04. 七夜、襲われる(2) |
「ね、シン……、志筑が何考えているかわかる? お前、オスだし。私よりはわかるかも……。」 もうそろそろ真夜中に近づこうかという頃合。 私はベッドの上にごろんと寝そべりながら。 夕方由紀に言われた台詞について、ぐるんぐるん考えている最中だった。 私の隣、ベッドの真ん中辺りにはすっかり寛ぎモードな黒猫、シン。 そのシンに向けて何とも答えの出ない問題を尋ねてみたり、して。 ああ、馬鹿だなぁ、私。シンが答えてくれるわけないのに。 案の定くわぁっとシンが欠伸をして……冷めた目でちらりと私を見る。 だよねぇ、あたりまえ。志筑が私によそよそしい理由なんて、シンに解るわけがない。 艶やかなシンの毛皮に手を伸ばしてするすると撫でてみた。 シンが気持よさそうにごろごろと喉を鳴らす。 その様子を見ながらふうっと溜息。 志筑の気持。よそよそしい態度。 明日はもう金曜日で。日曜日は間近。 何だか問題なんだか問題じゃないんだか……うーん。でも唯一の救いは……奥丹先輩が私に絡んで来ていないって事くらい、かな。 奥丹先輩が私に構ってたのはやっぱり気まぐれ。多分そうなんだろうなって……それがわかって凄くほっとしてたり、する。 今の状況をこれ以上複雑になんてしたくないし。 それになんといっても志筑の事が気になって……他に考えが回らない、感じで。 ……。 「ああ、もう!」 なんだって私は新学期そうそうこんなに悩んでるんだ! なんだかムカムカと理不尽な気持がこみ上げてきて、振り上げた両手で枕を思い切り引っ叩く。 シンが吃驚したらしくベッドの上から飛びのいた。 「……と。……シン、ゴメン……。」 いけないいけない。物に当たったってどうしようもないってわかってるんだけど……わかってはいるんだけど、ね。どうにも胸がもやつく。 下を向いてチェック模様のシーツをぼんやりと見た。 なんだかわからないことだらけだよ。ていうか……私、鈍いのかなぁ。 この頃大分志筑のことがわかるようになってきたような気が、してたのに。 凄く、距離を感じる。もちろん物理的な、じゃなくて。心の。 きりっと胸が――痛む。 あ、やだ、な……何だろ、これ。ちくちくする。 多分、不安、だから?――志筑が私に見せる拒絶するような背中が……悲しくて。 ――寂しい、のかな。私。 今とっても、志筑のあったかさが欲しい。志筑に触れて、確かめたい。 だけど。拒否されるのが怖い。 今日の志筑の様子を見る限りだと……絶対……触れさせてもらえない気がするし…。 ぐるんぐるんぐるん。またまた突入したマイワールド。しっかりどっぷりはまり込んでみたものの、やっぱり全然まったく答えなんて出る気配はなし。 あー、もう! わっかんない!!! ショートしそうな頭。さっき引っ叩いてまだ元に戻りきっていない枕へ向けてばふっと顔を沈み込ませる。 真っ暗になる視界。耳元でシンが小さく鳴いている。 ああ、思えば志筑と私の出会いって……シンも関わってるんだよね。志筑が私のことを気に留めたのはシンを助けてたからだって聞いたし。 枕からすこし顔を上げて横を見る。そこには綺麗な緑色の目。 今、この目に映っている私ってば…凄く情けない姿なんだろうな。 う――……うん……。ぐるっぐる考えてどうなるものでなし。 「……よし、志筑に当たって砕ける!」 辿りついた結論はやっぱり私らしく実に単純明快。 志筑に聞いてみる。話してみる。そう、話し合うことでの意志の疎通って大事だと思う。 だから当たって砕けろ作戦で。 ……あ。でも出来るだけ砕けない方向で頑張るけど。 うん。さっそく明日、実行するべし。 拳を握り締めて一頻り決意を固めた後、部屋の明かりを消す。 仰向けに寝転がり布団の端を引っ張って勢いよく被って。 ――いつの間にか……本当に落ちるみたいに、私は眠り込んでしまった。 *** そして。私が決意を固めた日の翌日、金曜日。 天気は快晴。微風あり。 この頃すっかり日課と化しているお昼休みの屋上ランチをするにはとっても快適な陽気だった。 でもぽかぽか暖かな日差しの中。私はいつもよりハイペースでお弁当箱の中身をお腹に詰め込んでいる。 何故かって。それはもちろん志筑を逃がさないため。 今日こそは志筑と同じくらいに食べ終えて、志筑を捕まえるんだから。 ぱくぱくぱく……と只管無言で食べ続ける。 で。後、ご飯を残り一口ってところで志筑が動いた。 「志筑……っ!」 またもやお弁当を食べ終わるなり立ち上がった志筑に向けて声を掛ける。 ついでに慌ててお弁当箱を閉じて袋に収め、勢いよく立ち上がった。 「七夜?」 ぱたぱたとスカートの埃を払う私を志筑が不審そうに見ている。 だけど今はそんなことに構ってられない。 今日は絶対に志筑と話すんだから。 「私も一緒に戻る。」 ぐっと顎を上げて志筑を見上げる。目が、合った。 「……わかった。」 しばしの後。溜息をつきながら、志筑が私の持っていたお弁当箱の袋に手を伸ばした。 間近に志筑の温かさ。だけどそれは一瞬。 あっという間に温かさが遠のいていく。 気づいたときには両手で胸元に抱え込んでいたお弁当箱が志筑の手の中へ移動していた。 志筑が私に背を向けて歩き出す。 歩き出した志筑に続いて、私は屋上を後にした。 教室に戻るまでのちょっとの間、渡り廊下の手前。資料室しかないフロア。 殆ど人通りのないそこで、私は今、志筑に話しだす切っ掛けをさがしている。 そんな私の前をどんどん志筑が歩いていく。 広い背中。でも遠のいていく、背中。 あ……、なんだろう。これって……志筑と付き合い始める前……みたい。 ふと、思い出した。ハロウィンの買出しに行ったときのこと。 あの時はまだ志筑と付き合ってなくて、それに自分の気持にも気づいてなくて。 ――なんだか……すごく志筑が遠い気がする。 昨夜も思ったこと。それをリアルタイムで突きつけられて。 また、胸が締め付けられるみたいな気が、した。 差し込む陽光の中に志筑の背中があって。 速度を落とさず私から離れていく……。 やだ。 急に、思った。志筑が遠のいていくのが、寂しい。 て。……この、気持ち。 何でそんなこと思うんだろう。やっぱり私……寂しかったのかな。 はっきりと気づいてしまえば。 それがどんどん心の中を満たしていく。 いつの間にか私の歩く速度が上がる。それでも追いつけなくて、駆け出す。 衝動のままに、どんっと志筑の背中に体当たりするみたいにぶつかって、ぎゅっと志筑のシャツの裾を握り締めた。 「なな……。」 「だって!」 驚いたであろう志筑が私の名前を言い終わる前に。私を拒絶する前に。私は志筑の言葉に自分の言葉を被せてしまう。 志筑が、黙り込む。 静かな廊下。 「こんなの、やだ。……志筑……どうして私のこと……避ける、の……?」 どうしようもなく、胸が痛んだ。 声が震えて、目の奥が熱くなる。 馬鹿なことしてるって、どこかにいるらしい冷静な自分が囁く。 ここは学校で。幾ら人通りが少なくても誰かが通る可能性のある廊下で。 そんなこと全部わかってはいたけれど。どうにも止めることが出来なかった。 つんと痛む鼻の奥。でもなんとか涙だけは、堪える。 情けない顔、しているんだろうな、今、私。 そう思って志筑を見上げた。 ……て。あ、れ? ……志筑……ひょっとしてもの凄く……困ってる……? だって、無言だし。 眉間に、皺、寄ってるし。 「しづ……き?」 小さく小さく、呼びなれた名を呟く。 すると、何か……そう、息だけじゃなくて、何かいろいろなものを吐き出すみたいに深く深く志筑が息をついた。 ――あ、れ? 背中に、固い感触。ふわりと一瞬身体が浮く。 あんまり突然すぎて、何が起こったのが全然解らなかった。 え? 何? え、ここ……あれ? だってさっき廊下にいたのに……なんで私……準備室の中に、いるの? 気づいたときには何故か私は……多分志筑の後ろにあった準備室の扉を潜ってその中に、いた。 固い感触は、志筑の腕。それが背中に回されていて、私は抱えられるみたいにしてその中にいる。 志筑越しには古ぼけた教材が見えていた。 古い書籍のかび臭いような埃っぽいような匂い。 それと……それより全然身近で久しぶりな、志筑の洗い立てっぽい、シャツの匂い。 矛盾、しているんだけど。鼓動がどくどく激しく打って、でもほっとしている。 志筑の胸に顔を押し付けて、背中に腕を回して抱きついたら……志筑があやすみたいに私の背を撫でた。 顔を上げて志筑を――見る。 でも、下からそっと覗き込んだら、何故かいきなり目の前が真っ暗になった。 唇と右頬に熱。 そこが熱いと思う間もなく、口の中に柔らかな感触が入り込んでくる。 「しづ……っ、しづ、き……っ、ま、待って……ま……や……っ。」 あああ、あの。ちょっと! い、今まで誤魔化すとかはぐらかすとかそういうときにこういうキスを学校でされたことはあったんだけど、なんだか…今はかなり本気っぽい気が! さすがに学校でキス以上は……したことないし。 ああ、でもそのあのね、だから……っ。 え、って、ちょっとまった……、やっ! な、何、どこ触ってるの志筑……っ! 「しづ……っ!?」 「七夜。」 足に触れてきた手に抗議しようとした私に向けて、熱っぽく志筑が囁く。吐息にすら、熱を感じる。 頭の芯がくらりと揺れた。 「あ……。」 スカートの裾から忍び込んできた志筑の手。それがするりと腿を滑って上ってくる。 私の首筋には、志筑が顔を埋めていて……熱い。 きつく、吸われて――……。 だ、だぁ! な、流されるな私!! 「ちょ……っ! ちょっと待った! 駄目ってば! 志筑、志筑、志筑!!」 声を張って志筑を制止する。 だって私は話し合いをしたいのであって! こんなに過剰なスキンシップを望んでいるわけじゃないんだってば! 私に触れている志筑の手を掴もうとして。 逆に……志筑に掴れた。 壁に押し付けられる。志筑と壁の間に挟まれて身動きできない。 どんどんますますエスカレートしていく志筑の動きに翻弄される。 甘い疼きに蕩けそう。 だけど――やっぱりここは学校で。幾らくらくらな状態にはなっていても――駄目だって、ば! 「ん、やーーっ! えろ志筑ーーーーっ!!」 渾身の力を込めてどうにか動かしてみた拳が志筑の胸に当たって。 志筑がはっとしたように私から、離れた。 *** 外から僅かに聞こえて来る、遠くの音。 差し込む日差しの中に舞う塵。 荒く息をつく私と、表情の無い志筑。 でもなんとなく……志筑が動揺しているような気がする。 どうしてといわれても、はっきりとは答えられないんだけど。 うん、本当になんとなく……? 「しづ、き?」 どくどくなる心臓を片手で押さえて、呼びかける。 ふ、と志筑が……私から視線を外した。 「……悪かった。」 短い一言。私の横を通り過ぎ、志筑が扉に手をかける。 軋んだ音を立て扉が開いた。 部屋の中から志筑の気配が消える。 また軋んだ音を立て、扉が閉められた。 その途端、かくんと膝から――力が抜けて。 私はそのままへなへなと床へ崩れ落ちていた。 「どう……なってる、の……。」 だってあんな風に迫ってくる志筑は初めてで。 掴まれていた腕とか触れた唇が火傷しそうなほど、熱くて。 まるで志筑が全然知らない人――みたいで……。 怖かった、わけじゃないけど……。 「……志筑の、あほ。」 どうにも行き場の無いもやもや感。 ぼそっと志筑に対する非難にかえて呟いてみる。 でもそんな事をしてもそれがなくなる筈もなく――かといっていつまでもこのままへたり込んでいるわけにもいかなかった。 困惑する頭を抱えて、ふらふらと立ち上がる。 まだ体に残る志筑の感触と、熱は確かなもの。 それを逃がしたくなくて志筑の触れていた手首をもう片方の手で握り締める。 明日は、土曜日で。ブロッサムはもう間近。 折角奥丹先輩のお誘いが無いことに安堵してたのに。 どうして……どうして志筑とこんなことになっちゃったのかなぁ。 ぼんやりと志筑の出て行った扉を見つめて。でも志筑が戻ってくるはずもなく。 仕方なく扉に向けて歩き出す。 扉に手をかけ開けようとして――何故か私が力を入れるより先に、それは開いた。 ん? んん?? 首を傾げて開いた扉を見つめる。すこし下を向いていた私の視界に、黒。 これは、制服の上着だよ、ね? でも、志筑じゃない。志筑はもう少しがっしりしていて……多分今見えている部分から想像すると、背丈も志筑の方が高い、と思うし。 じゃあ今、私の目の前にいる人は……誰でしょう? 半ば以上その答えをわかっていながら、視線を上げる。 そこには――案の定……絶対に18日が過ぎるまで会ってはいけなかった人がいた。 「やあ、黒河さん。」 お、奥丹先輩……。 そう、ぱっと見開いた私の目にはばっちりと奥丹先輩の姿。 にこやかに笑っていながら、でもどこか苛立たしげな複雑な表情をしていて。 すこし気になったけれど…今の私はそれどころじゃなかった。 な、なんでこの人がこんなところにいるんだ!! 「ど……して。」 こくんと喉を鳴らしながら、呟く。だってもう私には興味を無くしたのかと。 一歩、奥丹先輩が室内に踏み込んで来る。 思わず私が後退する。 するとさらにもう一歩奥丹先輩が足を進めて、軋んだ音をたてた後、情け容赦なく扉が閉められた。 じりっと奥丹先輩が近寄ってきて、私は慌てて窓際まで逃げ出す。 「うん? 嫌だな、もしかして僕が諦めたと思ってた? ……まさかそんなことあるわけないってば。……あのね、君が本当に独りになるのを待ってたんだよ?」 「独り……?」 何言っているんだろう? だって学校の中だけで言っても……独りでいたのは今だけじゃないのに。志筑が傍に居ないことだってあった。……ここ数日は、特に。 奥丹先輩のいっていることの意味がわからない。 だから多分私は凄く不審そうな顔をしていたんだと思う。 奥丹先輩が肩を竦めた。 「そう。独りになるのをね。気づいてなかったでしょ、黒河さん。君が気づいてなくても志筑君がいつも傍にいたんだよ? まったくストーカーじゃあるまいし、勘弁して欲しいね。」 皮肉気な笑顔。今まで見たことのない、奥丹先輩。 だけどそれ以上に、志筑のことが気になって。 ……なんで……ああ、もう! 傍に居た? 私に気づかれないように? どうしてそんな回りくどいことするかな、志筑ってば! 影からひっそり守られたってわかんないよ! ただ私は志筑に傍に……ちゃんと私がわかるように傍にいて欲しかっただけなのに。 今、とても志筑と話がしたい。なんだかちょっとずつすれ違っている気がする。 きっと言葉が足りてない。私も、志筑も。 すぐにでも駆け出したい。 でもそれは、現状が許してくれそうもなかった。 「黒河さん?」 穏やかな声。 ――奥丹先輩と二人きり。 実はこれってとってもまずいんじゃないの? 今更そんなことに気づく。 志筑に知られたら多分間違いなくまずいであろう状況。 あ、ひ、冷や汗が……。 つっと背中を冷たい何かが流れたような感覚。 「あ、あの、ですね……奥丹先輩?」 動揺しまくりながらあきらかに挙動不審になる私に奥丹先輩が近づいてくる。 余り広いとはいえない準備室の中。あっという間に逃げ場を失った。 ――ど、どうしてここってばこんなに狭いんだ!! 背中にあたっているのは、壁。目の前には奥丹先輩。 おろおろとうろたえる私に向けて奥丹先輩が腕を伸ばしてくる。 びくんと身体が竦んだ。反射的に目を閉じて俯く。 いざとなったら噛み付いてでも逃げ出そう。 なんてことをぐるぐると頭の片隅で思う。 でもしばらく待っても奥丹先輩が私に触れてくることはなかった。 「……妬けるね。」 がっちりガードを固めるべく身を竦める私に、触れるかわりに落とされた奥丹先輩の言葉。 「……は?」 ヤケル?焼ける?……えっと……もしかして妬け、る…? 恐る恐る目を開く。 そこにはにこやかさより、苛立たしさの勝っているように見える先輩がいた。 伸ばされた手は、私の首筋に触れるぎりぎりで止まっている。 首筋……えっと……。 ……さっき志筑がキス、してたところで……もしかして……跡が残ってたり、して……? う、わ……っ!!! 一気に全身が熱くなった。ばばっと首筋に手を当てて覆い隠す。 何て恥ずかしい真似を! し、志筑ってば何してくれてるの、もう! おろおろと動揺しまくる私。 奥丹先輩が溜息をついて、すっと手を引く。 うう……逃げ出したい……。 じっと俯いて、どうしたらいいのかわからなかった。 このままじっとしておくべきか、奥丹先輩を押しのけてとりあえず逃げ出してみるか。 じっとしていたって仕方がないのはわかっているけど、そうやすやすと奥丹先輩が私を逃がしてくれるかは……確率的に半々くらい、かも。 「黒河さん。」 「はい!?」 やけに冷静な奥丹先輩に対して素っ頓狂な声を上げる。 ついでに勢いで顔も上がっちゃって。 ばっちり奥丹先輩と目が合った。 にっこりと微笑まれる。つられて思わず私も口元がひくついた。 「ブロッサムの申し込みをします。僕と踊ってください。……もちろんノーは無しだけどね?」 あああ、そ、そっち。それもあったんだっけ。 二人きりという状況に動揺しまくって……すっかり失念していたのは迂闊としかいいようがない。 しかも――私に拒否権は無いわけで。 誘われた以上受けるしかない……受けるしか、ないんだけど。 「う……、その……。」 どどどど、どうしよう。 答えに詰まる私の前で、奥丹先輩がにこやかに笑っていた。 すれ違いに、不意打ち。 いろいろなことが――……一度に、動き出していく。 私の許容範囲はもうとっくに越えてるんだってば! 叫びたい衝動に駆られて、でも叫ぶかわりに私はがっくりと項垂れるしかなかった。 |
Back ‖ Next ハロウィン・パーティ INDEX |
TOP ‖ NOVEL |
Copyright (C) 2003-2006 kuno_san2000 All rights reserved. |