五章 真昼の襲撃(4)



交わった刃。鈍く重い振動が空気を震わせる。

男の剣技は、巧みだった。
力任せに打ち付けたかと思うと、不意をついて力を抜く。
緩急のある動きに、実戦経験の殆ど無い可流紗は翻弄された。

知識としては知っている。何度も剣を手に持ち鍛錬もした。
しかし、それはあくまでも訓練の域を出るものではない。
その事実を嫌というほど突きつけられる。

けれど、今、引くわけにはいかないというのもまた確かな事実だ。

男が、深く切り込んでくる。

剣を身体の前面に構え受け止めたが、可流紗の軽い身体は簡単に押され後退を余儀なくされた。

腕が痺れている。極限まで研ぎ澄まされた神経に、頭の芯が鈍く痛む。

「どうした、大口を叩いた割りには、楽しませてくれないじゃないか。」

可流紗を見下すかのように、男は口角を上げて余裕の笑みを模っていた。

軽口を叩くだけはあり、確かに男は強い。剣に関して恐らくかなりの使い手といえる。
この状況での経験不足は致命的だと可流紗自身が痛いほど感じているのだ。
幾ら気丈に隠しているとは言っても、僅かながらに見抜かれている部分もあるだろう。
馬上にいた時は、あの栗毛の馬にかなり助けれていたのだと今更ながらに思い知る。

改めて見せつけられる己の未熟さ。

だが、可流紗は目深に被った頭巾の下で挑戦的に笑っていた。

それがどうした、と思う。
実戦経験は確かに少ない。けれど皆無ではないではないか、と。

何より数少ない対戦相手の中には、眼前の男を遥かに凌駕する力の持ち主がいる。まだ幼かった為、勝利を得たことは一度もなかった。けれど身の内には確かにその血が流れているのだ。

必ず勝機はある。

今、対峙している男は、可流紗の実力を見くびりだしている。相手の油断を誘い、一気に勝負を決するつもりだ。

硬質な音を立て剣が交わる。
一瞬のうちに間合いをとり、対峙した相手を見据えながら可流紗が剣を構えなおす。

白刃は陽光を反射し、神々しいまでに輝いていた。
よく鍛えられた鋼だった。恐らく腕のよい鍛冶師の手からなったのであろう刀身は幅の広い両刃、先端は鋭角に尖っている。柄に施された獅子を模った彫りは鍔にまで及び、さらには銀に輝く刃にまで見ることができた。
咄嗟に借り受けた得物ではあったが、かなりの逸品といえた。

「どうした、怖気づきでもしたか――お嬢ちゃん。」

揶揄する言葉の中に、探るような響き。
目深に被った頭巾の下で可流紗が眉を顰める。

――こいつ、ほぼ感づいている。

黒衣の裾を裁き、間合いを素早く詰めると腰を落とし男の懐に飛び込んだ。
うほ、と男が場に似つかわしくない素っ頓狂な声を上げ、後退しようとする。
しかし可流紗はそれを許さなかった。

仕留めなければ、可流紗がこの地に居る事は早晩この男から漏れるだろう。
切っ先を男の脇腹に向けて突き出す。紙一重でかわされ、可流紗は軽く舌打ちをして刃を上に返した。が、鍔が鳴り、今度こそ男の剣に刃を止められた。

「あぶねぇな。じゃじゃ馬はきらいじゃねぇが度が過ぎるとかわいくねぇぞ?」

男の軽口に無言でふっと短く息を吐き、可流紗は鍔を競り合わせた。
力負けするとわかってはいたが、退いてしまえば、もう一度懐に飛び込めるか確証がなかった。

奥歯を噛みしめる。柄を握った両腕が震えている。
持久戦になれば可流紗にとって間違いなく不利だった。

山並みから吹きおりてくる風が、可流紗の纏った外套の裾をばたばたと煽っては駆け抜けるように過ぎていく。
にらみ合いを続ける二人の間に奇妙な沈黙が落ちる。あれほど口数の多かった男も何故か一言足りと喋らない。

危険な気配を秘めた静寂を破ったのは、甲高い悲鳴だった。

可流紗の左前方を必死の体で駆けて行く悲鳴の主は、妙齢の女性にみえた。
両手に何かを抱え、暴漢から逃げ惑っている。

集落からはつんときな臭い匂いが流れてくる。火を放たれたか、偶然の出火か。判別はつかなかったが、邑人の大部分は既に避難しているはずだ。

それが何故まだこんな所に。

ぎりっと唇を噛みしめ可流紗は迷った。
助けにいけるほどの余裕はない。余裕はない、というのに。
懸命に走る女性が後生大事に抱えているものが何であるのか気付いてしまった。

産着だ。

ならば産着からちらと覗いた肌色は乳飲み子に他ならないのだろう。
逡巡は僅か。金属の擦りあう不快な音を残し、可流紗は男と間合いをとった。
膝を付き、乾いた土と草の間に転がる手の中に納まるほどの石を掴む。
可流紗が放った礫は、女性を追う無頼の額を間違いなく打った。額を押さえて男が蹲っている。

――当たったか。

ほっと胸を撫で下ろした少女が対峙した相手から意識を逸らせたのは一瞬。

けれど致命的だったのだと、右肩に焼け付くような熱を覚え可流紗は悟った。
つづいて襲ってきたものは激痛。剣を取り落とさなかったのは奇跡とすら言えた。

男が懐に隠し持っていたらしい短剣は、可流紗の薄い肩を違わず射ていた。

「なるべくなら傷はつけたかぁなかったんだがな。大人しくしてもらおうか、月姫殿。」
「――なん、のことだ。」
「まだしら切るってのか。まあいい、剥いてみりゃわかるこった。」

獣の皮をなめした厚手の革に包まれた足が、乾いた土を踏んで近づいてくる。肩口を押さえた可流紗の左手は鮮明な赤に染まっていた。

柄を握った指先が痺れ、冷たくなっていく。

つくづく自分の甘さを呪った。見捨ててしまえばよいものを何故助けたのか、と。自分を攫った男の部族など、どうなろうといいではないか、と。

けれど、どれ程自らを責めようと、決してもう一つの選択肢を自分が選べないであろうことも可流紗はわかっていた。

――なるほど、確かに窮地に陥る事は少なくなるのかもしれない。でも、顔向けできなくなるわ。

思い出すのは双眸に宿ったエメラルドの輝き。
柄を握る手に力が篭る。己の甘さ故の付けなら、甘んじて受けるほかない。

「……と、まだ動くかい、気がつえーな。」

口元に苦笑を浮かべた男が足を止める。
全ての力を込めて可流紗は切っ先をあげていた。まだ諦めるわけにはいかなかった。

「まだ、終わってない。」
「いい根性だ。が、無駄だぜ?」

男の声音には、いっそ憐れみすら感じられた。

不意に腕から力が抜けた。がらり、と足元に剣が転がる。目を見開いた可流紗の膝が落ち、地に付く。

「特殊な草の汁が塗ってあってな。じきに動けなくなる。」

男にもう笑みはなかった。一歩一歩を確実に近づいてくる。
可流紗に剣を取り上げる力は残っていない。

――けれど、まだ終わってない。そう、もっとよ、もっと近づいて来い。

男に気付かれないよう、可流紗は己の肩に突き立っている短剣の柄に指先でそっと触れた。目深に被った頭巾の下で唇が笑みを模る。

男の影が可流紗を覆った。逞しい腕が伸びてくる。衣に指先がかかる。
剣を引き抜くため可流紗は奥歯を噛みしめ――。

「なん、だとっ」

剣を引き抜くその前に、何故か男が呻いた。
はっと可流紗が顔を上げる。黒と茶色のまだらな矢羽が真っ先に視界へ飛び込んできた。
矢柄を下に辿る。男の手を貫いた鏃が地へと穿たれている。

「予定より早ぇ。」

舌打ちする男が首を巡らせた。草を蹴散らすように疾走してくる黒馬、その馬上にいるのは――。

「やし、ろ。」

弓をつがえ、手綱を握ることなく馬を操りながらまっすぐ疾駆してくる。
何故と考えるよりも早く、可流紗は引き抜いた剣を男の喉元に突きつけた。

男の喉がごくりと唾を嚥下する。

吐く息は荒く、短剣の先はがくがくと震えている。
それでも可流紗は、身に纏う気迫で男を圧倒した。




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