07.好き(2)


舞踏会場に着くや否や、クラは知人たちへの挨拶もそこそこにビズの姿を捜し求めていた。
当然の如くクラはビズ以外と踊るつもりがなかったからだ。

毅然と顔を上げ佇んでいるビズを見つけ出したのは捜し初めてから僅かの後。
周りの会話に耳を傾ければそれ程難しくもなかった。

クラが眼にしたビズの傍にはぴたりとライの姿。
娘を守るように牽制しているライに、どうやらビズを遠巻きに見ていた貴族の子息たちは声を掛けかねていたようだった。

クラは苦く笑いつつ、機会を待った。ビズが独りになるその時を。
そして思惑通りライがビズの傍を離れ、クラは素早く行動を起こした。

動こうとしていた貴族の子息たちを制して、周りの視線を物ともせずクラはビズへと声を掛けたのだ。

『踊っていただけませんか、お嬢さん。』と。

驚きに染まった表情で見返してくるビズの姿を眺めながら、クラは手を差し伸べた。

薄く化粧の施されたキメの細かい白い肌。
ふっくらとした艶やかな唇。滑らかな曲線を描く肩のライン。
何よりも、鮮やかな空を映したような真っ直ぐな意思を宿した青い瞳。

明るい灯の下で改めて間近に見るそれらがクラをどれ程惹きつけていたのか、きっとビズは気づいてもいないのだろう。

動揺したようにやや間を置き。そしてビズから返ってきたのは・・・柔らかな拒絶だった。
驚きに目を瞠りながらも、ビズははっきりとクラを拒絶したのだ。

シスは容易く受け入れたというのに、クラとしての自分には否という。
確かに大分心証の良くない噂が自分に付きまとっていることをクラは知っていた。

強引にビズの手を取ってしまおうか−−−とも考えた。
シスだと気づけば、拒絶しないだろうと。

だが、クラはビズの拒絶の底にあるものがクラの噂に対するものだけではないような、嫌な予感がした。
だから、引いた。強引にビズの手を取ることなく。


結局その日。クラはビズと踊ることなく舞踏会場を後にしたのだった。






クラがビズの心を知るべく薔薇を送りはじめたのは、その翌日から。





そしてビズの元に通い始めた最初の晩。クラは気づいた。ビズに誰か思い人がいることに。
だから、自分がシスだと告げずに様子を見ることにした。


そして・・・シスの話題を持ち出したときの、ビズのほんの些細な反応。
おそらくビズは気づかれていないと思っているだろうが、クラにはそれだけで充分だった。

ビズが心を向けているのは、シス。

悟った時の苦い胸中。

シスであると告げて、ビズの心を得ることはきっと容易い。

だが、その後できっとクラは耐えられなくなると思った。シスはクラ。クラはシス。だが、シスは自分ではない自分。

ビズが惹かれたのは、求めたのはクラではなくシス。
どちらも己だというのに、クラは身のうちを焦がす熱を感じた。

−−−嫉妬。

本当に、自分自身が恋敵とは。あまりにも馬鹿馬鹿しい。

だが、クラはビズにあえて告げることを思いとどまった。自分がシスであることを。


そして。クラがビズに仕掛けたのは、心の駆け引き。
クラとしてビズの心を勝ち取りシスから必ず振り向かせて見せる、と。

クラはそれまでは決して己がシスであることをビズに告げるまいと決意していた。



***





「どうして・・・もっと早くにおっしゃってくださらなかったんですか・・・。」

クラに向けて小さく告げたビズの声。それは酷く弱々しくて―――・・・。

ビズはあまりに覇気のない自分の声に驚きながら、それでもすっと背筋を伸ばし真っ直ぐにクラを見据えた。

何故クラが自分に対してシスだということを告げてくれなかったのかという心の引っ掛かりが、どうしても拭い去れない。
もちろん、密偵としての活動をしていたのであればそうそう迂闊に告げられることではないだろとは、思う。

でも、先程クラはビズに対して『舞踏会の時に踊っていれば気づいていた』と確かに云ったのだ。
それはつまり、舞踏会でビズに対して秘密を打ち明けてくれるはずだったということ。

―――では、何故・・・?

自分の元へ通うちに。自分のことを知るうちに。クラは自分が信用出来なくなったのかと。
クラの秘密を秘密として胸に収めておくことの出来ない娘だと思われていたのかと、ビズは胸が締め付けられる思いだった。



じっと見つめる視線の先。クラがふっと溜息をつきながら、何故か諦めたような笑みを浮かべた。


「・・・私が貴方に真実を告げなかったのは、あなたがシスに心惹かれていたから。」

ほんの少し間を置いた、クラの答え。

ビズは己の想像していたものとはまったく異なるクラのそれに驚いて、まじまじとクラを見つめ返す。

「し、すは・・・シスは、クラ様だったのでしょう?」

「ええ。確かに私です。」

数回瞬きをして尋ねたビズに、クラは軽く自分の胸に手を当てながら今度は間を置くことなく答えてきた。

「では・・・っ」

何が問題だったのかと、ビズはクラに詰め寄る。
おそらくシスに惹かれていると思っていた心は、とっくに見透かされていたのだろう。
ならば、何故シスであることを黙っていたのかと、ビズは不思議だった。

しかも、クラがもっと早くにシスであるとわかっていればここまで悩まなくてすんだのだと思うと、余計にビズは追求の手を緩める気にはならなかった。

そんなビズの気持を汲んだのか、クラが苦い笑みを漏らす。

クラの大きな手が、そっとビズの頬に触れた。

「シスは云わば泡沫の存在。貴方には私を―――・・・クラを選んで欲しかった。」

思わぬクラの切なげな表情にビズが言葉を失う。
クラの手が、優しくビズの頬を撫でた。

「・・・それならば・・・どうしてっ・・・どうして、クラ様として、私の元へ来て下さらなくなったのですか!!」

上手くまとまらない思考に戸惑いながら、自分の発した言葉にビズの胸が痛む。

おそらくクラがビズの元へ来なくなったのは、ビズがクラの求婚を拒絶したから。
しかしそれがわかってはいても、どうしてもビズはクラの口から聞かずにはいられなかった。

「あのまま私が貴方の元へ通い続けていたとして、貴方は私を選んでくださいましたか?」

「それ・・・は・・・。」

冷静に切り返されたクラの言葉に、ビズは云い淀んだ。
正直、クラがずっと通い続けてくれていたのなら。はっきりと己の心を知ることは出来なかったかも知れないとは感じていた。

どっちつかずのまま、ふらふらと迷っていたかもしれないのだ。

黙り込んでしまったビズの顎に、クラの手が掛かる。

強く力をかけられたわけでもなかったが、ビズは潤んだブルーアイを促されるようにクラへと向けた。

それと共に腰に廻されたのはクラの腕。ビズは引き寄せられるままに、足を動かし。
クラの吐息を感じるほどの距離へと進んでいた。


「私はどうしても貴方の本心が、聞きたかった。」


見上げているビズに落とされたクラの囁き。
こんな風に云われてしまえば。もうビズは降参するしかなかった。

元より、シスへの憧れを恋にすり替え、クラの多面性に目をつぶっていた自分に非がないとは言い切れない。

ビズは気を落ち着けようと、一度クラから顔を背けようとし。だがそれはクラの手により拒まれた。
向き合ってしまったビズをどうやらクラは逃すつもりはないらしい。ビズは仕方なくクラを見つめたまま深く息を吸い込む。

「私は・・・貴方が好き、です。」

吸い込んだ息を吐き出した後。ビズはクラへと二度目の告白をした。
今度こそ何の隔たりもなく、クラへと伝えることの出来た一言。

なのに。

「それは―――私を?それともシスを?」

微かに意地の悪い笑みを浮かべ、クラが試すようにビズに問いかけてくる。

「−−−・・・今私の心を占めているのは・・・クラ様、貴方です。」

やや憮然としながら、それでもビズは素直に心の内をクラに晒してみせた。

今やビズの心を占めているのは、月夜の晩に突然現れた怪盗ではなく。
舞踏会でビズに対して声を掛け、その後も薔薇を遣し毎晩通ってくるという酔狂な真似をしていた目の前の人物。


「では、今度こそ私の妻になっていただけますね?」

素直になって返ってきた報酬。それはクラからのなんともいえない程甘く、そしてビズを酔わせる言葉と笑みだった。



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