08. 強いココロと甘いキス(1)


前方から、卯月会長さんと父さん。
後方……正確には横だけど……には、奥丹先輩。

志筑と奥丹先輩二人の険悪な雰囲気はそのまま。
でも、状況が変わった所為か、一触即発というようなぴりぴり感は大分和らいでいる。
誰も何も言わずに、じっと父さんたちが近づいてくるのを見つめていた。

これからどうすればいいのか。私の中でそれはもう決まっている。
ただ実行するにはかなり勇気が必要だけれど。

どんどん近づいてくる父さんたち。
ぐっと息をのんだら、こちらに気づいたらしい父さんと目が合った。

「な、七夜…っ!?」

私の格好をみて吃驚したらしい父さんが、慌てて駆け寄ってくるような素振をする。
けれど私はそれを手で制して、一つ深呼吸。

今。

私の傍には志筑がいる。
それだけですごく心強い。頑張れる気がする。

うん。だから――、力一杯頑張るよ。

父さんの立場が悪くなったり……とか色々考えはしたけれど、やっぱり導き出された答えは一つきりで。

だから――。

「すみません……っ、私……好きな人がいるんです。ですから、このお話を受けることは出来ません。はっきりお断りできなくて本当に申し訳ありませんでした!」

隣にいる志筑の手をぎゅっと掴んで。
私は父さんの傍にいた卯月会長さんに対して、思いっきり頭を下げた。

初めから、こうすれば良かったんだ。

どくどくと脈打つ心臓。緊張で手が震える。
けれど、きつく目を閉じ力を篭めて志筑の手を握って、私は只管頭を下げ続けるしかなかった。

耳に聞こえて来るのは痛いくらいの沈黙。しんと周りが静まり返っている。
肌がぴりぴりするくらい、それだけは良くわかる。

……うわ……っ、すっごく……居た堪れない……かも……。

ごくっと喉が鳴った。
顔を上げられずに、でもそっと目を開けて握り締めた志筑の手をちらりと見る。

あ……。

右手に、きゅっと握り返される感触。それは間違いなく志筑の温かさ。
それが泣きたくなるくらい嬉しくて、無条件で大丈夫だって思えた。

息を吸って、吐いて。
ぐっと背中を伸ばし、上体を――、

「あらあら、七夜ちゃん?」

起こそうと決意した途端の、華やかな女性の声。

――は?

まず、名を呼ばれた事に、吃驚。
次いで、頭を上げきらない中途半端な状態で停止したまま、思わず眉間に皺が寄る。

あれ? この声、聞いたことが、ある……ような?
でもどこでだっけ。

確か。

志筑……の家。ベッド。階段を上ってくる足音。
何だろう、えらくこっぱずかしい場面だった気がするんだけど。

……んー? んん? ……あ……っ、あー!!

思い出した、かも!

驚いてばっと頭を上げた先にいたのは。

「志筑の、母さん!?」

予想的中。違うことなくそれは志筑の母さんだった。

相変わらずのゴージャズ美人っぷりに、ばっちり似合っている上質な桜色のスーツ。綺麗に纏め上げられているのはゆるく巻いた茶色の髪。

あんぐりと口を開いて目を白黒させる私の前で、卯月会長さんの後ろから姿を見せた志筑母さんが「嫌だ、七夜ちゃんってば、私のことは百合さんって呼んでって言ったじゃなーい。」なんて暢気に笑っている。

「ゆ、百合、さん……? どうしてここに……?」

「ふふ、吃驚したわぁ。七夜ちゃんってば、顔を確認する暇も無くいきなり頭を下げるんですもの。」

志筑の母さん……百合さんが、尋ねようとした私の言葉をはぐらかすように奪って、何やら嬉しそうに眼を細める。

私はもう呆然と見守るしかなかった。

ぐるんぐるんとまわる頭がくらくらした。
けれど、何を聞けばいいのやらと、頭を抱えてその場に座り込みそうな私を助けてくれたのは、意外にも卯月会長さんだった。

「――志筑さんは黒河さんの娘さんをご存知で?」

「ええ、だって息子の彼女ですもの。あ、そこにいる愛想の無いでっかいのが息子ですの。」

にこやかな志筑の母さんが何気にとんでもない事を言う。
そんなあっさり志筑が私の彼だって言っちゃって良いの、か?

や、でもこの状況じゃどの道ばれるだろうとは思うんだけど。
もうばれてるかなとも思うんだけど。だって私、思いっきり志筑の手を握っちゃっているし。

――志筑は? 志筑はわかってるのか、な?何がどうなっているのか。

さっぱり状況が理解できないまま立ち尽くしつつ、ぎこぎことぎこちなく隣を振り仰ぐ。そこには、実に表情を読ませない志筑。

「志筑?」

小さくこっそり呼んでみる。
まだ握り締めたままだった手を軽く引っ張って注意を引くと、志筑はちらっとだけ私を見て、安心させるみたいに僅かな笑みをくれた。

これは……つまり、安心していい……のかな。
多分。志筑のこの様子だと成り行きを待てってことぽい気がするんだけど。

そう思いながら再び正面に首を巡らせる。
と、志筑母さんが何故か私に意味ありげな目配せを寄越してきていた。

え、え、何?

志筑母さんの含蓄のありそうな仕草。
でも流石にその真意までは図れない。

ああ、もう。何どうなってるんだか。
とりあえず。んん、と、つまり……志筑母さんって何者??

うーんと心の中で唸りながら、悪戯っぽい表情を浮かべる志筑母さんを見つめる。
その傍では、卯月会長さんが落ち着いた態度を崩さずにどっしりと佇んでいた。

うーん。凄いかも、なんて妙に感心してしまう。
だって私の父さんはといえば、目を見開いて何が何だかわからないっていう様子が丸わかりだし。
最もこの辺にとても血のつながりを感じちゃったりするのが悲しい所だ。

「青、これは――。」

どういうことなのか。

会長さんの問い掛ける視線は奥丹先輩に向けられた。
私もつられてそちらを見ると、諦めた様な溜息をついて奥丹先輩が苦笑いしていた。

「どうもこうも……志筑さんが仰った内容が事実です。そこにいる息子さんが七夜さんのお付き合いしている相手だということですよ。」

大仰に肩を竦め、くっと顎を上げて志筑を指し示しながら奥丹先輩は白々しく言う。

それがわかっているなら、もう私に構うのは止めて欲しい……。
無駄だとわかってはいても、心の中で握り拳を作って心底思った。

「――初めまして。」

カッコーンと、シシオドシが響いた後の、低くて心地のいい声。
私の横にいる志筑が、どうやら卯月会長さん、と、多分私の父さんにも挨拶したようだった。
はっとした瞬間に、手の力が緩んで志筑の熱がするりと私から離れる。

「申し訳ありません。顔を潰すような真似をしていることは承知しています。」

えっと思って振り向いた時には、志筑が――頭を下げて、いて。

……っ、何で……志筑が謝るの。志筑は……悪いこと、してない……よ?

薄いワンピースの裾を握り締める。
だって私の所為で志筑がこんなことする必要なんて、無い。
元はといえば私がいけなくて。

うわ、なんだか果てしなく自己嫌悪かもしれない。

ごぅんと落ち込む私の前で、会長さんが感心したように何度か頷く。

「なるほど、いやはや、これが七夜さんとの見合い話を条件に私の後継者になってもいいと言い出した時には、どんな手ごわい女の子かと思っていたが。君が青の恋敵というわけか。」

これが、という部分を言う時奥丹先輩を見た後、再び志筑を見据えながら、会長さんは何故かとっても楽しそうだった。

けれど、その裏には検分するような鋭い眼光が見え隠れしている。
それに気づいて、刻まれる鼓動が早くなりこくんと喉が鳴った。

静かに頭を上げ相変わらずの無表情でその視線を受け止めている志筑の腕に、無意識のうちに手が伸びそうになる。

でも――はっとして、思いとどまった。
伸ばそうとしていた手をぎゅっと握り締め、俯いて唇を噛みしめる。

だって。志筑に頼りっぱなしの自分が情けないような気がして。
志筑に頭まで下げさせて、一体私はどうしてこんなところにいるんだろうって、凄く自分に腹がたって。

――ん? あ、れ?

突然、握り締めていた手が何かに包まれた。
驚いて顔を上げると、志筑が大丈夫かって言うみたいに私を見ている。

私の手を包んでいるのは、志筑の掌、だ。

ああもう、この上心配までかけてどうする、私……っ!

ぐっと心を奮い立たせ、大丈夫って意味を込めてちょっと笑ったら、志筑が半目で実に疑わしそうな顔をした。

……あう。そんなに全部見透かしている、みたいな目、しないで欲しい。

「で、青? この事態はお前の想定内か?」

私と志筑の遣り取りを眺めていたらしい卯月会長さんが、奥丹先輩に尋ねた。
ちらりとこちらに目を向けて、奥丹先輩が肩を竦める。

「少しだけ予定外でした。まさか彼が正攻法で現われるとは思いませんでしたから。実の所、無理やり押し入ってくるくらいのことはするかなと思っていたんですよね。」

お、押し入って……?
あああ、でも何だろう。確かに志筑ならそっちの方が合っているような気がしちゃうあたり……ご、ごめんよ、志筑。

こっそり思ってしまったことに心の中で小さく謝りながら、事の成り行きをじっと見守る。

「ふむ。――青、どうやら今回は引いた方が良さそうだとは思わないかね?」

「――そのようですね。」

ふうと息を吐き、でもあまり残念そうに見えない様子で奥丹先輩が微笑した。

「いや、黒河さん、お騒がせしましたな。色恋沙汰を身内の力に頼るようではこれもまだまだなようです。……しかし良いお嬢さんですな。私も気にいりましたよ。」

「いえ……、あの……、は……、は?」

卯月会長さんの言葉に、父さんがやっぱり何が何だかわからないという風にあんまり意味を含んでいるとは思えない頷きを返している。

うう、血の繋がり……。
またまたひしひしと感じてちょっと凹む。

が、突然卯月会長さんに笑いかけられてそれどころじゃ無くなった。

「七夜さん、ぜひ一度、我が家に遊びにくるといい。」

お家にお呼ばれしちゃってるし……。

でももう曖昧な言い方で誤魔化さない。
はっきり断りの言葉を、ちゃんと前を見て。

「すみませんが、ご遠慮させていただきます。」

「おやおや、彼氏に悪いですかな?」

ははは、と卯月会長さんが豪快に笑う。
私がぺこりと軽く頭を下げると、卯月会長さんは小さな笑みを残し、踵を返して先程来た方向へと歩き出した。

「さて、じゃあ僕も退散しようかな。お父さん、今度は正々堂々、お嬢さんの心を射止めに参りますので、その時はよろしくお願いします。」

私の父さんに向けて、奥丹先輩が爽やかに笑いながら言う。

い、射止められてたまるかっ! 大体それは奥丹先輩の父さんじゃないってば!

志筑に包まれたままだった拳にぎゅっと力を込めてむっと睨むと、奥丹先輩が私を見てふと笑った。

「黒河さん、また明日ね? ――ああ、それと。君が愚か者じゃなかったようで嬉しいよ、志筑君。それでなくちゃ張り合いがないからね。」

「――それは、どうも。」

無表情で答える志筑を一瞥した後、奥丹先輩が歩き出す。
そのまま足を止めることはなくて、でも去り際に私に向けられた表情は――どこと無く、切なげで――。

私は遠ざかる背中をただ眺めていた。



***




そうして。奥丹先輩と、卯月会長さんが立ち去って。
後に残されたのは、志筑と百合さんと、私と――父さん。

「ごめ、ん……志筑……。」

私はぼんやりと立ち尽くしながら、ぽつりと志筑に謝った。

「何が?」

「……何だろう、何だか凄く色々……ごめん。」

半分泣き出しそうな顔をしている気がする。
それでも無理やりに笑いながら志筑を振り仰ぐと、くしゃくしゃと頭を撫でられた。

張り詰めていた心が、ほっと緩む。
どうしよう、抱きつきたい。でも自分の不甲斐無さとか、頼りっぱなしだった情けなさ、とか。一遍にぶわっと頭に浮かんできて、動けなかった。

けれど、「無理するな。」と、ぼそっと志筑に呟かれて、全部綺麗にそれらは頭から飛んだ。

やっぱり、見透かされている。
嬉しいような、悔しいような。

私は少し離れた場所で佇んでいる父さんと百合さんのことも忘れ、志筑の胸に抱きついた。

「うー……っ」

壊れた涙腺は、どうもただでは元に戻ってくれないらしい。またまた泣き出した私の背中を志筑が宥めるように軽く叩く。
けれども、私の涙は一向に止まる気配を見せてくれなかった。

「な、七夜!? 何をしてるんだ! 早く離れなさいっ。」

父さんが、困惑気な声を上げている。

あー、なんだろう、これ。ちょっと怒りが込み上げてきたかも。
確かにはっきり断らなかった私も悪かった。

寝ぼけて父さんの言うがままに着いてきちゃったっていう減点ポイントもある。
でもそれを差っぴいたとしても。娘に対してこんなだまし討ちはあんまりなんじゃないのか?

ぐつぐつふつふつ。お腹の中かがだんだん沸騰してくる。
ついでに頭の中も良い具合に煮え立ってきて。

半分、八つ当たりも合ったのかもしれない。あんまり自分が情けなさ過ぎて。

でも、絶対、振り向いてなんてやるもんかーっ、なんて考えがぐるぐるまわりだす。
だって、ものすごく、それこそ腸がグラグラ煮え立ちそうな勢いで腹が立つ。
今日のこれは。そりゃ、やっぱり私にも非はあると思うけれど、本気で! 怖かったんだから!

どう考えたって、これは遣りすぎだ。

「父さんなんて……。」

ぼそっと呟く。

「な、七夜?」

不穏な空気を感じたのか、父さんの声は若干引き攣って聞こえた。


「父さんなんてもう知らないーっ! 今、父さんの顔、見たくないっ!」

どかーんと大爆発。

この静かで品のよい料亭にはおよそ似つかわしくない怒声が、ぐわんぐわんと廊下に響き渡った。

……しまった、お店にご迷惑だったかも……。
あ、でもそういえばこの一角では全然人の姿を見かけなかった気がするから、もしかしたら貸切になっている……とか?

肩で息をしながら、どこか冷静にそんなことを考えてみたりする。

私の叫びが消えると、再びあたりはしん、として。

「……な、ななやぁ。」

父さんが私を呼ぶ声だけが耳に届いた。
志筑はと言えば、私の頭をぽんぽんと軽く叩いて……多分宥めようとしているっぽい。
だけど私はぐすぐす泣きながら、志筑の胸に顔を押し付けたままだった。

「君が……七夜の……だね?」

「はい。」

父さんに尋ねられた志筑が返事をする。
押し付けた頬に少しだけ感じられる声の振動。

「そうか……。いや、とにかく……七夜、帰ろう。家に戻ってから話を聞くから。」

いやいやと志筑にしっかり掴りながら頭を振ると、父さんがまた情けない声で私の名を呼んだ。

「す……すき、なだけ…なのに……どうして駄目なの……? 志筑が、好きな、のに……。」

鼻を啜りながら、途切れ途切れに父さんに訴える。
胸が、痛い。どうして駄目なんだろうって思うと、苦しい。
反対されるのは、とても辛い。

だけど、志筑を好きっていう気持はどうしようもない。
滅茶苦茶で、ぐちゃぐちゃで。

ぎゅっと志筑に抱きつく腕に力が篭る。

静かな庭には、鳥の声とシシオドシの音が鳴り渡っている。


「――まあまあ、黒河さん。いかがでしょうか、お嬢さんを今日は我が家でお預かり致したいのですけど。お互い冷静になる時間も必要でしょうし。私が責任を持って明日の朝送らせていただきますわ。」

重たい沈黙を破ってくれたのは、志筑の母さんだった。

「いえ、しかし……。」

私と父さんの間を取り成してくれようとしている申し出に、父さんが言いよどんで。
ぼろぼろ泣きながら私が少しだけ後ろを振り向くと、目が合った。
父さんがうっと息を詰めて……がくっと項垂れる。

「……わかりました。申し訳ありませんがよろしくお願い致します。」

肩を落として、頭を下げて、父さんが言葉と一緒に溜息を吐き出した。

意気消沈。まさにその言葉がぴったりなその様子に、 ちょっと言い過ぎたかも、なんて……今更なんだけれど、胸が痛んだ。



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