05.告白(2)


「お嬢様・・・その・・・本日も・・・。」

寝台の上に起き上がったビズに告げなければならなかった内容に、セツの胸が痛んだ。
ビズがやや辛そうに眉根を寄せる。

「・・・そう。」

俯きながら小さく答えたビズの姿を見るにつけ、セツはグラグラと腹がたって仕方なかった。
この場合、もちろんクラに対して、である。

三日前に突然疾風の如く去っていたクラは、その後ぱったりとやってこなくなっている。
もちろん、あれだけ欠かさずに贈られてきていた薔薇も絶えた。

ビズとクラの間に何かあったのだろうとは思うが、いくらセツが問い詰めてもビズは頑として口を開かない。

セツ自身、どうしたものかと途方にくれていた。


「セツ。」

ビズが寝台から足を降ろしながらセツに向けて寂しげに笑いかける。
その痛々しさに、セツが再び胸を痛める。

「―――クラ様からもう薔薇がくることはないし、来て下さることもないわ。朝の報告は、無用よ。」

「そんなことはありませんわっ、お嬢様!またクラ様からの薔薇はきます。ええ、きっと来ますとも。」

ビズが窓辺に向かい朝日をその身に纏うのを見つめながら、セツは力をこめて否定した。
確かな根拠があるわけでは、なかった。それでも、セツにはクラがこのまま引いてしまうということが信じられない。

セツがじっと見守る中、ビズが目を伏せる。
諦めたような光彩を宿すそのビズの瞳がゆっくりと窓の外に向けられた。

穏やかな陽光が室内を満たしている。

セツは、いままでビズに聞くことの無かった問いを口に乗せた。

「お嬢様は、クラ様がお好きなんですね・・・?」

セツの言葉に、ビズがゆっくりと振り向く。
ビズの泣き笑いのような表情。見ている方が切なかった。

「お嬢様、どうかシスのことはお忘れになってください・・・セツは、お嬢様にクラ様とお幸せになっていただきたい・・・」

ビズのブルーアイに見る見る涙が満ちてくる。
セツがビズの傍に近づくと、とうとうあふれ出したそれがビズの頬を伝った。

セツがビズに触れようとして、でもその前にビズの細い両手がセツの首に廻されていた。

「セツ・・・でも、もうクラ様は来てはくださらない・・・。」

肩を震わせて泣くビズをセツは優しく抱きしめる。
もう慰める言葉は・・・出てはこなかった。



***




そして。クラがやってこなくなってから七日目の夜。

月明かりの明るい、そしてビズにとっては相変わらず眠れない、夜。
寝台の脇にある椅子に腰掛けて、ビズは今日も一人ぼんやりとしていた。

クラがこなくなってから最初の数日は、会いたいと想っている自分に愕然とした。

シスに惹かれた。なのに何故、クラに会いたいと想うのか。
悩んで、悩んで・・・そして今、ビズの思考を占めているのはクラのことばかり。

会いたくて、胸が焦げる。
声が聞きたくて、涙が零れそうになる。

クラがこなくなってから気づいた気持は、酷くビズを苦しめていた。
それは、悩んで得た結論。今なら、ビズにもはっきり自分の気持がわかっている。

シスに感じたのは、自由への憧れ。
突然やってきた窓からの侵入者は、ビズの世界を広げてくれるような気がした。
屋敷の中に籠もり切りだったビズを変えてくれる存在のような気がした。

そして、ビズはそれを恋だと思い―――・・・、クラに惹かれた気持に目隠しをしたのだ。

ビズを変える契機になったのは、確かにシス。
でもビズが恋をしたのは、クラ。

それが、変えようの無い事実だった。


「――――――クラ様。」

ビズが切なげに瞳を伏せる。
その時。僅かな風の流れてと共に燭台の明かりが揺れた。

ビズがはっと顔を上げる。

「っ!?」

息を、呑んだ。そこにはあの日と同じように漆黒のシルエット。

「・・・シス・・・?」

「違います。」

まさかという思いを滲ませながらビズが呟いた言葉は、即座に否定された。
それも、ビズの聞き覚えのある声によって。

「っ!?・・・クラ、様・・・。」

ビズが名を呼んだと同時に、人影は月光の中に姿を現した。

会いたいと強く願っていた。しかし、もう来てはくれないのだと思っていた。
そのクラが今、目の前にいる。

ビズはがたりと椅子から立ち上がり――――後ずさった。

何故かはわからなかった。本当なら今すぐにでもクラの傍へ駆け寄るべきだとは思う。
なのに、ビズの足は自然とクラから遠ざかる。

クラに感じる違和感。それが、ビズの心を堰きとめていた。


窓から入り込んだ風がふわりとクラの外套を揺らす。
クラがゆっくりと笑む。

「とても良い晩ですね、ビズ。・・・今宵は、貴方に贈り物を。」

「贈り、物?」

訝しげに、強張った声でビズは問うていた。

クラの目が、ビズを見据える。そして不意に逸らすと、すっと身を引き――――その背後には。
闇に溶け込んでいたかのように、急にビズの前に現れたもうひとつの人影。

目を、奪われた。
思わずビズは両手で口元を覆い、驚愕に身を震わせる。


「――――――シ・・・・・・シス?」

そこには確かに、ビズが出合った怪盗・シスがいた。

漆黒の外套、シルクハット、冷たい質感の仮面。
窓から差し込む月光。すべてが、同じ。
唯一つ違うのは、ビズの部屋の中にクラがいるということ。


「・・・な、何故・・・ですか?」

震える体を自身の両手で抱きとめ、ビズは困惑しながらクラを見つめる。

「貴方がもっとも会いたがっていた男、でしょう。・・・貴方への最後の贈り物ですよ。」

「さい、ご?」

「ええ、もうこれで最後です。貴方がシスを選ぶというのなら、私は貴方の傍には居られない。・・・貴方はシスを選ぶのでしょう?」

「・・・・・・。」

黙り込むビズに一瞥を投げ、クラは踵を返した。再び入ってきたと同じように窓辺へと向う。

クラが、去っていこうとしていた。

「・・・ま、待ってっ!クラ様っ!」

もう何も考えられなかった。ビズが、駆け出す。
シスの横を通り過ぎようとして、腰を捕らわれた。

「っ!?いや、離してっ!クラ様っ!」

逞しい腕の中、ビズが必死に暴れる。
腰に廻されているシスの腕を離そうと、華奢な手が懸命に叩く。

「クラ様っッ!」

窓辺に佇んだクラが、漸く振り向いた。

「・・・何故、私を呼ぶんですか?」

淡々と問われ、ビズが言葉に詰まる。

何故かと言われれば、もちろんクラのことが好きだから。
でもそれをそのまま言ってしまっていいものかどうか、この期に及んでビズは惑っていた。

確かに、シスを好きだと思っていたことも事実。
しかも、クラはそれを看破しビズの元にやってこなくなったのだ。

今、気持を告げても信じてもらえる自信がなかった。

「貴方の望んだシスは、貴方の傍に。なのに何故私を引き止めるんですか、ビズ。」

「・・・それは・・・。」

ビズがきりっと唇を噛みしめる。静寂が、満ちた。

正直な気持を伝えても、信じてもらえないかもしれない。ビズはそれが恐ろしい。
だが、何も言わずにいればこのままクラが帰ってしまうのは目に見えていた。

それだけは、嫌だった。

ほんの少しの希望に縋って、また鬱々と眠れぬ日々を過ごすことになるくらいなら。
はっきりとクラに拒絶されてしまいたい。それこそ一遍の希望も残らぬほどに。

クラが好きだと告げよう、ビズが決意する。

言葉が喉に痞える。口の中がからからに乾いている。
何度か瞬きをし、一度きつく目を瞑った。

ゆっくりと開いた瞼から月光の溶け込んだブルーアイ。

「――――クラ様が・・・クラ様が、好きだからです。」

弾かれたように、ビズのブルーアイから涙が零れた・・・。



***




クラの手がビズの腕を引いたのは、ビズの頬に涙が流れた瞬間だった。
呆気なくシスの戒めが解け、あっと思う間もなくビズはクラの腕の中に抱き込まれる。

驚きも束の間。ビズは、クラの熱い吐息を頬に感じた。

「・・・貴方に一目ぼれだったといって、信じていただけますか?」

耳元で、囁かれた。

「クラ、様・・・。クラさま・・・。」

信じられなくて。もう二度と得られないと思っていたクラの体温にビズの胸が高鳴る。
幸福感で眩暈がしそうだった。頬を伝う涙がビズの喉元を濡らす。

クラの指がビズの顎にかかり、やさしく上向かせた。

「シスよりも、私を選んでくださるんですね?」

穏やかな笑みを浮かべたクラに、ビズが頷く。

そして、クラがビズの名を呼びその手でビズの頬にそっと触れた。

少し冷たくて、大きな手。
頬にすこしざらりとした感触。


・・・何故か覚えのある、それ。

ビズがクラを見つめ数回瞬きする。
思えば、素手のクラに触れられるのは初めてかもしれないことにビズは気づいた。

クラがビズに触れる時は、手袋越し。クラに触れられた記憶はいつも皮手袋の感触と共にある。

ふと、ビズの脳裏に何かが明滅した。

先程までとは違う胸の鼓動。ビズはクラの腕に中で身を強張らせる。

―――何?・・・何?・・・まさか・・・どうして。だって私、この手に覚えが・・・?

ビズはクラの胸に両手をついて、クラから自身を引き剥がした。

クラが謎めいた表情でビズを見下ろす。ビズは無言のままクラの手を取った。

ビズの手に感じる微かなぬくもりと・・・掌に感じる違和感。
そして、やはり掌にざらりとしたその感触。

ビズはばっとクラの掌を上向かせ―――――そこに残る僅かな傷跡を目にした。


「なっ、あ、貴方!?まさか・・・貴方!?」

「・・・ああ、今日は手袋をしていませんでしたね。」

クラの何気ない物言いに、ビズが絶句する。
忘れるはずがない、その感触。少し冷たくて骨ばった、手。

そして、掌に・・・傷。
あの時、跡が残るかもしれないと・・・そうビズが思った傷がクラの手には、確かにあった。


「舞踏会の時、貴方が私と踊ってくださればすぐにわかっていたはずなんですけどね。あの時は、手袋をしていなかったので。」

クラの苦笑を含んだ声が、ビズの頭上から降ってくる。
しかしビズはほとんどそれを聞いていなかった。

一度、真っ白になった頭の中が、今は真っ赤に染まっている。

ビズの掴んでいないほうのクラの手が、ビズにむけて伸ばされているのを視界の隅に捉え。

ぱんっと、小気味のいい音。
それと同時に、クラの手はビズの華奢な手によって思い切り振り払われていた。



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