05. 騙された先には…?(1)


「……夜……、七夜ってば! ……大丈夫なの?」

……はっ!

あ、あれ? 由紀??
ここ――教室? なんでここにいるんだっけ??

ふと気づけば。
私の机の前で由紀が腰に手を当てて、座ったままの私を見下ろしていた。

「呆れた。随分ぼんやりしてるとは思ったけど、まさか午後の授業中ずぅーとそうやって放心してたの?」

午後の、授業? ええ? 何、いつの間に終わって……?
さっぱりすっかり何を受けたのか、まったく覚えがないんだけど。

辺りを見回せば人は疎ら。

今は放課後……どうやらもう授業は終わっている、らしい。
えっと、でも確か私はつい今しがた奥丹先輩と話していて――。

て。じゃあ。

「――私、ユメでもみてたのかな?」

数回瞬きして由紀に尋ねる。

ユメ――だったらいいと思って。鮮明に残っているあの出来事。
志筑がおかしかったこととか奥丹先輩に誘われちゃった事とかが。

ぼんやり見上げる私の前で、由紀が心底呆れたといわんばかりに深く溜息。

「あのね、七夜。全然ちっとも夢なんかじゃないのよ? 奥丹先輩に誘われたことも……志筑君に襲われかけたことも、ね?」

――やっぱりユメじゃないんだ……。ああ、そうだよね。
誘われちゃったんだよね、ダンス。

誘われ――ん?

何かが引っかかった。奥丹先輩に誘われたのはいいとして……や、良くはないんだけど。それはこの際置いといて。

その後。そうそうその後の由紀の台詞。

私が志筑に……おそわ……? え? まって……え、と。

確かに準備室に引っ張り込まれて。押さえ込まれて。
ちゅーとかされて。それ以上とかもされそうになって。

それってつまり……?

「わ――私、志筑に襲われたの!?」

がたんと椅子をけって勢い良く立ち上がった私に、由紀は一度驚いたように目を見開いて、継いで盛大な溜息を落とした。



***




「七夜、いい? だいたい貴方は警戒心が無さすぎるの。わかってる?」

由紀は盛大な溜息をついた後。
私を引っ張るようにここ――いつものファーストフード店に連れてきていた。

そして、こんこんとお説教。

だから男心を少しはわかるようになりなさいっていったの、からはじまり。
普段から私は警戒心が薄いとか。もっと自己防衛能力を培えとか……。

でも私の中では志筑に襲われたという感覚は全然なかった。
だけど実際志筑がそこまで我慢していてくれていたことに気づいてなかったっていう負い目があって。

それに奥丹先輩には確かに襲われかけたと……思うし。
やっぱりもう少し警戒心、持ったほうがいいのかも。

なんて反省することしきり。

そんな私が由紀の話しに口を挟める筈もなく。ただ只管頷く。
そして頷きながら、私はすっかり全部を思い出していた。

あの時―――奥丹先輩に誘われちゃった後のことを。



「さ、黒河さん。ちゃんと返事、聞かせてくれるかな?」

狭い準備室の中。
息苦しさを感じながら俯く私に、奥丹先輩ははっきりした答えを求めてきていた。
もちろん断ることは――出来ない。私に拒否権はないから。

でも冷静に考えてみれば。
申し込みを受けてしまった時点で、私の返事なんてもう必要ないはず。
断れない以上拒否の言葉を言わなければ……つまり黙っていたとしてもそれは必然的に受けた、とみなされる訳で。

なのに、それでも尚且つ私にイエスと言わせようとする奥丹先輩。
やっぱりあまりよろしい性格とはいえない、と心の片隅でこの時の私は考えていた。

「あ、あの……奥丹せ……っ。」

戸惑って。承諾の返事を口にするのが志筑に対して凄く凄く悪い気がして。

でも背中には壁。左右には棚。前には奥丹先輩。
狭いスペースに閉じ込められてどうにもできなかった。

「何かな?」

穏やかに奥丹先輩が笑う。
だけどその穏やかさが逆に怖かった。

目が、笑ってない。
表面上はとてもにこやかなのに。纏っている雰囲気は触れれば切れそうなほどぴりぴりしていた。

こくりと喉が鳴る。
言葉がどこかに張り付いてまったく出てこない。

しばらく何とか頑張ってみたんだけど駄目だった。

「まいったな、だんまり?」

だんまり、というか……言葉が出てこないんです。
だいたい何を言ったらいいのかもわかんないんですってば。

困ったように笑う奥丹先輩。

なんだか蛇に睨まれた蛙となった私は、だらだらだら、と、がまの油が垂れ流れているようなそうでないような状態で只管黙り込んだ。

だから。

これはもう逃げ出すしかない。とりあえず奥丹先輩を押しのけて扉へ。
その後は脱兎の如く逃げるべし。

そう決意を固めるまでに時間はかからなかった。
拳を握り締めて足に力を入れて即実行。

埃が舞い、私がぶつかった所為で棚に収まっていた本がばさばさと音を立てて床へ落ちる中。

かなり奥丹先輩の不意をつくことが出来たと、思う。
驚いたように奥丹先輩がバランスを崩して。私は空いたスペースを通り抜け。

でも私が扉に手をかけるより早く――。

背後から、だん、と奥丹先輩の手が扉を押さえた。

「きちんと返事を聞くまでは、逃がさない。」

万事休す。
私の両側には腕。恐る恐る振り返ると、随分間近に制服が見えた。

「へ――返事なんて必要ないじゃないですか! だって拒否できないなら……必要ないでしょう?」

多少声が上ずる。いつもと様子の違う奥丹先輩。
なんで! どうして! 突然いきなりこんな行動をするんだろう。

今まではどこかふざけている気がしていた。
絶対に私をからかってるんだろうなって……思ってた。

なのに今は――私の目の前で笑みを絶やしていないはずの奥丹先輩は、違うような気がする。

「必要はないけど……でも、僕は黒河さんからイエスを聞きたい。」

「―――わけがわかりません。」

ぎっと睨みつけてきっぱりと言う。今度はちゃんと普通の声音で。

だって本当にわからなかった。
なんでそんなに私からイエスを聞きたがるのか。

「そう……黒河さんにはわからない、か……。」

すこしだけ、本当に少しだけ。この時、奥丹先輩は寂しそうに笑った気がする。
でもそれは一瞬。次の瞬間、私は強い力に捕らわれ、視界は黒に染まっていた。

え!? 何!? 黒、黒って……!?

ぐらぐらする頭で必死に状況を理解しようした。

身体が温かい。それは自分以外の熱が触れているから。
埃っぽい中に、すこし甘い香り。香りの元はとても近くにある。

それはつまり――志筑についさっきされたように、奥丹先輩に押さえ込まれている――。

頭で理解するよりも早く、身体が拒絶した。自由な手でばしばしと奥丹先輩を引っ叩く。

「志筑君の忍耐力は予定通りだったんだけど……君の身体にこんなものを残されるのは――予定外だったかな……。」

志筑のキスを受けた場所に奥丹先輩の指が触れ。
ざっと自分の肌が粟立ったのを感じた。

や、ちょっとま――っ!

志筑の阿呆! どうして肝心な時にいなくなって……!
もう、もう、もう!!

心の中で悪態を吐きながら、懸命に奥丹先輩を叩く。
でも奥丹先輩が怯む気配はなかった。

首筋に奥丹先輩の吐息。

「や! 嫌……っ! 志筑!」

堪らずに私は志筑の名前を呼んでいた。
私を捕まえている奥丹先輩の手に力が籠もる。

「その名前は呼ばないで欲しいな。好きな子にイエスを言ってもらいたいだけだよ、僕は。」

締め付けられ、痛む腕。
近づいてくる体温。

もう駄目だと、思った。

でも――……突然、私の背後で扉が開いた。
あっと思う間もなくバランスを崩して後ろへ向けて倒れそうになる。

多分奥丹先輩の手が私の腰に回ってなければ確実にそのまま倒れこんでいたはず。

な、何が起きたの!?

急に起こった出来事に驚いて、だけどどうやら助かったらしいことはわかった。

膝から力が抜けてへたへたと、私はまたもや床にへたり込む。
奥丹先輩の手が自然に私から離れた。

「すみませんが、そこまでにしていただけます?」

背後から聞こえたのは、ひどく凛とした声。
聞き覚えのあるそれに涙が滲みそうになった。

「……やあ、これはとんだお邪魔虫さんだ……ええと、叶さんだったかな?」

「ええ。」

のろのろと私が振り向いた先。
腰に手を当てて扉の入口で仁王立ちになっていたのは間違いなく由紀だった。




「仕方ない。じゃあ、僕はこれで退散するよ。黒河さん、またね?」

由紀の登場により、先程までのぴりぴりした雰囲気は奥丹先輩から見事なまでに払拭していた。

へたり込む私に向けて奥丹先輩がにっこり微笑む。
由紀が扉からどいて、奥丹先輩の姿が見えなくなって。

心の底からほっとした。
ふうっと深く息を吐き、黙り込んでいる由紀をそっと見上げる。

由紀は――奥丹先輩の歩いていった方向をきつく睨みつけていた。

「あ、の、由紀。来てくれてありがとう……で、その……志筑、は?」

まだへたり込んだままの私に由紀が視線を向ける。

あ。なんだか……、怒ってる。

直感的にそう思った。表情に出ていなくてもなんとなくわかる。

「帰ったわ。まったく無責任なんだから。後、頼むってそれだけよ?」

私が間に合ったから良かったものの、どうするつもりだったのかしら。

腹立ちがおさまらないというように由紀が苛立たしげに吐き捨てた。

どうやら由紀の大部分の怒りが向いているのは奥丹先輩ではなく志筑にであるらしい。でも、私はそれを聞いて呆然として。そして信じられない思いで由紀を見上げた。

志筑が帰った? 私を残して?

見捨てられたみたいな、置いてけぼりをくったみたいな……心臓がずきんと痛む感覚。

「とにかく七夜、立てる?」

由紀の細い手が私の腕をつかむ。
軽く引っ張られてのろのろと立ち上がる。

立ち上がった私のスカートや上着を由紀がパタパタと払ってくれた。
気遣わしげな由紀。

だけど突然由紀の手が止まった。ふと見てみれば由紀の眉間にやや皺。

ん? どうかしたのかな?

「由紀?」

首を傾げて呼んでみれば。由紀は眉間の皺を消して溜息を吐いた。

「はい、これ。」

由紀が制服のポケットから何かを取り出して私に差し出す。
反射的に受け取ってしまって。

んん??

首を傾げた。

渡されたものは、一枚の絆創膏。

私、怪我なんてしてないよ? そりゃ床にへたりこんだりしたからちょっと埃っぽくはなっていたかも、だけど。

「えっと。これはどう……?」

「――首、隠さないと結構目立つけどいいの?」

由紀がとんとんと自分の首筋を指で軽く叩く。
そこで漸く気がついた。

キスマーク。

「あ、や、これはその……! そのだから……! あ、あああの!」

ぐるぐるぐるぐる。激しいパニックに襲われて。
自分の席についたころには私は何がなにやらわからずな状態で。
由紀によって声を掛けられるまで軽く現実逃避をしていた――らしい。



「いい、七夜。明日ちゃんと志筑君に会って話し合ってきなさいね?」

こんこんと続けられた由紀のお説教。それはこの台詞で締めくくられた。
すっかり氷の溶け出した烏龍茶を啜りながら私はコクコクと頷く。

明日は土曜日。本当は外に出ちゃ駄目なんだけど。でも朝のうちほんのちょっとだけ家を抜け出すつもり。

実を言うと今すぐにでも志筑に会いたかったんだけど。
すこし冷静になる時間をとったほうがいいと由紀に諭された。

うん。確かに――今あったら感情的になる気がする。
志筑のこと責めちゃいそうだよ。

だから明日――志筑に会いに行こう。
ちゃんと全部話すの。奥丹先輩に誘われちゃったことも。志筑が我慢していたことも気づかなくてごめんってことも。

だから志筑も私にいろいろなこと、話してって。
影からこっそり見守ってもらうんじゃなくて、傍にいて欲しいから……。

「じゃあ、七夜。頑張って。」

由紀がにっこり笑って励ましてくれる。

気づけば、紙カップに入っていた烏龍茶は底をついていた。
それをトレーの上に戻して私は深く息を吸い込む。

よし、明日! 頑張ろう!
早起きして志筑に会いに行くんだから。

「ん。頑張ってくる。」

決意を込めて私は由紀にしっかりと返事をした。



でも……だけど。その翌日――。
私は――志筑に会いに出かけることは……できなかった。



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