03.叶わぬ恋とは知りながら


その夜。ビズは予告どおりやってきたクラを最上級の身支度をさせられて、エントランスホールで出迎えていた。

ビズの細身の上半身を包むのは、最上級のレースとベルベット地。
幾重にも合わせられたそれらがきっちりと首まで覆っている。
背中には、シルクでできた細い紐が数本編まれていて、腰で奇麗に結び合わされていた。
ふんわりと広がるスカートにもレースが施され、ビズの足元までをゆったりと覆っている。

普段、シンプルな服を好むビズは、滅多に着ることの無い華やかな、それ。

身支度を要求したのは、ビズの―――・・・父。
良くも悪くも人のいい父が、クラが通ってくることを純粋に喜んでいるらしいことをビズは感じていた。

わざわざ娘を出世の道具に使うような人物ではない。
だが、娘が望まれ、またビズもクラを受け入れると言えば・・・それはビズの父にとって良縁であろう。
ましてや、ビズは齢15。この年で社交界デビューはかなり遅いといえる。既に結婚相手が決まっていてもおかしくない年である。

クラの24という年を考えれば、確かにビズと似合いといえた。

実際、ビズはクラの訪問を表面的には拒んでいなかった。
拒んで、その理由を問いただされることを―――ビズは恐れていたのだ。

そうなれば、ビズの父にとって後に残る懸念はクラにはよくない噂が付きまとっているということのみであると、ビズは思っていた。

『クラ様は、夜中にふらりと出歩き、夜な夜な違う女性の家に入り浸っている。』

これが、社交界で囁かれるクラの噂。だがこれもあくまで噂の域をでるものではない。
なぜならはっきりクラと一晩を共にしたと名乗りを上げる女性がいないからだ。

もしもこのままクラがビズに飽きなければ。クラが伯爵家を通して正式にビズを望めば。セツの言うようにビズはクラの申し出を断ることは難しいだろう。
クラは伯爵家の跡取り。断れば確実にビズの父の立場は悪くなる。
だが、ビズにはクラが自分を望んでくるとは到底思えなかった。

年齢的には問題無い。しかし家柄が違いすぎる。ビズの家には良縁でも、クラにとっては違う。
クラならもっと身分の高い女性を妻へと望むことができる。おそらく皇族から妻を迎えることすら可能なのだ。

なのに何故自分に興味を持つのか、それはビズ自身酷く不思議に思っていた・・・。



***




「今宵もご機嫌伺いに参上させていただきました。・・・ビズ?」

柔らかな響きを帯びた、低い声。
ひやりとした皮手袋の感触に、ぼんやりとしていたビズが現実に引き戻される。

クラがビズの手を取り、その甲に口付けたのだと気づくのにしばし時間がかかった。

目の前には、クラ。優しげな笑みを浮かべ、ビズを見下ろしている。
だが、舞踏会で見せた背筋の震えるようなそれとは違う、笑み。

ビズが動揺を押し隠し、優雅に身をかがめるとにっこりと微笑む。

「いらっしゃいませ、クラ様。」

ビズとクラが挨拶を交わす。これはもうここしばらくの習慣となっている。

そんな二人の様子を見守っていたビズの父が横からクラに声をかけた。

「クラ殿、ようこそいらしてくださいました。さあ、こちらへどうぞ。」

「ライ殿。毎夜手厚いもてなし感謝いたします。」

クラが軽く礼をとり、ビズの父・ライと話し始める。
ライとクラが楽しげに話しながら、並んで廊下を歩いていく。その後ろについてビズはゆっくり歩を進めた。

前を行く二人に気づかれないように、ビズはそっと溜息を落とす。

クラが通ってくるようになって七日目の夜。
今までの六日間と同じように、ビズの父と母はクラをもてなすだろう。
そして軽い会食をした後、ビズはクラと共に屋敷の周りを取り囲む庭園を散策する。
ビズの屋敷は凝った意匠を施した庭を持っており、それは毎年暖かな時期になると昼間のみ一般向けに解放されている程有名なものなのだ。

のんびりと散歩しながら、クラと話すのは実に他愛の無いこと。
でもビズはクラといて退屈だと思ったことは無い。

寧ろ、ここ数日で知ったクラの人柄は、とても好ましいものだと思っている。
最初は噂のこともあり、やや不安に思っていたビズだが、今、クラと共に過ごす時間は・・・困ったことに楽しいものとなっていた。

―――自分の気持ちがわからない。クラ様に対するこの気持は・・・なんだろう。

ビズが心の中そっと呟く。

―――でも恋では、ありえない。きっと、ありえない。だって私は―――・・・



「そうそう、クラ殿。お聞き及びですかな。また、シスが現れたそうですな。」


ビズがはっと顔を上げ、前を歩く二人の姿を緊張した面持ちで見つめた。

―――シス。

その名に、ビズの体が無意識の内に強張る。


「ええ。今回はマト卿の屋敷に侵入したと聞きましたが?」

クラが、何気ない口調でライに答えた。
どうやら自分の反応には気づかれていないようだと、ビズは二人の話にそっと耳を傾ける。

「いやいや、マト殿はひた隠しにしてはおりますが、人の噂とはどこよりともなく発生するものですからな。」

ライとクラが、廊下を右に折れ、突き当たりにある扉に向う。
両開きの扉は、既に開かれていた。

もう、その先が食堂である。

「ええ。ですが、隠したくなるのも無理はありませんね。」

「はは。確かに。シスが浸入した家の者は何故か辺境に飛ばされる、などという噂があっては。」

ライが漏らした言葉に、クラが軽く相槌を打つ。

その二人の姿を見ながら、ビズはどくどくと激しく打つ自分の鼓動を感じていた。


―――シス。


そう、それがビズが人知れず思いを寄せている男性。

それはどこの誰かもわからない、あまつさえ、顔さえもはっきりとはしない、巷を騒がせている謎の怪盗だった。

ビズがシスと直接会ったことがあるのは、たった一度。

自分でも、馬鹿げていると思っている。それでもたった一度会っただけのその人を、ビズはどうしても忘れることができなかった。

叶わぬ―――・・・恋。

いやというほど、わかっている。それでもあの手を。一度だけ触れたあの手を・・・ビズは忘れることができない。



***




「具合がよろしくないようですが、大丈夫ですか?」

そうクラが声を掛けてきたのは、会食も終わり庭をゆっくりと歩いている時だった。

ビズが、驚いて顔を上げる。
ふと気づけば、クラが心配そうにビズを見つめていた。

―――普通どおりに接しているつもりだったのだが、いつもと違ったのだろうか。

ビズは小さく首を左右に振りながら、クラに笑顔を向ける。

「いえ・・・申し訳ありません。・・・大丈夫です。」

だが、クラは信じてはくれなかったようだ。

「いけませんね、無理をしているでしょう?」

やや咎めるようにビズを諭す。

「そんなことは・・・え!?」

否定しようとして。ふわりとビズの体が浮かび上がった。

クラに、抱き上げられている―――。驚きにビズが硬直する。

「今日は、もう帰ります。でもそのまえに、貴方を寝かしつけてから、ね。」

「ク、クラさま!大丈夫ですからっ、下ろしてくださいませ!」

「駄目ですよ、ビズ。」

クラの腕から逃れようと身をよじるビズが見たのは、舞踏会で見せたぞくりと背筋の震えるようなクラの笑みだった。


―――どくん、と。ビズの心臓が鼓動を刻んだ。

どうしてクラに対してこんなに胸が高鳴るのか。
自分の心がわからなかった。



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