ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

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目を開けたのに、目の前は真っ黒だった。

ん? んん? あれ? なぜに真っ暗?
しかもなんか苦し……。あ、うん、頬に当っているこれは服、だよね?
そんでもって、服越しに感じるこの温かさは……。

意識を失う前の状況を考えると、これはつまり柊一路か。
うん、めっちゃ抱きしめられてるな! おおおお! 

背中に回された手から伝わる感触に、ぼわっと頭が茹で上がる。

ああもう。まいった。こんなの不意打ち過ぎて、心の準備がさっぱりだよ!

「ふふ、やっと覚悟ができたみたいね、柊センパイ」

背後からかけられた鈴を転がすような声は、迷走しそうになった意識を瞬く間に落ち着かせてくれた。

そうだよ、まだいるんだよ、悪魔。
今回だけはいい仕事したな! といい笑顔でアンタにいってやってもいい! グッジョブだ、悪魔!

まだ全部を解決できたわけじゃあ、ない。でも自分のおかれた状況はひとしきり把握できてる。
記憶の欠落も、柊一路のことも。そして柊一路が誰を捜してくれと言っていたのかも。

「……苦しめたいわけじゃナイ」

そっと頭を撫でられる。髪の間に入り込んだ指先が、くすぐるように動かされる。
優しい触れ方に、目の奥がじわりと痛くなる。これはちょっと、ずるいんじゃないか柊一路。

「さあ、聞かせて頂戴、柊センパイ」

――終わりにしましょうよ。

見えなくても、あの悪魔がふわりと笑ったのだろう事がわかった。
あくまでも、軽やかで楽しげ。彼女にっては、非情な決断を迫る今このときが最良の瞬間に違いない。

「くそ、結局、こうなるのかヨ」

柊一路が、苦々しく吐き捨てる。私を抱きこむ腕に、更に力が篭った。
つむじのあたりに重いため息が落とされ、しばらくの静寂。

柊一路から聞こえる心臓の、鼓動。
いつもより幾分早く打たれているそれは、とくとくと確かに命を刻んでいる。

生きてる。たしかにここに、いる。また、会えた。――私に会いたいと、望んでくれた。

「――桜侑那と交わした契約を……破棄」
「言っちゃ駄目ですよ」

おお、思ったよりもまともに声、でたなぁ。

もそっと身じろぐと、はっとしように腕の力が緩んだ。両腕を抜き出して、今更ながら、柊一路の唇に手のひらを押しつける。

「その先は、言っちゃ駄目、です」

見上げる先で、綺麗な黒と茶の瞳が瞠られていた。

……驚いておる。めっずらしー、と、ついつい、ふふっと笑ってしまった。

「……侑那?」

手のひらで柊一路の唇が動いて、ぞわっとする。
不快なわけじゃないけど、ちょっと止めてほしい。

「いま喋られると、くすぐったいんですが」

抗議してみたら、無言で手首をつかまれた。口元から手のひらが引き離される。
私の手首を握ったまま、じっと見極めるように柊一路が見下ろしてくる。黒と茶色の瞳で。

――大丈夫。今度はちゃんと、守るよ。

「――ねえ、状況を忘れていない?」

呆れを含んだ背後からの問いかけに、ため息が漏れた。

そっちこそ状況を読んだら? との反論はぐっとこらえる。こちらの情報を微塵も与えるつもりはない。

そのかわり、じっくりゆっくり時間をかけて、首をめぐらせた。
腕を組んで不機嫌にたたずむ華奢な姿が見えたところで、意識して満面の笑みを浮かべる。

だいぶ人としての仮面がはがれてはいても、まだ綺麗なアーモンド形の瞳に一瞬楽しげな光が瞬いた。

ふん、気に入らない。こいつもやっぱり知っている側か。

「忍耐は美徳よ? この機会に学んでみたら?」
「ふざけてるの? それより私と柊センパイの仲を邪魔しないでくれるかしら」
「邪魔? わたしが? ぜんぜん覚えがないんだけど?」

大げさに驚いて見せた後、私の手首をつかんだまま黙り込んでいる柊一路を再び見上げる。

「先輩は、どうしたいですか?」

なかば答えを予想しながら問いかける。

「……争いたいわけじゃナイ」
「あれがこちらに関わってこなければ、もういいってことで合ってます?」
「ああ」

うん、そうだろうと思ってた。
誰かを――たとえそれが悪魔でも、傷つけろ、手を下せとは、やっぱり言わないんだね。

「うん、わかりました」

頷いて腕に少し力を込めると、私の意図を汲んでくれたのか抵抗なく手首が解放される。
周りに描いていた魔法陣の一部を擦り消すと、魔力が戻ってくるのを感じた。

柊一路の肩を支えに借り立ち上がる。
背筋を伸ばせば、散々こちらをいたぶってくれた存在は、もう手の届く距離だ。

「ということなんで、さっさと術を解いて、もう関わらないでくれる?」
「それ、私がはいそうですかって言うと思ってるの?」

呆れるわ、と本当に呆れたらしい悪魔が肩をすくめる。

うーん、できれば交渉でどうにかしたいんだけどなぁ。やっぱり無理かぁ。
じゃあ、しかたない。次の手を打ってみるか。

「先輩、突然で申し訳ないんですが、触ってもいいですか?」

くりっと振り向きざま、ぺたりと膝をついて。真正面から柊一路を見つめる。
敵に背を向けることになるけど、まあ、このタイミングで攻撃してくるなら、もっと前にちょっかいかけてきただろうし、大丈夫でしょう。

「はあ?」

……おお……またまためっさ驚いておる。
まあ、そうだよね、散々私に触るな言ってきたし、こっちから触ることも避けてたもんなぁ。

「駄目ですか?」

うーん、ここで拒否られるとちょっとつらい。
ちょこっと触らせてくれるだけでいいんだけどなぁ。あ、でもナンで? とか聞かれたらどうしよう。
いままでの柊一路なら訊いてくる可能性大だよねぇ。ううーん、確証があるわけじゃないからなぁ。

悶々と悩んでいると、ふっと息を吐く気配がした。

「……お好きにドウゾ」

ぼそりと呟いた柊一路は、それ以上何も言うことはなく、じっと私を見ている。
ううん? 私の変化を計りかねて様子見っぽい? まあ、なんにせよラッキー!

「では失礼します」

一応、ひとこと断りを入れてからそっと頬に触れる。
無駄な厚みの無い、精悍と言えるだろう頬。指先に感じる皮膚は滑らかだけど、昔はもっとやわらかくて天使のようだったのに……。

まさかの、姫が王子にジョブチェンジ。

そりゃあ、どっちでも良いって言ったのは私だけども!
ここまで面影がないと、たとえ記憶があったとしてもわからなかった気がするよハハハハ。

「……いっ」

びりっと感電したような痺れが、柊一路に触れている右手から全身に巡った。弾かれるように手を離す。

やっぱり、か。

一度、柊一路の家で、気が付いたらなぜかお風呂場にいたことがあった。
どうしたことが頭から冷水をかけられて。

あの時、おそらく色々限界だった私の意識が吹っ飛んで。
これもおそらくだけど、柊一路に抱えられてお風呂場に連れて行かれ、荒療治で水をぶっ掛けられたんじゃないかと思う。

で、ここから重要。結構ギリギリまで消耗していたはずの力がどうしてか回復していた。これ、実はずっと不思議だったんだけど。

――仮説として。意識の無いときに柊一路に触れたからじゃないだろうか、と。

方向性を間違わなければ、柊一路に――主(あるじ)に触れるということは、力の回復、もしくは増大につながる。
そうでなきゃ主に触れて力が暴走なんて、どう考えてもおかしい。幾らなんでもメリットがなさ過ぎる。

認めるのは癪だけれど。
情けないことに、私は急激に増す力に振り回され、制御を失っていたのだ。

「なるほど、主持ちの利点、か」

ぼそっと呟いて、もう一度柊一路に触れる。今度は割りと大胆にがばっと抱きついてみた。
触れる面積が増えたらもっと効果もあがるんじゃないかなっていう、純粋な好奇心だったんだけども。

柊一路が、息を呑んだのがわかった。

「あ」

しまった。いまこの人にかかっている術は――。

「あのっ、ま……っ、」

制止はもちろん遅かった。抱きついていたはずの私がなぜか抱きしめられていて、瞬く間に唇をふさがれた。

いやああああ、ちょっと待ってってば! 私が悪かった、悪かったけどさ! いまはこんなことしている場合じゃあない!

「せ、ん……ぱ、おち……つい」

ばんばんと背中をはたくものの、さっぱり効果がない。うん、わかってた。私が物理的な力で柊一路をどうにかできたためしがない。
しかもうっかり口を開いた途端、ぬるりと舌が入り込んできて、冷静な思考なんてものは消し飛んだ。

「ふ……ん、んぅ」
「侑那」

唇が僅かに離れた合間、かすれた声で名前を呼ばれる。
お姫様のソプラノじゃない。色香を含んだそれは、もう男の人でしかありえない。なのに、懐かしい。

いつの間にか、黒シャツをぎゅっとつかんでいた。触れ合った肌から、染み渡るように力が満ちてくる。
もう花冠が似合うお姫様じゃないって、わかってる。でも、やっぱり私に守らせて欲しい、いまこのときは。

「……せん、ぱ……もう、はな……し」

握っていたシャツを離して、固い胸を押し返す。ぴくっと柊一路の肩が少しだけゆれて、ゆるりと唇が離れた。
熱をはらんだ目には、ちらちらと理性が見え隠れする。でも、やや乱れた息がなんだか危うい。

ちょっ……無駄に色っぽいな柊一路! ああ、もう。さっさとまるっと片をつけたい! そしてこの空気から抜け出したい!

「あの……もう充分、なので」

なんだか直視できなくて、俯きながら更に腕に力を込める。
さっきは簡単に離してくれたはずの手が、今度は容易く外れない。

さらりとした髪が、頬を掠める。右肩に重みがかかって、再び抱き込まれた。

「あんたに守って欲しいなんて思ってない」
「わかってますってば」

わかってますけど、ここはちょっと妥協して下さい。

「わかってないダロ」

ぐっと更に抱き込まれ、柊一路の熱と匂いに包まれる。
頭が、くらくらする。頬が熱くて、心臓がおかしいくらい早い鼓動を刻む。

ああまずい、こんなの私が柊一路を意識してるっていってるみたいじゃなのさ。

「ひ、非常事態ですよ、今は」
「知ってる。だから、いま言う。俺は――桜侑那が欲しい」
「ええ……っ」

ぼっと体全部から火を噴くかと思った。欲しい? どどどどういう意味で?
いやまてまて、捨て身で迫って拒絶されたのはついさっきだ。

だからつまり……つまり、どういうこと? ええええー? だって、そういう意味で欲しいわけじゃあ、多分ないよね? そうすると魔女としての私が欲しい? うーん、それも違う気がするんだよなぁ。

「あんたが魔女なら、それもひっくるめて全部受け入れる。でも、俺が欲しいのは魔女じゃない」

あ、やっぱり違うんだ。そうなると――はっ、もしかして! 

「わかりました、友達ですね? つまり私は友達枠――」

閃いた考えをそのまま口にしたら、肩をつかまれ、抱き込まれていた熱から引き剥がされた。

あれぇ? なんだか眉間に皺が……? え、私なんかした? もしかして言い方がまずかった?

妙な緊張感から解放され、ほっとしたのも束の間、どうしたことが柊一路が恐ろしく不機嫌になっている。

「柊先輩?」
「……ホント、相変わらず絶望的なまでに鈍い」

ぼそっと呟き、元お姫様は、諦めたようにため息をついた。

「諦めるつもりないカラ」

不遜に言い切られ、ぽかんとする。
諦めるつもりはないってなにを? 主語がないからさっぱりなんですが。

困惑したまま目を瞠っていると、眉を顰めた柊一路にゆっくりと引き寄せられて。
後頭部と背中にまわされた手が、宥めるように触れてくる。

「いまが駄目でも何度だって見つける。だから、無理しなくていい。もう覚悟はできてるヨ」

耳元で小さく呟かれた言葉に、どくっと心臓が跳ねる。
まて、なんの覚悟だ柊一路。無理しなくていいって……いまさらそれはないだろう。

また理不尽に引き離されるなんて――私が、嫌だ。

「柊先輩、私を見くびりすぎです。もう少し信用してください、あなたの魔女を」

むっとしながらの一言は、深く考えるまでもなく、するっと滑り出ていた。

結果、熱をはらんだ目に、至近距離で凝視される羽目に陥った。頬を両手でしっかり挟まれているから俯くこともできません。

はっはっは、あなたの魔女とか言っちゃったのがまずかったのかなぁ。
ええっと、勘弁してください。よくわからないけど私が悪かったです。もう離してええええ!

居たたまれず目を伏せようとしたところで、ぞくっと背筋が震えた。背後から立ち上る力の気配。

「……っ、伏せて!」

ぐいっと柊一路の肩を押して全体重をかけ、倒れこむ。流れた髪の横をちりっと火球が掠めた。

――いよいよ痺れを切らした、か。まあ、そうだよね。私ならもっと早くに問答無用で襲い掛かってるわ。

「わかってるだろうけど、いまのは牽制。そろそろケリをつけましょうよ」

腰に手を当て傲然と見下しながら、静かに悪魔が告げる。けど、そこに余裕は感じられない。

「そうね、ケリをつけましょうか。今度こそ」

ゆるりと立ち上がり、真正面から視線が交わる。
ふわりと浮かんだ彼女の笑みは、可憐な容姿にそぐわない凶悪さだった。

「そうそう、二度も同じ手を食らうと思わないでね? 今度は簡単に送り返されてはあげない」

たしかに。警戒されている分、前回と同じように無理やり送り返すことは難しいだろう。
でも、だからこそ使える手が、ある。

「さあ、どうかしらね。……柊先輩、絶対そこから動かないでください」

後ろは見ない。右腕だけを真横に伸ばし、弧を描いて振り下ろす。
光の筋が流れ、背後に見えない壁を作り出す。気休め程度だけど、さっきの火球くらいなら防げるはず。

ケリを、つける。その言葉を噛み締め、呼吸を整える。

――おばあちゃんなら、こんなとき、どうしただろう。

なんとなく、だけど。やっぱり私と同じ手段を選ぶんじゃないかな。

なんだかおかしくなって、ふっと笑ったら、悪魔に怪訝な顔をされた。
フフフ、まだまだ序の口。これからあなたの度肝を抜いてやろう。

おそらく悪魔以上に立ちの悪い笑みを浮かべたであろう私は、ゆっくりと右腕をあげて手の甲を差し出した。

「送り返しはしない、だから大人しく私に従いなさい。あなたの名を、頂戴」



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