05


「うわ、本当に華ちゃん、おっきくなったねー。いやー、オレも年取るはずだわ。」

どっかりとソファに座りこんだ橡が、ビール缶を片手に、華に話しかけている。
リビングに繋がっているキッチンから、軽い酒の肴の乗った皿を持った華が笑いながら歩いてきていた。

ゆうきは不機嫌に顔を顰め、橡の前にあるテーブルを挟んで反対側のソファに座っている。

「華、こいつのこと、知ってたんだな。」

テーブルの上に皿を置いた華に、ゆうきが溜息を吐きながら問いかけた。

橡は、ゆうきが引っ越すときに手伝いに来ていたのだ。
その時、華のことを見かけたのだろうが、ゆうきには華を橡に紹介した覚えは無かった。

いつの間に華と接触していたのかと、ゆうきは改めて橡の抜け目無さに呆れる。
それと同時に、華に今日はこないようにメールをしておかなかった自分の迂闊さが、ゆうきは腹立たしかった。

橡には、ゆうきの大学時代の行いをいろいろと知られている。
その為、何を言い出すかわからない上に、華があの引越しの日に関わる人物に会うことで辛い思いをするのではないかと、ゆうきは気が気ではなかった。ついこの間、あの日偶然聞かれてしまった会話が、華を傷つけていたことを知ったばかりなのである。

しかし、そんなゆうきの心配をよそに、華は至極楽しそうであった。

「うん、ゆうきちゃんの引越しの日にね、話したの。すごく面白いお兄さんだったんだよ。」

くすくす笑っている華に、橡が「ええ、そうかなぁ〜。」等とわざと照れた風を装いながら答えている。

「いやー、瀬守のお隣に可愛い子がいるって聞いてねー、ついつい会ってみたくなったんだよ。」

「あの日も、橡さん、そんなこといってませんでした?」

「え?そうだった?」

華と橡の間で、和やかな会話が進められる。

その様子を見守りながら、ゆうきは再び重い溜息をついたのだった。




ピピッ。軽い電子音が、鳴った。

ゆうきがそちらに目を向ける。時計の表示が、19:00になったのだ。
ゆうきにつられたように、華も時計を見ていた。

「七時!?」

華が驚きながら、急いでソファから立ち上がる。

「大変、もう帰らなきゃ。」

小さく呟きながら、華は既に鞄を手に取っていた。
いつの間にか華がきてから、二時間程も経っていることにゆうきも驚いていた。

ゆうきの前に座った橡はといえば、いまだビールをぐいぐいと呑んでいる。
これは、今夜は帰らないつもりかもしれないとゆうきは心の中で嘆息しながら、ソファから立ち上がった。

「澄香さん、今日帰ってくるのか?」

帰り支度をしている華の背後からゆうきが問いかける。

「うん。そう。だから、今日はこれで帰るね。」

ゆうきの方を振り返り、華が笑顔を返した。
いつもなら、ここで、キス。だが、今日は橡がいた。ゆうきは伸びそうになる腕を何とか押しとどめる。

そんなゆうきの心情にはまったく気づいてないのであろう橡が、暢気に「ええ?帰っちゃうの?残念だなー。」と声をあげた。

「ごめんなさい、今日、母が帰ってくるんです。家に居て、出迎えたいから。」

華がすまなそうに橡に向けて小さくお辞儀する。
だが、もともとお邪魔虫なのはあきらかに橡であると思っているゆうきは、橡に冷たい一瞥を投げかけた。

「華、こいつに気を使う必要なんて無い。」

ゆうきの軽口に、「うわ、冷たっ。」と呟く橡。
その間に帰り支度を終えた華がおかしそうに笑いながら「じゃあ。」と手を振りリビングを出ていってしまう。

ゆうきは「そこまで送っていく。」といいながら、華の後を追いかけた。

しかしゆうきがリビングを出た時、急ぎ足の華は玄関で既に靴を履き、扉に手を掛けていた。

「大丈夫だよ。ゆうきちゃん、お友達がきてるんだから、私のことは気にしないで。」

ドアノブを握ったまま振り返った華が、ゆうきに笑いかける。

「華っ」

ゆうきが呼びかけたが、華は手を振りながら扉から出て行ってしまった。


ぱたりと扉の閉じる音が、した。


ゆうきが閉じた扉を見つめながら、軽く溜息をつく。
その後ろから、いつの間にかリビングから出てきていた橡の押し殺したような忍び笑いが聞こえていた。

「なんだ?」

むっとした表情を隠そうとはせず、ゆうきは橡へと視線を向ける。
人の悪そうな笑みが、橡の顔に浮かんでいた。

橡がこういう表情をするときは、大抵ろくでもない話しかしないことを知っているゆうきは僅かに眉を顰めた。

「いや、相変わらず、大切にしてるなー、と思ってね♪」

缶ビールを片手に、橡がゆうきの肩に腕を廻してくる。

「悪いか。」

橡の腕を邪険に振り払い、ゆうきはリビングに戻ろうと歩き出した。
橡が、のんびりとゆうきの後について来る。

開けっ放しだったリビングの扉をゆうきが潜ろうとしたとき、橡が再びしゃべりだした。

「悪くはないけどさ。でも、華ちゃんもいい加減、お兄ちゃん離れの時期なんじゃないの?」

お兄ちゃん、その言葉にゆうきの眉宇が僅かに動く。ゆうきは足を止め、振り返った。

「どういうことだ?」

ゆうきの声が、不機嫌なそれになっている。だが、橡はまったく頓着せず、ごくりとビールを一口飲んだ。

「んー?昨日さ、お前に会う前に、みたんだよなー。」

相変わらずのんびりと歩きながら、橡がゆうきの前までやってくる。

「見た?」

問い返すゆうきの声は、剣を含んでいた。
橡の歩が止まる。にやりと笑いながら、おどけた口調で告げられた内容は、ゆうきにとって予想外のものだった。

「そ。ほら、あのお隣の男の子。たぶん、あの子だと思うんだけどさ。あれ、かっこよく成長したねー。」

「奏?」

いきなり出てきた奏の話に、ゆうきが僅かに驚く。
華だけではなく、いつの間に奏のことまで・・・と、つくづく橡の侮れなさを知る思いだった。


「ああ、そうそう。奏くん。あの彼と、お似合いだったよ?見たときは、華ちゃんだって気づかなかったんだけど。」

うんうんと頷く橡から、軽く発せれた言葉。
話の内容に、ゆうきが嫌な予感を感じる。

「――――――。」

不機嫌に橡を睨みながら、リビングの入り口に立ちはだかっているゆうき。
その横を橡が無理やり通って行く。

「レンガ通りの裏路でさ、抱き合ってた。あの二人。」

リビングの中に入り込んだ橡が、ぽつりと、呟いた。


ゆうきの目が、不機嫌に―――眇められた。


――――これが嵐の、前兆。ゆうきの中にまかれた僅かな不信の芽。それが決定的なものになるのは、それから間もなくのことだった。



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