08. 強いココロと甘いキス(2)


ちょっと大人同士の話があるから先に戻ってなさいな。

極上の笑顔を浮かべた志筑母さんにそう言われた後、私と志筑は早々に料亭の中から抜け出し、立派な門から外に出て、丁度通りかかったタクシーを拾った。
私の後から乗り込んだ志筑が運転手さんに行き先を告げ、ゆっくりと車が走り出す。

順調に流れていく窓外の景色。
後部座席、志筑の隣に座ってぼんやりとそれらを眺めた。
漸く料亭から離れることが出来て、知らず安堵の溜息が漏れる。

でも志筑はといえば……物凄く無言、だった。
何も言おうとしない志筑に対して、私もなんていえば良いのかわからない。

言いたいことは、たくさんあったはずなのに。
尋ねたい事だってあったはずなのに。

いざ志筑と二人っきりになってしまうと、何一つ頭の中に浮かんではこなかった。

そうこうしているうちにも、車は料亭から益々遠ざかり志筑の家に近づいていく。

うう、どうしよう……。怒ってるのかなぁ。でも怒ってる、とはちょっと違う気もする、し。

「あの……志筑?」

このまま到着してしまうのが何だか怖くて、恐る恐る志筑を呼んでみた。
すっと志筑の視線が私に向けられる。

「――少し休んでろ。顔色が悪い。」

言うなり、志筑の手が私の前髪を優しくかきあげ、するりと頭の上を滑って……離れた。

え、え? そう、かな? 顔色、悪い?
確かに色々あってもういっぱいいっぱいだし、そういえば泣きすぎた所為か頭の芯が鈍く痛んでる、かもだけど。
これはやっぱり調子が悪いのかな。……うーん、そんな気がしなくもないような……。

でも――このままだと何だか物足りない感じもするというか。何が足りないのかは、わからないんだけど。

窓枠に腕をかけて頬杖をつきながら外を見遣っている、志筑。
ふと気がついたら志筑の服を軽く引っ張っていた。

志筑が振り向く。

あ、あれ。何で私?
自分の行動が理解できなくて、自分で吃驚した。

えーと。えっと。何か、言わないと。

「あの、……その、寄りかかっても……いい?」

ちょっ……私、何言ってるんだ!

言った後で固まったまま、だけど内心はおろおろおろ。
だって、その。甘えちゃってる、みたいで。

でも志筑はちょっと驚いた顔を見せた後、無言で私の頭を自分の元へ引き寄せてくれた。

……っ、う、わぁ……なんか、どきどきする、かも……。
――あ、でも。あったかくて……安心する。

気を鎮めるために深く息を吐いて、目を瞑る。
すると四月になってからの出来事が、ばらばらとパズルのピースみたいに頭の中へと浮かんできた。

ブロッサムパーティの開催が予告て、ダンスの申し込みは拒否権が無くて。
お見合い話が舞い込んできて、志筑とのお付き合いを父さんに反対されて。
認めて欲しくて志筑といる時間を減らして、志筑にも協力してもらって。

なのに結局。
ダンスは申し込まれちゃうし、お見合いはする嵌めになるし。

ちょっと――結構……大変だった、のかな。

志筑の肩に凭れかかりながら、取り留めなく考える。
平穏が一番だよなーなんて思って、しっかり納得出来ちゃう自分の日常がちょっと悲しい。

でもどうやらそのうちに、私は志筑に凭れかかったまま、うつらうつらしちゃっていたらしい。

「七夜、着いたぞ。」

軽く揺すられて、はっとする。
慌てて何度か瞬きをして窓の外を見ると、そこはしっかり志筑の家の前だった。



「――入って。」

玄関前。扉を開いた志筑がちょっと脇に退いて私の通る空間を確保する。
だけど、相変わらず必要最低限のことしか喋ろうとしない志筑の様子に、心がずきずきした。

……やっぱり怒ってる…のかなぁ? これは……。
料亭ではそんな風に見えなかったけど、志筑、やっぱり静かに怒ってたのかもしれない。

客観的にみて、私、相当迂闊だったよね?

「志筑、あの……ごめ」

「謝るな。」

玄関を通り抜けた後、後ろを振り向きざま謝ろうとして。
でもそれは志筑に遮られた。

ばたんと扉が閉じられ、こちらを向いた志筑とまともに視線が合ってしまい鼓動が激しくなる。

「――志、筑?」

「七夜は悪くないんだろ? ……だから謝らなくていい。」

感情の読めない声と、表情。
どうしたらいいか、ますますわからなくて。

「だって、そんなこと言ったって……志筑、怒ってるし……しづきの、阿呆……っ」

真情を吐露した途端。駄目だって思ったのに、耐え切れなくて涙が零れた。
ワンピースを両手で握り締めて下を向いたら、足元にぽたぽたと涙が落ちる。

志筑が何を考えてるのかわからないのが、一番もどかしくて、寂しい。
さっき――志筑が迎えに来てくれた時には確かに気持が触れ合っていた気がした、のに。

俯いて眼を瞑って、でも不意に、閉じた瞼の中がさらに暗くなる。
眼を開けると、私の上に影が覆い被さり、暖かな体温が酷く身近に感じられた。

志筑が私を抱き寄せて胸に押し付けたんだと気づいたのは、一呼吸置いてから。
気を静めるみたいに息を吐いた志筑が、私の髪を優しく梳く。

「泣くな……頼むから。また具合が悪くなるぞ。」

志筑の匂い。志筑の腕の中。志筑の手が私の背中をそっと摩る。
ぽろぽろ流れる熱い雫は志筑の服に吸いとられていき、それでもまだ止まらない。

「いい……。私、志筑に頼りっぱなしで……、駄目なのに……。奥丹先輩の策略にはまんまと嵌っちゃうし……、全然、駄目で……、」

最後はもう何を言いたいのか分からなかった。
ただ情けない、とか、私、前からこんなに誰かに頼っちゃうような奴だったかな、とか。
もうぐちゃぐちゃで、ぐるぐる回る思考はさっぱりまとまりがつかない。

「七夜……。」

本当に困り果てている、そんな雰囲気の志筑の声が降ってくる。
ここまで感情があわられている志筑は珍しい。
もちろん、それでも普段から比べればであって、あんまりわかりやすい変化じゃないけれど。

困らせたいわけじゃ、ないのに。私、これじゃあ本当に駄々っ子みたい。

ぐすぐすと泣きながら、だんだん冷静さが戻ってくると凄く気恥ずかしいやら情けないやらで……。
志筑の胸に手をついて距離をとった後、両手で目元を拭い見上げると、志筑はじっと私を見下ろしていた。

うう……、やっぱり気恥ずかしい……。

ごめん、思わずそう言いそうになって口を噤む。だって、謝るなって言われちゃったし。
駄目、かも。益々何を言いたいのかわからなくなってる。

……志筑の顔、まともに見られないよ。

「……あ、の……あの、さ、私――今日は由紀の家に泊めてもらおうかな、なんて。」

出来るだけ軽く、誤魔化すみたいに笑って。でも、視線を合わせずに告げる。

このままここにいても、何だか志筑の迷惑になってるみたいで、いやだった。
志筑から離れるべく、一歩、後ろに下がろうとして。

「怒ってるわけじゃない。」

二の腕を、志筑に捕らわれた。

怒ってるわけじゃ、ない?
でも、口数は普段以上に少ないし、志筑の態度は明らかにいつもと違うし。

――だけど、志筑は黙っていることはあっても嘘はつかないってこと、知ってる。

だからきっと本当に、怒っているわけじゃないんだ……と思う。
少しほっとして、そしたら、じゃあどうしてなんだろうってむくむく疑問が湧いて来た。

多分……というか、きっと。それが顔に出ちゃったのかもしれない。

「怒ってるんじゃない……ああ、くそ…っ、……違う、そうじゃなくて。」

珍しくちょっと苛立ったように志筑が髪をかきあげ、黙り込む。
けれど私が改めてじっと見つめていたら、諦めを含んだ溜息の後、志筑が再び口を開いた。

「奥丹がお前に触れたと思うと抑えがきかなくなる。……情けないな。」

自嘲気味に微かに苦笑する志筑。
それは――何だかとても普段の志筑とは違っている気がした。

それはさっきみたいに怒っているっていう風ではなくて。
これってひょっとして……とっても困ってる……っぽい?

腕に志筑の温かさを感じながら、玄関先で微動だにせず、ついしげしげと志筑を眺めてしまう。

なんだか胸が、やんわり締め付けられるみたいに、じんとする。

志筑のこと……ぎゅって……抱きしめたい……。

――腕、そんなに強く掴まれているわけじゃない。

外そうと思えば多分簡単に志筑は私を解放してくれる。
でもそれは、したくない。

だから抱きしめるかわりに、つかまれていない方の腕を上げて志筑の頬に触れる。凄く、そうしたかったから。

多分、志筑は――自分を、私に見せようとしてくれている。
心の内を晒そうとしてくれている。

また目の奥が熱くなって、だけどこれ以上志筑を困らせたくなくて、片腕だけを志筑の首に回して、そっと身体を寄せる。

どうしよう……凄く、好き。志筑が――好き。

いつの間に、こんなに好きになってたのかな。
どんどん好きになっていくのが、ちょっとだけ怖いって思っちゃうぐらい。
ああ、でもこれって、器用な恋……とはあんまりいえないのかも。
器用な恋ってどんなのと問われれば、はっきりとは答えられないんだけど……。

でも、私の恋愛ごとに対する感覚は全然当てにならないし、志筑はあんまり饒舌に自分の気持を語っちゃうタイプじゃない。
少しのことを解り合うのも、沢山遠回りをしている気がする。

それでも、今のこの気持を教えてくれたのは確かに志筑だから。
家族をスキっていうのとも、友達をスキっていうのとも、違う……スキ。

「志筑、ありがとう。」

謝るかわりに感謝を、そんな気分だった。

志筑の手が私の腕から離れる。
感じていた体温が無くなるのが寂しくて顔を上げると、志筑は驚いたような、呆れたような表情をしていた。

ん、んん? あれ、私また何か変なこと言った?
……あ、でも確かに会話が繋がってない……?
情けないって言われたのに、その後でありがとうってわけわかんない、かも。

しまったと、志筑の頬に触れていた手を慌てて引っ込めようとして、だけどそれより早く志筑が私の手を捕まえてしまった。

――ん? え、うわ……っ。

慌てふためく私の指に、志筑が口付ける。
どくどく巡る血が熱くなって、指から全身に熱が広がる。

しかも、指先を口に含まれ、あまつさえ舌を這わされたりなんかしちゃって。

だ、だぁっ! もう、駄目!

「や……、志筑……っ、もうギブギブギブーっ!」

「嫌だ、離さない。」

嫌だって、そんな……っ! 私の心臓が口から飛び出したらどうしてくれる!

……あ……っ、もしかして志筑……、奥丹先輩と私が何かあったって誤解してる?
奥丹先輩が私に触れたから、今のこの行動?

奥丹先輩、思いっきり誤解を招くようなこと言ってたし。
あの時は結局父さんたちが来ちゃって、有耶無耶っぽくなっちゃった感があるし。

「あ、の……、あの……志筑っ、本当に奥丹先輩が言った事は嘘で……っ」

「わかってる。」

誤解を解くべくはじめた説明を終える前に、志筑にきっぱり言われる。
ちょっと……ううん、かなり、驚いた。同時に、誤解されてなかったんだってわかって、力が抜けそうな程ほっとする。
志筑が私の腰に手をまわして支えてくれなかったら、座り込んでたかも。

「――不器用だよな……俺も……奥丹も。」

「……え?」

「いや、俺も言葉が足りないな。……一応、自覚はしているつもりなんだがな。」

激情を抑えるように目を伏せて「滅茶苦茶にしそうだ。」と言いながら、それとはまったく裏腹な優しさで、志筑がそっと私の髪に触れてくる。

一房持ち上げられたそれがはらはらと零れていくのを目の端に止めながら、私は踵を上げて志筑の首に両腕を回した。

「えー、と……ね……、私、結構頑丈だよ?」

色々考えて、最終的には思いついたまま口にした一言。
間近で志筑と視線が絡む。

――ん? あれ? 今、何言った、私?

受身でいるばっかりじゃ、きっとこの気持は伝わらないって思ったんだけど。
頑丈だからって……それじゃまるっきり滅茶苦茶にして欲しいって言っているみたい……な?

「……や、違う! 志筑違う! 別にそういうことじゃなくて! 不可抗力でなら仕方ないかなって事で! ああそのだからね……っ!?」

あああ!

思いっきり動揺しまくりながらの、弁解。
志筑が耐えかねたみたいに、小さく短く声を立て笑った。

……わ、笑われてるし……。

うー、と恨みがましく志筑を眇めた眼でじとっと見つめる。

でも、あんまり志筑が楽しそうで。
そのうち私もつられて何だか可笑しくなった。

志筑の額が私の額にこつりとあたる。
笑い声が途切れて、志筑の顔が凄く近づいてくる。

……あ、キス……されそう……。

とくんと心臓が鳴って、私はゆっくりと瞼を閉じた。
志筑の体温が私を包む。唇に、微かに熱が触れ――がちゃん、と私の耳に音が。

――ん? がちゃん??

「たっだいまぁ! お母様のお帰りよーっ。」

がちゃんってそれは、扉が開いた音。
高らかな靴音が響いて、底抜けに明るい声。

瞬時にばちっと目を開け、志筑越しに私が見たのは玄関ドア、ではなく。

そこには――満面の笑みを浮かべた志筑母さんが、いた。

思考が停止すること、しばし。
私と志筑の姿を見て、軽く眼を見開いている志筑母さん。

認識力が戻ってきた途端、一気に頬が熱くなった。

う、うわーっ! 嘘……っ、私、志筑に抱きついちゃってるし……っ!
志筑母さん、なんてタイミングで戻っていらっしゃるんですかっ!

「……あ、や……あ……の、これはその……っ!」

おろおろする私と、まったく対照的に平然としている志筑。
うわーん! 志筑の阿呆!! ちょっとくらいはフォローしてくれーっ!

しかも、志筑……っ、手!
私の背中にまわしたままだし!離してくれる気配がないー!

「あらあら、七夜ちゃん落ち着いて、ね? ほらほら、はい、大丈夫よー。」

挙句、志筑母さんにフォローされちゃっている始末。あうう。

ぜはぜはと荒く息を吐く私の肩を、志筑母さんが優しく撫でてくれる。

でも直ぐに私の背中でぺしんと音がして、志筑の片眉がちょっと上がった。
どうやら私の背中にまわされていた志筑の手が叩かれたらしい。

志筑母さんが気を取り直す……というよりも場を仕切りなおすみたいに深呼吸を一つ、極上の笑みを浮かべる。

「さて、と。じゃあ、連。あんた今日、夕食作りなさいね?」

「……えっ、は!!??」

驚愕の声を上げたのは志筑……ではなく、もちろん私。

だって、志筑がご飯!?
……私、志筑がお料理しているところ……見たこと無い、よ?

「で。七夜ちゃんは私とちょっとお話しましょ?」

「え? えええええ?」

いまだ志筑の腕の中。驚愕中の私の手を志筑母さんが取ろうとしていた。
でも志筑が私を庇うみたいに腕の中に抱き込んで、間に立ちふさがる。

志筑母さんが、腰に手をあて、呆れたように苦笑い。

「いやねぇ、何もしやしないわよ。本当にちょっと話をするだけ。別れろなんていうつもりは無いから、安心なさい。」

私はパチパチと何度も瞬きをして、志筑母さんと志筑を交互に見遣った。

「――志筑。」

かなり落ち着いたところで、意を決して志筑のシャツを軽く引き、そっと呼びかける。

このまま志筑に守られていれば安心できるんだろうなって、思う。
だけどそれじゃ、きっと駄目だから。
志筑母さんに何を言われるのかわからないけど、きちんと向き合って話しをしてみたかった。

大丈夫だからと目で訴えると、志筑が諦めたような溜息を落として、腕の中から解放してくれる。

「さ、じゃあ行きましょうか。」

「あ、はい。」

満足そうな表情をする志筑母さんに腕をとられ、私は志筑を玄関に残したまま、とたとたと廊下を進む。

これは自分で決めたこと。
だけど、やっぱりどうしても心細くて、ちらりと後ろを振り返ってしまった。

志筑は、ゆっくりと私に――笑いかけてくれた。
なんていうか…多分、安心させてくれるみたいに。


――うん、……平気。私――大丈夫、だ。



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