LoveSummer!

ACT.02


ひた走る車。窓の外は見慣れた景色。

自宅が近づいてもむっつりと黙り込む私を扱いかねているのか、それとも何か企んでいるのか。

壱は妙に静かにハンドルを握っていた。


弱み―と、いえるのかどうかは謎だけど。あのことを握られている壱に対して無視はできないってことがわかった以上、壱が静かにしていてくれる状態が一番ベストだった。

―――是非ともこのまま何も喋んないで欲しいわ。

窓の景色からちらりと視線を逸らして、壱の横顔を盗み見る。

黙っていれば…癪ではあるけど…かなりのイイ男。

最初に会った時にはかけてなかった、レンズの上部にだけフレームのある眼鏡が…ほんとーに癪ではあるんだけど、知的に見えちゃったり、している。

かなり上の空で聞いていた食事会の会話の中。

壱のことを確か医大生だって言っていた…気がするから、多分それなりに賢い人、なんだろう。


それにしても本当に…失敗した。
どうして私、よりにも寄ってこんな男の誘いに乗っちゃったんだろう。

後腐れなさそうな男だったら誰でもよかったのに。
絶対壱以外にもそういう風に見えていた男…いたのに。


後悔の溜息。一つ落として私は再び窓の外を眺める。

数十メートル先に、家の傍にあるコンビニの看板が見えた。

「あ、そこの道…左。」

コンビニの横にあるわき道を指して壱に指示する。
私が指し示した先を見て、壱が軽く頷いた。

とりあえずこれ以上何事も無く済みそうでほっとする。

家まであと少し。これでこの居心地の悪い密室からもおさらばだわ。

早く着け早く着けとまるでちょっと怪しげな呪文でも唱えてるんじゃないかって勢いで、声には出さずに延々と心の中で繰り返す。

でもやっぱり何事も無く済むはずが無かった。


「そういえばさ。ちょっと聞きたかったんだけどね?」

余り大したことじゃないという様に、壱に軽く聞かれた。

「…なに。」

何を聞かれるのかわからなかったけど、仕方ない。
一応返事をする。壱の方は向かずに。

できれば当たり障りの無いことを聞かれますように。
そっと誰にともなくお願いして壱の次の言葉を待った。

…そして言われたのが、

「あの時、俺が声掛けた後さ、どうしてすぐホテルに誘ったのかな?」


―――…だから…。どうしてこの男はいきなりそういうことを直球で聞いてくるのかしらね…。


私は、前方を向いたままの壱を横目で眺めながら出来るだけ冷静に観察してみた。

ほんとーに、何を思っているのやら…。
穏やかそうな笑みを浮かべるその表情からは何にも読み取れない。


「………黙秘権、行使。」

どう答えたものか少し考えて。もちろん本当のことを言うつもりなんてなかった私は、仕方なくそう壱に返していた。

「黙秘権ねぇ。」

くくっと壱が短く笑う。

…やーな笑い方。絶対コイツ、性格悪いわ。
でももうすぐ曲がり道。あと少しの辛抱よ。

どんどん迫ってくるコンビニをじっと見つめて黙り込む。


そうそう。早くコンビニの横を左に………って。

―――なんで―――速度、落ちてるの…?

しかも。どうして車が路肩に止まるのかしら…?


「ちょっと、壱」

窓枠に乗せていた腕を降ろして運転席を見た。
急に視界が暗くなる。日が翳ったのかと思って―――すぐに違うと気がついた。

な!ちょっと…っ!な、なんで圧し掛かってくるの!
何するつもりよ、壱!

此処は公道で…!コンビニのすぐ傍で!今は昼間で!
フロントからは人の通りも見えて!

それってこっちの様子も全部見えてるってことじゃないの!

そりゃ壱が運転席から身を乗り出して私の前にいるわけだから私の顔は外から見えないとは思うけど、そういう問題じゃないわっ。


「…んっ…ちょ、ちょっとやだ…っ、い、壱…っ!」

唇の端、ぎりぎりのキス。
下着が見えるか見えないかの微妙な位置までまくられたスカート。

逃げようとして体を下にずらしたらシートベルトがとても邪魔なことに気がついた。

「言わないとこのまま最後までしちゃうよ?」

私の耳朶を舐めた後、ぞっとするほど優しい声で壱が囁く。

その声は―――どうしたって私にあの日のことを思い出させた。

あの日もこうして私に囁いた、壱。
内容は違っていても含む響きは一緒。

『雛―――後悔しない?』

私の中に入ってくる寸前に、熱を持った瞳で壱は言った。


私の答えは―――Yes。


本当に後悔しなかったかといえば、No。
だって今、凄く後悔してるもの。

でも、もしかしてこうして壱に再会しなければ―――本当にYes、だったかもしれない。後悔しなかったかもしれない。

それくらいあの日の壱は優しかったから。

ベッドでの男の態度を信用するなんて馬鹿な女よ、と彼氏のいる大人びた友達には言われたけど―――信じたわけじゃないけれど。

後悔はしてなかったかも、しれない。


ああ、なのにまったく。
この男はそんな私の気持なんて全部無視しやがって!

ちょっと考え込んでいたら調子に乗った壱が服の上から実に器用にブラのホックを外していた。
ノースリーブの袖口から肩紐が覗く。

壱が私の服の上からブラを押し上げ、私の胸を覆うのはワンピースの薄めな布地だけになる。

壱の親指が胸の先端に触れて―――お腹の下辺りがぞくりとした。

これはどう考えてもすっごくまずい。
一度知った気持ちよさが蘇ってくる。

駄目だ、絶対に駄目。これ以上壱に触らせたら、駄目。



「や―――止めんか!このド変態!!」

焦燥感と甘い痺れ。崩れそうな理性。それら全てに背中を押されながら、私は壱の肩を押し返して必死に叫んでいた。


「ド……?」

眼鏡の奥にある壱の目が信じられないものを聞いたというように見開かれる。

私の言った台詞はどうやら結構堪えたらしい。

壱が私の上から退いて再び運転席におさまった。

―――やった、ちょっと勝ったわ…っ!

心中ガッツポーズしながら、慌てて服の乱れを直す。
どうにか苦労しながらも服の上からホックを止め、裾を引っ張った。

私がそれらを行っている間に、無言のままで壱が車を発進させる。

諦めてくれたんだとほっとした。

やっぱり公道だもの。壱にだって世間体を気にするっていう多少の一般常識は備わっているってことよね、きっと。

出来るだけ楽観的、善意的な解釈。
一応、義理とは言え兄になるんだしね。私も割りと譲歩したと思うのよ?

なのに。なのにこの性悪男…っ!

左に曲がるはずだった道を―――直進しやがったのよ!

どんどん遠のく愛しい我が家。

「ねえ、道…違うんだけど」

わかりきっていることをあえて尋ねたくもなるってものだわ。

「うん、知ってるよ。」

こちらをまったく見もせずに…や、見られても脇見運転になるからそれはそれで困るんだけど…壱がさらりと答える。

ああ、そうよね。わかってるわよね。ついさっき私が言った道を曲がらなかったんだものね。

だからそんなことはとっくにわかってるのよ、私にも。
聞きたいのはそんなことじゃなくて。

「…一応訊きたいんだけど…どこ向っているの?」

「ラブホ。」

間髪いれずに壱がまたもやさらりと答えた。

笑ってるけど、笑ってるけど!め、目がマジだわ…。
ラブホに連れ込むつもりだ、私のこと…っ!

いーやーっ!貞操の危機です、父さん…っ!たーすーけーてー。

て。今此処にいない父親に助けを求めたって仕方ないわ!

「車、止めて!」

ハンドルを握る壱の腕にしがみつく。
ふらりと車が揺れた。

「…とっ、危ないなー。事故るよ?」

壱がハンドルを回して車の軌道を戻し、変わらず腕にしがみつきながらぐいぐい引っ張る私を横目でちらりと見る。

もちろん、わかってるわよ、そんなこと!
だけどね!

「アンタとラブホ行くくらいならそっちの方がましよ!」

私は思ったことを素直に叫んでいた。

再び車が止まったのはその直後。
またもや路肩に、だった。


完全に止まった車の中。壱がハンドルの上に腕を乗せて溜息をつく。

「じゃあ、やっぱり車の中でしたいのかな?」

―――雛、わがままだねぇ。

わ、わがまま!?一体私のどこが!
その台詞アンタにそっくり返してやるわよ、壱!

「私は例えどこでだってしたくないの!」

「じゃあ、さっき聞いたことに答えて?じゃないとこのままずっと帰さない。」

―――っ!本当にもう!なんだってそんなに私の事情に踏み込んでこようとするのかしらっ!

たった一晩付き合っただけの女のことなんてほっとけばいいじゃないの。

きりっと唇を噛みしめ、壱を睨みつける。
ぴりぴりとした空気が車内に充満する。

だけどそんなことお構い無しの壱は、ふっと笑いながら私の唇に触れてきた。


「唇、切れるよ?」

親指の腹で撫でられる。
ぞくぞくと体の奥が痺れた。

嫌だ、私…壱に触られると…おかしくなる。
なんだっていうのよ、もう。

「雛?」

凶悪な優しすぎる響き。壱の指が私の首をゆっくりと辿っていく。
体が熱い。不規則に、いつもよりずっと高く高く鼓動が刻まれる。

嫌だ、これじゃまるっきりさっきの二の舞じゃないの!

「止してっ!」

狭い車内に小気味いい音をさせ、私は壱の手を振り払った。

「―――仕方ないねぇ。」

壱が低く呟く。

何が仕方ないのよ。

言い返そうとして、けど。口を開く前に、私はシートに肩を押し付けられてキスされていた。





「噛まないでね?」

「…っ!」

キスの合間、私の顎にかけられた壱の手。
強引に口の端に親指を入れられた。
無理やりに開かされ、次いで口の中にぬるりとした感触。

まだ慣れないそれは、壱の舌。
初めてのディープキスは、壱が相手だった。

ぞくぞくとした痺れはだんだん酷くなる。
―――不覚にも…足の間が…熱かった。

壱のキスは、キスというよりは口付けという方が似合っている気がする。全然軽さの無いそれは、私の頭を溶かす。


そして、口付けが終わって…抵抗も出来なかった私は、ぐいっと唇を拭うと。

「馬鹿にされたの…っ!」

助手席側の扉にギリギリまで体を寄せて縮こまりながら、堪らずにとうとう壱の聞きたがっていた答えを吐き出していた。


「は?」


「クラスの男の子に…、色気が無いって…。お前まだだろっていわれたのよ…っ!」

「……まさか、それだけ?理由…。」

「そうよ…っ!」

何よ、悪い!?

だって。本当に悔しかったんだもの…。
他の奴に言われたならあんな馬鹿なことしなかった。

ちょっと…本当にちょっとだけど…いいなぁって思ってたの、私にそれを言った奴のこと。

だから余計に悔しくて堪らなかったし…言われたその日に壱をホテルに誘うなんて真似ができたんだと思う、けど。


「もしかしてスキなのかな?その子のこと。」


何故かずばりと確信に近いところをいきなりつかれた。
驚いて壱を見る。咄嗟に何も言葉が出てこなかった。

その反応が多分まずかったのか。
私の答えを待つことなく壱が納得したように「そう。」と呟いた。

まだ、スキまではいってなかった私の気持。
でも誤解を解くのも何だか躊躇われて…私はただ黙り込むしかなかった。


壱が私から顔を背ける。静かに車が動き出した。
表情の消えた壱の横顔。

だけどどうして壱まで黙り込むのかわからない。
さっきまでのふざけようや強引さが嘘みたいに静かだった。

何よ、呆れたなら呆れたって言えばいいじゃない。

私みたいなのが妹になるのは嫌だって思ったんなら…そういえばいいのよ。


私がさっき示した道。

壱がハンドルを切って、車が私の家に向って進路を変える。

家が見えてきた。見知った景色が通り過ぎていく。

「そこだから。」と家の場所を教えるとその前で車が止まった。

鞄を手に、ドアを開けて車を降りる。
壱が運転席から少し身を乗り出した。


「あの…ありがとう。」

最低限、これくらいは私にだって言える。
送ってもらったんだかなんかだわからない状況とはいえ、無事家まで着けたわけだしね。

「どういたしまして。これからは家族になるんだしね。」

「…そうね。」

そらぞらしい笑みで壱がはいた社交辞令に私は素直に頷いた。
私とは家族になんかなりたくないって―――思ってるくせに。

だけどそんなこと責めてみても仕方ないもの。

「じゃ。」

壱が手を上げて、私がドアが閉める。
車が走り出した。

だんだんと小さくなっていくクラシックカーを見送りながら。
まるでユメを見ているような一日だったと、思った。

ユメだったらよかったのにと、思った。



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