03. 七夜、困窮する(2)


――結局。

志筑の強引な手口に抵抗できなかった私は、父さんとのやり取りをすっぱり志筑に打ち明ける事となっていた。

しどろもどろに事の経緯を話していく間、志筑の呆れ顔と不機嫌オーラが見る見る悪化していって。

父さんとの経緯を全部話し終わった頃には……もう。なんというか。
こう黒い邪気がとぐろを巻きまくっているというか。
のた打ち回っているというか……とにかく暗雲があたりにたちこめまくっていた。

あああ、これは絶対に呆れてる。で、でも、お見合いの話は不可抗力だし!
そんなに不機嫌にならなくてもっ。

嫌な汗をかきつつ神妙に黙り込む、私。

志筑が溜息を一つ。

「で?」

「えっと? ……で、ていう……と?」

微妙に視線を逸らしつつ、ひくっと引き攣った笑顔で返したら。
志筑がとぼけるんじゃないとでもいうように、私の顎に指を掛けてくっと持ち上げてきた。

あああああ、こ、怖いかもっ。

「七夜は何でそのことを黙ってようとしたんだろうな? ……まだ、何かあったんだろ?」

静かに、尋ねられて。でも、今はその志筑の静けさが……かなり怖かった。

や、やっぱりそこに突っ込んじゃう? や、多分いわれるだろうとは思ってはいたんだけど。

そうストレートに聞いてこられると、ちょっと答え難いというか……ほら、乙女心はなかなか複雑だったりするわけで。

なんてことを思いつつ。更に微妙に志筑から視線を逸らす。
でも、有無を言わせぬ雰囲気の志筑に、しっかり顎を捉えられていて。

それでもどうにか逃げ出せないかな、と隙を伺っていたら今度はとうとう身体ごと志筑の腕の中に抱きこまれることになっていた。

「ちょーーーーっ、ま、しづっ!」

「今すぐさっきの続きをするか、素直に言うか……。」

ま、またそれか! ああ、もう! やっぱりキャラ違うよ、志筑。

「わ、わかったっ! わかったから志筑、いう、いう! 全部、するっとくるっと言わせていただきます!」

必死に志筑の腕を押さえながらの私の台詞と共にふっと体が軽くなって。
ぜはぜはと息をつく私の前で、志筑がやれやれって感じに、またもや溜息をついてた。

うう、志筑の卑怯者ー。

……でも、多分……本気じゃ、無かったような気がしなくもなかったり、して。
だって、いつも迫ってくる時と雰囲気がちょっと違ってた。

……なら、やっぱりこれは私が言いやすいように志筑なりに気を使ってくれた……と思うべきなのかな?

ああ、でもいまいちっ、いまいち納得できないっ!

握り締めた拳をやや震わせながら、ぐるぐると考え込んでいると。
ぽんと志筑の手が私の頭に乗せられた。

ちらりと志筑の表情を伺う。

まだ少し不機嫌そうで、でも、気遣うようにこちらを見ていて。
私は溜息を吐きつつ、握り締めていた拳をといてぱたりと膝の上に落とした。

私が志筑に父さんとの事を言わなかった理由。
それはもちろん言い難かったっていうのもあるんだけど……実は、もうひとつ。

できるだけ自分ひとりで何とかしたい、という気持もあったから。

そして――私にそう決心させたのは。

父さんも知らない出来事が原因だった。



***




「父さんから休日の外出禁止と門限を言い渡されたのは言ったよね?」

「ああ。聞いた。」

軽く頷く志筑。じっと私の話しに耳を傾けてくれているのを感じる。
でも、実はまだ往生際悪く躊躇っている事を、なんだか見抜かれているような気がした。

「うん……。それで……ね、……えっと……。」

ぽつりぽつりと意味の無い言葉を落としながら、かなり言い淀む。
目を伏せて下を向けば、コンクリートの薄い灰色。

「七夜……二人の問題、だろ? 素直に言っとけ。」

黙り込んだ私の頭上から降ってくる志筑の声。

『二人の問題』。その言葉がとても胸に響く。

一人で何とかしようと思っていたのも本当。
でも、今は志筑がそう思っていてくれることが何よりもうれしくて。

まだ少し躊躇いはあるけど……今は志筑に全部話しておこう。

私はぱっと顔を上げると。

「実はその後ね、母さんに交渉してみたの。父さんとの仲介をして欲しいなって。」

勢いをつけて、一気に志筑に向けて話しはじめていた。



母さんとの交渉。

――それはつまり結果からいうと、見事に玉砕……だった。

昨日父さんから理不尽な要求を突きつけられたすぐその後。
私はまっすぐ母さんの所に行ったのだ。

そして。

「母さん、父さんのあの横暴っぷり! あんまりだと思う!」

キッチンでのんびりお茶を啜っていた母さんに詰め寄った。
母さんは一瞬何のことよ、て顔をして。

「ああ。あはは。父さんだって心配なのよ、七夜のことが。」

直ぐにそう笑いながらのたまってくれた。

心配、してくれるのは嬉しいけど。でも、ね、でも!!

「それにしたってっ!」

限度ってものがね、と更に私が詰め寄ろうとしたら――母さんが、やけに静かに溜息を一つ吐き、トンとテーブルの上に湯飲みを置いて。

「あら、母さんだって心配よ?」

年甲斐も無く頬に人差し指を頬にあて、小首を傾げた。
しかもそれがまた似合っているから恐ろしい。

しかしこの時はそんなことに突っ込む余裕も無く。

「え?」

かなり放任主義の母からでた、嘗て聞いたことの無いフレーズに私は思いっきり眉根を寄せていた。

「だって、その彼氏とはお風呂に入ってきちゃうような仲、なのよねぇ?」

にこりと笑顔つきで、爽やかに言い放たれた衝撃の一言。

お風呂に……入っちゃうような仲……。そりゃ、お風呂……志筑の家で入ってくることあるけど。でも今は多分そこが問題なんじゃなくて。お風呂に入らなきゃいけないような事をしているのねって多分揶揄されているような……?

「え゛っ!!!!」

はっきりきっぱりこの瞬間。私の脳みそは凍り付いた。間違いなく。

壁掛け時計の短針が時間を刻む音だけが響くキッチンの中。
にこにこ笑顔の母親と、無表情に凍りつく娘。

「お馬鹿ねー、七夜。母さんが気づいてないとでも思ってた? 家のとは違うボディソープの匂いをあれだけ振りまいてたくせに。」

先に口を開いたのは、呆れたように頭を掻きだした母さんの方だった。

「そそそ、そ……っそれ、は……その……。」

でも私はといえば、誤魔化す事すら出来ず。

ひたすら「どうするっどうするの私……っ!?」と大量の疑問符がぐるぐる頭の中を駆け巡っていた……というのに。

「まあ、ちょっと早いかもとは思うけど。いつかは経験することだし、ね。……で、七夜はそこまで許してもいいほどその彼のことが好きなんでしょ?」

笑みをおさめた母さんが、これまた突拍子も無いことを聞いてくれた。

「なななななな、なななに!?」

最早どう答えればいいのやら。
ぐらんぐらん揺れる頭。そのまま床にへたり込んでしまいたい衝動。

なのに、深呼吸ー、深呼吸ーなんて。私をその状況に叩き落してくれた張本人からのんびりした口調で指示された。

「はいはい、落ち着きなさいね?」

私はぱくぱく口を動かしながらもどうにか息を吸いこむ。
何度かそれを繰り返し、どうにか胸の鼓動が収まった。

そして漸く落ち着いてきた私を、テーブルに置いた湯飲みに手を掛けた母さんはじっと見ていた。

「その彼のこと、好きなんでしょう?」

再びそう聞かれてしまえば。私の答えは一つしかなかった。

「――――――うん。好き。」

自分の言葉に、心臓がどくんと激しく鳴った。
言葉にすることで、口に出すことで、自分の気持を再確認した気がする。

私は、志筑が好きで。とても好きで。だから志筑と……母さん流に言えば、お風呂に入っちゃうような関係になったことも後悔してない。

だからまっすぐに目を背けることなく。
母さんが私に向けてきた、本心を探るような視線をしっかり受け止めた。

母さんが、一度瞬きした。

「じゃ、母さんは何にも言わない。その代わり父さんとこのことにも手も口も足も出さない。」

ふいっと私から顔をそむけ、手にしていたお茶を一口啜る、母さん。

「あ、足って母さん……。」

思わず脱力。でも母さんは私にはお構い無しに話を続ける。

「ちゃんと父さんのこと、自分の力で納得させて見せなさいってこと。本気ならね。」

母さんの顔に覗く、少し意地の悪い笑み。

「……。」

なんだか。ちょっと面白がってやしないですか、お母様。
微妙に沸き起こる不信感。

それに気づいたのか、母さんがふふんって感じに笑った。

「出来ないって言うんなら、所詮その程度ってことでしょ? まあ、諦めて父さんの進めるお見合いでも何でもするしかないわね。」

できないわよね的な雰囲気の漂う挑発的な物言い。

「――できる。」

私は反射的にそう言い返していた。

「うん?」

「出来る。絶対、父さんのこと納得させて見せる!」

確かな自信があったわけではまったくなくて。
だというのにこんなに強気で言い切ってしまえる自分が不思議だった。

だけど。私の気持を疑われていることが、悔しくて。
志筑を好きな気持が、軽いものだって言われているような気がして。

どうしても、ここでだけは後に引くことは出来なかった。

「――そう。……ま、頑張んなさい!!」

湯飲みを片手に母さんが椅子から立ち上がる。
ぱんっと、私の背中が母さんに思いっきり引っ叩かれた。

「い……っ!」

あまりの痛さに、背中に手をやりへたり込む。
しかも、それを見て笑っていた母さんがさらに追い討ちをかけてきた。

「あ。そうそう。それから。避妊、ちゃんとするようにね。そこのところ彼氏にしっかり言っておくように。」

「か――かぁさぁーーーーん……っ!」

な、なんて生々しいことを言うんだこの母親はっ!
普通高校生の娘には言わんでしょうよ……ああう。

床に座り込んでがっくりと項垂れる私。
それを尻目に母さんは、高らかに笑いながらキッチンを後にしていった。

そして一人取り残された私は、母さんの去り際に残したその一言により、再びドツボな脱力感に襲われる事態となっていて。

ああ、もう! なんていうか!! 家族のあったかさに涙が止まらないったら!



***




「はい! これでっ! 本っっ当に、全部っ!」

全てを話し終えて、私は半ばやけ気味に言い放った。
そんな私を、志筑がじっと静かに見つめている。

もう父さんとのやり取りも、母さんとのやりとりも全てすっかり話し終わって。
言ってないことは何も無い。

固唾を呑んで志筑の次の反応を待つ。

その私の前で、志筑が仕方が無いなというように――息を吐いた。

「それで黙っていようとしたのか……。一人で納得させるつもりだった?」

責められているわけじゃないけど。
なんとなく諭されているような感じがする志筑の口調に、少し項垂れる。

再び目にするコンクリートの床。
ああ、今日は何度これを見れば気が済んだろう、私。

と、自分に問いかけながらぽつぽつと志筑の問いに答える。

「……だって。志筑に迷惑掛けたくなかった、し。とりあえず父さんの出した条件――門限と休日外出禁止を守ってみようかなって……。私だけで出来ることなら私だけでやってみたほうがいいかな、て思……、」

でも。最後まで言う前に志筑が私の鼻を摘んだ。

「馬鹿だな。」

んん!? な、何、いきなり!?

あまりに突然、唐突で。目を白黒させる私に構わず、志筑がこつりと私の額に自分のそれを押し当ててきて。

「本当に、馬鹿だな……七夜。」

そ、そんなにしみじみといわなくてもっ!

でも。私のその反論は次の瞬間。奪うような、強引な志筑の唇に吸い取られていた。

んん!? ……ま、また!? ……今日の志筑はなんだってこういきなり……っ!

動揺する私に落とされる志筑の強引なキス。

口の中が焼けるように熱くなる。
絡めとられる舌。探られる口内。

きっと度数の高いアルコールってこんな感じじゃないのかな、と思う。
くらくらと頭の芯が痺れるようで、でもそれが心地よくて。

体の奥が……熱くなってくる。

そして、いつの間にか。私は甘えるように志筑の体に縋り付いていた。

掌に感じる、制服越しの固い感触。
合わせた唇から漏れる湿った音に、私の喉が鳴った。

「ん……ぅ、……しづ……き……。」

志筑の激しさに、息苦しくなる。

それに、このままいったらどんどん流されそうな予感がして、私は理性を総動員して志筑の肩を軽く押し返した。

唇が離れ、志筑と私の間に細い糸。
それが何だかわかっているだけに、目にしたら更に頬が熱くなった。

何度もしてることだけど。やっぱり毎回恥ずかしいのは相変わらずで。
志筑に顔を見られたくなくて、私は志筑の胸にとんと額を押し付けた。

志筑の腕が私を抱きしめる。そして耳元に、志筑の熱い吐息。

「七夜、そういうことは早く言え。……お前が門限と外出禁止令を守りたいって言うなら――協力する。」

「え、志筑?」

囁かれた言葉に驚いて、私は志筑の胸から急いで顔を上げ――……。
そこには、仕方なさそうに……でもやさしく笑う志筑が、いた。



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