読み切り短編
シスター・ブラザー
 ExtraStory 



「今日、もしかして何か予定があった?」
「あ、いえ、ごめんなさい、違うの」

腕時計を見ていた芙美は、はっとして慌てて謝った。
横を歩いている臣一が端正な顔に生真面目そうな表情を浮かべて、芙美を見ている。

「美穂が、臣科君と会ってる頃かなと思って」
「ああ、俺たちの結婚の話?」
「そう、どうしても自分から臣科君に伝えたいって」

芙美は幸せ一杯の笑顔でふふっと笑った。
対して、臣一はやや不安そうに眉根を寄せている。

「臣一さん、どうかした?」
「いや……美穂ちゃん、大丈夫かなとおもって」
「美穂? どうして?」
「その、臣科が……」
「臣科君? いい子だもの。何も心配ないと思うけど」
「うん、いや……うん」

臣一はなぜか絶妙に歯切れが悪かった。芙美が不思議そうに首をかしげる。
いつもスパスパと物事を決めていく臣一らしくもなく、どうにも煮え切らない。
珍しい恋人の姿に、つい見入ってしまう。

芙美の視線に気づいた臣一が、ばつの悪そうな様子でごほんと空咳をした。

「実は、俺たち三兄弟の中で末っ子のあいつが一番性質が悪い」
「え? ええ、まさか」

芙美が知っている限り、二人の兄ほど注目を集める雰囲気ではないが、控えめで気のつく男の子という印象だった。家庭教師をしていたときも飲み込みが早く、あっという間に目標成績を達成してしまった。そのおかげで、芙美の評価もたいそう高くなったのだが。

「芙美が家庭教師として優秀だっていうことに異論はないんだが、あいつ、多分な、色々と手を抜いてるんだ」
「手を抜く?」
「そう、俺と臣丈が反面教師だったんだろうな。目立たず騒がずがモットーみたいなところがあるんだよ。注目を集めれば、それだけ面倒も寄って来るだろ?」

ああ、と思わず深く頷いてしまった。
臣一と付き合い始めてから、芙美にもそれなりに思うところがあったのだ。

「だから、ちょっと意外だった。芙美が来て、しばらくしてから急激に成績をあげてきたろ?」
「うん、それは私も吃驚した。急にのびたなあって……」
「その辺りで、思い当たることがないか?」

思い当たること? と芙美は口の中で繰り返した。
唇に指を当てて考え込む。なにぶん数年前のことだ。だいぶ曖昧な記憶の糸を手繰り寄せるのに、しばらく時間がかかった。

「あ。そういえば、臣科君が家に忘れ物を届けにきてくれたことがあったけど……」
「そのとき、初めて美穂ちゃんに会ったんじゃなかったか?」
「うん、そうそう、あの時よ。……確かに、あれからだったかも。臣科君の成績」
「だよな。ほら、それで芙美の評価がかなり高くなって、最初の契約よりも長く家にくることになったろ?」

曖昧だった芙美の記憶が段々とはっきりしてきた。
思い返せば、家庭教師を予定よりも長く続けることになったからこそ、臣一と結ばれることが出来たのだ。
けれど、そういう意味で言うのなら美穂と臣科も同じなのだと、芙美はあらためて気がついた。

「もしかして、臣科君の計略にまんまと乗せられちゃった……とか?」

冗談めかした芙美の一言を、臣一は笑わなかった。
芙美の笑顔が若干引きつる。今更ながらに妹の身が心配になってきていた。

「美穂ちゃんが一緒にいるときだけ、微妙に芙美に対する臣科の態度が違ってたんだが……気づいてたか?」
「うん、それは……なんとなくそうかなって思ってたんだけど……」

芙美の声が段々とか細くなる。
臣一の一家と、徐々に家族ぐるみで付き合うようになったころ、臣科の態度、仕草にちょっとした変化が感じられるようになった。
普段はしっかりひかれている一線を、臣科がほんの僅かに越えてくることが何度かあったのだ。あれ? と思いはしたものの、毎回ではなかったし、臣科の気まぐれか、自分の勘違いだろうと芙美は思っていた。
けれど、よく考えると、あれは美穂と臣科が顔を合わせる機会が増えたころでもあった。更によくよく考えると、美穂がいるときに限って、だった気がする。

「あれ、美穂ちゃんの気を引くためだった……とか、思わないか?」
「え? え……?」

ふつりと会話が途切れた。
折りよく赤信号に行き着き、二人の足も止まる。

「でも、ほら。基本は臣科君、いい子だもの。ね?」

ぐっと拳を握り締め、自分を鼓舞するように芙美は臣一に問いかけた。
臣一がふっと肩の力を抜いて芙美に笑いかける。

「そこは安心してもらっていいよ。悪い奴ではない」
「そっか……よかった……うん、よかった」

確かな答えに、ほっと胸を撫で下ろす。

しかし続けて臣一が呟いた言葉は、信号が青に変わったことによる雑踏にまぎれて、芙美の耳には届かなかった。

「でも良い奴かってきかれると、そうでもないんだよな……」



〜Fin〜


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