ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

03



ああ、あれ、いつだったんだっけ。

ええっと……寒かった、ような気がするんだけど。
暖炉に火が入ってて。おばあちゃんは暖炉の前で安楽椅子に座ってて。
手には……手には、紅茶の入ったカップ。

私は、絨毯の上に座っていて……ココア、の入ったマグを持ってた。

で。何の話の流れだったのか忘れたけど。

魔法の効かない相手がいるとかいないとか云うような話に、なって。
その時に、おばあちゃんが教えてくれた、はず――。

なんだけど。

なっ、なんで? ここまで映像はくっきりはっきり思い出せるのに。
おばあちゃんと私。口パク状態なわけですが……。

いくら場面が鮮明に思い出せても、おばあちゃんとちっこい頃の私が話している内容は、まったく聞こえてはこず。

つまり、さっぱり思い出せない。
ええい、もう、どうしてなのよ!

うんうんと唸りながら眉間に皺を寄せる。
そんな私の頬が低い声と共に軽く摘まれた。

「オイ? 桜、侑那……ユウナ」

ああ!? 何よ、もう! 考えてるんだから邪魔しないでよっ。

ぱんっとその手を振り払う。
集中しているときちょっかいを出されるのって結構我慢できないタイプなのさ、私は。

おかしい、おかしいわ。どうして? 私、結構記憶力には自信が……。
そこまで考えたとき。

「いい加減、戻ってこい、ヨ?」

感情のこもらない声と共に、私の体がぐいっと強い力で引き寄せられる。
……はっ!

「今、どういう状況だか、わかってるか?」

目の前に柊一路の顔。というか、近すぎて顔のパーツしかわからないんだけど――が、あった。
柊一路の相変わらずな暴挙に、ようやく私は今の状況を思い出す。

……すみません。忘れてました。
ええそうですよね。今、こんなに没頭して考え込める状況じゃアリマセンでした。

あまりにも近すぎる柊一路の、唇。
こんな状況にも関わらず、不覚にも頬が熱くなった。

だ、だってよ? こんな近くに親族以外の異性がいるなんて、はっきりいって今まで無かったし。
いままで男の子とちゃんとしたお付き合いらしいお付き合いは、したことないし。
それがさ、いきなり昨日、初ちゅーを奪われ、あまつさえ今日はとんでもないところに手を突っ込まれて。

――お嫁にいけなくなったらどうしてくれるんだ、柊一路。

くっと思いながら、私はどうにか柊一路の身体を両手でぎゅうぎゅう押し返した。

「は、はーなーしーてーくーだーさーいーっ!」

必死な私。まったく動じていない柊一路。
ふふんって感じに私を見下ろしている男を、本気で殴りたくなった。
これ以上余計な刺激は逆効果だってわかってるから、もちろん実行に移したりしないけど。

たとえばここで私が手を振り上げたとしたら。
絶対、柊一路にまた腕をつかまれて状況が悪化する。身動きの出来なくなるその状態だけは、なんとか避けたかった。

――今でも充分身動きできないんだけど。

だんだんドツボにはまり込んでいっているようないやーな雰囲気。

何で私、こんなところで柊一路の腕に抱きこまれてるんだろう。
ああ。で。また顔、上げさせられたりして。
しかも柊一路の手が。私の耳の下から顎辺りを、するりと撫でて。

「……っ」

背筋が、ぞくりと震えた。

ど……どどど、どうした、私!

困惑、する。でも、柊一路の手は止まってくれなくて。
するする耳の後ろ当たりを撫で上げられ、る。
そのたびに、ぞくぞくする、背筋。

「へえ? この辺、弱いんダ?」

ひどく近くで、低く囁かれた言葉。

「――っ!」

な、何言ってるんだ、この男は!
よ、よわ……弱いってっ……そんなことわかるかーっ!

心の中では強気に吼える。でも体はさっぱり言うことを聞いてくれず。
情けないことに、柊一路の手が動くたびに足の力がだんだん抜けて。

まずいって、わかってる。絶対まずい。

こんな状態で足腰立たなくなったら何されるかわかったもんじゃ、ない。

で、でもでもでも! ああ、私しっかりしろ!

自分を鼓舞させてみたりしても、まったく虚しい努力でしかなかった。
がくりと、足の力が、抜けた。

柊一路の腕の中をするすると滑り落ちて、床にへたへたとへたり込む。
私が座り込むと、何故か柊一路も一緒に屈んで。また、頬をつかまれた。

ぐいっと柊一路の方へ引き寄せられる。

「魔女は快楽に弱いって、本当か?」

吐息。無表情だけど。なんだかやけに熱がこもっているように感じる、目。
触れるか触れないか位近いところに、薄い形のいい唇。
それらを、ぼんやりと見て。頭の芯が、れたみたいに、なる。

何故か柊一路に向けて手を。

――触り、たい。

ん? 誰に?

「……きゃあああああああっ!」

思いっきり両手で柊一路の顔を押し戻した。

な、何!? 私、何考えて?? ええええ!ふ、触れたいって、何さ!
嘘、嘘、嘘! 今のなし、取り消し!
気の迷い。そうよ、気の迷いよ!

ぎゅっと目を瞑り、必死に先程のありえない感情を否定する。

「……ユウナ」

柊一路の低い声。でも顔を見ることなんてとてもじゃないけど出来なかった。
ぜいぜいと荒い息をつきながら。ふと気づけば。
焦りまくっていた私の腕は、いつの間にか柊一路につかまれているようで。

手首に感じる、柊一路の体温。

「は、離して下さい」

情けないことに、すっかり涙声。だって、変だ。おかしい。絶対。

柊一路の”魔女は快楽に弱い”って言葉が、やけにリアルに私の心に引っ掛かっている。
うう、この男。もう、やだ。なんで、そんなこというんだろう。

どうしよう。目の奥が、熱い。
頭の芯がじんとして。閉じた瞼の裏から溢れ出る、涙。

泣くのなんて、何年ぶりだろう、なんて冷静に考えている私がいる一方で、ものすごく感情的になっている自分もいて。

ぱたりと頬を熱い雫が、伝ったのがわかった。
重苦しい沈黙の落ちる中、柊一路の手の力が緩んで。私の手は支えを失いずるりと落ちた。

何やってるんだろう、私。こんなところで。昨日初めてしゃべった男と二人で。しかも泣いちゃってて。

一度泣き出したらどうにも止まらなくなった涙。
ぼろぼろと涙を流す私の前で。柊一路がため息をついた気配がした。

「ほら、手、離したダロ? 他にご要望は?」

呆れたような響き。その言い草に、むっとする。

何よぅ、さっきまではさっぱり言うことなんてきいてくれなかったくせに。

むかっ腹を立て私は漸く目を開けることができた。
そこには、やっぱり呆れたような顔をした柊一路。

でもなんだかその顔を見たら急に気恥ずかしくなり、乱暴に両手で自分の顔を擦って涙をふき取り、視線を下に落とした。

あ、うわ、埃だらけ。さっきの木端とかもあるし。スカート、汚れる。
午後の授業もあるし。あんまり汚れてるのは、やだな。

我ながらなんだかのんきなことを考えてみたり。

でもとりあえずは、この漂っている気まずさを何とかしたくて。

「……とりあえず、立ち上がりたいん、ですが」

視線は合わせず柊一路に訴えてみた。だって、さっき要望、聞いてきたし。

ああ、もう、本当に私……何やってるんだろう。

変わらず下を向いていた私の視界に、伸びてきた腕が入り込んできた。

なに? と、思っているうちに。
柊一路は私の腕を掴み上げて軽々と立ち上がらせてくれた。

……意外と力持ちですね、柊一路さん。

色男って力と金はないもんじゃないのかな、なんていう考えが浮かぶ。
そんなことを考えてる場合じゃないと、心の中で乾いた笑いが漏れた。

「桜侑那」

黙り込む私の前で柊一路が再び軽く息を吐き出した。
名前を呼ばれ、顔を上げて柊一路を仰ぎ見る。

そこには――思いがけず真剣な気配を宿した柊一路が、いた。

「取引。黙ってる代わりに、捜して欲しい奴がいるんだケド?」

ちょっと目を細めて。柊一路が不遜に言い放った言葉。
何を言われているのか、わからなくて。

「は?」

私は間抜けにも思いっきり目の前の男に聞き返していた。
いや、だって……何、突然? トリヒキ?

「魔女、ダロ? 人捜し、できないのか?」

きっとものすごく驚いた顔をしているのであろう私に、柊一路が僅かに首を傾けて聞いてきた。

「できることは、できますが」

間の抜けた声で返す。

えっと、人捜し。そりゃね、できるさ。ただね。簡単にできるわけじゃあ、無いのよ?

「じゃあ、まずその人の名前。それに使っていた持ち物なんかがあれば」

一応、思いつく限りでもこのくらい無いと、スムーズに捜せない。
なんだか、なし崩し的に柊一路のペースに嵌っている気がしないでもないんだけど。
だけどね、いきなりちゅーされたり、ハグされたりするよりは今の状況の方が遥かにましだと思うし。

しかし、たずねた私に柊一路が返してきた答えは。

「名前はわからないし、持ち物は無い」

……あんた、私にけんか売ってるんかい。

「無理です」

即答した。

「会った場所なら覚えてる」

無表情で飄々と言われる言葉。

あった場所ぉ? それだけじゃいまいち弱い。
でも、ごく最近のことならその場所から記憶を手繰れるかもしれないけど。

「とりあえずいつ頃会った人なんですか?」

胡乱に柊一路を眺めながらたずねる。

「12、3年前」

澄ましているその顔、ぶん殴るわよ?

「……あのね、無理です」

深ーく溜息をつきながら柊一路に答えた。

そんな雲を掴むような話。無理に決まってる。魔法ってだけで無規則で無秩序と思ってるのかもしれないけど。
実際はすごく繊細で、法則に縛られたものなんだから。

お手上げ、と肩をすくめる私。それを見ていた柊一路の目が僅かに細められた。
あ。なんだか。やな感じ。

「ばらしても、いいんダ?」

……やっぱり。

この。腹黒、腹黒、腹黒!

心中では思いっきり罵倒しながらも、弱みを握られている以上それをそのまま言えるはずも無く。
しかも。きりきりと唇をかみ締める私を無表情に見つめている柊一路が、何を思ってこんな脅迫まがいのことをしているのかなんて当然のごとくわからなかった。

――諦めの溜息をつく。

やるしか、ない。
人の多い場所だったなら、なんとかなるかもしれないし。
あまりやりたくないけど――無機物がとどめてるはずの記憶を手繰るって手もある。

「わかりました。場所と、どんな人を探せばいいのか教えてください」

悔しさに歯軋りしたい心境で、柊一路に情報の提供を求める。

「場所は、黄昏館の庭園」
「黄昏館?」

力一杯目を見開いて柊一路を凝視してしまった。

びっくり、した。
柊一路の告げた場所、それはおばあちゃんの家があったすぐ側だ。
でも、偶然よね? 気を取り直して、柊一路に再び尋ねる。

「それで、どんな人ですか?」
「日本人。茶色の髪に、黒い目」
「そんな特徴なら腐るほどいるじゃないですか」

真面目に答える気があるのか、この男は。

「会った時は、5歳前後」
「てことは、今は高校生位ですか。後は?」
「性別、男」

ふむふむと相槌を打つ。しかし、そこで柊一路は黙り込んでしまって。
次の情報は? と、目線で問いかける。

――柊一路が、肩をすくめた。

……そ、それで終わりか!
うう、本当に、見つかるかなぁ? この情報量の少なさで。かなり泣きたい。
仕方が無い。こうなったらあらゆる手段を講じてみるしかない。

「―わかりました。その依頼、お受けします。『魔女』として責任を持って」

柊一路に向けて、きっぱりと契約の言葉を告げる。

一度引き受けたからには、どんな経緯であろうと誠意を持って対応する。
それが、私がこの仕事をはじめた時に自分に課した誓約だった。

柊一路は私のその言葉を聞くと、相変わらずの無表情で軽く頷き、すっと扉に手を掛けた。
かちゃりと音をさせ、扉がゆっくりと開く。

「がんばれよ? 魔女」

ふと、柊一路が微かに笑った――気がした。
……まさか、そんなわけないか。気のせい気のせい。

開かれた扉から準備室の外にやっと抜け出すことができ、知らずに入っていたらしい体の力がふうと抜けたのを感じた。
背後で、私の後から部屋をでた柊一路がぱたりと扉を閉める音。

なんだか、一難去ってまた一難。

どうにか柊一路の魔手からは逃れることは出来たけど。新たに依頼、受けちゃったし。
それに、『魔女』も魔女も、やっかいな男に、ばれちゃった。

でも、やるしかない。早速情報集めから、ね。
柊一路の方を一度も振り返ることなく、私はとっとと廊下を駆け出した。

気になることは、山積み。

どうして柊一路に魔法が効かないのか、とか。
おばあちゃんが教えてくれた話の内容とか。
『魔女』がどうして柊一路にばれたのか、とか。

しかーし。何よりも優先するのは、依頼。

そりゃ、卑怯な手口の依頼経路だけど。
私の正体を黙っていてもらうことっていう代価を貰う以上は、りっぱな仕事。

つまり契約はなされたってことだ。ひとまずいろいろな問題は置いといて。

必ず、捜しだしてやるっ。見てなさいよ、柊一路!
決意新たに、一人拳を握りしめる。

けど、柊一路の依頼を受けて教室に戻った私を待っていたのは。
那珂のとんでもないフォローのお陰で大騒動となっていたクラスメイトたちの追求だった。



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