ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること ならびに、柊一路の特異性について考察すること 21 |
「ちょっと! 聞こえてるんでしょ、性悪使い魔! 間抜け使い魔! むしろ使いッ走りの下級使い魔!」 あらん限りに張り上げた声が、暗闇に沈む通路の先にまで反響していく。 苛々と前髪を押し上げ、湧き出てくるかなり危険な破壊衝動を、ぎりぎりで押さえつける。 黒猫は、私をすっ転ばせた後、綺麗さっぱり姿を消していた。 兎にも角にも姿が見えなきゃ交渉も出来やしない。ええい、どこいったんだ、さっさと顕われろっての。 とりあえずの第一段階として、考えうる限りの罵詈雑言を叫んでみたものの、肝心の使い魔が出てくる様子は微塵もない。 ああぁ! なんだってこんな局面で忽然と姿を消すんだ黒猫めっ、まったくもって性格の悪さは柊一路に負けてない! あんな根性悪な猫を使役してる主人の顔が見てみたいわ! 「……っ、くそ、出て来い、猫」 どん、と廊下の壁を拳で殴る。じんじん痺れる手の痛みに、焦りが募る。 こうなったら――実力行使しかない、か。その辺を壊して回ればさすがに反応があるだろう。 魔女か、魔法使いか知らないけど、あわよくばあの使い魔の主人を引きずり出せるかもしれない。 今はまったく気配を感じないけど、もし高みの見物を決め込んでいるとしたら極悪も極悪な性格、だ。 ……ん、待てよ……主人……主人、か。これって使え、る? ふと、閃いた。効果の程はわからないけど、試してみる価値は――ある、ような。 俯いて少し考える。 どういうのが効果的なんだろ。 んー……、いいや、とりあえずいってみよう。 「あんたみたいな下級を使ってるなんて大したことないわねぇ、あんたのご主人様も。実力の程が知れるってもんだわ」 意図的に嘲笑する色を込め、さらに唇の端を吊り上げてみた。 よし、かなりいいかんじの出来上がり。 ……うん。いいかんじでは、あるんだ、けど。 ただ……ここしばらくの間に、私、急激に性格が悪くなってる、ような。原因は考えたくもないというか、今は考えないようにしよう、そうしよう。ははは。 虚しい気持ちで仰いだ天井から、真っ黒な前足がにょるり。続いて、覆い隠しようもない不機嫌さをたたえた顔がひょっこりと覗いた。 「俺は、下級じゃねえよ。……だいたいなぁ、そぉんな大声出さなくても聞こえてるっつの、なんだよ、ひよっこ」 驚いた事に、黒猫だった。ええええ、あ、あっさり? ちょっと呆気なさ過ぎない? まさか本当に出てくるとは。え、ご主人様大好きっこ、なの? それとも主人がよっぽどおっそろしいとか? ま、まあ、そこはどっちでもいい、この際、関係ない。 「単刀直入に聞くけど、あんた私に何の用があるの」 仁王立ちで腰に両手をあて、尊大にふんぞり返る。 「――はあ?」 一拍遅れて答えた黒猫の全身が、ずるりと天井から抜け出した。 「はあ? じゃ、ないわよ。何の用かって聞いてんのよ」 問答無用で畳み掛けると、ぽかんと開いた口から小さな牙が覗いた。本気であきれているらしい。 ハハハ、私も自分で言ってて理不尽な気がしないでも、ないからね! 「あ、アホかッ、そっちが追っかけてきたんだろうが!」 まさしく核心を突いてる。私が追っかけてきたってのは重々承知してますとも。 だがしかし。ここで素直にそうですね、なんてことを言うわけにゃあ、いかないのよ、こっちだって。 「じゃあ用はないのね? ならさっさとここから出して頂戴」 「……随分と都合のいいこというじゃねーか」 天井を軽く蹴った黒猫は、私の眼前でくるりと回転すると、ちょうどお座りをしたような姿勢でふわりと静止した。 瞳孔の細くなった両目が、薄闇の中でらんらんと光る。どこか面白そうにみえるのは気のせいだろうか? 「だったらなに。出せって言ってるの、さっさとしてよ」 「いーやーだー……つったらどうす」 からかい気味の声が途切れ、私の眼前にいたはずの黒猫は床にぺたりと行儀良く座り込んだ。 全体に重力が掛かっている所為で、耳も髭もへたりとしている。 ぎちぎちと音がしそうな動きでこちらを睨みつけてくるが、当然、情けを掛けるつもりは、ない。 「……っ、ひよっこにしては、いい、仕事、だな」 へえ、まだ減らず口をきく余裕があるんだ。根性か意地か、床にへばりつかないだけでもたいしたものなのに。 左手の中に握りこんだ呪符がちりちりと熱を持つ。 防御魔法に弾かれるかもしれないと、五分五分の賭けだったけれど――。 狭い範囲とはいえ重力に干渉できるよう仕掛けた簡易魔法は今のところきちんと発動し、作用しているようだ。 使い魔に気づかれないよう、そっと安堵の息をつく。同時に、疑問にも思った。 さっきみた魔道書やこの使い魔のレベルからいって、ここの主人は結構な力の持ち主かと思ったんだけど。 それが自分のテリトリーでここまで無防備に術の施行を許すなんて……。 そういえば、あの書斎。魔道書自体は――年季は入っているものの――綺麗だったのに、家具や床にはずいぶん埃が溜まってたっけ。 本には多分、汚れ防止の魔法が掛けられていたと思う。よくある簡単なものだからそんなに気にしてはいなかった、けど。 この家の主は、もしかしたらずいぶん長い間不在なんじゃないだろうか。 その人がこの猫の主人だとしたら、この猫はいったい誰の命令で、なんのために動いて――? ……いや、ただ単に使われていない隠れ屋って線もあるか。 ――情報が、少なすぎる。 いまは戻ることに集中すべき、だ。 「どうするの? 早くしないと次はここをぶち壊すよ」 かかる時間を考えれば、出来るだけ避けたい最終手段だ。けど、あくまで拒絶されたら、やるしかない。 「ここをぶっ壊す、ね。お前には、絶対無理、だぜ、それ」 重力に堪える黒猫は、ぎこちないが妙に確信の篭った言い方をした。 「無理? はっ、あんた如きがなんでそれを決めるの。私はね、やるっていったら、やるよ」 「……だよ、殺気立ってん、な。そおおんなに、心配ですかぁ?」 「何のこと」 「すっとぼけん、なよ、お前さぁ、もしかしてあの男に、惚れてんの?」 使い魔の座っている背後の床板が、轟音をたて弾けとんだ。粉砕された欠片が跳ねて、ぱらぱらと音を立てる。 「――私をここから出しなさい」 信じられないほど抑揚のない声が、でた。全身がすうっと冷える感覚、唇がわずかに震えたのが自分でもわかった。 惚れてる云々に動揺したわけじゃない。そうじゃなくて――こいつ、私が柊一路の身に何か起こるんじゃないかって思っていることを知ってる。 それはつまり、今の柊一路が無防備であることを、知っているってこと、だ。 「……ったく、青い顔、しやがって……あんな面倒そうな男のどこがいーん、だか」 「え?」 ぼそりと呟かれた言葉に、眉をしかめる。 「あー、はい、はい、わかった、よ。まあ、もう充分だろ。後ろを、向いて十歩、それで元の場所に、戻れ――って、おい」 罠かもしれない、なんてことは頭の隅にしっかり浮かんだ。 けど、勝手に体が動いてた。飛ぶように、一歩、二歩……、背後から、阿呆ーっ、これを解いていきやがれ、と叫び声がする。 左手を振り呪符を手放すと、薄紙は、ぱっと炎を上げて塵と消えた。これで術の効力も失われたはずだ。 ……九歩、十歩。 ざざっと雑音。暗転する視界。体全体に圧迫感。 来たときとはまた違う、ねっとりした液体の中を通っているような不快感。何に向ってかもわからず、だたひたすら前に腕を伸ばす。 指先に掛かっていた重さがふっと消えた。一気に全身が軽くなる。ずるり、と外に投げ出された途端、どっと汗が吹きだした。 「……っ、は」 がくりと膝が折れる。荒い呼気にあわせて肩が上下する。 早鐘を打つような鼓動を無視し、傍にあった木を頼りにどうにか立ち上がった。 鳥の鳴き声、濃く香る緑。膝をついているのは朽ちた落葉に覆われた湿り気のある地面。 まだ残っている夕陽の残滓が木々の幹を仄かな紅色に染めていた。 ……戻れ、た。 はっと腕時計を見る。黒猫を追い始めてからまだ一時間と経っていなかった。 あちらに行っている間、時間の感覚がおかしくなって、た? これは――ツイてる。 楽観は出来ないけど、最悪ではない。きっと、大丈夫。ここからなら一気に飛べるはず。柊一路の元へ。 制御できないかも、なんてことは考えない。制御、する。 まとわりつく不快感を蹴散らし、散らかりまくっていた意識を集中させる。 深呼吸を繰り返すこと数回。徐々に呼吸が落ち着いてくる。 いける。 確かな手ごたえを感じ、一点に向けて自分のすべてをより集める。 足元に舞い上がった木の葉が、弾かれた様に四方へ。 私を取り巻く空気の密度が増し、加速する。 濃い緑と樹木の色が混じりあい、色の残像だけが背後に流れていく。 私にとって、望む場所へ瞬くまに飛ぶってことは、ごく当たり前に慣れ親しんだ行為だった。 だから次に目を開いたとき、柊一路の元にいることが当然だと思っていた。 最初の違和感は、指先にちりちりと静電気のような痺れが来たこと。 不審に思う間もなく、弾き飛ばされた。私を守っていたはずの守護壁が霧散する。 すべてが真っ黒な中に落ち込み、意識がふっ飛んだ。飛ぼうと思っていた場所からの手痛い拒絶。 気づけば、何の飾り気もない無粋なコンクリート塀の傍に投げ出されていた。 残滓のように残る白い立ち煙の中で、びりびりとしびれる両腕を抱え、うずくまる。喉の奥からくぐもった呻き声が漏れた。 「……っ、い……っ、た…………く、ないっ、いたく、ないっ」 ぎりぎりと歯をかみ締めて、痛覚を無理やりあさっての方向へ押しやる。 言葉にすることで本当になることも、ある……っ、明け透けに言えば思い込みだけど! 今の私に、痛がってる時間も、戸惑ってる時間も、ない。 ……これ、学校を取り囲んでる塀? こんな中途半端なところでどうして……まさか、柊一路のせい? 無意識のうちに壁に触れかけ、薄い膜が掛かっているような歪みがあることに気がついた。 「――あーっ、もう! そういうこと、か……っ!」 塀に伸ばしかけていた指先をぎゅっと握りこみ、そのまま自分の額に打ち付ける。 ――結界に弾かれた、のか。 私の馬鹿やろう。当然、考えてしかるべきことだった。 「こんちきしょうめ」 つい口汚く罵って、どうしたって冷静になれない自分を思い知った。 わかってる、落ち着かなきゃいけない、この状況での判断ミスは、致命的過ぎるほどに致命的、だ。 わかってる、けど! 「落ち着けるわけ、ないでしょう、がっ」 作った覚えのない、結界。その中にいる柊一路。 導き出される答えの選択肢は、そう多くない。その中からあって欲しくない予測をあえて選び取る。 多分、柊一路は――どんぴしゃでいま、ピンチ。 |
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