Epilogue 災難、終わる? |
ざばんっ。 「ぐ、げほっ・・・・ごふっ」 いきなり肺の中に入り込んできた空気。閃が苦しげに、呻いた。 芽衣に体を預けたまま、しばらく咽こむ閃を、芽衣の手が労わるように撫でている。 人魚へと戻った芽衣は、すばらしく見事な泳ぎで。 あっという間に閃を水面へと連れ戻していた。 何がなにやらわからぬままに、閃はなんとか呼吸を整え、ぼやりと芽衣の顔を覗き込む。 だが、ふいっと目を逸らした芽衣は「早く岸に行きましょう」と閃に質問する隙を与えずに、実にスムーズに泳ぎだした。 そのまま閃を、近くにあった人気のない岩場へと導いていく。 ―――人魚、本当だったんだな。 芽衣の華奢な肩につかまりながら、閃は―――ありえない事実がありえたことに、呆然としていた。 「芽衣?どうして、戻れたん、だ?」 どうにかこうにか岩場に登った閃は、海に浸かったままの芽衣を見下ろしながら、ようやく聞くことができた。 芽衣が、岩場に手をかけ自分の体を引き上げる。 銀色の鱗に覆われた、芽衣の下半身。 閃の視線が自然とそちらに向っていく。 芽衣が、小さく笑った。 「人魚に―――人魚に戻れないなんて、嘘、だもの。「月の雫」は、人魚に戻る為には必要ないのよ。閃、に、――あんたに会いたくてっ、あんたの傍に居たくて。私、嘘・・・ついてたの!」 最後の部分を、乱暴に言い捨てる芽衣。 閃は、芽衣の言った台詞が理解できずに「はい?・・・・・え?」と間抜けな返答を返してしまう。 芽衣が、やけになったように「だから!あんたに会いにきたの!捜したんだから!ばかぁ!!」と繰り返した。 寄せてはかえす波音が―――やけに大きく響いて、いた。 閃に背を向けたまま、芽衣は海を見つめて黙り込んでいる。 このまま海に帰るつもりかと、閃は芽衣の様子を窺った。 たとえ芽衣が人魚だろうが、今更、帰すつもりなどは―――全く無いのである。 じっとしたままの芽衣へ閃は慎重に近寄った。 芽衣の背後ぎりぎり。 「芽衣は・・・あの助けた男に会いにきたって、いってなかった?」 閃が芽衣に尋ねる。とりあえず芽衣から話を聞きださなければ、どういうことなのかさっぱりわからない。 芽衣が、海を見ながら。やっぱりやけくそ気味に閃の疑問に答えた。 「あいつを確かに助けたけど。確かにあいつに会いにくるのを皆への口実にしたけど!でも、本当に会いたかったのは、あんたにだったのよ!」 「みんな?」 「人魚仲間よ!姉さまたちや母様やお婆様たち!」 まだ他にも人魚っているんだな、と暢気に考えながら。閃は、一番気になっていたことを、尋ねた。 「・・・・ええっと。まって、芽衣。オレ、どこかで芽衣に会ってる?」 ―――覚えて無いのね。 海に落ちる前に言っていた芽衣の言葉が、多分核心なのだろうと思ったのだ。 「助けてあげたわよ、昔、海で。」 やや躊躇った後。芽衣がポツリと呟いた。 「・・・・え?・・・・」 ―――助けられた? まったく覚えの無い事実。閃には、人魚に助けられた記憶は、無かった。 芽衣が、背後を振り向く。ずいぶん近寄ってきていた閃にやや驚いたようだ。 だが、それには何も言わず。呆然とした閃の様子に、寂しそうに笑った。 「どうせ、覚えてないんでしょ?閃が、七歳のとき、海でおぼれたのを助けたのよ、わたし。」 ―――溺れた、オレ?・・・・ひょっとして、だから泳げないのか? 閃は、小さな頃から何故か水泳だけは、ダメだった。 そのほかのスポーツはそれなりにこなせていただけに、自分でも不思議だったのだが。 ―――なるほど。溺れたから、か? しかし、今は自分の泳げない理由を追求している場合ではないと、閃は芽衣の話に耳を傾ける。 「その時、閃、言ってくれたのよ?」 溺れた記憶が無い以上、そのとき言ったことなど当然覚えているはずも無い閃は、やや首を傾げつつ芽衣の次の言葉を待った。 「私のこと、スキだって。大きくなったら、お嫁さんにきてくれって。――皆、そんなのおぼれたときのうわごとだよっていったけど。でも、私、信じてたの。だから、皆に納得してもらえるように、たまたま助けたあの男の所にいくっていってでてきてーーーでも、本当はあんな男の所に行くつもりなんて、なかった。ただ、たまたま会ったらあの男に彼女がいてーーーーこれが、閃だったらって思ったら、いつのまにか飛び出してて・・・・それで・・・・・。」 出合った時にいっていた事態となったのだろうと、閃が納得した。 同時に、つい先程、触れてしまった逆鱗も、わかった。 ―――初めてじゃないってことはまあ普通、彼女持ちだったってことだし。 芽衣は閃の過去に彼女がいたという事実に癇癪を起こしたのであろう。 どうも、芽衣のいうことを統合すると、あの日、出会ったのも偶然ではないのではないかと思う。 芽衣は、閃に会いに来たというのだから、あそこで閃を待っていたのだろう。 たぶん、あの時閃が止めなければ、芽衣は閃をあきらめて海に帰るつもりだったのではないだろうか。 だが、閃は―――芽衣を、引き止めた。 ―――これも運命か、な? 再び背中を見せて海を眺めている芽衣。閃は、芽衣を抱きしめたくなり。 早速実行に移そうと、芽衣に腕を伸ばした―――が。 「は、くしっ」 流石に、二月の海での寒中水泳は、きつかったらしい。閃のくしゃみに、芽衣が振り向いた。 ―――とりあえず、家に帰ったほうがよさそうだ。 それには、芽衣に人へなってもらわなければならない。 「ごめん。・・・・とりあえず、ええっと。人に戻って?―――家に帰ろう。」 人魚に戻れないのが嘘だというなら、どちらにでも自在になることができるのだろうと、閃が芽衣に提案した。 だが、芽衣はふいっと横を向いてしまうと「もう、戻れないわ」とぶっきらぼうに呟いた。 「え?」 仁が問い返すと、芽衣の口調が荒くなる。 「だから!もう、人には・・・・なれないの。閃とも、これでお別れ!」 言われた内容に、閃が愕然とする。まさか、いきなりこういう展開になるとは思っていなかった。 「お別れ?・・・・人に、なれない?」 「ええ。人から人魚に戻るのは、簡単。でも、人は簡単になれるわけじゃ、ないの。」 確かに言われてみれば。童話では、人魚が人になる為には大きな代償を払っていた。 あまり童話に興味の無い閃は、ようやくそのことに思い至る。 ―――たしか、声を引き換えにしたんだよな? しかし芽衣は、普通にしゃべっている。では、何が必要なのか? 「ええっと。何がが必要ってこと?じゃあ、オレも手伝うから。」 閃が、芽衣に尋ねた。 途端に、芽衣がきつく閃を―――睨みつけた。 「どうしてそんなこと云うのよ!あんたは厄介払いができて清々するでしょ!」 厄介払い―――。確かに出合った当初であれば、そう思ったかもしれない。 だが、今の閃に、芽衣を手放すつもりは、無いのである。 枯れている、そう思われがちな(また事実そうであるのだが)閃にしてはめずらしく、芽衣を傍に留めて置きたいと、思っていた。 「―――――面倒を見るって約束したし。」 そんな、出合ったばかりの頃に交わした約束を持ち出してみる。 「何よ!そんな、約束からの義務感で、そんなこといわないでよ!」 芽衣が、激しく閃を責めた。 ―――どうやら、本心を言わないことには納得してもらえないらしい。 「約束があるからじゃ、なく。傍に、居て欲しいんだけど、な?」 どこかぼやぼやした閃の言葉に、芽衣が目を見張る。 真っ黒な瞳が、閃の本心を探るようにじっと見据えてきていた。 「・・・・・・本当に?」 しばらくの後、弱々しく尋ねてきた芽衣へ、閃がしっかりと頷く。 ここで納得してもらわなければ、芽衣はこのまま海に帰ってしまうのだろうと思うと、閃は気が気では無い。 閃が見守る中。何故か、芽衣の瞳から―――大粒の涙が、零れた。 「芽衣?」 驚いて呼びかける閃に、芽衣が力なくうなだれた。 「・・・・・・でも、ダメなの。」 芽衣が閃を拒絶する。だが、閃の傍にいることが嫌というようには、今の芽衣を見るかぎり、思えない。 ―――ということは、やはり人になる為の方法が問題なのか? そう考えていた閃に、案の上、芽衣が告げてきた。 「だって、真珠の涙は、一つしかなかったんだもの。」 「真珠の、涙?」 聞きなれない言葉に閃が聞き返すと、芽衣が諦めたように溜息をついた。 「そう、人魚が人になるために飲むの。小さな真ん丸い純白の真珠よ。私が持っていたのは二つ。でも、一つは昔なくしちゃった。だから、賭けてたの。最後の真珠の涙を呑んで人になった後、閃に会えるかどうか。閃が話しかけてくれるか、どうか。それで、ダメだったら諦めようって。―――でも、もういいわ。閃に、会えたし。閃と暮らせて、楽しかったわ。」 閃に向けて芽衣が笑いかけながら、別れの言葉を言う。 だが、閃は前半の言葉に聞き入っていて。後半のその部分は、ほぼ聞いていなかった。 芽衣の説明した形状のものを、閃はごく最近――――見ている。 しかも、今現在、身に帯びていたり、する。 「小さな真ん丸い純白の・・・・・真珠?」 確認する閃に、芽衣が「そうよ。」とさばさばと答えた。 閃の手が、自分のジーンズのポケット突っ込まれる。 「持ってる。」 「は?」 探り当てた感触。閃は掴んだそれをポケットから引っ張り出した。 「だから、オレが持ってる。この中に。」 そういいながら、芽衣の目の前に突き出した閃の手には――――芽衣に水難避けと言われた、お守り袋がぶら下っていた。 「ど、ど・・・・どどうして!?」 ぷらぷらと芽衣の目の前でゆれるお守り袋に穴が開くんじゃないかというほど凝視して。 ただでさえ大きな芽衣の黒々とした瞳が、まんまるになるほど見開かれる。 「なんでかは判らないけど。入ってた。その特徴に一致する玉が。見つけたときに、中身、みたんだ。―――もしかして、さっき言ってたもう一つって、昔オレを助けたときに、なくしたんじゃない?」 とっさに思いついた考えられそうな理由を挙げる閃に、芽衣が声を上げた。 「え、あ!そう、かも!・・・・・じゃあ、閃を助けたとときに、閃の服に引っかかっちゃたの?」 「それは、まあ。そういう可能性も、あるかな?」 確定はしないが、十二分にありえそうなことだと閃は思っていた。 溺れて助かった時に持っていたものを、縁起を担いでお守り袋の中に入れておいてもおかしくはない。 とにもかくにも――――閃は、その思わぬ偶然に、とても感謝したい気持ちだった。 これで、芽衣を手放さずに済むのである。 「問題、解決だ。」 「解決、ね。」 閃の言葉に、芽衣がやや呆然と――――頷いた。 「で?ええっと、これ、どうすれば?」 ぷらぷらとゆれているお守り袋を見つめながら、呆けている芽衣に、閃が尋ねる。 芽衣は、さすがに寒さには強いのか平気な顔をしているが、閃の方はひとまず家に帰らないことには凍えそうな勢いだ。 はっとしたように、芽衣は閃を見る。 「・・・・・飲ませて。」とそっと、呟いた。 ―――飲めば、いいんだ? なるほど。これさえあれば後は何もいらないのかと、妙なところに感心しつつ。 閃がお守り袋から真珠の涙を取り出し、芽衣に差し出した。 だが、芽衣はそれを受け取ろうとはしなかった。 それどころか、首を傾げる閃に向けて、再び「飲ませて!」と語気を強めて言い放つ。 「あ、はいはい。」 どうやら、閃の手で飲ませろと言われているらしいことに気づき、閃は真珠を掴んだ手を芽衣の口元に近づけた。 しかし、芽衣は激しく首をふる。 「そうじゃ、なくて!もう、鈍い!口移しで、の・ま・せ・て!」 「!?」 一字一句区切りながらきっぱりと言い切る芽衣。 閃がやや怯んでいるところに「早く!!」とさらに追い討ちをかけてくる。 ―――あんまり濃厚なやつだと・・・・また、逆鱗にふれるか、な? 先程の失敗を思い出し、閃は苦笑しながら、芽衣の要求に従うべく、真珠を口に含んだ。 芽衣が閃を見上げている。ゆっくりと芽衣の上に覆いかぶさりながら、閃はそっと―――口付けた。 柔らかな、芽衣の感触を楽しみつつ、閃は口の中にある丸い球を、舌で芽衣口の中へ差し入れる。 しばらく芽衣の唇を味わった後、名残惜しげに閃が離れると、芽衣の白い喉が動き、こくりと真珠が飲み込まれた。 やわらかな光が、芽衣をつつみ込む。 銀色の鱗が、消えていく。すんなりとした、二本の足が、姿を現す―――――。 こうして、人魚は――――人に、なった。 「おかえり。」 閃が立ち上がり、笑いながら両腕を広げる。 同じく二本の足でしっかりと立ち上がった芽衣が、嬉しそうにその中に飛び込んだ。 「ただいま。―――――ちゃんと、一生面倒、見てよね?」 見上げてくる芽衣に、閃が苦笑しながら、頷く。 「――――――努力します。」 腕の中の人魚を思わず可愛いと思ってしまっていた時点で、閃の人生は決まっていた。 まあ、配膳係という地位から旦那候補になっている今、閃の受難は終わった――――といえる、かもしれない。 こうして、ますます深みに嵌っていく大学生、閃。 果たして彼の人生が、幸多いものになるのかどうかは――――これからの彼の努力しだいであろうことはもはや確定的であった。 |
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