ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

10




「もおおおお、なんなのよーっ!」

って、ああしまった、一時間もかけて書いた魔法陣が……っ。
細かな造詣は苦手、それを押して頑張った努力の結晶だったのに!
机の上において手を載せていたクリーム色の紙は無残な姿に変わり果てていた。
私の怒りに任せたひっぱり具合により、思いきりびりっと、見事にまっぷたつだ。

うなだれて、目をつぶる。
紙を破っちゃったのもショックだけど、それより。

――どうにもこうにも、まいった。

柊一路に関する情報は、やっぱりまったく追えない。
夕べは明らかにトラップだった。
けど、今は多分、柊一路に魔法が聞かないことが影響してる。

準備に準備を重ね、周到に魔方陣まで用意して、だけどまったく全然ぴくりとも発動しないってどうなのよ。

「――オイ、魔女」

……あ、忘れてた。

頭を抱えてうなる私の前で、柊一路が座って頬杖をついている。

昨日、トラップに引っかかった後。
嫌だけど、どうしたって嫌だけど。
こうなった柊一路本人の記憶をちょっと覗かせてもらおう……、そう腹を括って。

なにせ、表面的には覚えて無くても、無意識下には多分もっと記憶が沈み込んでるのは間違いないはずで。
問題は、魔法の効かない柊一路の記憶を私が見られるかってことだったんだけど、ものはためし、だめもとでやってみるしかないか、と。
葛藤の末、捜し人に関する情報を、とりあえず柊一路本人から得ることに決めた。

それで今日、早速昼休みに――まったくもって癪ながら下手にでまくって――柊一路に協力を仰いだというわけ。
ちょっと時間がかかるかもしれないからと、放課後付き合ってもらうことになって。
こうして再び、空き教室であいまみえてるんだけど。

もっとも。

ここまでもそうそうすんなりことが運んだわけじゃ全然なかった。
なにせ協力を頼んだ私に、この極悪人、条件なんてもんを突きつけてきやがりやがって。
おかげで次の休みの日、あろうことか柊一路の家におさんどんに行かなきゃならないという頭の痛い難問を抱える嵌めになっている。
幾ら依頼主とはいえ、いい加減その非協力的な態度はどうにかしろってのよって、つくづく思う。

しかもよ、しかも!
そんな条件まで――大変いやいやながら――飲んだ挙句、収穫なし。

「もおおおおう、使えないっ!」
「アンタが?」

間髪いれずに飛んできた腹立たしい受け答え。

違う、使えないのは貴様だーっ!

心中で思い切り叫んで、拳をどんと机に打ち付けた。

「えーえー、そうですよ、すみませんね」

どろどろと効果音を背負いながら、ひくーく、地を這う声で答え、柊一路をきっと見据える。
こうなるともう、やけっぱち。

――魔法がきかない、理由。

相変わらずおばあちゃんから何を言われたのかはまだ思い出せない。もういっそすがすがしいほどきれーさっぱり忘れてる。
きっとおばあちゃんの言葉が鍵になるに違いないのに。

……もしかして、思い出すほうに全力を注いだほうが依頼完遂の早道だってことかも。

はー、と長いため息。肩を落としてうな垂れる。
こと柊一路に関する限り、何もかもがセオリー通りに運ばない。
もう、はっきりいって私のプライドは、道端ではためく捨てられた新聞紙並にずったずたのぼろぼろだ。

「柊せんぱ」

あれ? いない。
今日はもういいですって言おうとしたのに……って。
ちょっと、まって。なんで私の横にいるの。

「柊先輩……ちょ……、ちょ、ちょっとま……なんですか? ちか、近いっ、近すぎです!」
「五月蝿いナ、そっちの用はもう済んだんダロ?」

がたっと椅子を蹴って立ち上がった私を、柊一路は確実に追い詰めてくる。
腰に机があたった感触。
どうあってもこれ以上足は後ろに動かない。
仕方無しにぐいっと背中をそらせて上半身だけは柊一路から極力離す、ついでに両手で柊一路の顎を思い切り押し返してやった。

「邪魔」

うっとうしそうに柊一路が私の両手を退かす。
つかまれた左手首が押し返され、私の背中側にきっちり固定された。
右手首もつかまって、動けない。

「……っ、はな、してください」
「あのさ、いい加減飽きたんだケド、アンタのそのカオ」

言われた内容を理解するのに数秒を要した。

「……は?」

……あき……あき、た? 飽きたぁ!?
悪かったわね、私は生まれてからこの方ずっとこの顔とお付き合いしてきたの!

「ふざけてないで、とっとと離してください」

自然と語気も荒くなる。これでならないわけがない!
睨みつけた先では柊一路がふんぞり返ってる――ように見えた、私からは。
だって本人がどういうつもりかなんて露ほども伺えないし、わからない。寧ろわかろうなんて気もさらっさらないんだけど。

そもそもね。
厭き厭きしてるんだったら、私の顔をこんな至近距離で眺めるなってのよ!

「この間も言いましたけど、こういうこと止めてください。離して下さい。私に触らないでください」
「あんたに触るのも触らないのも俺の自由ダロ?」
「――私の人権はどこですかそれ」

とんでもない自己中心的な理論。なぜでしょうね、眩暈がしますよ?

「厭なら魔術でも使って取り返してみれば。人権」

基本的人権は、法律で保護されてます、なんてことを言っても聞きやしないんだろう。鼻で嫌みったらしく笑われるんだわ、きっと。
大体、魔法が効けば苦労しないってのよ。
のっけからべろちゅーはかますし、言動はすべからくセクハラまがいだし。
大体、彼女が何人もいるくせになんだって私にそんなこと。

はた、と気付く。
そうよ、この人、彼女いるんじゃない。それも最低な事に複数。

「先輩。彼女いるんですよね」
「ナンで?」
「――いま、私にしようとしたようなことは彼女にどうぞ」
「今はいない」

――いない……いない? だってじゃあ、沙耶さんは? え、まさか。

「別れちゃったんですか!?」
「何でアンタが驚くわけ?」

いや、驚くよっ。いつの間にそんな事態になってたのよぉっ!
油断も空きも無いったら。
そりゃ私は柊一路からそんな報告を受ける立場でもなんでもないけどね。

でも。これってもしかして、好機、かもしれない。

他の彼女さんたちには悪いけど、うまいこと沙耶さんだけを柊一路ともう一度くっつけられないもんかしら。
沙耶さんが望んだ条件とはちょっと外れるけど、結果は一緒なわけだし。

「先輩、今フリーなら私がお手伝いしましょうか?」
「一応訊くけど、何を?」
「もちろん彼女作りです。私、恋のお手伝いが本業ですし。可愛らしい女の子をご紹介しますよ? 今回は特別サービス、無料で」

ナイスアイデア、私。
そうよ、もともと恋愛のお手伝いをコンセプトにはじめたのが今のお仕事なんだもの。
我ながら八方丸く収まる妙案、とほくほくと笑む私の両手が自由になる。

柊一路がすっと一歩下がって。

「いっ! いた……っ!?」

べしっと額に鋭利な痛み。
柊一路の左手が私の額付近でとまってる。

何をされたのか状況を理解するのに、これまた数秒を要した。

ええと? ――デ、デコ、ピン? ……デコピン、された?

「な、なにするんですか!」

仮にも女の子に向って暴力とは何事よ!
食って掛かる私を、柊一路はそこはかとなく馬鹿にしたように見下ろしている。

「――アンタが馬鹿だからデスヨ?」

態度だけじゃ飽き足らず口にまで出すとはいい度胸じゃないの。
おまけに、こんな時ばかりくっきりはっきり明瞭な発音は、絶対嫌がらせ以外のなにものでもない……っ。
誰が馬鹿なのよ、誰がっ。意味わかんないし。
幾ら小さかったからって一緒に遊んでたお友達の名前すら忘れさってるアンタには言われたかない!

「お言葉を返すようですが」
「返さなくていいヨ」

柊一路がずいっと一歩を踏み出して、私の背にしている机に両手をつく。
つまり私の左右はふさがれたわけで。
その上で、柊一路にぐっと上体を傾けられると当然逃げ場はない。

「ちょ……っ、………や!」

なんで、こう毎回毎回。これってセクハラよね? 立派なセクシャルハラスメントよね!?
どくっと鼓動が跳ねる。ああ、まずい。また暴走なんて冗談じゃない。
ぎゅっと目をつぶって。クロスさせた両腕で顔付近をがっちりガード。

でも――私の予想に反して。

ほんのりと額が温かくなっただけで、他には何事も起こらなかった。

あれ?

恐る恐る目を開く。
柊一路の手。その甲が私の額に触れている。
窓から差し込む沈む夕日。
赤い逆光の中、柊一路の輪郭だけが明るく縁取られていた。

「あ、の?」
「早くしろよ、魔女」

抑揚なくつぶやくように。
いつもの不遜さがほんの少しなりをひそめているような。

ふいっと柊一路が身を翻す。
驚く私に背を向けて、教室を出て行こうとする。

「……あ、あの……あの、柊先輩!」
「何」

ちっとも後ろを振り向く気配を見せずに柊一路が答えた。
あれ? なんで私、引き止めちゃったわけ?
わからないけど。柊一路の背中に、何か言いたくて。

――って、何を? なんだそれ、わけがわからない。

「えー、その、ですね。善処……善処、しますから」
「あ、そう」

とてつもなく素っ気無い答え方だった。おまけにやっぱりこっちを見ないし。
柊一路の態度に……むか、と、こみ上げてくるものが……。

ちょっと腹立つんだけど? この男は何に臍を曲げてるわけ?
私が何したっての。
遅々として進まない調査に苛立っているのかもしれないけど、私だって思いつく限りのことはしているつもり。
さっさと済ませたいのは私も一緒よ。

厭々受けた依頼、柊一路との縁をたたっきる、それが私のやる気を増す大部分の理由には違いない。
だけど、多分――捜して欲しいと頼んだ柊一路の願いは本物だから。
不思議とその気持だけは微かにわかる。感じる。

もういっそのこと、この依頼自体が私への嫌がらせ、とかなら良かったのに。
そしたらのらりくらりと有耶無耶にできたってのに。

「柊先輩、私、お気に触るような事を何かしました?」

腰に手をあて、柊一路の背中をむっと睨む。

一応これからも依頼主としてある程度の付き合いは必要になる相手だ。
このままわけのわからない苛立ちをぶつけられるのは御免被りたい。
どうせ元々険悪な関係なんだから、理由の一つや二つ訊いたってかまやしないだろう。
すっかり肝を据え、半ばふんぞり返って柊一路の反応を待つ。

すると。

柊一路はやっぱり私を見ることなく。
俯いたと思ったら、深々と一つ溜息をついた。

「――それくらい自分で考えろ、魔女」

言い放ったと同時に、私に向けて投げられたものは肩越しの鋭い一瞥。
またたく間に柊一路は人気の無い廊下へ抜け出し、ばしん、と引き戸式のドアが閉められた。
夕日に染まる空き教室に残されたのは、私と、柊一路の謎過ぎる態度。

呆然とする。唖然とする。

考えなきゃいけない事は嫌になる程てんこ盛り。
魔法が効かない理由に、柊一路にかけられていた呪。それに黄昏館のトラップ。

その上、何を自分で考えろって?

なんで私が柊一路が立腹してる理由を考えなきゃいけないのよ。

「あー、もういい、今日はもう帰る。帰ってご飯食べてお風呂入って寝る……!」

髪をくしゃくしゃにしながら頭をかいて。
荷物をまとめ、さっさと教室を後にする。

夕べは殆ど寝てない。これ以上何か考えてもきっと碌な結論が出ないに決まってる。
欠伸を一つ噛み殺して、無人の廊下を歩く。
とにかく次の手を打たないと。あれも駄目、これも駄目、八方塞がりだけど。

――切実に希望の光が欲しいったらない。

凝った肩を揉みながら、はー、と漏れるのは本日二度目の長い、ながーい溜息。
廊下の突き当りまで等間隔に配置された窓から差し込んでくる太陽の残照。
沈みかけた橙色に染まる世界のなかで、反射する光のまぶしさに眼を細める。

さっぱり実態のつかめない柊一路の言葉が、何故かくるりと頭の中を巡った。

『――それくらい自分で考えろ、魔女』

つくづく意味のわかんない男だ。



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