ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること ならびに、柊一路の特異性について考察すること 17 |
砕けたガラスの破片が、日の光にきらきらと光っている。 前衛的過ぎる芸術品のように、茶色の地面に突き刺さっている銀色のひしゃげた窓枠。 意図したわけじゃないだろうけど、その歪んだ額の中には最初に落下してきた花瓶の残骸と赤い花――。 こんなものの直撃を受けたら、さすがに私でもやばかった、かも。 ぞっと、背筋が冷えた。 誰が、こんなこと。はっと上を見上げたが、人影は無い。 事故? 偶然? 花瓶と窓枠が続けて落ちてくるなんて……腑に落ち無さ過ぎる。 「オイ、怪我は」 「……え?」 あー……、なぁんか、息苦しいなーと思ってたんだ。 ぎゅぎゅっと、柊一路に抱きすくめられてるからかぁ、なるほどぉ…………おおおおぉ!? な、なんだこの状況ーっ! 「は、離してくださいっ」 ぐっと腕に力を込め、慌てて自分の身体を離す。 途端、鉄くさい匂いに、くらっと眩暈がした。 本当にかすかなうめき声が、頭上から漏れ聴こえる。 この匂いって――赤血球白血球血小板、赤い色素はヘモグロビン……血? 私は、怪我なんてしてない。 「先輩?!」 「バカ魔女、そこ、さわんナ」 「……ッ」 柊一路の右腕に触れていた自分の手を慌てて確認する。 眩暈なんて可愛いもんじゃなく、膝の力が抜けそうになった。 血、血ッ。ああああッ!! 視界が暗くなる前の記憶が甦る。 私に向けて飛んできた花瓶の破片。避けられないって思ってたはずだった。 なのに。私は無傷で。 ――折角突き飛ばしたのに! 私のこと庇って怪我とか、柊一路ってば、なんだってそんな真似を。 依頼人に怪我させるなんて。庇われるなんて。や、いまはそんなことより。 どうするどうするどうする。 とりあえずだめもとで、傷口に手を翳し、力を込めてみたりする。 だあっ、やっぱり駄目、効かない、効果なし。手ごたえがまったくない。 つか、これ以上どうしたらいいのか、何一つ考えが浮かんでこないってどうなんだ私。 自慢じゃないけど、苦手なんだってばさ、他人の血。 こんなときどうしたら、どうしたら。 「人が集まってくる。ひとまず逃げた方がよさそうダナ」 「え、は?」 逃げる? え、なんで? 「ついこのあいだ、アンタが貯水タンクをぶっ壊した時、俺、その場に居たんだケド?」 「――はあ」 「魔女、しっかりしろ。説明するの面倒なんだヨ」 ああ、被害者とはいえ、否、被害者だから、事情を聞かれるよね。 しかも貯水タンクの件はまだ先生方の記憶にも新しいだろうし。 柊一路が何もしていないとはいえ、この不運続き。妙に思う人もいるかもしれない。 「納得したんならさっさと来い」 早足に柊一路が歩き出す。 黒い服だから傷口から流れる血は目立たない。とはいえ袖口から手の甲には赤い筋、が。 ふうと気が遠のく。ああああ、赤い、やっぱり血が出てる。 「あの、どこに」 「保健室」 前を向いたままの柊一路が淡々と言う。至極真っ当な答えに、一度納得しかけ、いやでもそれは違うんじゃないかと思いなおす。 「先輩、病院、行きましょう」 「大袈裟」 いや大袈裟じゃない。絶対、大袈裟じゃない。すんごい血です、大量です。 背後からは既に人のざわめきが聞こえて来てる。さっきまで私たちが立っていた場所は軽い騒ぎになっているらしく、前方からは、部活中だったらしい生徒たちがバラバラ駆け足で向ってきている。 何人かは好奇心の篭った顔でこちらをちらりとみたけど、騒ぎの方が気になったらしく、さっさと私たちの横をすり抜けていった。 幾人もの生徒や先生たち慌しく過ぎ去る中、踏みしめる足元の感触が、いつの間にか柔らかな土から硬いレンガのものに変わる。 私の提案なんてなんのそのとばかり、柊一路は目的の場所にまっしぐら中。 いまや保健室のある校舎は目前。 ただの一女学生である私に柊一路を止めるすべはなく。 魔法が効かないことの不便さに歯噛みしながら、ひたすら黒い背中を追うしかなかった。 *** ――保健室、先生がいたらどうするつもりなんだろう。 なぁんていう私の不安は、まったくもって無用の長物だった。 なぜならば。引き戸式のドアには、職員会議中のプレートがしっかり掛かっていたから。 ――ついでに。無人の保健室には、鍵もしっかり掛かっていた。 「オイ、魔女。これ開けられるんダロ?」 「……そりゃあできない事はないですが」 でもあんまりしたくないです、ちゃんと病院行きましょうよ。と、そこはかとなく漂わせて抵抗を試みる。 もちろん。柊一路がそんなことで引くわけがなかった。 無言の圧力。 ……わかったわよ。やりゃーいいんでしょ、やりゃあ! 「先輩、ちょっと私の傍から離れててください」 魔法の対象が柊一路じゃないから大丈夫だとは思うんだけど。 一応、保険はかけておくべき。不安要素はないに越した事はない。 鍵穴に触れ、集中する。カチンッと金属の触れ合う音。 「ごくろーさん」 何事もなくすんでホッとする間も無く、開け放たれた戸の中にさっさと柊一路が踏み込む。 ちょっ、そんな堂々と! 忍び込むんだからもっとこうそれなりの態度ってものがさぁ、ほら、もっと人目を気にするとか! 「挙動不審」 ドアの影からひょいっと顔を覗かせた柊一路に、私の心情は一刀両断された。 ……そうですね。きょろきょろするのは怪しいですよね。つまり私が怪しいですよね。ああだけどなんか納得いかないのは何故だ! こみ上げる理不尽さ。でも、いつまでも突っ立っていても仕方ないので、すごすご保健室の中に入り込み、そっとドアを閉めた。一応用心の為に鍵をかけなおして、振り向く。 「あの、先輩」 「棚から消毒液と包帯、綿とガーゼにテープ取って」 「え、あ、はいっ」 養護教諭が使っているデスクの傍、背凭れのないスツールに座った柊一路に言われ、考える前に身体が動いた。がさごそと棚を漁って消毒液やら包帯やらを揃える。 ホントにこんなんで大丈夫なの? と一抹なんてもんじゃない不安を抱えながら柊一路にそれらを差し出すと、無言でデスクの上を指し示された。 ああ、そこに置けってことね。 「あの、せんぱ……」 ちょっ、ぎゃあああぁ、なんで脱いでるんだ柊一路っ! 反射的にぐりっと勢いよく背中を向け、両手で顔を覆った後で当然のことに気が付く。 いや、脱がなきゃ駄目か、手当てするんだもんね、そうだよねっ。 「なにやってんの。前の時は威勢良く俺の服、ひん剥いたくせに」 背中に声が掛かる。 慎みある婦女子である私が男の服をひん剥いたりするわけが、と叫びかけ、寸前で思いとどまった。 ……そういえば。 柊一路に呪がかけられてたとき、威勢良く服を捲り上げた気がする……。 「あ――あのときはですね、事態が私の対応範疇だったから、無我夢中だったというか」 でも今回は、違う。明らかに私の力が及ばない状況であり事態であり。 ああだけど。違うからって何もしないのも違うような。 スツールが耳障りに軋んだ後、勢いよく流れる水音がしだした。 多分。部屋の隅に備え付けられた洗面台で、柊一路が傷口を洗ってるんだろう。 しばらくして水音が止み、再びスツールが軋る。 「……っ」 ええい、女は度胸っ! 裸のひとつやふたつどーんとこい、どーんとっ。 意を決してぐりっと振り返る。 ……ああごめんなさい、嘘です。どーんとはやっぱ無理ですどーんとは。 機械仕掛けの人形みたいにぎこちなく、ギコギコと柊一路に近づいた。 「血、駄目なんダロ? 無理しなくていいヨ」 「大丈夫ですご心配なく」 勢い込んでいったものの、いざ手伝うとなると、やっぱりちょっと身体が竦んだ。 「皮膚の上をかすっただけダナ。もう血は殆ど止まってる」 目の当たりにした患部に怯む私に、傷口を冷静に観察してたらしい柊一路が淡々と言う。 注射される時、針のささるところを自分では絶対みたくない派からすると、この冷静さは、ありえない。 ……自分の傷口だよ? ぱくっと切れてるんだヨ? こっちは見てるだけで痛いってのに。 そろそろと手を伸ばし。ひとまず消毒を済ませ、傷口にガーゼをあてて、テープで固定する。 傷口が見えなくなったことにちょこっとだけほっとしたものの、消毒に使った綿に染みた赤色にくらっとした。 ダイジョブなの? ほんっきでだいじょぶなの、これ? 「ホラ、これで最後」 ぽん、と手の中に真っ白な包帯が押し込まれる。 や、兎に角。今は処置を済ませちゃうのが先、だ。 大丈夫。思ったより出血してないみたいだし。うん、後で切り傷に効く薬を処方して届けよう。 自分を納得させて。 傷になるべく触れないよう、白い包帯を慎重に巻きつけはじめる。 ――て、ええい! いい加減、震えるの止めなさいってば私の指先っ! 柊一路に気付かれたくなくて、さっきから何度も気合を込めてるってのに、まだ指先は細かく、でもしっかりとカタカタ震えてる。これじゃ、絶対気づかれてる。 消毒している時から震えっぱなしってどんだけなのさ。あーっ、不甲斐無いッ。 「――なあ、さっきの続きだけど」 柊一路が、突然言い出した。 は? さっきの続き? はて、なんのことだっけ? 首を傾げる。窓の外を見つめている柊一路の横顔からは、何も読み取れない。 私の頭の中は、さっぱりきれいに真っ白け。 「アンタの一族って、全部が全部、魔女なワケ? そもそもの起源てどのへんにあんの? 中世、それともその前?」 え? は? えええ? ぽぽんぽんぽんと続けざまに聞かれ、包帯を繰る手が止まる。 こんな時に、そんなこと訊かれても――てか、そもそも今じゃなくてもよくない? 「魔女の鎚に反応したってことは――出自はヨーロッパ方面?」 ぱかっと口を開けて呆ける私にお構いなく、柊一路が続ける。 おおおぃ、私が黙ってってもお構い無しかい。 「アンタは、どうみても純日本人にしか見えないケド」 なんですかその小馬鹿にした感じは。 生粋の日本人顔で悪いか。どうせのっぺり薄顔ですよ。鼻、低いですよ。 ほっといて下さい。 「なんですかいきなり」 「雇い主としては、雇い人の経歴が気になる」 ……ホントに気になってるんか、その態度で。相変わらずそっぽ向いたまんまだし。 まあ経歴は別に隠すことでもないから――って、いやいや! 待て私! 血迷うな! 隠すとこでしょそれはっ。ぺロッと喋っちゃダメだって! 「――内緒です」 「ああそう。あんたに拒否権があるなんて驚きだナ」 「……お、女には秘密の一つや二つあったほうが魅力的なんですよ?」 と、なにかものの本には書いてあった、気がする。 「それ本気で言ってんの?」 ちょっとまて柊一路、そこで何故まじまじと私をみるのか。 ああ! しかもいまちょっと笑ったでしょ! 笑ったよね!? そうかい、そんなにおもしろかったですか。仏頂面の柊一路を笑わせるなんて私ってばすごーい……なんて思うかあぁぁっ! かっ、むかつく。むかつくわあぁ。 「アンタは秘密なんてなくても充分魅力的だと思うケド?」 持っていた包帯がぽろっと落っこちた。そのまま行けば床に転がるはずだった白い包帯は、けれど待ち構えていたみたいに差し出されていた柊一路の左手の中に受け止められていた。 ――とうとう脳みそでも沸いたのか柊一路。 それとも血が足りなくて意識朦朧、曖昧模糊、自分が言ってる事がわかってないってこともありうる。見た感じはいつもどおりに見えちゃってるけど、どっか不味い所に支障がでてるに違いないよ、コレ。 「……先輩、これ、何本に見えます?」 「三本」 おお、合ってる。 恐る恐る柊一路の目の前に翳した私の左手は、確かに人差し指、中指、薬指を立てて三を示している。それはもう、間違いなく。 「それで?」 「――全員……全員が……魔女って事はない、です。一族の中では力を持たない人の方が多いくらいです。特に、男の人に受け継がれることはありません」 差し出された包帯をさっと受け取り、さくっと答える。 今の柊一路には逆らっちゃダメな気がする。私の勘が、かつて無いほどに告げてる。いつもと違う意味で、柊一路が怖い。怖すぎる。 柊一路の世迷いごとは、忘れよう。私の心の平穏を保つ為にはそれが一番。 記憶から抹消する――よし、抹消した。忘れた。 「そもそも中世に確立された魔女像自体が、魔女を異端者に仕立てる為の方便で、ええとつまり、私のご先祖は『賢い女』なんです」 「ああ、産婆とも言われてるやつ?」 あっさりと。実にあっさりと柊一路は言い放ち、またもや視線をするりと窓のあるほうへ転じた。 ……オイコラちょっと。人に尋ねといてその態度はどうなのさ。聞く気、ちゃんとあるんでしょうね? なに? 窓の外になんかあるわけ? 植え込みとフェンスくらいしか見えないんだけど。 「話の続き。あと手が止まってる。さっさと済ませないと人がくるダロ」 なんっでこう、この男は言動のいちいちが高飛車なのかなあ! いやいや私。我慢だ私。一応、怪我人なわけだし。 私にもほんのちょこっとくらいは責任があるような気がしなくも、なくないような……気がするし。 仕切りなおしの意味も込めて。こほん、と咳払いをひとつ。 「もちろん、出産の手伝いもしました。薬師もかねていましたし、占いや助言を与えたり。共同体からは尊敬される立場でしたけど、それはやっぱり畏怖と背中合わせなんですよね」 「世情不安が高まればまっさきにスケープゴートになるってコト?」 「そうですね。まあ見方によっては異端だったとは思います。でも私のご先祖様は悪魔と契約なんてしてません」 と、いうよりも。 私の一族が使う力は、天と地に満ちる大気、森や川、自然によるところがとても大きい。 道具を介して、あるいは強く念じることで力を貸してもらう。 つまり私は、力を引き出すために緻密に研鑽された術式と、法則通りに展開できるだけの資質をご先祖様から受け継いだってわけ。 「へえ。面白いな」 簡単にかいつまんだ説明だったけど、意外にちゃんと聞いていたらしい柊一路が感心したように頷き、ふっと会話が途切れた。 ……あれ、手の震え、止まってる。 包帯を無言で一周、二周。 「――偶然だと、思いますか?」 あえて何が、とは言わなかった。 それでも充分すぎるほど話は通じたらしく、柊一路が短く息を吐く。 「さあね。そんなに簡単に外れて落ちるものでもナイダロウケド」 「ですよね」 重い溜息が漏れた。 落ちた位置的には、柊一路が狙われた可能性が高い、ように思える。 でも、それだけで決め付けられない。 ――私もねぇ、ここ数日で、相当恨まれちゃってるだろうし。主に女の子から。 まさか色恋沙汰で刃傷事件なんて考えたくもないし、女の子の味方を標榜している私がそれに巻き込まれてるなんてさらに思考の範疇外なんだけど。 しかもこの場合、校内の関係者を疑わなくちゃならないってのが、気の重さを倍増させる。 するすると巻きつけた包帯が無くなり、最後の仕上げに包帯止めを引っ掛けて。 すべて終わった安堵から、深い溜息をひとつ。 これは、私に直すことの出来ない傷。柊一路の傷。 今はかすり傷だけど、これがもし――。 まったく誰よ、こんな冗談にならない真似してくれたのは。 ぎりっと唇を噛みしめる。 先輩、と呼びかけると、柊一路が気だるそうに顔を上げた。 「ナニ」 「あの、私をかばったりとか、今後は絶対に止めて下さい。私、あれくらいなら自分でなんとか」 出来ます――って。ちょ、ちょっと、柊一路ってば、なんでこっちに腕のばしてくるの!? 「て、いたっ、いだだだたーっ、ちょ、先輩!?」 ぎゅー、と私の両耳がひっぱられた。なに? なにしてるわけ!? 意味がわからんわっ! 「ふざけんなバカ魔女」 「はいぃぃ?」 聞き間違い? 私の何処がバカ? 何がふざけてるように見えたと? いや寧ろふざけてるのは柊一路、アンタでしょうが。 ありえん。その受け答えはありえん。 「バカ魔女ってなんですか、ばかって」 「バカだからバカダロ。避けるつもり、なかっただろうが」 珍しく、語尾のトーンが普通だった。 眼を細める柊一路に、責められてる気がする、けど。 理由が、わからないんですが。 「……えーと先輩? あのですね、たとえ怪我をしても、生命に関わるものでなければ、自分で治せますから」 「それ、傍にいる人間の事、全然考えてないのナ」 意味が、わからないんですが。 あ、もしかして、あれか? 巻き込まれるのは超迷惑? みたいな? 「……あの?」 ふっと溜息をついた柊一路が、私の耳から両手を離す。 「もういい。アンタはそんなことよりさっさと俺の依頼を済ませることを考えろヨ」 ど――どんな、態度だこれ。一応、心配して言ってるんだってのに! ああわかりましたとも、金輪際心配なんぞするか! バーカバーカ、柊一路のバァカッ。 「ああそうですか、すみませんでした。バカ魔女は帰ったら早速、さっさと依頼を果たすべく駆けずり回らせていただきます!」 ――ああ、おばあちゃん、私、人間的にまだまだ未熟なようです。忍耐という美徳を、早く手中におさめたいです。……柊一路と付き合ってる限り、限りなく無理に近い気がするけど。 「今日はもういい。アンタ、帰ったら家から出るなヨ」 「は?」 「今日はもう調べなくていいって言ったんだヨ」 言うなり柊一路はスツールから立ち上がり、一人さっさと入口の前まで移動していた。 呆気にとられ。はっと気付く。 このとっ散らかった惨状を、私ひとりで片付けるのかああぁぁ! いや、けが人に手伝えとは、いえないけどさぁ……。 「侑那」 急かす柊一路の声にはいはいと雑に返事をし、慌ててピンセットやら綿の入っていたガラス瓶やらを片付ける。 全てを元通りに収めなおして、最後にぐるりと見渡し――よし、完璧。 柊一路の後を追って、小走りで廊下に出る。最後の仕上げに、鍵をかけなおして、完了。 私ってば、今日もいい仕事したなあ。 暮れなずむ夕日に顔を向け。手の甲で額の汗を拭う真似なんぞをしてみる。 「……なにやってんの」 「一日の労働を終えた感慨深さを味わっているところです」 「……ああ、そう」 若干、柊一路の口調に疲れを感じるのは気のせいだな、うん。 さて、と。それじゃあ。 「先輩、鞄貸して下さい」 「はあ?」 掌を開いて柊一路に向け、真っ直ぐに腕を伸ばす。 おお、呆気にとられた柊一路ってもんも、希少価値があるかも。 「なんで」 「送ってきます、だから荷物持ちますよ。何かあったら寝覚めが悪いですし」 「……荷物ぐらい自分でもてる」 仏頂面をぷいっとばかりにそむけて、柊一路が歩き出そうとする。 あ、ちょっと! まだ話は済んでないんだって! 慌てて前を行く背中に手を伸ばし、シャツを引っつかむ。 「先輩、まって下さい、右手、出してください」 「今度はナニ」 呆れたようにそういいながらも、立ち止まった柊一路はすいっと右手を私に差し出した。 肩にかけたトートの手前にあるポケットからボールペンを取り出し、柊一路の手を取る。 ……指、なっがいなぁ。器用そう。 「携帯番号?」 数字の羅列を半分まで書いた所で、覗き込んでいた柊一路が正解を言い当てた。 「母から聞いたと思いますけど、一応。何かあったら連絡してください。遅い時間でも大丈夫ですから」 さすがに自宅番号じゃ、そんなに遅くなってからは連絡しにくい、だろうし。たとえそれが柊一路だとしても。 毒をくらわば皿までと、ついでに携帯メールのアドレスも番号の下に書き添え、ボールペンの頭をノックしてペン先をおさめる。 「あ」 仕舞おうとしていたボールペンをさっと手の中から奪われて、あっという間に手首をつかまれた。 ――っ! く、くすぐったっ! 私の掌に、少し癖のある角ばった数字がサラサラと、柊一路の手により書かれていく。 「ええと……」 「オカエシ」 ……つまり、やっぱり。これって柊一路の携帯番号。 い、いらない。心の底からいらない。私からかけることなんて、絶対皆無、ありえない! はっ! でもさ。これってばさ。もしかして。女の子に売れちゃったりする? い、いやいや待て私、ここで悪の道に踏み込んじゃダメだ私。 なにより。そんなことをしようものなら柊一路からどんな報復を受けるか――わぁ、想像したくなぁい……。 「――売るなヨ?」 「やだ先輩。またそんな冗談を」 うふふ、とにっこり。 うそ臭いと思われるだろう笑みを顔面に貼り付ける。 なんで見透かされたんだろ、と動揺しまくりな内心は隠しきれたはず。 なんというか。考えてた事がバレたら、私にとってよからぬことになりそうな気配がビシバシ、とね? うん……ここはひとつ、話を変えてみよう、そうしよう。 ――ん? 無難な話題を考える私に差し出された掌。手招きするみたいにひらひら揺れてる掌。 器用そうだなぁ、とついさっき思った掌。その持ち主が。 「送ってくれるんだろ魔女。ひっぱってってヨ」 引っ張って? 私が? アナタの手を? 「そういう行為は基本プランに入っておりませんので、お受けいたしかねます」 間髪いれず。依頼者からトンデモな要求をされた時の回答文面がぺろっと口から滑り出た。なんで、なにゆえ、私がそこまでせにゃならんのさ! 一体全体、どうしたんだ柊一路。 おかしい。今日は、いつにも増して、おかしい。やっぱり、どっかまずいところに怪我の影響がでてるんじゃ。 凝然とする私に、柊一路がフーンと気のなさそうに呟き、続けて絶対無欠の呪文を唱えた。 「ああそう。あんたをかばって怪我したんだよナ、俺。その対価は?」 ――勘弁、して。 |
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