09.キス


長い指で髪を撫ぜられる心地よさ。少しくすぐったいようなぞくぞくする感触。
耳元にかかる吐息にくらくらする頭をクラの胸に預けながらビズはその腕の中に納まっていた。

未だに現実感を伴ってこない自分の身に起こった出来事に、どこか夢を見ているような気さえする。
クラが訪れなくなった苦しさに胸が締め付けられていたのはつい先程のことだというのに、今は誰よりも近くにクラを感じている。

そのことが、泣きたくなる位に嬉しい。

確かにクラの態度に偽りはあった。でもクラの本質自体は見誤っていなかったのだろう。
クラのことが好きなのだと、たとえ優しい紳士ではなくとも、ただクラ自身が好きなのだと改めてビズは思い知る。

クラの妻になることを承諾した以上、これからが大変だということはわかっている。
一度は拒絶しながら、なのにクラが他の女性に愛を囁いても構わないのかと問われて感じたのは身のうちが焦げるような辛さ。
クラの為には承諾するべきではきっとなかった。
だが、自分を妻にと望んだクラの手に縋ってしまった。自分の身勝手さに嫌悪さえ感じる。

それでも一度取ってしまった手を離すことはもう出来そうに無いことも、ビズはわかっていた。

ならばせめて良き妻に。
クラの隣に遜色なくいることのできる、背筋を伸ばして顔を上げて立つことのできる女性に変わりたい。
ビズは自分をしっかりと抱きとめてくれる力強い腕の中で決意を固めていた。


風に揺れる梢のざわめきが、瞬間強くなる。

開いたままの窓が軽い音を立てる。レースのカーテンがふわりと風に舞う。

ビズがふと目をあげると、クラの髪を撫ぜる手が止まっていた。


クラの手がビズのやや赤みを帯びた頬に触れる。
確かめるようにクラの指がビズの白い肌の上を動く。
そしてビズの僅かに開いた唇の上に乗せられた。

ふっくらとしたそれをなぞるように親指の腹で辿られる。

ビズは痺れるような感覚に目を伏せながら、でも身じろぎもせずじっとクラに身をゆだねていた。
唇に触れていたクラの指がビズの顎に掛かる。

「ビズ、あの夜の続きを――――・・・」

クラが笑みを浮かべながら囁くと、ゆっくりとビズの上へと覆いかぶさるように身をかがめてきていた。



***




「ん・・・っ」

苦しそうに吐き出されたビズの声にクラはようやくその甘い感触から自らの唇を離した。
今まで味わっていたビズの濡れた唇が紅に染まっている。

月光が僅かに涙の滲むビズのブルーアイを照らしだしていた。

おそらく今までされたことのないだろう深い口付けに酔ったらしいビズの姿に、クラが笑みを漏らす。

すると、ビズははっとしたようにクラを見つめた後、恥ずかしそうに顔を逸らしてしまった。

クラの笑みが深くなる。

本当に愛しくて仕方が無かった。仕草も表情もだが、なによりもその心が。

もちろんまだ自分が知らない一面もビズは持っているのだろうとは思う。
これからビズを妻として迎え、ともに歩むようになれば見えてくることもあるはずだ。

しかしきっと今までにその心に触れて知ったビズの本質が変わらない限り、これからも自分の気持が深くなることはあっても冷めることはきっとないのだろうと、クラはビズの横顔を見つめながら感じていた。


クラの親指が逸らされたビズの顔を追い、その濡れた唇を拭う。

「ビズ、こちらを向いて?」

笑いを含んだ呼びかけは、ビズの羞恥を含んだ眼差しにより黙殺された。
どうやらキスに酔ったビズの姿に笑みを浮かべていたのがまずかったらしい。
だが、せっかく気持が通じたというのに横顔ばかり見せられていては堪らない。

クラはビズが顔を向けている方向へ手を伸ばすと、ビズの細い首筋に手を掛け、いきなりその逆側の首筋に噛み付くようなキスを落とした。

「っ!?・・・く、クラっさ、ま!?」

思惑通り、真っ赤な顔をして目を見開きながらビズがクラの方へと向き直る。
何か言いたそうに口を開け閉めしているビズの唇に、クラはさっとかすめるようなキスをする。

「―――っ!」

最早言葉も無く唇を引き結び、真っ赤になりながらクラを見据えるビズに、クラはにっこりと笑いかけた。

「もう少しキスの仕方には練習が必要ですね。」

「な―――、何、を言ってるんですか!」

ビズの両手が握られ、その拳がクラの胸に当たる。だがやってきたのは軽い衝撃だけだった。
クラは笑いながらビズの握られた手を取り、自分の手の中に包み込む。

「大丈夫。ちゃんと私が教えて差し上げますから。」

囁きながらビズの手にクラが口付ければ、ビズは紅い頬を益々朱に染め「・・・もう、本当に貴方は卑怯です。」と諦めたように呟いた。



***




何故か不意にビズが目を伏せたのは、クラが二度目のキスを仕掛けた後だった。

「どうしました?ビズ?」

先程の口付けの後の様子とは明らかに違うビズに、クラが問いかける。

「・・・クラ様・・・。」

現れたビズのブルーアイは、柔らかな月光を滲ませやや不安気に揺れていた。。

「もし、ですよ?私が先程、シスを選んだらどうするおつもりだったのですか?」

とんだビズからの逆襲に、クラは思わず言葉に詰まった。

ビズの言ったことは、確かにありえる可能性だった。
だが、クラはその選択肢を実はあえて考えないようにしていたのだ。

あまりといえばあまりな無計画さに、クラは自分自身呆れる思いだった。

―――普段であれば、決してこんな行き当たりばったりな計画に乗ったりはしなかったな。

「クラ様?」

自嘲気味に笑んだクラに、ビズが不思議そうに首を傾げていた。


ビズがシスを選んだその時は−−−・・・きっと強引にでも奪ってしまっていたかもしれない。

答えを待っているビズを見つめながら、クラはビズの問いに答えることなくビズの薄い両肩を掴んでそっと距離を取る。

―――なんにせよ、そう容易く諦めきれるものではなかっただろう。

急にクラから距離をおかれたことにより、ビズが戸惑ったようにブルーアイを細めている。

ビズの屋敷を訪れなくなってからの苛立ち。
実際クラの不機嫌さは日増しに募り、随分回りに被害を及ぼしていた。

そして見かねたカロがクラにしてきた提案というのが今夜の計画だった。

最後の賭け、だと。

これでビズ嬢がお前よりシスを選んだらその時はさっぱりすっぱり男らしく諦めるんだぞ?等としたり顔で言い出した男の提案にうっかり乗ってしまうとは、自分も随分追い詰められていたものだとクラが思い返す。


「―――どうしていたと思いますか?」

その口元に穏やかな笑みを刷き、クラはビズに問い返しながら一度離したビズを再び抱き寄せた。

クラ自身明確な答えの出ない問いに、ビズはさらに困惑しているようだった。

「・・・それ、は・・・。・・・あの、クラ様?」

力を込めてクラがビズを引き寄せた。ビズが吃驚したように目を見開く。
だがクラが「続きは?」と白々しく促せば。

「いえ・・・私のことは、忘れて・・・その・・・」

ビズは身じろぎしながらも、クラへの問いに答えようとしていた。

これは、ひとえにクラの気を逸らそうとしている為。
そのことに気づきながらもクラはその行為を留める気はさらさらなかった。

「本当にそう思いますか?」

ビズの唇に触れる程の距離でクラが囁く。

「わ、わかりませんっ。」

ビズが首をすくめて左右に頭を振った。

「貴方が他の男に触れられるなんて耐えられませんよ、私は。」

クラはビズの腰に廻した腕に力を込めると、更にぐいっと自分へ向けてビズを引き寄せていた。



***




「ビズ。」

クラがビズに向けて囁く。
戸惑いながらビズが見上げた先。そこにあったのは・・・舞踏会で見たあの笑顔、だった。

−−−背筋が、震える。

クラの形の良い唇。
ビズはそれが再び自分の唇に深く重なるのを感じた。



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