ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

22




「……っ」

ちくりとした痛みに、思わず顔を顰める。

わかってしていることとはいえ、痛いものはやっぱり痛い。

右手の人差し指の腹にぷっくりと浮き出た赤い玉に、くらりと眩暈がした。
慌てて頭を振る。しっかりしろ私。ふらふらしてる場合じゃあ、ない。

傷口から少し離れたところを親指で押しながら、綿のハンカチに押し付ける。私の指が置かれた周りだけ、白の中に鮮やかな赤が滲んでいく。
血の線が途切れないように、慎重に力を込めて指を進め、描き出したのは、小さな円形だ。

よし。丸というにはちょっとゆがんだけど……まあ、ぶっつけ本番だし。

歪ながらも円は円だと腹をくくって、覚悟の深呼吸をひとつ。
なるべく傷口を目にしないようにしつつ、人差し指の先を左右から押して更に自分の血液を搾り出す。

……ああああ、血……吐きそう。……ガンバレ私……っ!

くらくらというよりグラグラしてきた頭をひとふりして、円の周りに文字――というより、見た目は記号に近い――を幾つか書き込んだ。

小さな結界、たとえば箱のみ、とか、一部屋のみ、とかなんてものなら遭遇した経験があるものの、学校ひとつをまるまる飲み込むようなものを相手にするのは初めてだ。
本来なら綻び――どうしたってできる結び目のようなものをさぐってそこから解きほぐすんだけど、ここまで大規模だとその取っ掛かりをみつけるだけで相当時間がかかるだろうことは、火を見るよりもあきらかだった。

だからいまはこの方法に掛けるしかない。たのむからうまくいって。

魔方陣を書き終えたハンカチをぎゅっと握り締める。軽く目を閉じ思い描くのは、鋭く、白く、光輝く――。

手の中でやわらかな質感が硬質なものに変化していく。
増してくる質量と熱さ。思ってたよりも、重い。取り落としそうになり、慌てて眼を開ける。

両手でつかみ直したそれは、想像通りのすらりとした白刃だ。

――上出来。

とりあえず、ここまでは成功。後は――私の力量、次第。

淡く光る刃を上段に構える。物理的な刃物ではないから、もちろん皮膚が切れることはない。

多分。この中には、柊一路と結界を張った人物しか、いない。
結界とは別に人避けの術がそれとなくあたりに張り巡らされている。
用心深いというか、用意周到というか。最低限、無関係な人間を巻き込まない配慮が相手にはあるらしい。

ふーっと息を吐く。
ぎりぎりまで集中力を高めて、具現化した刃を見えない壁に叩きつける。火花が飛び散り、腕にいやな振動がきた。

とんでもない力技だ。

普段ならこんな乱暴な真似、絶対できない。自分どころか結界に取り込まれた対象者にすら何らかの影響が出かねないなんて、怖すぎる。

でも、こうなりゃ柊一路も一蓮托生、指輪を外した代償だ。それなりのリスクを一緒に負ってもらっていいはず。
もし、柊一路が自分で外したんじゃないなら、これはとんだ言いがかりだけど――いままで散々仕掛けられてきたのは、命にすら関わるものだった。いまは結界を解いている時間すら惜しい。それこそ命取りになる気がする。

硬いものがひび割れるような、金属がこすれあうような、耳障りで不快な破壊音。
力の拮抗に負けた結界の一部が、はじけ飛んだ。その無理やり作ったほころびから、一気に結界全体が崩れ去る。

「……っ、い……っ」

金属が折れたような硬質な響きを残し、手の中にあった刃が粉々に砕け散った。

どうにかはなかった、なりはした、けど。
私の力と相手の力は――互角ってとこかも。

魔法の効力が失せたハンカチが、刃と同じく細切れになっている。
はらはらとスカートに舞い落ちてくる切片を振り払い、しっかりと閉じられた校門に手をかけ、一息で乗り越えた。

緊急事態だからと『飛』ぼうにも、柊一路の気配が探れない。
全体にかけた結界は破ったけど、それよりも狭い範囲のものがもうひとつ仕掛けられているらしい。

悪運だけは馬鹿強いから、簡単にどうこうされちゃってる、なんてことはないだろうけど。
柊一路、無事じゃなかったら、ぶん殴る……っ!

妙な確信とあせりに突き動かされながら、校舎までの直線をひた駆けた。

全力疾走しながら、建物の中に柊一路の気配を探す。昇降口について、それでも場所の特定はできなかった。
ぜいぜいと鳴る喉を押さえて意識を集中する。自然とまぶたが閉じ、取り巻く景色がすべて遮断される。

柊一路の気配は駄目でも、空間のゆがみなら見つけられるかもしれない。結界が張られているなら、多少なりとも空間にひずみがあるはず。

どこ。どこにいるの。ああああ、もう! 柊一路ってば、どこにいるのさッ! 私を呼べ! むしろ呼んでください!

(――こっち、だよ)

閉じたまぶたの裏に、針の先ほどの光が閃いた。

あった! 見つけた!! 屋上の入り口……っ!

わき目も振らず廊下をひた走る。

魔法で飛んだほうが早いのは間違いないけど、おそらくまた結界に弾かれる。
弾かれるだけならまだしも、うかつに飛び込めばどんな仕掛けが待っているか知れたものじゃない。

そうなれば選択肢はもう走るしか、ない、わけで……っ!

正直、屋上は割りと鬼門じゃないかと思ってたりする。
校舎が違うとはいえ、柊一路とのファーストコンタクトがあった場所だし。給水タンクぶっ壊しちゃった、し。

ぜいぜいと荒い息を吐いて、必死に階段を駆け上がる。ああ、なんてこったい、普段の運動不足がこんなところで祟るとは。
息が、切れる。喉はとんでもなくひりひりするし、わき腹も痛い。
膝はがくがくで、ふくらはぎが尋常じゃなく痛い。完全にオーバーワークだっつーのよ、これ。

それでも、四階まで全速力で登りきった。校舎の中はまったくもって無人だった。生徒も先生も、誰もいない。人目を気にする必要がないのはありがたい、けど。状況が切羽詰ってる証明でもある気がした。

(――早く、早く)

屋上へ向かう最後の階段に足を乗せたところで、急かされた。

ええい、こっちだって必死にがんばってるんだって! って、……え?

手すりにしがみつき、はっと階段を見上げる。やっぱり誰もいない。

これ、前にも聞いたことがある――あの、女の子の……声?
ああ、いや。そうか、すごく自然に受けいれちゃってたけど、この声、空間のゆがみを見つける前に聞こえた、ような?

私を柊一路のもとへ案内しようとしている、の? それとも――罠?

可能性を考えてはみたものの、なぜか罠だとは思えない。不思議と悪いものではない気がする。

……気がする、か。曖昧だったらありゃしない。

ふと、自分が笑っていることに気がついた。そんな場合じゃないってわかっちゃいるんだけ、ど。

私よ、必死すぎだろ、これ。柊一路なんて、こっちのことをこき使いまくりだし、全然いうこときこうとしないし。
まったくもって自分勝手なろくでなしやろう。なにがあろうと自業自得ってもんだ。

でも――魔女だってわかってる私を、柊一路は落ちてきた窓ガラスから庇った。
放って置いても大丈夫だって、思わなかったんだろうか。私が自分でなんとかするだろうって。

「……いそが、なきゃ」

ああああ、それにしたって、なんだって屋上なんかにいるのさ柊一路! もっと下の階に居てくれればいいものを……っ!
どこまでも私を振り回す男だな柊一路。むしろ嫌がらせなんじゃないのか、これは。

がくがく笑う膝を叱咤して、走っているともいえない速度で。
ようやく鉄製のドアの前にたった時には、へたり込みそうになっていた。

両膝に手をついて、どうにかこらえる。
冷たく拒絶するような鈍い銀色の取っ手は、目前。

伸ばした手に触れたそれは、ぞっとするほどに冷ややかだった。
ためしに右へまわしてみる。あ、鍵……かかっていない。

(――あけて)

確認に満ちた声にうながされる。ああ、また――誰、なんだろう、この子。

(だいじょうぶ、あけて)

わかってるよ、開けるさ、そりゃ開けるってばさ……ほんっとに大丈夫、なんでしょう、ね!

思いっきり力をこめてひっぱる。薄氷がくだけるような、ガラスが割れるような手ごたえ。
内側に向かって流れ込んでくる温かな空気に、思わず目をつぶる。


そして。ぱっとひらけたそこには――。そこ……には?


おおおおおおおい! ちょっとまてぇぃ!

「ぜんっぜん、ダイジョウブじゃないじゃなーいーっ!」

おおお、どこなんだここは! 屋上ではない、それは間違いない。

今しがた、確かに握っていたはずの取っ手は、扉も含め、きれいさっぱり忽然と消えうせていた。
それどころか、登ってきたはずの階段もなくなっている。

どうひっくり返してみても、どっかの庭だよね、ここっ!? 庭だよねぇぇ!

学校どこいった、校舎がない、柊一路の気配もない、ないないづくしで、ああああもうっ!

このとんでもない局面で、どこにふっとばされたんだ私よっ。
罠? 罠だったってこと? でも、結界の破れた手ごたえは確かに――。

「魔女なんて、だいっ嫌いだ」

だ、大ッ嫌い!? このうえ私に喧嘩売ってんのは誰だ! いまなら買うよ? 大喜びで買っちゃうよ!?

懊悩している最中、背後から突如として聞こえてきた暴言に、眦がつりあがる。
心の余裕? ハハハ、なんだっけそれ。そんなもんいまの私にもとめるのが無理ってもんだ。

ぐわっと振り向いた途端、水を含んだように艶やかな赤と複雑に絡み合う緑が視界の下半分を覆った。
私の胸あたりまでの高さがある、ベルベットのような薔薇と鋭い棘を持った茨で作り上げられた見事な生垣に、一瞬、目を奪われる。
ふらりとそちらに近寄って行くと、生垣を越えたすぐそこに人影がみえた。

……あ……子供? ちっさい子が……ふたり?

膝を抱えて俯いている子と、その子の背中をじっとみながらしゃがみこんでいる女の子。どちらも私には気が付いていないらしい。

それにしても、やけにカラフルな髪色だけど……あれ、花びら?

呆れ気味に思いながら、ちょっと吹き出してしまった。
女の子の背中の半ばまでを覆う髪には、あたりに咲き乱れる花々のものと思しき花びらがこれでもかというほど色とりどりに絡み付いている。

遊びまわったのか、転びまわったのか。何にせよ女の子は結構なやんちゃものみたいだ。
俯いている子の方は……ずいぶんと線の細い――繊細な感じか、な?
ぱっと見、男の子か女の子か判断がつかない。

「嫌い……? なん、で?」

ん、これは、ちょっと意外。震える声で尋ねたのは、女の子だった。
前髪が邪魔をして女の子の顔を見ることはできないけど、泣きそうなんだろうなってことは、声の調子からわかる。

「関係ないだろ」

俯いたまま答える言葉は、どえらくそっけない。
だいっきらいって言ったのは――こっちの子か。

口調からすると、男の子なのかもしれない。それにしても……相手は女の子なんだからさ、もうすこしいいようってものがね?

「関係、ある。だって――魔女はやさしいよ! やさしくて、かっこよくて、すごい魔法だって使えて! その……怖いこともあるけど、怖いのはちょっとだけだもんっ」

勇ましい女の子の弁護に、うんうんと頷く。
最後の台詞では、ちょっと微妙な心境になったけど……。

「――アンタ、頭悪いだろ。……あっちいけよ、いまは魔女の話なんて、聞きたくない。それに本物の魔法が使える魔女なんて、いるわけない」

ここにいるっての。本物。
自分のものさしだけで世界をはかるとはちっちゃいな――暫定少年。
て、まあ大抵の人は魔女の存在なんて信じちゃいないけど、ね。

「そんなこと、ない!」

女の子がすっくと立ち上がる。
男の子の背後で両手を高く空にかかげ――、うっそ! 呪文!?

……え、ええ? まさか? まさか、だけど! あの子――魔法を使おうとしている?!
ああああ! だめだってば! そんな風に魔法をみせるのは、だめなんだってば!
っていうか、魔法が使えるって、あの女の子、もしかしてっ!

「待って、だめ」

思わず身を乗り出して、生垣に手を掛けてしまった。棘の痛みにあわてて腕を引っ込める。こんなに近いのに、私の声が二人に届いた様子はまったくなかった。

左右をみる限り、薔薇の囲いに途切れはない。
私が囲われているのか、あの子達が囲われているのか。どの道、このままじゃ近づくことはできない。

いっそ飛んでみようかと思ったとき、鼻先を白い靄が掠めた。私の周りには、いつの間にか濃密な霧が漂いだしていた。

白い紗が掛かったように、すべてがぼんやりとかすんでいく。

……まってっ、待ってよ、まだ確かめたいことが――っ。

けれど、待ってはもらえなかった。焦る私をよそに、かすみ具合はどんどんひどくなる。みるみるうちに、自分の指先すら見えなくなるほどの白に包まれて。

はっと気がつくと、わたしは片足を踏み出したまま、半端に開け放った扉の前にいた。

眼前ひろがる無愛想なコンクリートの床が、いやがおうにも現実をつきつけてくる。
黒色の鉄柵を境にして、灰色の上を藍が多いつくし、その中には茜の混じるちぎられたような雲が漂っていた。

おく、じょう? え、屋上? じゃあ今のって……まぼろし?

唖然としながら、辺りを見渡す。どっからどうみてもりっぱな屋上だ。
混乱しすぎて、額を抑える。ひんやりと冷たい。どうやら熱はない。いっそあってくれたほうが良かったかもしれない。

「柊、一路、は……?」

自分の口から零れた小さな呟きで、我にかえる。

……っ、ええい、いろいろ考えるのは後回し! いまは柊一路、だ! あの馬鹿は、どこ!?

ばっと左を見て、さらにばっと右を見る。……いない。柊一路の姿は、ない。

柊先輩、と呼びかけようとした寸前、ぎりぎりで口を押さえた。耳をそばだてる。
やっぱり。扉の右手から、話し声がする。

屋上は校舎がそうであるように長方形になっていて、出入り口のある真四角な出っ張り――つまり、私のいるここが丁度真ん中なっている。
私からは見えなくとも、裏側もしくは右手、左手のどこかに、誰かいるというのは間違いない。

抜き足差し足、忍び足っと。壁の端からそっと顔を出して、確認してみる。

「……っ!」

な、なな、なっ、なにっ、なにーーーーっ!

あわてて頭を引っ込めて、壁にべたりと背中を張りつけた。
図らずも見てしまった光景に、脳天から湯気が出そうだ。

ど、どうすりゃいいのさ。いま踏み込んで行ったら私ってば邪魔者?
なにをどうしてこうなればそうなるんだ柊一路! なんだって濡れ場になんてなってるのよおおおおっ!

あああ、眩暈がする。

鉄柵にもたれて胸元をはだけた柊一路と、その腰あたりにまたがった、これまた肌もあらわな女の子。
思い出したいわけじゃない。けど、網膜に焼きついてしまったかのように、ふたりの姿が目の前から消えてくれない。
瞼を閉じて、チカチカする目頭を押さえる。

状況が、全然わからない。……柊一路は果たしてピンチなのか、そうでないのか。

とりあえず落ち着け私。どっちにしろ、だ。私にはふたりの間に踏み込んでもいい理由が、あることは、ある。
なぜならば。私ってば、いちおう、かすかに、引っかかる程度にとはいえ、柊一路の彼女ってやつだからだ。
浮気ですかと乗り込んでいけば、たとえただの濡れ場だったとしても言い訳がたつ。……でも、不思議なほど浮気って言う単語がしっくりこない。
これまでの経緯を考えれば、柊一路がただいたずらに女性に手を出している、もしくは迫られているだけ、なんて、どうしても思えない。

考えあぐねた結果。意を決して再び壁の向こうを覗き込んでみた。

……さっきと体勢、変わってない。

柊一路の表情は、ひどく冷静、というよりも冷徹にみえた。甘い雰囲気なんて欠片も感じられない。
妙、だ。その……いわゆる、そういうコトに及ぶとき、幾らなんでもここまで冷たく相手を見るとかは、ない、んじゃない?
もしかしたら柊一路がそういう性癖なのかも、と思わなくもなかったけど……大変不本意ながら、柊一路にチューされたことのある身としては、否定的にならざるを得ない。

あああああ、思い出しちゃったよっ! 私の初ちゅーっ!

ぐああと懊悩しそうになる私の前で、女の子のやわらかそうなセミロングの髪が、風に煽られてふわりと揺れた。

――あ?

記憶の琴線に、何かが触れる。
華奢な、女の子。白い肌、たっぷりしたまつげに彩られた大きな目。激かわいい。

……あ、あああ! あーっ! 思い出し、た!!

あの子だ。柊一路に告白している現場に私が居合わせちゃったあの彼女。
そうそう、すんごく可愛い子だったから、よく覚えて……る、んだ、けど。そういえば。なんであんなに可愛い子のこと知らなかったんだろう。

校内全員を把握しているわけじゃないけど、柊一路に告白してたってことは、あの子、彼氏、いないんだよね。
なら、彼女をターゲットにした依頼が私のところに来ててもよさそうなものだけど。

「先輩、わたしとひとつになりましょう?」

彼女の姿に良く似合う可愛らしい声だった。
濡れたようにひかる、かたちの良い唇が開き、小さな舌がちらりと覗く。

ずいぶんと扇情的であるはずの仕草に、何故かぞくっと背筋が寒くなった。
全身にさっと鳥肌が立つ。ざわざわと嫌な感じ。産毛が総毛立つ、ような。

理屈、じゃない、まったく論理的でもない。けど。私の中にある魔女の本能とでもいうべき部分が、全力で訴えかけてくる。

――彼女は、違う。人としての何かが――欠落、している。



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