ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

07



「飲んでください」

端的に言った私に、柊一路が実に珍妙な顔をした。
ずずいっと差し出した私の手には厚ぼったい白磁のコップが一つ。

「……この正体不明な、へどろと区別がつくか微妙なところ的物体を?」

わ、悪かったわね!
これでも一生懸命見栄えよくしたってのよ、なんて人の気遣いがわからない男なの、柊一路っ。

呪具は始末したけれど、それだけじゃ不十分。

これ以上酷くなる事はないけれど、身体に残った邪気を払ってしまわないと、厄介な事にいつまでも柊一路の状態は回復しない。
だからこうして一度家に戻って薬を調合してもう一回舞い戻ってくる、なんて手間隙をかけたって言うのに、いうことはそれだけか!

「とにかくこれが一番効くんです。ちゃんと調合してありますから死にゃしません」
「じゃ、あんたが飲んでみてヨ」

コップをぐいぐい押し付ける私に、まだ疑わしげな目をした柊一路がのたまった。
あのね、私が飲んでどうするのっ!

「ほら飲めないダロ?」
「……私が飲んでもまったくもって意味がないからです」

ぎっと睨みつけながら、雄叫びを上げそうになる自分をどうにか押さえつつ、地を這う声を搾り出す。
何よ、こんなにふざけたこといえるんなら元気なんじゃない。心配損だわ。

「とにかく飲んでください。時間が経つほど効果の保証ができなくなりますから」
「――飲ませてくれるなら」
「は?」

……飲ませろ?

こうして背中を支えてコップを傾けて飲ませようとしてるってのに、それを飲まないで何いってるの。
意味がわからず首をかしげていたら、柊一路の手がコップを持っている私の手を、それごと掴んだ。

「え、ちょ……っ、」

零れるじゃないですか!

叱咤。でもそれは柊一路の暴挙により、口にする事をついに許されなかった。
あろうことか柊一路は、私の口にコップを当てて無理やり薬を飲ませたのだ。

ちょ……っ、零れる零れるーっ!
作り直すの大変なのよ、これ。材料も滅茶苦茶手に入りにくし……!

カチカチと頭の中で瞬時に考え、仕方無しに口の中に含んだ液体。
ナントカ飲み下さず踏みとどまったものの、苦いっ。苦いの苦手なのに、何すんのコイツは!

「……うーっ! んん、んう!」
「何言ってるかワカンナイ。じゃ、イタダキマス」

イタダキマス? って何?
ああ、もう薬が口いっぱいで喋れない!
花も恥らう乙女として……寧ろ人としてどうかと思うけど。

これ、コップにバーって吐き出してあんたに飲ませてや……っ!

「ん……っ、」

ん……――何、これ。

私、何で柊一路の顔をこんなに近くて見て……というか、寧ろ見えない。つまり、近すぎて見えないわけで。
おまけに唇、暖かいんだけど。嘘でしょ? また? また!?

こ、この男は乙女の唇をどうしてこうも気安く……っ!
ありえない、ありえないから!

それに、また魔法が暴走したらどうするの!
どこに被害が行くかわからないってのに……!

今までは偶々人が対象じゃなかったけど、今度もそうとは限らない。
どうして、こんなことするの……っ、懲りたはずでしょ、資料室で散々な目にあったくせに!

押し返す手に力を込めて精一杯主張してみる。

なのに。離してくれない。
薬が、私から柊一路に流れていく。

パンッと手の中で乾いた音がした。

……っ、来た!

柊一路の手が添えられていたコップ。割れた感触が確かにあった。
私を傷つける事の無いそれは、でも柊一路を傷つけた、はず。

手に、ぬるりとした生暖かさが広がる。

「んーっ、んんんーっ、んーっ!」

暴れた弾みで、コップの残骸が手から零れ落ちる。
けど、柊一路は、ちっとも手を緩めない。

やだやだ離してよぉ! 私は誰も傷つけたくなんて、ない!
なんで、なんで全然怯まないの、この人。こんなことしてないで、手! 手の治療が先でしょ!

やけにリアルな、自分以外の舌の感触。それは逃げる私を、絡め取る。
口の中に残った薬の苦味はゆるゆると消えていく。

考えたくない。けど、私から柊一路へと確実に薬は移っていっているわけで。

三度目のキスは苦くて苦くて。

息、くるし……っ、もお、いい加減に離せーっ!



***




「見た目は酷かったけど、味はまあまあ」

殴り倒してやろうかと思った。

だって、人の唇を勝手に奪っておいて、その挙句のこの発言ってどうなの!
まあまあって! まあまあって何事!?

「先輩、後々のために言っておきますけど! 二度と私にこういう真似はしないで下さい!」
「なんで?」

手のひらにコップの破片がある感触はなくて。
だから止血になるかと思ってきつく握り締めていた柊一路の手。それを思い切り引き上げ、離した。

「なんで? そんなの決まってるじゃないですか、手……血が……っ!」
「血じゃない。零れてたのはコップの中身。切れてないダロ? ほら」

目の前にずいっと翳された手の平は、確かにヘドロ状のもので汚れてはいたけど。
血はどこにもついていなかった。

「……え?」

思わず、柊一路の手を握り締め、しげしげ観察。

どう、して?

「納得?」
「え……はあ」

狐につままれたような、脱力感。

なんだ、よかった……。また、傷つけちゃったかと、思って……。

何せ、柊一路に関わる事で魔法を使うと何が起こるかわからない。
だから、ここにもわざわざ歩いてきたほど。
屋上で柊一路から逃げ……もとい、飛んで帰るぶんには問題なかったけど。
近づいていく時に力を使えば、何が起こるかわからない。

とにかく、よかった。

「涙目」

ほっと安堵する私に、柊一路が馬鹿にするみたいに一言。
いや、みたい、じゃなく。馬鹿にしてるに違いない!

わるかったわね、そりゃ涙目にもなるっつーのよ!

「ふざけないでください……っ! 私がどれだけ心配……っ、」

心配、したと思って……と、全て言い切る前にはっと気付いた。

「心配、したと思って?」

私が飲み込んだ言葉を、そっくりそのまま柊一路が声に出す。
邪悪な笑み。僅かに細めた眼。

「してません、からっ!」
「ふぅん。なら、そういうことにしとこうか?」

ええ、ぜひともそうしといてください!

まったく、今月の私は何かに呪われてる、絶対。
とにかく薬は飲ませたし。薬の調合ついでに作ったお粥も渡したし。私がすることはもうないはず。

帰る、何がなんでも帰る。もう迂闊に情にほだされたりしないんだから!

唇を拭って。腰を上げた私の前で。
柊一路が、自分の手についた薬を舌で舐め取っていた。

唇から、覗く舌。赤いそれが、以外に大きな掌の上を何度も往復、して。
妙な、色気。見入る私に、柊一路が綺麗な流し目を。

「ユウナ?」

火がついたかのような、つま先から脳天。

だ、だだだって!
さっきまたキス、されて。私の口の中に、柊一路の舌が入ってきてたわけ、で。

「わ、たし、私、もう帰りますから! 体調は明日の朝にはよくなる筈です。今日はちょっと熱が出るかもしれないけど、汗をかいたら着替えて、安静にしててください……っ!」

逃げるように……今度ばかりは誤魔化し様も無く、まさに逃げ出したんだけど……慌てて柊一路の部屋から飛び出した。

ばたんと乱暴に閉じた扉に背中を預け。
天国、にいるかもしれないおばあちゃんに向けて叫んだ。

私……っ、私やっぱりもうお嫁にいけないかもしれない……っ!
おばあちゃん、由緒ある家系を私の代で終わらせちゃったらごめんなさいぃぃっ!



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