ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

09




虫の音が響く芝生の上で何気なく足を止め、じっと佇み見上げる。

闇の中に沈む建物のシルエットは、昔よりも幾分小さな気がした。

――なつかしー。

黄昏館、ここ大好きだった。でもおばあちゃんが亡くなって、すっかりこなくなっちゃったんだよねぇ。
子供の頃遊んだ場所ってやっぱりちょっと特別な気がするな。

でも。残念ながら今は感傷に浸ってる場合じゃない。することをさっさと済ませなくちゃ。

「さぁて、と。それじゃいきますか」

真っ暗闇の中、夜通しつけられている灯だけを目印に、白い洋館の入り口を目指す。

一歩を踏み出す毎に足の下でざくざくと音を立てているものは、白い砂利。
新月が必須条件、明りは極力身につけるべからず、とはいえ、足元が白くてかなり助かった。
こう暗くちゃ、常夜灯の届く範囲外はうっすらと見える程度で一体何があるのかまでは識別できない。

俗に言うところの、草木も眠る丑三つ時ってやつだ。

こんな真夜中に、再びここへ来ることになるとはついぞ思ってなかった。
元凶はそれもこれもひっくるめて全部全て何もかも。

返す返すも腹立たしいあの男――柊一路だ。

「大体ね、幾らちっちゃかったからって、情報がたったあれっぽっちってどうなのよ。あったま悪いんじゃないの、あの男」

愚痴のひとつやふたつやみっつやよっつ。軽々と口を付いて出てくるってもんよ。
いってもしょうがないとわかってても、いわなきゃやってられない。

大体なんなの、あの非協力的な態度は!

こともなげに悪びれることもなくたった一言、ないよ、ときたもんだ。

脳裏に浮かんだ柊一路の姿へあらん限りの罵詈雑言を力いっぱい繰り広げつつ、真っ黒なロングスカートの裾をばっさばっさと翻す。
そして大股で歩くこと暫し、隙間なく閉められた白い観音開きの扉の前で私は再び足を止めた。

ぐずぐずしている時間は無い。
気持ちを切り替え、 組み合わせた両手をばきぼきと鳴らし、深呼吸をひとつ。

術を行使するのに必要なものは素質はもちろんのこと、何よりも集中力だ。
私の今後の平穏な生活が掛かってるんだから。明日からもおさんどんなんて冗談じゃないってのよ。

しっかりきっちり――『見せて』頂戴よね。

「さあて、それじゃあのぞかせてもらうわよ」

アールヌーボー風の模様が描かれた木製の一枚板。
年季の入ったそれにそっと手を添える。

意識を集中して、低く低く囁きかける。

「ニイドエオロー……我は虚なる扉に記憶の糸を与える者なり」

空気がさっと密度を増す。
穏やかだったはずの風が力を増し、私の髪を巻上げる。

――間接的には手がかりがつかめなかった。柊一路からの情報もこれ以上引き出せそうも無い。

なら、もういっそのこと柊一路が示した唯一の手がかりであるこの場所に尋ねた方が早い、とわざわざ術の行使に最適な時間を選んでここにきたわけだ。
目に見えていた世界が薄らいで、異なる世界が私のに広がる。意識がその中に引き込まれる。
するする逃げる記憶の端を求めて、七色に光る急流を慎重に遡っていく。

幾重にも連なる流れの源。
それさえ見つかれば、連なる糸の様にこの館の記憶を辿ることが出来るはず。

……なかなか強情、だけど――私に従ってもらうわ。

久々の力比べ。高ぶってくる気持ち。胸がざわざわする。

――そう、これ、これなのよ! この高揚感……っ。

柊一路が相手のときはまったくなかった手ごたえが、しっかり感じられる。
じんわり押し寄せてくる幸福。ついついにんまりと緩む口元。
その時、張り巡らせた感覚に記憶の端が引っかかった。

無理やり捕まえ、ぐいぐい引っ張り寄せる。
見やすく具現化出来るよう、現し世にまで。
まるで水面に飛び出したように虹色の流れが消え、世界が急激に元へと戻っていく。

でも、完全に戻ったわけじゃない。

白い扉はくすみが薄れ、模様がよりはっきり浮き立っている。
扉に手を触れたまま、首だけをゆっくりと後ろにめぐらせれば白い砂利の道。常夜灯。はっきりと見える現実の世界。
その上に薄い膜が被さり、もう一つの世界が映し出される。

正面に見えるのは、私の腰ほどの高さまである植木の囲い。今の季節では咲くはずのない花に覆われたその前を、人影が流れていく。
あっという間に季節が移り変わる庭園の姿。これは、私の幻覚というわけじゃない。

この場所に地層のように折り重なってきたものだ。

一つ一つ薄いヴェールをはがすように慎重に目的の記憶をさぐりだす。
建築物はフィルターをかけずに純粋に場面を記憶するから、生物の記憶を探るよりも鮮明に見える。
でも意思がない分記憶の糸口を探るのは容易じゃない。
結構な技術がいるこれは、同時に結構な力を消耗する。

早送りをしたように流れていく記憶。
元の場所に戻ろうとする引力をぐいぐい感じる。
うっかりすると飲み込まれそうだけど、ここが踏ん張りどころ。

ぐっと気を引き締めて、意識の中で記憶の束を引き寄せた。

――年代的にそろそろ、か。

記憶のヴェールに干渉する。
一瞬ぶれた映像が再び今度は緩やかに流れ始め。

はっと、した。

なに、これ……。ありえない。何でこんなに。

浮かぶ映像が薄い、まるで霞がかかったみたい。
物理的なものじゃないから、目を凝らせば焦点があうというものでもない。
柊一路らしき人物の気配は、ある。今よりもかなり幼い影。

見る場所はここで間違ってない。
柊一路の横に、多分、誰かいる。
いるけど……柊一路以上にぼやけた薄い影。輪郭すらもつかめない。もちろん性別もわからない。
いや柊一路が捜しているのは男の子なんだから、女の子じゃないのは確実なんだろうけど。

こんなこと、初めて。

……ふと厭な考えが浮かぶ。

まさか、柊一路に私の魔法は効果がないから? その影響、なんてこと、ある?
嘘でしょ。骨折り損のくたびれもうけ?
顔がわかんないんじゃ、さっぱり意味が――あ、でも待って。少し映像がはっきりしてきた?

もしかしたら相手の子、わかるか……。

「――っ、な!?」

ばちん、とつながっていた糸を無理やり断ち切られた感覚。
術の制御の為に扉へ触れていた指先が弾き飛ばされる。

びりびりとした痺れ。衝撃に目がくらむ。
破られた? 私の魔法が?

というか――これ、トラップ?

発動するまでまったく気づかなかった。
これ、いつから仕掛けられてたわけ?
どうしてトラップなんて。

辺りは夜の静けさを取り戻し、私が引き寄せた記憶は霧のように消えうせている。
まだしびれている指先で扉に触れると、かすかに残っているのはトラップの痕跡。
読み解くそれは、恐ろしく繊細でいて大胆。なんて巧妙さ。

一体、誰? ううん、それより、邪魔されてる……?
柊一路の過去を探って欲しくない誰かがいるってこと?

ぞくりと肌が粟立つ。背筋に悪寒が走る。

そういえば、柊一路に掛けられていた呪。あれも、抜けない棘のように、気になってた。
これは、どうにも厄介なことになってきた。
そもそも事のはじまりからして全部まるまる厄介ごとだらけだったけど。
これでまた私の手から真相が遠のいていったのは確実なわけで。

……問題ばっかりがどかどかと目の前に山積みにされてく、みたいな。

――私、まだ厄年じゃないんだけど。

だけど絶対、間違いなく、疫病神に憑かれてる……っ。
呆然とする私の眼前に。
黒い羽としっぽを生やした手のひらサイズの柊一路がわらわらと小躍りする幻覚が、みえた。

末期だ。



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