06. 志筑の気持(1)


制御出来ない甘い疼きに理性は崩れ、自分を見失った。

震える声と泣き出しそうな瞳。シャツを掴んでいる華奢な手。

日に日に膨れ上がる衝動は、その時堰を切ってあふれ出していた。
押さえつけた細い体に抵抗されて、それでも歯止めは利かなかった。

今までは、彼女に抵抗されてしまえば無理強いするような真似はしなかった。
――いや、多分……出来なかった。

なのに、 埃っぽい室内で一体七夜に何をしようとしていた?
思い出すだけで自分に腹が立って仕方が無かった。




「おーい、連。……連さんってばさ。…お前、昨日からそうやって、一体いつまで居座るつもりだよー?」

街中にある、メンズ衣料店の二階。
何の仕切りも無い広々とした空間ではあるが、一応居住スペースとして使用されているその中に配置されているソファ。

そこに座り込んだままの俺に情け無い声をかけるのは、従兄弟でもあり、一階にある店舗の店長でもある田中 青磁という男だった。

無言でちらとそちらを見れば、声と同じように情けない表情だ。
目が合うと、「はぁ……。」とこれ見よがしに溜息をつき、やれやれと首を振る。

相変わらずジャラジャラと装身具をつけた、どこもかしこもふざけているとしか思えないその姿に、溜息を落としたいのは寧ろこちらの方だ。

以前、七夜からこの店の包装がされた服を贈られた時には僅かながらに驚いたものだが、どうやら七夜は何も知らず、本当に偶然だったらしい。

それがわかったので、七夜には青磁との関連性は何も告げてはいなかった。
あえて言うほどのことでも無いし、できれば青磁との関わりは余り持って欲しくはない。

「それにしても、ほんっと珍しいよね。お前が俺んとこくるの。」

部屋の隅に置かれた簡易キッチンのカウンターで、二人分の珈琲を入れた青磁が、ソファの傍迄来て床に直接座した。
幅広とはいえ、流石に男二人でソファに座り込むのは青磁の方でも嫌だということらしい。

あまり遠出するのも面倒だったということもあり、手近な青磁の店に来てしまったのだが、転がり込む先を間違えたかもしれないと今更ながらに思う。

だが、今は家に戻りたい気分とは到底言い難い。何度も七夜を抱いたその場所に戻りたくはなかった。

「――悪かったな。叶が来る予定でもあったのか?」

差し出された片方のカップを受け取り一口喉に流し込んだ後、ありえないだろうと思いながらも若干の揶揄を込めて当てこする。

青磁は、軽く口元を引き攣らせ、動きを止めていた。

「叶に俺の情報を流してたのはお前だろう、青磁。」

「あ、あれー、やだなぁ……ばれてたんだぁ? ……あー……、あ、しまった! そろそろ店に戻らないと……。じゃーなー、ゆっくりしてけよ、連。」

乾いた笑い声を上げ、青磁がばつの悪そうな笑顔のまま、白々しく言う。
まだ湯気の上がる珈琲を片手に立ち上がると、そろそろと扉に向って後退し始めていた。

「青磁、待て。」

「え……、な、何かなー?」

呼び止めると、明らかに動揺しているのが見て取れる。

だが、今更そのことについて責めるつもりは毛頭なかった。

どうやって叶と知り合ったのかは知らない。
だが、青磁の方では気づいていなかったらしいが、以前に一度だけ青磁が叶と一緒に歩いている場面を偶然目にしたことがある。

だらしなく緩んでいた様子から察するに、叶に惚れているらしかった。

好きな女から頼られれば、何でもしてやりたくなる……昔はわからなかったそれが、今は良く分かる。

叶に請われた青磁が、否と言わなかったのも仕方ない。

もっとも叶にその気があるのかは甚だ疑問ではあるが、そこまで首を突っ込む気は無かった。

「それ、消してけ。」

顎で示した先には、特に見ているわけでもなく、ただつけっ放しにしているだけのテレビがある。
スピーカー流れてくる陽気な音楽が何となく癇に障った。

「あ、はいはい。これね。……えー、と。リモコン、リモコン。」

床に転がっているクッションの間から青磁が黒い長方形のリモコンを探し当てる。
ブラウン管が一瞬音を立て白く瞬き、室内が静まり返った。

「んじゃ、俺下にいるからさ。なんかあったら呼んで。」

カップをキッチンに置くと、青磁が階段へと続く扉を開け階下に消える。

大きめにとられた窓から差し込む明るい陽光が眩しかった。

ソファの背に寄りかかり、天井を仰ぐ。
住んでいる当人とはまるで違う飾り気の無さは好ましい、と思いながら息を吐き目を瞑る。


――七夜は、あれからどうしただろうか。

薄暗く埃くさい場所に、一人残してきてしまった。
驚愕を含んだ眼差しに、耐えられなかった。

すぐに叶へ頼んでおいたが、何事も無かったかと胸が疼く。

『しづ…き?』

シャツを掴れ、小さな声で確認するように名を呼ばれた。

七夜が呼べば、志筑という響きすら違って聞こえる。
今だ俺を名前を呼ぼうとしない――そのことすらとても七夜らしい。

告白した時と、その後何度か。そして、ベッドの中で散々焦らした後に強要したのが、数回。

おずおずと躊躇いがちに、連と呼ばれた。

――馬鹿なことを、考えているな。

瞑った目の上を、更に両手で覆う。

今までこれほどに執着したことはなかった。
物にも――人にも。



もう一年以上前になる。入試の日、流された猫を助けにざばざば川に入っていく制服姿の七夜を見たのは。

これが最初の出会い。抱いた感想は。

――馬鹿な女。

まだまだ冷える初春。そんなところに入っていくのは馬鹿以外の何者でもない。
橋の上からその様を眺め、でも何故か目を離せなかった。

スカートの裾を巻くりあげ、かなり苦戦しながらようやく段ボール箱を捕らえた彼女は、箱の中から茶色の物体を取り上げると両手で胸に抱え込んでいた。

小さなそれは、子猫。

ダンボールの中に入った水しぶきで濡れたのか、細い腕の中でぐったりしていて、岸へ戻った後も彼女は、不安そうにおろおろと腕の中の子猫に話しかけていた。

まだ生まれて幾ばくも経っていないその身で、冷たい水はかなり堪えているだろう。もう助からないかもしれないと、特に何を感じるわけでもなく思っていた。

――そろそろ行くか。

腕に抱え込んでいた猫に何事かを言っているらしい女から目を逸らし、腕時計を確認すれば、もう時間だった。

多分、この時もう一度だけ様子を見ようと思わなければ良かったのかもしれない。

丁度目を向けた瞬間、猫の体を撫でていた彼女が左手をぱっと口元に持っていったのだ。
よくよく見ると、どうやら気づいた子猫に引っかかれたらしかった。

助けた上に引っかかれてたんじゃ、割に合わないだろう。

歩き出そうとしていた足は止まった。

この後どういう行動に出るのかを見たかった。
このまま岸辺に置き去りにするか。それとも怒り出すのか。

だが、その予想はどれもはずれ……。
遠目でもはっきりわかるほど、七夜は安堵した笑みを浮かべていた。

胸が、ざわついた。

そのまま自分の脱いだ制服の上着で子猫を包むと、急いで駆け出した七夜の後ろ姿を見送りながら、オレは初めて自分の感情を持て余している自分に気づいていた。


そして入試会場で――その馬鹿な女の姿を見たとき……何かが動き出した気がする。

再び出会った4月。同じクラスにいた七夜へ自然に目が向くようになったのは恐らく必然。

よく変わる表情に感情。

いままで、誰にも感じたことのなかった衝動。
はじめは、戸惑った。自分の制御できない感情に苛立ちもした。

だから、ハロウィンを口実に彼女に近づき、傍にいればこの不可解な感情は納まるのではないかとも思った。彼女も、今まで関わりを持った他の女となんらかわることの無い存在だと、証明したかったのかもしれない。

なのに結果は収まるどころか益々酷くなり、おまけに無謀すぎる彼女の言動に、始終振り回されっぱなしだった。
ハロウィンの前、七夜が奥丹にジャック・オ・ランタンが欲しいと言っていた時には、半ば本気で彼女を強引に奪ってしまおうかとすら、思った。

――ハロウィンの時は奥丹に挑発され、壇上から告白するという行動まで起こしている。

けれど今は――どれも悪くない、と思っている。

馬鹿な女。
それが、今は何よりも大切で愛しい。


「七夜……。」

いつの間にか呟いていた。

よく笑いよく泣き、強情で恥ずかしがりやで、何につけても懸命に向き合おうとしている彼女の顔が浮かぶ。

笑い顔、泣き顔、怒り顔、ベッドの中でだけ見せる顔。
全てが心の琴線に触れる。今まで動くことの無かったそれが、七夜の些細な言葉にすら、動かされる。


――逢いたい。触れたい。触れて、確かめたい。彼女の中に自分が居ることを。


突き動かされるように目を開く。
黒に染まっていた視界に、眩しい陽光が満ちる。

そこで、静まり返った室内に電子音が響いていることに漸く気づいた。



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