02


真っ暗な中。ホールケーキにささった七本のろうそくだけが、ゆらゆらと揺れていた。
ろうそくの灯に照らされた華の嬉しそうな笑顔。

華が一息吸い込み、ふうっと息を吐き出す。
ろうそくの火が激しく揺れ、一本二本と消えていく。

そして最後の一本が消え。拍手。ぱっと部屋の明かりが灯った。

「華ちゃん、誕生日おめでとう!」

ケーキの乗ったテーブルを囲んでいるのは、本日の主役である華。華の母親である澄香。
奏と奏の両親である美由紀と高志。
そして、ゆうきと美枝。
ゆうきの父親である祐司はかなり残念がってはいたが、仕事のため来ることができなかった。

自分の父親ながら、その落胆ぶりを思い出しゆうきが内心溜息を漏らす。
できることなら娘が欲しかったとは、常日頃からの父親の口癖である。
しかし美枝と祐司の子供では、例え娘であったとしてもその性格は祐司の期待しているものとは違っているのではないかと、これも常日頃からゆうきが思っていることであった。


「はい、華。お誕生日おめでとう。」

奏が赤いリボンでラッピングされた包みを華に手渡すと、華が「ありがとう」とにっこり笑って受け取る。
その様子を回りの大人たちが微笑ましく見ていた。

「開けてもいい?」

「うん。」

華が首を傾げながら了承を求めると、奏がにっこりと頷く。

―――なんていうか。奏・・・健気だな。

ゆうきは手にしたコーヒーを飲みながら、二人の様子に笑みを零した。
奏が華を好きなのであろう事は、傍目で見ていてもかなり明らかである。

そして、どうも自分が奏にライバル視されているということにも、ゆうきは気づいていた。

華がゆうきに懐いているためだろうが、幾らなんでも華が恋愛対象になることは、現状ではありえない。
そうは思うのだが、まさかそのまま奏に言ってやるわけにもいかず、ゆうきは今のところ奏のライバルという立場に甘んじてついている。


「あ。くまー!ありがとう、奏!」

解いたラッピングの中から顔を覗かせた熊のぬいぐるみ。
それを華の小さな腕がきゅうっと抱きしめる。

ふわふわの熊に顔をうずめ、華が嬉しそうに笑っている。
その姿に満足したらしい奏が、華の頭をうれしそうに撫でていた。

「はい、華。じゃあこれは、母さんと父さんから。今回のはね、父さんの好みなの。」

熊を抱きしめる華に、澄香が花柄の紙袋を差し出した。
華がぱっと熊から顔を上げる。

「父さん、の?」

「そう。ほら、あけてみて?」

華が熊をそっと自分の膝の上に降ろし。澄香から紙袋を受け取った。
澄香から贈られた袋を華の小さな手が開き、中に入っていたものを掴みだす。

「・・・・箱?」

華の手に乗ったそれはベルベット地が貼られた小さな四角い箱。
ぱこんっと軽い音をさせ、華がその箱を開けた。

「・・・・きれー・・・。」

華が目を見張る。
ゆうきが横から箱の中身を覗き込むと、そこには小さな花を象ったペンダントヘッドが収まっていた。
多分、地金がプラチナ。花を作っている石は華の誕生石であるエメラルド。
澄んだ緑のその石が、明かりの反射に輝いていた。

「華にはまだ早いかなぁ、と思ったんだけど。父さんがこれがいいって。」

澄香が「親ばかよねぇ。」といいながら微苦笑を浮かべている。

「ありがとう。大切にするね。」

「ええ。華、今週末父さんの所にいったら、それ言ってあげて。きっと、よろこぶわ。」

澄香がくすくす笑いながらいったその言葉に、大切そうに箱を握り締めた華がこくこくと頷いた。

華の父親である康弘は、現在入院中である。
あまり体の丈夫でない華の父親は何度も入退院を繰り返していた。
その為、華はめったに父親に会うことができない。

その父からの贈り物が余程嬉しかったのだろう。
華は傍に居たゆうきを見て、本当に嬉しそうに、微笑んだ。

「よかったな、華。」

ゆうきが華に向って言うと、華が「うん。」と頷く。
頬を紅潮させながら、笑っている華。

その愛らしさにゆうきは思わず腕を伸ばしかけ―――・・・たのだが。

ゆうきよりも先に、美枝の腕が伸び。華はあっという間に美枝の腕の中に連れ去られていた。

「あああ、もう!華ちゃん、可愛いわー!いっそのこと私の家の子になる?澄香、トレードしましょうよ、トレード!」

「と、とれーど?」

美枝の腕の中で意味がわからないのであろう華が、首を傾げている。

―――また、この母親は・・・・。

諦めの溜息を落とすゆうきの前で、「ええ!?美枝、ずるい!」と美由紀が参戦し、「そうだな、ずるいな。家でも良いんじゃないか?」と高志までが加わって。あっという間に、座は騒然としたものになっていた。

その様子を見守りつつ、くすくす笑っている澄香。
奏が美枝の腕から華を奪取しようと頑張っているが、どうやらむなしい努力に終わっているらしいことを確認し、ゆうきはすっと席を立った。

勝手知ったる他人の家。頻繁に出入りしている華の家の中は、ゆうきにとって知り尽くした場所だった。

皆が集まっていた居間を出て手洗いに向う。
そして用を足して手洗いの扉を開けると、廊下にぽつりと一人、先程奏にもらった熊を両手で抱えている華が、居た。

「華?」

声を掛けると、華が顔を上げゆうきを見た。

「逃げてきちゃった。」

照れたような笑みを浮かべ、華がいう。
あの母親たちに力一杯構われては、さすがに逃げ出したくもなるだろうと、ゆうきは苦笑しながら華の方へ歩き出した。

と、その時。ズボンのポケットに入れてあった袋がかさりと音を立てた。

―――ああ、そういえば。渡しそびれてた。

ズボンのポケットから、小さな袋をゆうきが取り出す。
先程の騒ぎにより、すっかり華に渡す機会を逃していた贈り物だった。

「華、誕生日おめでとう。」

目線を華の高さまで下げるため、ゆうきは華の前に屈みこむ。
手に持ったそれを差し出すと、華が戸惑ったようにゆうきを見つめてきた。

「ん?プレゼント。いらない?」

「う、ううん。いる!ありがとう。」

ふるふると頭を左右に振った後、熊をどうにか片手に抱えなおした華の小さな手が、ゆうきの手から袋を受け取る。

「開けても、いい?」

熊を片手に、もう片方にゆうきの贈った袋を持って、華が聞いてきた。

「どうぞ。・・・・というか、開けてやろうか?」

華の今の状態では、どう頑張っても袋を開けることは難しいだろう。
ゆうきの言葉にこくりと頷く華の手から、再び袋を受け取ると、ゆうきは封を開け、中身を取り出した。

細い紐状。ベビーピンクの細かいレース。

「リボン。」

袋から滑りでたそれを見て、華が驚いたように呟いた。

華の目の前にリボンを翳し、ゆうきは空いている手で、華の髪をそっと掬う。

「華、髪伸びただろう。」

「・・・・うん。」

一房手の上に乗せ、ゆうきが笑いながらいうと。何故か華は困ったように俯いてしまった。
華の様子にゆうきの片眉が僅かに上がる。

「気に入らなかったか?」

そう聞くと。華がぱっと顔を上げ、その大きな黒い瞳でじっとゆうきを見つめてきた。

ちょっと驚きながら「どうした?」と聞くと、華が再び俯く。

「・・・・あのね、ゆうきちゃんは・・・・長い髪が、好き?」

「ん?そうだなぁ。どっちかっていうと。まあ、さらさらで手触りいいよな。」

ゆうきにとっては何気ない一言。
特に好みがあるわけではないが、華の背中まで届く髪はつやつやとしてとても心地よい感触だった。

「・・・・・・。」

華が何故か黙り込む。

「?」

何のことだかわからずに華の様子を見守っていると、急に華が「わかった。」といい、ゆうきの手からリボンを受け取った。

「ゆうきちゃん、ありがとう!」

にこりと笑い、華が皆のいる居間へと走り去る。

―――何だ?

ゆうきは不審に思いながら、華の去っていった後を追いかけた。

すると、居間の入口にいる華と澄香の姿が眼に止まった。
足を止めたゆうきの耳に、二人の会話が届く。


「あのね、お母さん。華、やっぱり髪切るのやめる。」

華が、真剣な面持ちで澄香を見上げていた。
髪を切る、その言葉にゆうきの片眉が僅かに上がる。

「あら?・・・・そう、よかった。母さんもそのほうが良いと思うわ。」

華の言葉を受けて、澄香が嬉しそうに微笑んだ。

「でもね、自分で髪・・・結えるようになるから。お母さん、教えてね。」

「ええ、もちろん。」

力を込めて拳を握る華の頭に澄香の手が伸びる。

やさしく華の頭を撫でながら、澄香はふとゆうきの方へ視線を向けるとぱちりと片目を瞑って見せた。

―――なるほど。

ゆうきは華の先程の行動の意味を理解し、ゆっくりと二人に近づいていった。



***




「ゆうき君、ありがとう。」

華が居間に戻っていくと、澄香は後に残ったゆうきにそう、言った。

「は?」

ゆうきはわざと何のことかわからないふりをし、聞き返す。
澄香が小さく笑った。

「さっきの、髪。」

澄香のその言葉に、やはり自分の予想が正しかったことをゆうきが知る。

「やっぱり、そういうことですか?」

「なんだ。わかってたの。」

「華と澄香さんのやりとりでなんとなく。」

澄香が苦笑しながらゆうきを見つめ、溜息を落とした。

「聡いわね、ゆうきくん。・・・・そう、あの子、私の手を煩わすと思って、髪・・・切ろうとしたのよ。」

毎朝学校に行く華の髪を結っているのは澄香。
その為、華は働いている母親の負担を軽くするために髪を切ろうとしていたのだ。
もちろん、華はそんなことは言わなかったのだろうが、澄香にはわかっていたのだろう。

無言で澄香を見つめ返すゆうきに、澄香が寂しそうな笑顔を見せた。

「だめね。あの子に、寂しい思いばかり、させて。気を使わせて。」

「澄香さん・・・・。」

本音、なのだろう。帰りも遅く、休みが不規則でもある澄香はほとんど華といる時間がとれない。
しかし、それも仕方の無いことなのだ。そう分かっているからこそだろう。
ゆうきは、華が澄香に我侭らしいことを言っている姿を一度も見たことが無かった。


「ごめんね。こんな話。・・・・ゆうきくん、華のこと、よろしくね。」

気分を切り替えるように、澄香がぱっと明るい笑顔になる。

「え?はい。それは・・・・妹みたいなものですから。」

僅かに戸惑いながらも、ゆうきはしっかり頷いた。
澄香が何故か意味ありげに、ゆうきを見る。

「そう?・・・・ふふ、妹、か。・・・まあ、今はそれでお願いするわ。」

微妙に含みのある言い方。
しかし、ゆうきが聞き返そうとする前に、澄香はさっさと居間の中へと戻っていってしまった。

後に残ったゆうきは、澄香の後ろ姿を見送りながら。

――――妹・・・だよな。

小さく胸中で呟いていた。



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