ACT.06 事態はトントン拍子 |
――おかしい、なんだかすごくおかしい。 当面の新居となるマンションのドアを見つめてたたずむささめは、新生活を向かえるという期待感を微塵も自分の中に見出せず、実に暗鬱たる面持ちだった。 雲ひとつない空は完璧なまでに青い。 けれど、一抱えほどもある皮製の頑丈なトランクを提げたささめは、対照的と言っていいくらいの疚しさをしっかり心中に抱え込んでいる。 あれよあれよという間に、引越しは済んでいた。 ルームシェアするからと母親に告げた後は、なぜか恐ろしいほどとんとん拍子に話が進んでしまったのだ。 一応自分の性別が女であるだけに、いくらなんでも妙齢の男性とシェアすることになればそれなりにひと悶着あるだろうとささめは考えていたのだが、そこはそれ、常盤の手練手管が遺憾なく発揮されたわけである。 早い話が、ささめの同居人として両親に紹介されたのは常盤ではなかった。 某有名大学の学生証を有した実にお嬢様然とした年のころは二十一、二の娘さんだったのだ。 こんな清純そうな娘さんを一体全体どこで引っ掛けてきたんだろうと訝しがりながら、ささめが流れる冷や汗と格闘しつつ人生で初めてかもしれない壮大な虚言をよりにもよって両親へとつかざるを得なかったのは、まだ記憶にも生々しい二週間前のことだ。 慎ましやかに堅実に生きてきたささめにとって、些細な嘘をつくのも一大事。今回のそれはまさに悪魔の所業にも等しかった。 だというのに、それを淡々と飄々と清々と常盤はささめに要求してきたのである。常盤に対する今現在のささめの信頼度は、このことからも押して知るべしだ。 そして昨日、鷹野家に越して日の浅かったささめの荷物は、あっという間に再びの梱包を終え、プロフェッショナルな引越し業者の手で整然とトラックに積み込まれて、ここに運び込まれた。 常盤がどこぞからつれてきたお嬢さんとささめの両親も交え、すでに大方の荷物は片付け済みだ。 一応最後に家族団らんと昨日の夜は鷹野家で過ごし、ささめは今日、身の回り品だけを携えこうしてやってきたわけだ。 苦悩しながらささめがドアの前でたたずむこと数十秒。 鍵は持っているのだが、常盤が先に来ている事は連絡用にと半ば強引に常盤自身から渡された携帯に留守電が入っていたので、ささめはオートロックシステムを採用しているロビーから部屋へと連絡を入れていた。 現に眼前のドアの内側からは、がちゃがちゃと音がしている。 「新居にようこそ。会うのは久しぶりだな、ささめ。」 ドアを開け、顔をのぞかせたのは薄での黒いセーターにジーンズ姿の常盤だった。 格好の所為か幾分若く見えるものの、やっぱり常盤さん、どうみても常盤さんだと、ささめがあからさまに落胆する。 ロビーから入れた連絡に答えてくれたのは、間違いなく常盤の声だったのだから当然と言えば当然だ。 常盤以外の人間だったらそれはそれで問題なのだが、ささめとしては昨日一緒に引越しをした、清涼感あふれるお嬢さんをぜひともルームメイトにと希望したくてたまらなかった。今やささめの中に根付いた罪悪感はちりちりどころか轟々を燃え盛っている。 「……こんにちは、よろしくお願いします。」 「ずいぶんとしおれてるな。オレと暮らすのはそんなに不満か?」 しおしおと俯いていたささめは、はっとしてぐわっと常盤を振り仰いだ。幾らなんでも自分の態度は失礼だったかと、ものすごい勢いで心中猛省する。 「あの! すみません、違うんです。とんでもない嘘をついた自分にちょっと自己嫌悪で! おまけにすごくすごく道を踏み外している気がひしひしどころでなくどどどんとして きて、ものすごく、ものすごーく、自分に嫌気が差している真っ最中なだけなんですっ……ええと……すみません。」 自分でも何を言いたいのか収集が付かない。 しかも言い終わってから、この状況を招いた大半の原因は常盤にあると気が付いた。 そういえばそもそもの原因って常盤さんじゃなかったっけ。 うっかり常盤さんの後について行っちゃった私も私だけど、写真なんて撮られなければこうして同居なんてありえなかったわけだし。 ということは思いっきり落ち込んでても許されるんじゃないだろうか、と家賃に目が眩みそうだったという事実からは若干目を逸らし、ささめは再びどんよりと澱んだ空気をまとわりつかせた。 常盤は扉にひじを突きこめかみに手をあてながらあきれたようにささめを見下ろしている。 「まああれだ。落ち込むのは勝手だがここまできといて引き返す、なんてのはなしだからな。おとなしく腹くくんな。」 にっこりと笑顔で常盤に言われる。 つまるところ、これもそれも自分で選択した結果なのだ。 一度は毒をくらわば皿までって決めたじゃない。 そう思えば、ささめは眉を八の字にして神妙にうなずくしかなかった。 *** 「……あ。」 「こんにちはー、ささめちゃん。昨日はお疲れ様でした。」 零れ落ちんばかりに目を見開いたささめに、リビングの中にいた女性は笑顔でさらりと会釈した。 金色一歩手前の髪色、濃い目に引かれたアイシャドウにオレンジ色のリップ。サーモンピンクのぴったりと身体に張り付くトップス、足の付け根ぎりぎりの革と思しき黒のショートパンツ。かなり扇情的な服装。けれどささめが驚いたのはそのことではなく、彼女に対して確かな既視感を覚えた為だった。 「あの――違っていたら大変申し訳ないのですが、美そのさん、ですよ、ね?」 恐る恐ると言った体でささめは件の女性に尋ねた。 昨日会ったときと若干どころでなく雰囲気が違っているが、全体的な造作は間違いなくささめが両親に紹介した(というと語弊がありそうだが)女性、そして昨日は一緒にこの部屋の片付けをした女性にみえる。 「あ、それ、妹の名前。あたしは美のりっていうの。」 女性は美のりと名乗り、あっけらかんとした調子で答えた。 ああなるほどじゃあ前回会ったのは妹さんのほうか、と考えたところで、はたと思い当たった。 あれでもさっきこの方、昨日はお疲れ様って? 「ええとですね、以前お会いしました、か?」 「やーね、昨日会ったじゃない。ちょーっと雰囲気変わってるけどねー。」 「……ということは昨日いらしていたのはやっぱり美のりさん? あれ? でも学生証、名前は美そのさんでしたけど、写真は美のりさんででしたよね? あ、 もし かして双子さん?」 「あ、違う違う。あれはね、ちょーっとばかり写真に細工を、ね?」 語尾に星が付きそうな勢いと笑みではあるが、言われている内容は到底かわいらしいとは言いがたい。 つまるところ幾ら元が身内のものとはいえ、学生証を偽造したのだ。 混乱する頭でそこにたどり着き、ささめの眉間に皺が寄った。 「それは……ありですか?」 「ありあり。だってばれなかったじゃない。」 そういう問題ではない。ささめは愕然かつ呆然と美のりを凝視した。 「……だぁって、ナリくんがどうしてもって言うんだもん。」 ばつが悪くなったのか、両手を組み合わせた美のりが身体を揺らす。 なまじ可愛らしいものだから、美のりが吐露した内容を考慮しなければうっかり同意してしまいたくなる仕草だ。 が、あいにくとささめがよろめく事はなかった。それどころかナリくんとは一体誰? という方向に関心が向いていて、ほぼ目に入ってすらいないありさまだった。 暫らくの熟考。 「ナリくんって――常盤さんですよね?」 導き出した結論でおもむろに尋ねた後、美のりが頷くのを確認して、ささめは三つ編みをぶおんと振り回し、背後にいるはずの常盤を振り返っ た。 「常盤さん! 何をなさってるんですかあなたって人は!」 一般の方に虚偽のプロフィールを騙らせるなんて、と、壁にもたれかかり欠伸をかみ殺していた常盤を震える拳で詰問する。常盤は、ああ?と身を起こし、ささめの傍にやってくると、居丈高にささめを見下ろした。 「あんたなー、正攻法でいってどうするよ。オレがのこのこあんたの両親のところに顔を出して娘と同居しますなんていったとして。親が許すと思う?」 「思いません!」 こぶしを握ったまま、かっと目を開き力の限りささめが叫ぶ。 「じゃあ何も問題ない。」 「問題ない、わけないじゃないですか。大有りです。何か納得できません、激しく納得できません!」 「まあ、落ち着けよ。結局まるく収まったんだからいいだろ。終わりよければ全てよしってあれだ。」 最早あいた口がふさがらない。 ささめには、今や自分が間違いなく道を踏み外しかけている事が明らかだった。 「――わかりました。」 肩を震わせ低く低く声を絞り出す。 「そいつは良かった。」 口元だけで胡散臭く笑う常盤を、ささめがぎろりと見据える。 もちろんささめは常盤の言葉に納得したわけではちっともなかった。 何のことはない、常盤と話しているときにどことなく感じられる違和感、おかしいおかしいと思っていたその正体がわかったのだ。 それはささめが今まで過ごしてきた範疇での常識が、常盤には通用しないという、なんともこれからの生活が不安になること間違い無しの困った答えだった。 「常盤さん、私にもひとつだけ、ルームシェアを行う上での条件をつけさせてください。」 「一応言ってみな。」 片眉を上げた常盤が面白そうに口の端を持ち上げる。 「少なくとも私がルームメイトでいる間、警察のご厄介になるような真似はやめてください。」 「そんな下手は打たない。」 ひょいと肩をすくめ即答した常盤に、ささめが言葉をなくす。その妙な自信は一体どこからくるのかと、いや、そもそも常盤の言いっぷりからして、普段からあながち犯罪と無縁ではないと言われているような気がしてならなかった。 か、帰りたい帰りたい帰りたい……けどっ。 帰れば帰ったで待っているのはあの義兄だ。 前後の門に虎と狼。まさに進退窮まったささめの取れる脇道などそうそう都合よく現れるものでもなかった。 俯いていたささめはどんよりと頭上に暗雲を立ち込めがら、革のトランクを板張りの床にトンと置く。 ため息を深くつき、おもむろにがばっと顔を上げると、薄手のカーディガンを脱いで腕まくりをした。 おとなしく腹を据えることにしたのである。 この辺の思い切りはばっちり――なのだが、いかんせん、ささめの場合は、この手の思い切りを後々必ず後悔することになるというのが常だった。 「とりあえず生活できるスペースにします。あ、それで、昨日運び込んだ常盤さんの荷物は……。」 「あれがオレのモンだったら驚きだろ?」 「――あ、やっぱり違ったんですか。」 昨日から若干不審に思っていたのだが、美のりが運び込んだ荷物はどう考えても常盤に似つかわしいものではなかった。 見た目で判断するのは駄目だとわかってはいても、ピンクのフリルが付いたベッドカバー、白いロココ調の箪笥、ふんだんにレースの使われた薄ピンクのカーテン、それらが二部屋あるうちの一つに運び込まれた時、ささめはまさか、と軽く冷や汗をかいたのだ。 ほっとしつつ見回せば、リビングには少なからず梱包されたままの荷物が置かれている。どうやらこれが常盤の荷物ということらしい。 「これ、どうすればいいですか?」 「とりあえず部屋に運ぶかな。美のりが持ってきた荷物はさっき運び出したとこ。」 「ではお手伝いしますので、さくさく片付けましょう。」 「あ、じゃあ、これでささめちゃんにバトンタッチね。」 ささめの手を取ってぽんと掌を合わせた美のりが、一応据えられているソファの上に投げ出されていたピンクのハンドバッグと上着を持ち上げた。 「美のりさん、お帰りになるんですか?」 なんだか置いていかれる気分だ。ささめが名残惜しく美のりに尋ねる。 「うん、帰るよー。今日は同伴のお客さんがいるから早めにでないといけないし。」 「同伴?」 にっこりと笑顔で頷いた美のりの答えの中に、ささめの耳には慣れない言葉。 不思議に思い訊いてみると、美のりは何処と無く困ったような、不可思議な表情をした。 「うん、とねぇ? お客さんと一緒にお店に行くこと、かな。」 「お仕事ですか?」 「あ、うんそう、お仕事。じゃあナリくん、下まで送って。」 「はいはい、下までな。」 くしゃりと前髪をかきあげた常盤がさっさと歩き出す。 いまひとつ釈然としないささめだったが、ありがとうございましたと美のりにぺこりと頭を下げた。内容はともかく色々と骨を折ってもらった事は確かだ。 美のりが満面の笑みを浮かべる。それじゃあね、ささめちゃんバイバーイと朗らかに手を振り常盤の後に続く美のりを見送り、ささめは気合の一声を自分に掛けて、リビングの中に散らばった荷物へと無心で取り掛かった。 本人は決して認めようとはしないだろうが、実は一種の現実逃避である。 「――ん?」 早速手近なダンボールを取り上げようとしていたささめの視界で、何かがきらりと光った。 持ち上げかけていた荷物を再び床に置く。かがみこんでつかんでみると、小さな金色のピアスだとわかった。 じっと目を凝らす。確かに見覚えがあった。 あ、これ美のりさんのだ。 昨日、確かに身につけていたと記憶をたどる。 まだ間に合うかもしれないと、ささめは慌てて部屋を飛び出した。 エレベータの前、閉じかかる扉。美のりの背中が見える。 乗っているのはどうやら美のりと常盤の二人だけのようだ。 今声を掛ければ多分間に合う。 けれど、ささめは、あ、と小さく言ったきり足を止めてしまった。 美のりの腰に、常盤の手が回されている。 おまけに美のりの背にあわせるように常盤がかがんでいて。 いくら鈍いささめといえど、何が行われているか察せざるを得なかった。 常盤さんってばこんな公共の場所で何しているんですか、ああ幾らわたしでもこの状況で声を掛けるようなまねは……っ。 ――なんだって、なんだってこんなところでちゅーしてるんですか! 足は一歩も動かない。そして扉が閉まる瞬間、常盤があげた目線は固まるささめを間違いなく射抜いた。 はっとしたものの、とても目をそらす猶予はなかった。ばっちりみていたことを知られてしまい、ささめは更に凍りつく。 私、出歯亀じゃありませんよ? わざとのぞいたわけじゃないんです。だからそんなににらまなくても……。 エレベータの扉の上に付いた階数表示が順調に階下へと下っていく中、ピアスを握りこんだこぶしを胸の上にあて、ささめは実に情けない顔をしていた。 常盤が戻ってきたら何をいわれるやら、想像するだに気鬱だ。 というか、そもそも美のりさんが恋人なら恋人って紹介してくだされば私もあえて追っかけてきたりは! 忘れ物なら常盤さんに渡せばよかったんですし、と些か自分を正当化してみたりしたくなるほどには、ささめもいっぱいいっぱいだ。 何しろこの世に生を受けて十六年。十人並みの姿かたち、清潔ではあるものの小洒落ているとは言いがたいセンス。 色恋沙汰に興じる同級生の様子を楽しそうだなとは思っていても、自分とは縁遠い世界と思ってきたささめだ。 それがいきなりの上級編である。そんなものに出会ってしまっても、なにがどうしたものやらそもそも次に常盤の顔がまともにみられるか、甚だしく疑問だった。 うんうんとひとしきりうなり、けれどエレベータの階数表示が上がってきたことに気づいて慌ててきびすを返す。 この場所で常盤と鉢合わせは気まず過ぎた。 今度から美のりがきているときに常盤に近づくのはだけはやめようと、ささめが硬く心に誓ったのは、この瞬間だった。 が、そもそもが常に常盤に近づかなければいい、多少のごたごたは覚悟して寧ろいっそのことルームシェアの解消を――という選択肢が浮かばないあたりが、実にささめらしい。 「ささめ。」 ひっ、とささめが喉の奥で悲鳴を飲み込む。 しまったもう追いつかれたのかと、振り向かずにひたすら歩いた。 「のぞきはよくないって教わらなかったか?」 「こ、公共の場所でいかがわしい行為はよくないと教わりませんでしたか?」 隣に並んできた常盤にからかわれ、ささめは真っ赤になりながらひたすら前を見つめつつも懸命にやり返す。 「公共の場所じゃなきゃいいんだろ。この階、今のところ入っているのはうちだけだって知ってた?」 ――え? ……うちだけ? この階に? 言われた意味を理解して、ささめは目を見開いた。 気まずさも忘れて常盤を振り返る。 見晴らしよし、駅から近しの優良物件だ。家賃が高いのが玉に瑕だが、その分管理もしっかりしているし、最上階であるここの全てが空きだとは信じがたい。ざっとみただけでも扉が四個は並んでいる。 「――嘘ですよね?」 確認したが、にっこりと笑った常盤に、ホントと軽く告げられた。 なんだってまたそんなに空きが、と考えたところでひとつの厭な結論に到達し、ささめがさっと蒼くなる。 「……ま、まさか……まさかとは思いますけど、ここ……な、なんかでる、なんてことはありませんよね?」 口元を引き攣らせながら、恐る恐るたずねる。 「なんかって?」 「その……おばけ、とか。」 おずおずと口にしたささめを、常盤はやや信じがたいものを見るように無言で一瞥した。 しばらく真顔で見られ、ささめの不安が最高潮になったところで常盤はふと顔をそらすと、すたすたと歩を早めてしまい、なぜかささめの先を歩き出す。 「とき……常盤さん?」 「さあて? どうかなー、どうだろうなぁ?」 「ちょ……常盤さん! 嘘ですよね、冗談ですよね、やめてくださいってばっ。」 先を行く常盤の腕をつかんで、ささめは必死だ。 実は常盤が忍び笑っているということにも気が付かない。 「だって常盤さん、夜は居ないんですよね? 私一人なんですよね?」 「なんか、がでないといいな?」 意地悪く言われ、ささめの目に若干涙が浮かぶ。 くるっと身体を反転させると、ささめはエレベータに向かって一直線に歩き出した。 「おい、どこいくつもりだよ?」 「出て行きます、無理です、私にはここは縁がありませんでした、それではさよなら常盤さん、またご縁があったらお会いしましょう。」 単調に、かつ一気にまくし立てたささめの腕を今度は常盤がつかんだ。 くっと笑い声が聞こえ、ささめが振り向く。 「……わ、笑い事じゃありません! 私には死活問題なんですから!」 「……っ、く、悪い……、冗談だよ、冗談。たまたま空きがでただけでそんな噂も事実もないって。」 あっけにとられ、ぴたりと抵抗をやめたささめの頬が、見る見るうちにあかくなる。 「なっ、何だってそんな嘘つくんですかーっ!」 「いや、あんたがあんまり期待通りの反応をしてくれるからつい楽しくて。」 「たの……!?」 絶句するしかなかった。 私は常盤さんのおもちゃじゃありませんと、声を大にして叫びたかった。主張したかった。が、ささめの口から出てきたのは。 「……常盤さん、ほんとっに、絶対に何も出ないんですよね……?」 哀しいかな、自身の死活問題に関係する確認だった。 ささめがこの世で一番苦手にしているもの、それはいわんずもがな――いわゆるところのお化けである。 「でないでない。」 常盤の軽い調子がこのときばかりはちょっとばかりうれしいと、ささめがほっと安堵の息を吐く。 それを見計らったかのように――おそらく狙ったのだろうが――。 「多分な。」 常盤が付け加えた。 「……っ、や、やっぱりわたし、おうちに帰りますーっ!」 引越し初日。 賃貸物件《フォレスト》の最上階通路にささめの絶叫がこだました。 これが、更なる波乱の幕開け。 |
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