01



期末テストが終了した、とても良く晴れ渡った日の午後。

華は訪れたゆうきのマンションから、唐突に連れ出されていた。
目的地は、マンションから少し離れた場所にあるが、なかなかに美味で手軽なイタリア料理を出す店―――らしい。

何故曖昧なのかといえば、玄関に入るなり車のキーを持ったゆうきに「昼を食いに行こう。」と、それだけを告げられ、車に乗せられた為だ。

どうにか行き先だけは聞いた後、訳のわからないままに大人しく助手席に納まっている華だったが、内心は不思議で仕方が無かった。

―――お昼ご飯…作るつもりだったんだけど。どうしちゃったのかな?

ちらりと運転席のゆうきを覗ってみても、その横顔からは別段変わったことは読み取れない。それに、眩しい陽射しのためか、普段は滅多にかけないサングラスをかけていることも、ゆうきの表情を読みにくくしていた。

ふうと息を落とし、華は車外へと目を向ける。

既に華やかな店々のディスプレイと、かなり多い人通りが望め、車に乗ってからゆうきに教えてもらった目的地は、多分そろそろだろうと見当が付いた。


「もうすぐ着くから。」

「あ、うん。」

考えていたことが分かっていたかのような言葉をかけられ、外を眺めていた華が慌ててゆうきに答える。

いつもより格段に口数の少ないゆうき。
順調に進んでいく車の中で、華は段々と不安になってゆく。

何か怒らせるようなことをしたのだろうかと思いはしても、ここ暫くはテストがあったので、ゆうきとは顔すら合わせていなかったのだ。

そんな状況で華に思い当たることがあろう筈も無かった。

だが、エンジン音すらあまり響くことの無い静かな車内でぼんやりしていると、益々良くない想像が湧いてくる。
華は不安を紛らわすかのように、ここ数日の出来事を思い出すべく努力していた。

そんな華の心境を知って知らずか、黙り込んだままのゆうきが、車を大通りから細い脇道へと入り込ませる。

脇道に入り込んだ途端、フロントガラス越しに見える道の左右にあるはずの店舗の姿は随分と少なくなっていた。

―――どこのお店に行くんだろう。

住宅地の様に見えるそこで稀に現れる店。

脇道に入ってからもう数軒の店の前を通り過ぎていたが、華の目には、あまり人に知られていない隠れ家的な雰囲気を持っているように見えた。

「ゆうきちゃん、もうすぐ?」

「ああ、ほら―――そこ。」

尋ねた華に、くっと顎を上げゆうきが示した先には、洒落た外装を施された小ぶりの洋館風の建物があった。

車が減速する。

そして、店に手前にある駐車場に入り、その一番端の奥まった位置に止まった。



「―――可愛いお店だね。」

停止した車の中で、シートベルトを外しながら華は運転席にいるゆうきへと声をかけた。
駐車場からでは側面しか望めないが、それでも充分店の雰囲気は伝わってきている。

「ん?…ああ、確かに若い女性好みではあるかな。」

既にシートベルトを外しハンドルに両腕を乗せて凭れかかっていたゆうきが、額に落ちた髪を面倒そうに振り払う。
どうやらまだ車を降りる気が無いらしいゆうきの様子に、華は目を伏せ僅かに俯いた。

やはり今日のゆうきはどこかおかしかった。
思い当たることは、何も無くて。それでもゆうきの態度は明らかに普通ではない。

もしかしたら…と最悪の想像をしてしまい、華の胸がきりきりと痛む。

―――別れたい…とか…だったら……どうしよう…。

敢えて考えないようにしていた事態を明確に思い描いてしまい、瞬時に目の奥が熱くなった。ぎゅっと制服の胸元を握り締め、華は零れそうになる涙を堪える。

いつかそうなったら、と恐れていたことがことが現実になるかもしれないと思うと、とても冷静ではいられない。

ゆうきが話を切り出すまで待つべきかとも思ったが、流れる沈黙に耐え切れず、華は両手を合わせてきつく握り締め、一つ深呼吸した。


「―――ゆうきちゃん…私、何か…した?」


僅かに声が、震えた。

気づかれてしまっただろうかと思いながらも、華は身じろぎせずにじっとゆうきの答えを待つ。きつく握り締めた手の指先が、朱に染まっていた。

長く短い緊迫した時間。


「―――何かしたと思うのか?」

暫くして返されたのは、ゆうきからの問いかけだった。
華が、はっと顔を上げる。

真っ直ぐ前方を見ているゆうきの横顔。
やけに落ち着いて見えるが、華には感情を押し殺しているように見えた。

「…ううん、覚えは無いんだけど。」

左右に頭を振り、正直に答える。事実まったく心当たりの無い華に、嘘は無かった。

ゆうきがハンドルに片腕をかけたまま、漸く華へと振り向く。
サングラスを挟んではいても見つめられていることを感じて、華は顔を背けることなくそれを受け止めた。


「華、二三日前―――橡に会った?」

「…え?…ええと……?」

―――橡、さん?

ゆうきが何を言い出したのか、咄嗟に理解できなかった。
何故ここで橡の名前が出てくるのだろうかと、思わぬところに転がりだした話の方向性に困惑する。

何の関係があるのか、皆目検討もつかない。つかない、が。
唇に指を当てると、華は下を向いて真剣に考え込み始めた。

―――二三日、前。……橡さん。

ここに来るまでの道のりで散々思い返していた数日間の記憶。
手繰り寄せたそこには確かにゆうきが言ったとおり、橡の姿がある。

「うん。会ってる。」

あれは確か学校帰りに一人で歩いていたら声を掛けられたんだっけと、華の中で段々その場面が鮮明さを増してゆく。

「それで?」

「え、うん、橡さんに会って…ええと、お昼に誘われたの。」

「誘われてついていった?」

「うん、そう。それでお昼を一緒に食べたんだけど。」

ゆうきの矢継ぎ早な質問に、華は思い出しながら正確に答えていった。

華が橡に会ったのは、テスト開始日。
お昼前に学校が終了し、そのまま真っ直ぐ帰路についた日だった。

車道から急に声を掛けられ、振り向いた先にいたのが橡だったのだ。

本線から路肩に車を寄せた橡と話をして、いつの間にか昼を一緒に食べようと誘われていた。テスト期間中だからと断りはしたのだが、最終的には何故か橡の車に乗せられ、訳が分からないうちに橡と一緒に昼食を取ることになっていたというわけである。

自分の記憶に納得しながら、でもそれがどうかしたのかとゆうきに尋ねるべく、華は顔を上げた。
横を向こうとして、けれど、それよりも早く、華の左頬にゆうきの手が伸ばされた。

運転席側に向かせようとしているその手に華は逆らうことなく、顔を動かし―――。

そこに待っていたのは、サングラスを外したゆうきの咎めるような視線だった。

「…ゆうきちゃん…?」

「簡単に男と二人きりの状況にはなるものじゃないってわかってるか、華。」


ゆうきの態度がおかしかった原因を、華はこの時点で漸く悟った。



***




「あのでも…橡さんだし。ゆうきちゃんのお友達で…。それに、二人きりじゃなかったよ?周りに人が一杯いたし。」

うろたえながら、困惑も顕な華の姿。

今現在まで華が橡とのことをまったく気にしていなかったのは、その態度で明白だ。
深く溜息を落とし、ゆうきは額に手を当てた。

「じゃあ、その後は?橡に車で送ってもらったときも周りに人がいた?」

あまりにも警戒心が薄すぎる華に、ゆうきが畳掛ける。

追い込むようなことを言っているのはわかっているが、はっきりさせておくべきことだと敢えて追及の手を緩めなかった。

返答は無いだろうなと思いながら、ゆうきが助手席を見れば、予想通り、困ったように華が黙り込んでいる。
きつく握り合わされた細い指先に目を留めると、それは篭る力で朱に染まっていた。

「あの…その………ごめんな、さ…。」

静かな車内。ぽつりと囁くような声で、言葉が落とされる。
同時に、華の瞳からじわりと溢れた涙が、零れた。


「華―――。」

頬を流れた雫が顎を伝い、握り締められた華の手に落ちる。

泣かせるつもりなど無かったのに、泣き顔が見たかったわけでも無いのにと、逃げ道の無い責め方をしてしまった自分自身に対して、ゆうきは内心舌打ちしていた。

助手席に身を乗り出し、強引にならない程度の力を込めると、華の頭を引き寄せ腕の中に包み込む。

そして、ゆうきは軽く溜息を落とした。
華の肩が微かに震え、ゆうきを見上げるように不安げに揺れている瞳をのぞかせる。

「ゆうき、ちゃ…?」

「―――いや、言い方がきつかったな。悪かった。」

背中を摩りながら、華の耳元でゆうきは自戒を込めて囁いた。

華へもっと警戒するよう注意を促すということが目的だったはずだが、その中に自らの独占欲が混じっていなかった等と到底言い切ることが出来ないことを、ゆうきは知っていた。
寧ろ、注意するというのは大義名分で、心の中を占めていたのは大半が嫉妬心だったような気すらしている。

―――子供のような独占欲で泣かせるなんて、本当に最低だな。

昨夜、何の連絡も無くやってきた橡の言葉に踊らされていると感じずにはいられなかった。

『二人でご飯食べて、華ちゃんを送ってあげたの。
華ちゃん、可愛いよね。俺、貰っちゃおうかな。ちょっと年が離れてるけど、ぎりぎり守備範囲だし。』

ゆうきの脳裏に蘇るのは、巫山戯態度の橡の姿。
これを聞いた時の苛立ちはまだ胸の中に燻っている。

ソファにのんびりと座り込みながら楽しそうに話していた橡に、よくあの時は我慢したものだと思いながら、ゆうきが華の頬に残る涙の軌跡を指で辿りながら拭っていく。

いっそのこと華と自分の関係を橡に告げてしまおうかとも思った。
しかし、何故かそれは、橡の華へ対する余計な関心を更に煽るような気がしてならず、これ以上横槍を入れられることを望まないゆうきは、この言葉を黙殺した。

もちろんその後の会話の端々で、手を出すなとそれとなく釘を刺すことは忘れてはいなかったが、それでもどうしようもない程の焦燥に駆られていたのだと、華の涙をみた今ならゆうきには理解できた。


「―――ごめんな…。」

頬に触れるそれとは逆の手で、ゆうきは華の華奢な背中を優しく摩る。
だが、ゆうきの謝罪の言葉に、華の肩が僅かに震え、ふるふると頭が左右に振られた。

「華?」

俯き目を伏せる華の頬から顎に指を滑らせ、上向かせた華の顔をゆうきが覗き込む。

「ちが…。そうじゃない、の。あの、ね、……橡さんとのことをゆうきちゃんがそんな風に思っていたのにも吃驚したんだけど……それ以上に、もしかしたら、別れたいって言われるのかなって思ってて。凄く不安で…でもそうじゃなかったから…ほっとして…。」

まだ濡れた睫に覆われた黒目がちな瞳を瞼で閉ざした華が、小さな声で途切れ途切れに紡ぐ言葉。

ゆうきは驚きに目を見開いて、一瞬言葉を失った。


「―――はっ、……馬鹿だな、華は。」

呆れながら、ゆうきが苦笑う。

何をどうすれば、そんな事態になるというのか。
漸く手に入れたというのに。身も心も漸く独占できるようになったというのに。
こんなにも独占してしまいたいと、思っているのに。

華と別れることなど、今も、恐らくこれから先も、ゆうきにってあり得ない事だ。
存在を手にしている今でさえ、まだ足りないとさえ感じている。


「ば…?…ゆうきちゃん…ひど…っ」

ぱっと目を開いた華が、頬を染めてゆうきの胸を叩いた。
抗議の声を途中まで聞き、ゆうきは奪うように華の唇に自らのそれを重ねる。

華の小さな抵抗を封じ、唇を割り、舌を差し入れる。
逃げようとする華の舌を追い、絡める。

「ん…ぅ…。」

甘い声を漏らし華が喉を鳴らした。
ゆうきが更に深く口付けると、少し躊躇いがちに華が答えてくる。

はじめはゆっくりと探るように。
そして段々と激しさを増してゆく口付け。

ゆうきの唇が離れた時には、華の息は大分乱れていた。

胸元に手を当て、苦しそうに呼吸を整えようとしている華の頬にそっとゆうきが触れる。
熱を含んだ普段よりも潤んだ瞳に捕らわれ、衝動のままにもう一度、口付けを仕掛けてしまいそうだった。

けれど、ゆうきは軽く息を吐き、自らの欲求を押さえつける。

「―――今のうちに言っとくが俺の方から手離すつもりなんてまったくないから。もし、嫌になったら言えよ?」

滑らかで柔らかな華の頬。指先で辿る確かな温かみを感じながら囁いた。

目元を紅色に染め、まだ口付けの余韻を色濃く残している華が、驚いたように目を瞠る。
そして、間髪いれずに髪を揺らして首を振った。

「そんなこと無いよっ。嫌になるなんて……ゆうきちゃんが望んでくれるなら、ずっと傍に居たい。だって―――大好きだもん。」

紡がれる、懸命な言葉。
華から発せられるそれは、ゆうきにとって何よりも甘い媚薬だった。

「望むことで手に入るなら幾らでも望むさ。…どの道もう」

―――手遅れではあるけどな…。

口の端を僅かに持ち上げ、ゆうきが低く囁く。

聞き逃したらしい華が「え?」と、不思議そうに首を傾げていたが、ゆうきはそれ以上何も言わなかった。

口ではなんと言おうとも、嫌だと言われて手離せるような段階はもう疾うに過ぎている。
華に拒絶されたとしても、恐らくどうしようも無い程見苦しい姿を晒して引き止めてしまうのだろうと容易に想像がつき、ゆうきは自分自身にやや呆れ返った。

しかしどのみち綺麗に引くことなど絶対に出来ないことは、既に証明されている。

華が奏の元に去るのでは無いかと思った時に取った行動は、今思い返してみても決して潔いといえる種類のものではなかったことは、ゆうきにも良くわかっていた。

「ゆうきちゃん?」

頬に触れていた指を滑らせ、ゆうきは華の艶めいた唇を辿る。
ゆうきの手の上に華奢な手を乗せて、華が小さく微笑んだ。

もう、衝動を抑えることは出来なかった。

ゆうきは再び華の上に覆いかぶさるように身を乗り出すと、じっとこちらを見つめいてた華の柔らかな唇に、恋人同士として幾度となく交わされた、激しいキスを落とした。



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