07. 触れ合いたいのは一人だけ(1)


とっても高級感漂う座敷。

開け放たれた障子戸からは手入れの行き届いた純日本庭園が見えていて。
池とか橋とか、あまつさえ東屋なんてものまであって。

私のいる座敷近くではシシオドシが、かっこーん、と響いていて。


逃げようと思っていたはずのお見合いの席。

そう。私は今まさに。しっかりばっちりそこへと引っ張りだされている。


……多分なんだかとっても。

やっぱり、ピ、ピンチだーっ!

ああ、もうなんだってこんなことになっているんだ、私。

きっちり正座をしている膝の上。握り締めた両手に力が篭る。
顔を上げることが出来ない。額と背中に嫌な汗が流れていく。

私が何となく察しただけだけど、結局の所どうやら全部、元凶は一つだった、ということらしい。

つまり――。
一枚板の机を挟んで座している随分と機嫌の良さそうな、腹黒狸…もとい、奥丹先輩だったわけで。

化粧室から逃げ出そうとして捕まった後、奥丹先輩はあっさりと私の腕を掴み、迷うことなくこの座敷に連れてきた。

この時点で多分そうだろうなって思っていた。
けれど、どうしても認めたくなくて悪あがきをしていた私の思考。

もしかしたら違うかもしれない。

でもそのささやかな希望は他ならぬ私の父さんの一言で見事に砕かれた。

座敷の襖が開かれて。
父さんと、見知らぬお爺さんが楽しそうに話しこんでいて。

なんだなんだと立ちすくむ私に気づいた父さんが、嬉しそうに。

『なんだ七夜。もう卯月会長のお孫さんにお会いしたのか。』

――や、やっぱりーっ!?

絶望的。
お見合いの相手が奥丹先輩……。

志筑の顔が、ちらちらと目の前を掠めた。
あまりといえばあんまりな事態に、ぐらっと足元が揺れた……気がする。

実際には、背後にいた奥丹先輩の手が私の背中を押さえていて、揺れることも出来なかったんだけど。



***




「いや、黒河さん、このたびは孫の我儘を聞いていただき、ありがとうございます。さ、青、お前が見初めたお嬢さんだぞ。」

奥丹先輩の隣で貫禄ある雰囲気を纏ったご高齢のお爺様が快活に、かつ嬉しそうに話すその内容。

……ミソメタ……。見初めたって何。一体奥丹先輩は何を言ってこのお爺様を騙したんだ……っ!

「はじめまして。奥丹 青と申します。」

奥丹先輩の実に落ち着いた声音。
相変わらず俯いたままの私に表情を覗うことはできないけれど、きっとその響きに似合った誠実そうな笑顔をしているに違いない。


「いや、これはどうもはじめまして。七夜の父で黒河龍彦です。ほら七夜、ご挨拶は?」

父さんが軽く私の腕を肘で突付いて催促する。

仕方無しにしぶしぶ顔を上げると、そこには案の定にっこりと最上級に爽やかな笑顔を浮かべた奥丹先輩がいた。

「いえ、あまり堅苦しいことは。もうご存知でいらっしゃるとは思いますが、僕はお嬢さんと同じ学校に通っておりますので。でも今日のことは秘密にしていたので、彼女も吃驚しているんではないかと思います。……ね、黒河さん?」

この……腹黒狸ーっ!

心中、思いっきり悪態をつく。何が吃驚してるんじゃないかだーっ!

ああ、なんだか段々腹が立ってきた。
呆然としていた脳みそが、漸く活動をはじめるとふつふつと怒りがこみ上げてくる。

一刻も早くこの茶番じみた事態を終わらせて、とっとと帰ってやる!

心に固く決意して、ぐっと背筋を伸ばした。
私の変化を感じ取ったのか、奥丹先輩がふと眼を細めて意味ありげな顔をする。

一体いつからがこの人の計略だったんだろう。

お見合いの話があった時から?
それとも……もしかして……なんだけど、ブロッサムの実行委員が奥丹先輩だったっていうところ……から、とか?

だって、ブロッサムのお陰で散々。
もちろんお見合いの話が元凶ではあることに変わりは無いけれど。

奥丹先輩のことを警戒していなければ志筑の対応もちょっとは変わっていて、今とはもう少し状況が変わっていたかもしれない、気がする。

私の態度の拙さも、もちろんあったのだと思うけれど。
……というか、多分いまだに何が拙かったのかわかっていないって言うのが、一番拙い気がするんだけど。

うう、わかんない。
ああ、もう。あんまりぐるんぐるん考えていると、脳みそから煙がでる!

とにかく。

「――初めまして。黒河 七夜です。」

奥丹先輩の問いかけにはまるで答えず、私はその隣にどっかりと座している奥丹先輩のお爺様に挨拶をした。

ひとまず奥丹先輩は置いておくとしても、挨拶は基本だし。

ぺこりと頭を下げた私に、奥丹先輩のお爺様……確か卯月……会長、さん?……が相好を崩した。

「いやいや、これは本当に可愛らしいお嬢さんだ。孫が珍しく我儘を言うものだから、一体どんな女性かと思っていたのですよ。」

実に穏やかで、温和な印象を受ける笑み。
奥丹先輩に雰囲気が似ているかもしれない。何となくそう思う。

外見は、そんなに似ているわけじゃない。
爽やか系な奥丹先輩と違って、お爺様はどちらかというと強面。

……でも、女の直感……? なんだか一筋縄では行かない気配がひしひし?

そりゃあ、父さんの会社の会長さんってことらしいから、それなりに簡単な人では無いんだろうけど。

ああ、それにしてもなんだか私もちょっとは学習しているかも。
初めて奥丹先輩に会った時は本性を見抜けずにえらい目にあったんだよなー……。

ははは、と心の中で乾ききった笑い声を漏らす私を尻目に、父さんと会長さん、それに奥丹先輩の和やかな会話が進んでいく。

優秀なお孫さんですねとか、良いお嬢さんですね、とか。
いえいえとんでもありません、とか。社交辞令やらなんやらが私の目の前を飛び交っていた。

まるで品評会だ。
まあそれはこの際ギリギリ妥協しても良いんだけど……く、口をはさむ隙がないんだってば……っ!

はっきりきっぱりお断りしようと思ってるのに、会話に割り込めるタイミングが全然掴めない。
割って入ろうとしても、奥丹先輩がやんわり止める。おまけに父さんがそのフォローに回るものだから私の話す隙は些かもなかった。

な、何この連帯プレーっ!

イライラ感がどんどん募る。

そして。

ついに堪り兼ねて、私は強引に、かつ、無理やりに。

「あの……っ! 私はですねっ!!」

会話に飛び込むことにした。


……あ、いきなり声を張り上げたのは、やっぱり拙かったか……。
三人の視線を一身に浴び、ほんのちょっとだけ後悔する。

でも今更後には引けるはずも無く、私は続く言葉を口にしようと……したんだけど。


「お爺様。」


これまたあっさりと、奥丹先輩に阻まれてしまった。
私を含めた3人分の視線が、今度はそちらに集中する。

それをいとも簡単に受け止めた奥丹先輩は、どうしたね、と問い掛けるおじい様に対して、

「少し七夜さんと二人で話をさせていただきたいのですが……。突然のことで彼女も混乱しているようですし。」

と、にこやかな笑みと共に言い放った。

……え゛……っ!?

ふふふふふ……て、笑っているわけじゃなくて! 二人で話!? そんなもの無いし!
なんでこんなお座敷で、しかも奥丹先輩と二人っきりでお話なんてしないといけないんだ……っ!

「構いませんか?」

私の意向を聞くつもりなんてミジンコほども無いらしい奥丹先輩が、父さんと卯月会長さんにちょっと首をかしげて尋ねている。

なんだかとっても――自分の行動で墓穴を掘った気がしてならないのは……気のせいだろうか?


「おお、そうかね。黒河さん、如何ですかな?」

奥丹先輩の言葉を受けて、実に鷹揚に仰ってくださる卯月会長さん。
一方、声を掛けられた父さんは、ちらりと奥丹先輩に視線を移した後、困ったように私を見ている。

それを見逃さなかった私は、透かさず心の中で希望を見出して。

そうそう、父さんは今日はじめて奥丹先輩にあったんだもんね。
そんな人と可愛い娘を二人きりにするのは流石に抵抗がある……んだよね!?
さあさあさあ! お断りして!

じっと縋るような目で、私は懸命に父さんへと訴えかけた。

もうこうなったら、祈るような気持で見つめるしか……っ。

私のその必死の願いが通じたのか、父さんが仕方なさそうに小さく笑った。

やった、断ってくれそう!
やっぱり父さんは私の父さんなのね。

なんて、ほろりと感動……しかけたのは、迂闊としかいいようがない。

「――ご安心ください。決して紳士的でない振る舞いをするつもりはありませんので。」

隙の無いスーツ姿に人の良さそうな笑みを浮かべた腹黒狸に、先手を打たれた。

……ん、んん?
そんなことを言われた後に断ったりしたら、まるで奥丹先輩が紳士的でない振る舞いをするって父さんが考えているみたいじゃ……?

どうやら父さんもそう思ったらしく、やや吃驚したように目を瞬かせた後、苦笑い……した。

私を見る父さんの目が、申し訳なさそうなものに変わる。

あ、これは嫌な展開……?
冷や汗と共に思う私の前で、案の定父さんは、「では……お願いします。」と。

「いや、孫の我儘にお付き合いいただいて申し訳ない。」

「とんでもない。しっかりしたお孫さんで、娘も喜んでおりますから。」

呆然とする私の前を、またしても会話が素通りしていく。
だれが……喜んでるかーっ! もう、とーぶん口利いてあげないからねっ。

「では、参りましょうか。ここは庭園がなかなか良いのですよ。」

「じゃあ、七夜、また後でな。失礼の無いようにするんだぞ?」

え……っ!? ちょっと父さん、ま……っ!

開け放たれていた障子戸から、卯月会長さんと楽しそうに話しながらさっさと出て行ってしまう父さん。
卯月会長の手によりすっとその戸が閉められ。

呆然、愕然と見送っていた私は。

――と、と……父さんの!! 阿呆ーーっ!!!


目の前にあったら多分本当にひっくり返していたかもしれない卓袱台を、心の中で盛大に転がしながら…叫んだ。



***




かっこーん、と響く、シシオドシの音。
ああ、なんて風流。これぞ優雅かつ典雅な日本の心。

なんてことを、思ったかもしれない。これが……独りだったら。

けれど、今私の眼前には獅子……ならぬ、狸がいる。


「聞きたいことが山程ありますっていう顔をしているよ? 黒河さん。」

「――わかっているなら、さくっと全部、白状してください。」

狸……ならぬ、奥丹先輩のからかうような言い様にむかっとしながら、私は志筑が乗り移ったのごとく、ぶっきらぼうに吐き捨てた。



「そうだな……まず何から話そうか。なかなか大変だったんだよ? 志筑君と、それに君のお友達である叶さんに知られていないルートからお見合いを申し込むのは。」

机をひとつ挟んだ向こうで、奥丹先輩が苦笑しながらお茶を啜る。
私はその向かい側で、言われた内容を噛んで含めるように頭の中で反芻していた。

――由紀や志筑の知らないルートって…なんだろう。それって奥丹先輩の素性なのかな?

つらつらと考えているうちに、どうも疑問に思ったことが顔に出たらしく、奥丹先輩がにこりと笑って再び話し始めた。

「僕の両親――結婚する時に、殆ど駆け落ち同然でね。その時さっきの――母方の祖父なんだけれど、絶縁されているんだ。」

「駆け落ち…、ぜ、絶縁…?」

余りにも私の日常と縁遠い単語。
それらを極当たり前に、さらりと話す奥丹先輩。

なんだか私とは違う世界に生きているんじゃないだろうかと、ひしひしと感じる。

「そう、母は末娘だったし、あまり祖父の関係者とは面識が無かったから……殆どそのことは知られて無いんだけどね。だから志筑君も、僕の父と、母方の祖父のつながりをしらなかったんだろうけど。」

「だけど……奥丹先輩はさっきのお爺様と随分親しげだったじゃないですか。」

「うん? ああ、僕は彼の孫という事に限らず、優秀な部類だからね。実力主義なんだよ。自分の周りには、血縁に縛られず優秀な人間しかおかない人だから。」

自分で自分のことを臆面も無く優秀って言い切っちゃう辺り……どうなんだ。
やっぱり胡散臭い人だな、と思って。でもそれ以上に何か引っかかった。

……ん? ……ああ、そうか。

奥丹先輩の物言いに、なんだか違和感を覚えたんだ。
肉親だって言うのに――凄く他人行儀?

んん? と思いながら見ていると、それに気づいたのか奥丹先輩がふと笑った。

「一応、志筑君に気づかれたときの為に色々用意していたのにな。無駄になっちゃったよ。志筑君も余裕が無かったって事かな?」

イロイロ……。でもきっと善からぬ準備だったんだろうなってことだけは、なんとなくわかる。

あれ、でもなんだか……。うまくはぐらかされている、ような?
うう、頭がぐるぐるする!

えっと。つまり奥丹先輩は余り親交の無い母方のお爺様に頼んでこのお見合いの場を設けて?
て、ことは……お見合いの話がきたところからが奥丹先輩の計画ってことは確定。

「んん? でも何でいきなりお見合いなんですか?」

「黒河さんのお父さんを味方につけておこうかなと思って。僕の予定通り、志筑君との事がばれて反対されたんだよね?」

「ん、な……っ!?」

そ、それが目的かーっ!

このお見合い話のお陰で、志筑と会う時間は減るし、お休みの日は出かけられないし!
しかも……志筑に襲われかける、し。

ああ、こうして列挙してみると、何気に散々かもしれない。新学期。

「その様子じゃ、かなり効果があった?」

「……ありましたよ……っ。」

認めるのは癪だったけれど、これまでの鬱屈した怒りと共に吐き出す。
それを楽しそうに笑って「ご愁傷様。」と、のたまうこの人は心底性悪に違いない。

何がご愁傷様かーっ!

腹立ち紛れに、私の前にも置かれていた湯飲みを掴み、注がれていたお茶を一気に飲み干す。
ああ、きっとこんな状態でさえなきゃ、すごく美味しいお茶だったんだろうな。

ぐいっと口元を拭う。ふと気づけば、ほんのりひかれていたらしい口紅が手の甲についていた。



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