06. 志筑の気持(2) |
部屋の隅にある電話のランプ。 存在を主張するようにそれが点滅を繰り返しているのが目の端に止まる。 面倒だったが、一向に鳴り止むことの無いコール音に辟易し、凭れていたソファから立ち上がった。 青磁も店に出ているときには留守電にしておけばいいものを。 溜息をつきながら受話器を取り「はい、田中です。」と、一応部屋の主である青磁の苗字を名乗る。 何故か電話の向こうで僅かに息をのむ気配がした。 『……志筑、君?』 半信半疑というように、こちらの様子を覗うような女の声。 聞き覚えのあるそれに、眉根が寄る。 「――叶?」 恐らく間違いないだろうと思いながら、七夜の――多分に保護者的要素を持った――友人の名を呼んだ。 『あなた、なんだってそんな所にいるのよ!』 次の瞬間、険を含んだ声で叶が捲し立てる。 そんな所という青磁に対して随分な言い様に、あいつが普段どんな扱いを受けているのかが知れるというものだが、今はそれよりも普段はあまり声を荒げることの無い叶の様子が気になった。 大概においてこういう場合――、 『もう! どうもおかしいのよ。七夜の家に電話してみたんだけど、取り次いでもらえないし。おばさまは――七夜のお母さんだけど、凄く含みがある言い方しているし。』 七夜が絡んでいる。 的中した予想に、舌打ちが漏れた。 『志筑君、聞いているの?』 「ああ。」 苛立ちを含んだ叶の言葉に生返事をしながら、ここ最近七夜が関連していた出来事を頭の中でざっと巡らせる。 その中で思い当たることと言えば、今のこの状況を齎してくれた大元の原因くらいだ。 「――見合い話か。」 『多分そうよ。ちょっと調べてみたんだけど、あのお見合い』 「奥丹が絡んでる。」 『知ってたの? ならどうして何も手を打ってないの。ほんっと使えない男ね!』 責める叶に返す言葉は無かった。 何故何も手を打っていないのか。まったくその通りだ。 自分に余裕が無さ過ぎて、その事にまったく思い至らなかったとは。 今更過ぎる事実に気づき、自分の間抜けさ加減に更に腹が立つ。 「ああ、まったくだ。切るぞ。」 『え、ちょっと…しづ…っ!』 制止の声が聞こえたが、構わず電話を置いた。 ソファに戻ると、背にかけていた上着を掴む。 七夜の行き先――時間があれば調べることも可能だろうが、恐らくその間に手遅れになる。 と、なると、七夜の行き先を知っている人物に聞くのが一番手っ取り早い。 上着に袖を通しながら考えを巡らせ、行く先は決定した。 七夜の行く先を知っている人物――七夜の母親だ。 そうと決まれば、ここで二の足を踏んでいるつもりはなかった。 急く気持のまま、扉へ向う。 そこで丁度、一階から上ってきた青磁が扉を開いた。 「――あれ? おい、連?」 驚いた表情を浮かべる青磁を退けて、通り抜けられるだけの空間を取る。 「世話になった。じゃあな。」 至極簡単な挨拶だけを残して、青磁の脇をすり抜けた。 何か言いたそうではあったが、無言のうちに拒絶すると、青磁は「ちょっと待ってろよ」と慌てたように言い部屋の中へ入っていった。 僅かにその後ろ姿を見送ったが、青磁が戻ってくるのを待つつもりは無く、一番手っ取り早く七夜の家に向かう手段を考えながら、早足に階段を下りる。 「あー、もう。待ってって言ったのに。連、ほら、これ!」 途中まで下った所で、青磁の声と共に背後から何かが投げつけられた。 咄嗟に振り向いて左手で掴むと、掌には冷たい金属の感触があった。 訝しげに手を開く。青磁が投げつけてきたものは、銀色のキーだった。 「足いるんだろ? 傷つけんなよ。」 階段の下から見上げると、青磁が面白がっているような表情で笑っている。 放り投げられたキーは、青磁が使っているバイクのものだ。 やけにしつこく青磁が進めるのも手伝い、最近、気まぐれに免許を取ったのだが、それがこんな形で役に立つとは思わなかった。 恐らく叶が連絡を入れたのだろうが、どうやら青磁はこちらの事情をかなり知っているらしい。 「助かる。」 自然に唇の端に笑みが浮かぶ。 酷く驚いたように、青磁が口をあけてこちらを見ていた。 確かに今の自分の姿は、昔からの知り合いからみると考えられないものなのかもしれないと、喉の奥で低く笑い、身を翻す。 「――連、お前さ……変わったけど……俺、今の方が好きだわ。」 残りの階段を降りきった後、青磁の言葉が階上から掛けられた。 振り向かずに軽く手だけを挙げる。 彼女奪還頑張れよ、と青磁が言ったらしいのを店内を突っ切る直前に聞いた気がした。 *** 七夜の家に着くまでに、あまり時間は掛からなかった。 休日ということもあり道はそれなりに混んではいたが、裏路地を通り抜けてきたお陰だろう。 何度も七夜を送り届けた家の前。 けれど常に母親が居るから七夜が言い、中まで入ったことは無い。 「はーい。どちら様ぁ?」 インターフォンを押すと、意外な程七夜に似た明るい声が答えた。 何と言うべきか瞬間惑う。だが、いまさら偽ったところでどうなるものでもない。 叶にすら七夜の行き先を教えなかったのだから、ただの友人に教えるつもりがあるとはとても思えなかった。 「――志筑連と言います。七夜さんの同級生でお付き合いさせていただいています。」 率直に告げると、ふつりとインターフォンの切れる音がし、しばらくして扉越しに人の気配がした。 勢い良く扉が開かれる。 「いらっしゃーい。――ふぅん、志筑君?」 扉を開けたのは七夜の母親。 見て直ぐにわかった。似ている、七夜に。 いや、この場合『七夜に似ている』のではなく、七夜が母親似ということなのだろう。 「へぇ、君がそうかぁ。」 開けた扉に片手をかけて寄りかかり、七夜の母親が片眉と口の片端を上げ笑う。 七夜であれば決してしないであろう部類の笑み。 外見は似ていても中身はどうやらかなり違うらしい。 「挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。」 軽く頭を下げると、検分するように視線が上から下へと滑るのを感じた。 「そうねぇ……まあ、かなり愛想が足りなくはあるけど……及第点かしら。」 何を納得したのか、頻りに頷きながら七夜の母親が言う。 そのまま黙って立っていると唐突に肩を叩かれた。 「此処まで来たその心意気は良し! ……ということにしましょ。その様子じゃ、あの子が今どういう状況かわかっているみたいだしね。」 「大体は。」 頷くと、どこから出したのか一枚の紙が差し出された。 意味ありげに投げられる眼差しから察するに、それがどうやら七夜の行き先らしい。 手を伸ばし受け取ろうとすると、紙が引かれた。 「と、まあ。私の手助けはここまでなんだけど。志筑君は、どうするのかしら?乗り込んだりしたら、私の旦那様の心証はよろしくないわよー?そしたら、七夜ったらまた反対されて大変。――当然その辺りも考えてるわよね?」 ――私のかわいい一人娘に手を出したんだから。 その口調は、暗にそう告げていた。 そう簡単に行き先を教えてはもらえないということだ。 「強引に乗り込むような真似はしません。――それと、彼女を――七夜を抱いたのはいい加減な気持ちじゃありませんから。」 もう関係があることは知られていると、七夜から聞かされている。 隠し立てするつりも無く、かなり直接的な言い方をしてみた。 「――あら、どれくらい?」 やや面食らった後、七夜の母親が面白そうに尋ねてくる。けれどその目は笑ってはいない。 まるで品定めされているような気分だ。いや、実際にされているのだろう。 「彼女が望んでくれるなら、この先一生守りたいと思うくらいには。」 言質を取られるくらい、どうということは無かった。 元々望んでいることを口に出したに過ぎない。 「言うわねー。貴方まだ16、7でしょ? もう人生決めちゃっていいの?」 「――構いません。それで七夜が手に入るなら。」 はっきり言い切ると、七夜の母親がわずかに目を細め、ゆるりと笑んだ。 多分、七夜の母親が初めて見せた何の含みも無い笑み。 手に紙が押し付けられる。受け取ると、また肩を叩かれた。 「ま、がんばりなさい。ほら、早くしないと間に合わなくなるわよ。」 「有難うございます。」 小さく頭を下げ門を出る。背後で扉の閉まる音がした。 ――七夜のあの行動の突飛さはこの母親譲りなのかもしれない。 手の中にある雑に畳まれた白い紙に視線を落としながら、ふと思った。 紙に描かれているのは簡単な地図だ。 白い紙の上直線の走る中、丸で囲まれた一点は覚えのある場所だった。 確か”一見お断り”を掲げる高級料亭の筈。 さて、どうするか……。もちろん、このまま乗り込んでも結果は見えているし、そんな馬鹿な真似をするつもりもない。 脳裏に浮かんだのは、あまり借りを作りたいとは思えない人物。 だが、迷いはなかった。それしか手が無いのなら仕方が無い。 七夜を失って後悔することに比べれば些細な事だ。 今、奥丹は何をするかわからない。 事を大きくしようとするのは、それだけ奥丹にも余裕がないということだ。 なら、こちらも使えるものは最大限、使う。 ずっと七夜を見ていたことを知っている。 それでも、譲れない。 |
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