殴りつけておけばよかった、なんてのもきっと今だから思えることだ。 「大丈夫。志筑君が守ってくれるわよ。」 「うん、でもさ。何だか守られっぱなしっていうのもなー、うーん。」 「そうね、七夜はどっちかっていうと守りたい属性だもの。」 「え……そう?」 そうよ、と意味深長に由紀が言った。 守りたい、か。でもうん、そうかも。 大人しく守られるだけじゃなくて、守りたい。大切な人を。 最も今は専ら守られっぱなしな感が無きにしも非ずだけど。 会話が途切れ、もう人影も疎らな校舎の中を歩きながら、隣を歩く由紀の衣擦れの音がやけに大きく耳に届く。 ここで、急に湧いてきた疑問。 「――そういえば、その格好をしてるって事は……由紀、踊るんだ?」 ちゃんと着替えて会場に向かっているって事は、そういうことだと思ったから。 由紀、誰かの申し出を受けたのかな? それにしても由紀に承諾させるなんて、なかなかのチャレンジャーっぷりだな、その人。 まだ見ぬ仮初の男子生徒に若干の畏敬の念を感じつつ、どんな人かなと一頻り考えに耽る。 が、由紀は「踊らないわよ、相手がいないもの。」と、すぱっと否定した。 「申し込まれなかったの?」 「申し込まれたわよ?」 肩をすくめて平然と言う由紀に目を剥く。 だって申し込まれたら踊らないといけないって。あ、でも三年生にじゃなかった……とか? それなら断っても良いはずだし。でも三年生にだけ申し込まれなかったっていうのも不可思議と言うか。 「まあ、そこはそれ。面倒事は御免だったし、色々と、ね?」 私の疑問符だらけの気配に気付いたのか、由紀が誤魔化すような小悪魔的笑みを浮かべる。 うーん、その色々をとても尋ねたいような尋ねたくないような。 今後の参考の為に一応尋ねてみるべきかなってちょっと思ったんだけど、多分私じゃ実践出来なさそうな手段っぽい気がしたから止めておいた。 人間慣れない事はするものじゃない、うん。 「でも折角正装までしてるのにもったいない。」 「いいのよ。本当に踊りたい人とは踊れないから。」 ちょっと食い下がってみた私に、由紀の衝撃発言。 え!? 踊りたい人って……や、やっぱりそういう人がいるの!? 「ええ!? ちょっと誰それ!? 由紀ってば! あああ、いい逃げはちょっとずるいーっ!」 驚愕の事実発覚にその場で固まった私を置いて、由紀はさっさか歩いていく。 その後を慌てて追いながら意中の人を尋ねてみるものの、キレイさっぱりはぐらかされた。 「もー、由紀ってばどうしてそう秘密主義かな。でもいつか絶対吐かせてみせるからね!」 「そうねぇ、いつか……ね。」 びしっと宣言した私に由紀が楽しそうに笑いかけた時、もう体育館の入り口は目前だった。 |
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