05.告白(1)


いつものように、いつもと同じに。

ビズとクラは、咲き誇る花々の間を通る小路を歩いていた。

ゆっくりと満ちる夜気に、ビズが軽く深呼吸をする。
胸に吸い込まれるのは、競い合うような花の香り。

「相変わらず見事な庭園ですね。」

クラが路の先にある大樹を見上げ、感嘆を漏らした。

「ありがとうございます。・・・とは申しましても、わたくしは何もしていないのですけれど。」

ビズの言葉に、クラが小さく笑い声を漏らす。

こうしてクラと共に庭園を歩いた夜は、既に二十日を越えていた。
変わらず紳士的に振舞うクラ。ビズの心は日に日に傾いていく。

耐え切れない―――・・・と、ビズの胸が軋む。

いつまでこの状況が続くのだろうと思う反面、いつまでも続いて欲しいと思う自分がいる。
浅ましい心。浅ましい自分。

このままクラのものになってしまえばいい。そう囁く声。
でもクラは、ビズに無理強いするような真似は決してしない。

何より、クラに無理強いされればビズは間違いなく抵抗するだろう自分を感じている。
状況に流されたくは無かった。流されれば、楽だろうとは思う。

でも、それではいつかきっとかならず後悔する―――そう、ビズは感じていた。



***




「ビズ。」

大樹の下に着き、覆い茂る木の葉の中佇んでいると不意にクラがビズの腕を取った。
驚きに目を見張りながら、ビズがクラに視線を向ける。

クラの真摯な表情。その真剣さを含んだ雰囲気。

まさかと思い。
しかし、何を言われるのかを予感してビズの鼓動が震えた。

クラが自分に本気であるはずがないと、ビズはまだ心のどこかで無理やり思い込もうとしている。
でも、おそらくクラは、現在の二人の関係を変えようとしているのだ。
その為に、ビズのもっとも聞きたくない言葉を紡ごうとしている。

そのことに動揺しながらも、ビズは自分の腕をクラから離し歩き出そうとした。

―――駄目。クラ様、お願いですから言わないで。どうかこのまま・・・このままでいさせてください。

だが、木の根に足を取られた。

悲鳴を上げる間もなく上体が傾ぐ。倒れると思い、しかしその衝撃がビズに与えられる事は無かった。

地面に向けて倒れ込もうとしたビズの体を背後からクラが支えたのだ。

「あ、ありがとうございます。」

己の失態にビズが頬を染める。クラの腕の中から逃れ、ビズはクラと向き合う。

クラが「案外、貴方はそそっかしい。」と、笑った。

その笑顔にビズの胸はどくりと鼓動を打つ。

ビズの手を、クラの黒手袋を嵌めた手が壊れ物でも扱うようにそっと取る。
しかし、ビズはシスの手の感触が薄れていくような気がしてその手をクラから離そうとした。

「ビズ、逃げないでください。」

クラが、離れようとしたビズの手を強く握り締める。
今までになく、力で押し切ろうとする強引なクラの様子。

驚いたビズは、咄嗟にクラの手から逃れようと身をよじった。

どうやらこれが逆効果だったらしい。
クラは僅かに眉間に皺を刻むと、ビズの手を引き無言のまま歩き始めたのだ。

「クラ様!?」

ぐいぐいと先を行くクラに連れられ、ビズが必死に足を動かす。

クラが一直線に向っているのは、どうやら庭に設えた小さな東屋のようだった。

強引なクラにビズは戸惑う。掴れた手が熱い。

東屋にクラが入り、当然の如くその後に続いたビズはここで漸く腕を解放された。

ビズがほっと息をつく。

ビズとクラが立っているのは丁度東屋の中央だった。屋根とベンチ。
それに、三方を囲む壁はビズの腰辺りまでの柵という実に簡素な場所であるそこは見事な眺めを誇っている。

ビズは今までも何度かクラとこの場所に来たことがあったが、今日はとても景観を楽しんでいられる雰囲気ではない。


クラにつかまれていた手を、もう片方の手で包み込みながらビズが俯く。

「貴方を怖がらせたいわけではないんです。」

視線を合わせようとしないビズに、クラが溜息をついたようだった。

ビズのブルーアイに涙が滲みそうになった。
クラが怖いわけではない、そういいたかった。今ビズが怖がっているのはクラとの今の関係が壊れること。
そして、クラに求められれば拒絶しないではいられない自分。

クラがビズの頬にそっと触れた。びくりとビズの体が竦む。

「―――ビズ、貴方が好きです。他の誰にも渡したくは無い。どうか私の妻になっては貰えませんか?」

ビズのもっとも聞きたくなかった台詞を、クラは告げた。



***




「―――申し訳、ありません。・・・私は、クラ様のお気持ちにお答えすることはできません。」

庭の木々がざわめいていた。
穏やかに吹き抜ける夜風を浴び、ビズは痛む胸を抱えながらクラに否と答える。


「・・・何故、と尋ねても?」

深く息を吐いたクラをビズは見ることができなかった。
痛む胸が、激しく鳴る。

「・・・どうか、もうわたくしのことはお構いにならないで。クラ様なら、わたくしでなくとも。」

自分の言葉に、ビズは更に胸が痛むのを感じた。
クラが自分以外の誰かに笑い、語りかける。

思うだけで、じりじりと身が焦げるようだった。

「私は貴方を望んでいるんです。」

「どうかご容赦を。」

クラの求愛から逃れるように身を翻したビズを、クラの手が引き止めた。
腕を掴れ、ビズは強引にクラの元へ引き寄せられる。

すべてを見透かすようなクラの瞳が怖いと、この時初めてビズは感じた。

「・・・誰か想っている方がいられるのですか?」

「っ!・・・いいえ。」

クラの言葉に、息が詰まった。僅かな動揺。
それを見逃してはくれなかったらしいクラがビズを更に追い詰める。

「いるんですね?・・・誰ですか、ビズ。」

「想っている方など、おりません!」

ビズが左右に頭を振り、否定する。
クラの追求に鼓動が早まり、きつく握り締めた掌に爪が喰いこんでいた。

「嘘は、いけませんよ?・・・私が納得できなければ、貴方を無理やりにでも妻にさせていただきます。」

クラがビズに向けて酷く冷静な声で告げた。
確かにビズとクラ、両家の間で取り決めがなされれば、ビズが断れるはずもない。なのに、クラはそうはせずビズの気持を今確かめようとしている。

つまりビズの返答に納得すれば、伯爵家を介入させることなく身を引くということなのだろう。それならば、表だってビズの父の立場が悪くなることもない。

ビズが反論しようと口を開く。が、それよりも早く、クラがビズの腰と背に手を廻し――――・・・

気づいた時には、東屋のベンチの上に背中から倒れこんでいた。

ドレスの裾にクラが膝を乗せ、ビズの動きが封じられる。

「なっ!クラ様、嫌です!お止めくださいっ。」

クラが低く、笑った。
ビズの抵抗を難なく封じ込め、クラの手がビズのドレスにかかる。

ビズは次に何をされるのかと考え、悲鳴をあげかける。

しかしクラは考えあぐねたように手を止め、ビズに向けて苦笑した。

「この随分と手の込んだドレス、これは貴方の趣味ですか?」

「・・・ち、父の贈り物です!それよりも、どうか離してくださいっ!」

こんな場面で何を聞いてくるのかとビズは内心訝しく思いながらクラに答え、抗議の声を上げる。
だが「ああ。」と軽く頷いたクラは、まったくビズの抗議を聞き入れる気はないらしかった。

「では、貴方のお父上は私をケダモノか何かと勘違いされているようだ。こんな鎧を貴方に纏わせるとは。」

組み敷いたビズに顔を近づけ、吐息がかかるほどの距離でビズに囁く。

「・・・?」

訳がわからずに、ビズは眉根を寄せクラを見つめた。

「少なくとも私が出合った中では一番脱がすのに時間がかかりそうですよ。もっとも、あまり有効な障害とはいえませんけれど。」

どこか冗談のように軽い口調で告げるクラ。

ビズの脳裏に、マリの言葉が蘇った。
この時、ビズは漸く父親の心境がわかった気がした。

ライがビズにドレスを贈る理由。
クラの訪問を表立って拒むわけには行かない。だが、娘はそう簡単に奪われてなるものか、と。

ほんの些細なこと。それでもビズにとっては思いがけない事実。
ビズは、こんな局面にも関わらず。思わず父の気遣いに胸が熱くなっていた。

「良いお父上だ。でも、ビズ。貴方がおとなしく私の問いに答えてくださらなければ、せっかくのお父上の配慮も無駄となりますよ?」

「ですから、そんな方はおりませんと・・・。」

ビズの喉元まで覆っているレースの釦が一つ。クラの手により外された。
目を見開いてクラを凝視するビズに、クラが笑みを浮かべる。

「随分、庇うんですね・・・そんなに心配なさらずとも、相手の男に何かしたりはしませんが?」

「クラ様、本当に私は・・・。」

必死に言い募るビズに、クラが目を細めた。


「−−−・・・まさか・・・シス?」


「!?」

ビズの激しい動揺。息が詰まった。
何故クラからシスの名がでるのかまったくわからなかった。
今までライとクラの間でシスの話題が上ったことはあったが、ビズ自身が積極的に何かを発言したことはなかったのだ。

「そうなんですね?シスの話を聞いている時の貴方の様子・・・まさかとは思いましたが。」

クラがビズに静かに問いただす。
話に聞き入っている時の態度をクラに不審に思われていたことにビズは少なからず驚いていた。
細心の注意を払っていたはずだった。クラに気づかれてはいないと思っていた。

「違いますっ!」

クラから視線を逸らし、ビズが否定する。
しかしその態度こそがクラに確信を与えていることに、ビズは気づいていなかった。

クラが黙り込む。

夜風に乗って漂う花の香りがビズの頬を撫でた。

突然、ビズの体から重みが消える。

クラがビズの上から身を起こしたのだ。

感情のこもらない、いままでビズが見たこともないほど冷ややかな顔をしたクラ。
ビズはベンチから上体を起こし、激しく鳴る胸に手を押し当てる。

ビズが見つめる中、クラは素早く踵を返すとあっという間にビズの元から立ち去ってしまった。

そして。ややしてからビズの耳に届いたのは・・・馬車の遠ざかる、音。



その翌日から、クラはビズの元を訪れなくなった。



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