ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

11




『おばあちゃん』
『なんだい?』

編み物をしているおばあちゃんがふと手をとめ、安楽椅子がゆらりと揺れる。

ふかふかとしたラグにペタリと座ったわたしが持っているのは籐の籠。
盛られているのは毛糸玉だ。

丸いモヘアの塊は、おばあちゃんの両手が動く度、薄いさくら色のカーディガンへと形を変えていく。

出来上がりが楽しみで楽しみで仕方がなくて。
何か手伝いたくて、冬休みをこれ幸いと何日もおばあちゃんの家に泊めてもらって。
くるくるとまわりながら小さくなっていく毛糸をわくわくと眺めていた。

これは――何年前の冬だったかな?

『あのね、わたし、おともだちができたの』
『あらまあ、よかったこと』
『すごく綺麗な子なの』
『女の子かい?』
『うん』

喋るわたしのほっぺが紅いのは、暖炉の暖かさだけでなく、多分うれしくて。

『そう、仲良くおしね』

くしゃりと目元に寄せられた皺。頭をなでてくれる暖かな手。
おばあちゃんの家にいるときは、感じる時間の流れが違って思えた。

『でもユウナ、気をつけなればいけないよ』
『気をつける?』
『おや、もう忘れてしまったのかい? この先、お前が心を許しても、その子と――』

その子と、何? おばあちゃん、聞こえない。

うるさいなもう。なんなのこの割れがねみたいな耳障りな音。
ぱくぱくと口を動かすおばあちゃん。でも声はしない。無声映画みたいに。

その先を聞きたいのに。聞かなきゃいけないのに。

もどかしくてたまらなくて。おばあちゃんに向かってまだ幼い手を伸ばす。
けど、にこりと微笑むおばあちゃんの姿は急激に薄くなり……。


「いい加減に、おきなさーい、ゆーな! 夕ごはんたべないのー?」
「……ゆう、ごはん……」

――あ、夢かぁ。

すっかり暗い室内。
カーテンの引かれていない窓から見える外もとっぷり暗かった。
夢と現をさまよいながら、それでも徐々に現がはっきりしてくる。

柊一路から謎の言葉を投げつけられて。

どうにも落ち着かなくて、帰ってきてから部屋で調べ物をしてたはずなんだけど。
どうやらいつの間にか机の上に突っ伏して転寝してたらしい。

「ゆーな!」
「はーい、はい。いま起きたー!」

階段の下から叫んでるママさんに、年季の入ったオーク材の椅子から立ち上がって叫び返す。

部屋の入口傍にある明かりのスイッチ。
すいっと視線を流し、意思を込めると、ぱっと室内が白くなった。

まぶしさに目を細め、明かりに慣れてきたところで空気を思い切り肺に吸い込んでひと吐き。

ちょっとでも寝たからかな。だいぶ気分がすっきりしてる。

あー、でもさっきの夢。おばあちゃんの言葉、また肝心のところがわかんなかったな。
なんか――きれっぱしみたいにあらわれる昔の記憶。何なんだろ。

どうも何かが解けだしてる、というか、綻びだしてる、みたいな感じはするんだけど。

それに友達って。私、誰のこと言ってたわけ?
しばらく考えてみるものの無駄に時間が過ぎるばっかりで、さっぱり思い出せない。

ち、ちっちゃいころの私の記憶力ってば、大丈夫なの。
これじゃ、ぜんぜん柊一路のこといえないわ。

「なんだかなぁ」

うーんと呟いて、頭を掻く。
こうしてても思い出せないものは思い出せないんだけどね。

……とりあえずご飯食べてこよ。

程よくお腹も空いてきた事だし、腹が減っては戦は出来ぬって言うし。

体の前に垂れてきた髪を後ろに払い、くるっと後ろを向く。
と、タイミングを計ったように背後で、ぽん、と高い電子音が鳴った。

メール?

どうしようか迷って、結局もう一度机に戻る事にした。緊急の用件かもしれないし。
立ったままマウスを動かして新着メールをチェック。

件名は、魔女――つまり私への依頼。
さっと眺めた依頼内容に、ひくっと口元が引き攣る。

……またか。

メールの本文には、ターゲットになる人物の高校名。それに続いて簡潔に一行だけ。

『桜侑那を呪ってください』

くっきりと浮かぶ黒い文字に溜息がでる。

増えたわぁ、この手の依頼。文言は違えど依頼内容は一緒ってのがね。
おそらくここ最近、柊一路が人目をはばからずわたしに構うのが原因なんだろうけど。

皆、あんな傍若無人男のどこがいいのかまったくもって理解に苦しむ。
まあ恋は盲目。この彼女たちには柊一路が白馬に乗った王子様にでも見えて――。
うーん……王子。激しく似合わない。

ぷっと吹き出す。柊一路の王子っぷりなんて想像の範囲外だ。

それに、王子っていうよりバカ殿よね、あれは。
苦笑いで返信メールにお断りの旨をしたためた後、かちっと一押しで送信した。

それでなくともここ最近は柊一路の依頼にかかりっきり。
ほとんど全部の依頼をお断りしている。

そのうえ更に、自分で自分に呪いをかけるほどには酔狂になれない。生憎と。
もっとも私が断った後、別の人へ依頼する子も稀に、いる。
だけど呪詛返しはばっちり準備してあるから問題なし。

相手は大体が怪しげな三流魔術師。
負けるつもりは毛ほどもない。負ける要素だって欠片もない。

――相手が柊一路じゃなきゃ、ね。

万が一にもないだろうけど、柊一路が同属だったら――魔法使だったら、勝てる気がしない。
負けるつもりもないけどサ。
今まで私が唯一敵わなかったのは、おばあちゃんだけだもの。

「大魔女、だったもんね」

でも……ううん、だからこそ、か。

力をひけらかしたり、余計な干渉をすることを、嫌う人だった。
椅子と同じ重厚なオーク材でできた机の上には、金属製の小さな花に彩られた銀色の写真立て。
紙の中で、少し色の褪せた小さな私が笑ってる。隣には、穏やかに微笑むほっそりとした老婦人。

「私もまだまだ、だよねぇ」

写真の上を指先でそっとなでる。
でも――半人前なら半人前なりにがんばるからね、おばあちゃん。

こんなことでへこたれるほど柔じゃない。

契約は絶対。
何があろうと、捜し人は見つけ出してやる。やるったら、やるっ!



***




「……うー、やる気でない……」

ああ、昨日の意気はどこへやら。
情けなく愚痴を零す私のテンションは、朝っぱらから下がりまくり。
もー、湿気で髪の毛はぼわんぼわん、肌はべたべた。

それというのも。
明け方から落ちてきた雨の所為。

しとしとしとしと降り続け、登校時間になってもまったく止む気配はなくて。
学校についても天候はまったく変わらず。

霧雨だからずぶぬれってことはないんだけど、湿る。湿気る。べたべたする。
校舎の中には雨の日特有の匂い。うう、と唸りながら階段を上る。

雨、嫌いじゃないんだけど、やっぱりちょっと億劫。
魔法でぱぱっと乾かしたいけど、人目がありすぎる。

階段の踊り場で立ち止まり、はーとため息をついて。

――ん? 野村さん?

ふと上を見ると、もう一つ上の踊り場で、両手に紙の束を抱えた同じクラスのちょっと小柄な女の子が、落ちそうになるそれと格闘していた。

今日、日直かな。
それにしても、あの荷物。女の子ひとりにあれは無理でしょ。
タムキョン――うちのクラスの担任で、女の子に厳しいと専ら評判のセンセなんだけど――に持たされたんだろうな。

あんまり話したことないんだけど――手伝おう、うん。

二段飛ばしに階段を駆けのぼろうと鞄を握りなおす。
上体を倒して足を上げ。

直前で思いっきり急停止。急ブレーキをかける嵌めになった。

うわ、朝っぱらからやな顔みちゃったわ。

彼女の前方から、柊一路が歩いて来てる。
咄嗟に曲がり角の壁にべたりと張り付いた。ここにいれば死角になって柊一路からはみえないはず。

……って、なんで私が隠れなきゃならないわけ?
別に悪いことしてないし。堂々としてりゃいいのよ、堂々と。

でも、顔をあわせないですむならそれに越した事は無いというのも歴然たる事実。
どうせまた昼休み、状況報告の為に会わなきゃならないんだし。

そうよね、わざわざ接点を増やす事もない。
だけど、柊一路が降りてくれば鉢合わせになるのは時間の問題。

どのみち、避けて通れないわけか。

「――どこもってくの」

お? 何なに?

諦めかけたところで、予想していなかった柊一路の声。
ひょいっと様子をうかがって――びっくりした。

だって、あの柊一路が。あの柊一路がよ!
野村さんの荷物をすっと持って、下ってきたはずの階段をまた上り始めて。

「で? どこ持ってけばいいワケ?」
「え、えっとあの……第三科学準備室、まで……です」
「――なにやってんの、早くしないとおいてくケド?」
「あ、はい! ありがとうございます!」

嬉しそうに答えた野村さんの華奢な背中が消えて見えなくなって。
呆然とそれを見送っていた私は、はっとした。

ちょ……、なぁに、それぇーっ!
わたしが調査書やらパソコンやら重たい荷物を持ってても、そんな言葉一度たりと、まったくもって一度ったりと! かけたことないくせに!
どんな差別よ、それ。何か、私は女じゃないとでも言う気か、アノヤロウ。

なんか。なんか。腹立つわーっ!

だんっと二段飛ばしに一気に階段を駆け上がる。
どかどか荒い足音で教室へ向かう。

別に、私が怒る筋合いでもないんだけどさ!
なんだかもやっとする妙な気分――って、ちょっとまってよ?

教室の手前でぴたりと立ち止まった。

女扱いされてないなら、これ以上ないほど結構なこと、じゃないの?
そうよね、なのに、あの男が。柊一路が。
魔女だからって別に身持ちが硬くないわけじゃないのよ。

なのに。間単に、キス、とか、かましてくるから――。
なんだってそういうこと、してくるのよ、柊一路。

もんもんと考え込む私を余所に、予鈴は容赦なく鳴り響く。

『……心を許しても、その子と――』

突然。鐘の音に重なるように、おばあちゃんの言葉が何度も何度も繰り返し浮かび上がってきた。

ずきん、と頭の芯が痛む。
おばあちゃんの、声。目が眩む。

……っ、なに、これ……っ。いったぁ、いたたたたっ、頭痛いぃ!

でも。でも、なんか思い出しそう、な気がする。

『――を与えて、――を交わしては』

与える? 交わす? ――だから、何を?
どうして肝心な単語がいつもいつも、すっぽぬけるのよぅ。頭が、痛い。

与える、交わす。与える、交わす。

二つの言葉が手に手を取ってくるくると回る。

ずきずきと痛みは酷くなる一方――なのにこれ以上、思い出せ無い。
っていうか、そろそろ駄目かも、限界だってば、この痛みっ。
胃がぐっと押さえつけられたみたいに収縮する。脂汗。悪心、眩暈。

気持ち、悪……っ。

「侑那ー?」

ぽん、と肩を叩かれた。引き戻される意識。全部がふっと楽になる。

音が、消えた。鐘の音も、おばあちゃんの声も。

「……那珂」
「おはよー。何してんの? 教室入んないと、タムキョン来ちゃうよ」
「あ、うん……入る」

上の空で答えた私に、何よぅ、大丈夫? と那珂が苦笑いしてる。

頭痛、消えてる。何だったの、いまの。

軽い足取りで教室に入っていく那珂の背中を見送り、ぶるっと頭を一振りすると、最後の名残のようにくらりと頭が揺れた。
大丈夫、ちゃんとこれが現実――じゃあ、さっきのは何?

与えちゃいけない、交わしちゃいけない。

与える、交わす――これって、何かの契約っぽくない?
魔法が効かなくなる、効力を持たなくなる、そんな契約……でも、そんなのあった?
しかもおばあちゃんの言葉を信じるなら、それってこの世に一人だけ、になるらしい。

生涯でひとりだけの、契約者?

「……。」

ああぁ、わかんないぃ! まったくもおっ、柊一路と関わるようになってから奇々怪々な疑問ばっかり!

――柊一路のことがわからない。私自身も、変。

これって、原因は柊一路、なんだよね?

それとも――まさか。まさか、私自身に何かある、なんてこと――。
ない、はずだ。だって……心当たりなんて、ない。



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