ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること ならびに、柊一路の特異性について考察すること 23 |
違和感、なのだと思う。その正体にはっきり確信があるわけじゃない。 それでも――最悪の事態ってやつは、かくも突然やってくるらしい。 彼女は、多分……。 「あいにくと縛られて犯されるような趣味はナイ。どけ」 ……は? めったなことで感情の起伏をあらわさない柊一路の態度は、どんなときでも健在だった。 内容の衝撃度をまるで感じさせない淡々とした言いっぷりに、たっぷり二拍は考えた後、慄いた。 し、縛られ……!? 犯さ!? ちょ……っ、なにしてんの!? 慌てて柊一路の手足をみれば、通常の人には不可視であろう拘束具が確かに絡み付いている。 繊細に編まれた力の結晶はレースのようにみえるけど、柊一路の手首と足首を包みこみ、コンクリートの床にがっちり固定していた。 「たまには変わった趣向も楽しいと思いますよ、先輩。ね、身も心もとろけるような快楽を差し上げますから」 「イラナイ」 きっぱりと。うんざりした感すら漂わせて柊一路が拒絶する。そこには少しの迷いも感じられない。 ……ああ、間違いなくアナタはS属性ですものね……。そりゃ、幾ら誘われてもこの状況じゃ落ちないだろう。 柊一路に対するアプローチの仕方を完璧に間違ってますよ、とちょっとだけ彼女に助言したくなった。 いや、相手もそのへんは心得ていながら、敢えてこの状況なんだろうけど。 「つれないんですね、彼女への義理立て?」 「義理立て?」 柊一路の口元に、相手を小馬鹿にしたような色がにじむ。 「違うんですか?」 「アイツにのしかかられる方が、あんたにされるよりイイからだヨ」 「ふぅん……妬けますね。――ねえ、どう? 彼女としては嬉しい?」 柊一路を見つめたままでいる端整な顔の中で、艶やかな唇だけが動く。 どくっと、心臓が跳ねた。 はっとしたように彼女を見返した柊一路も、当然気づいたのだろう。 最後の問いかけは、間違いなく私にたいしてだってことに。 まあ、あれだけ派手に結界をぶち壊せば、ね。気づかれてないだろうなんて思っちゃいなかったけど。 ――ていうかさ、柊一路。私がいつどこでどんな理由でアンタにのしかかった? どうして誤解を生む発言をするかなああ、この男はッ。あとで、きっちりはっきり止めるように言ってやる! ふつふつと湧き上がる怒りを抑え込み、どうしたものかと彼女の様子を窺う。ここは素直に出て行くべきか、否か。 「……出てきて、くれないのね」 私が迷っていたのは、そんなに長い時間ではなかったと思う。が、どうやら彼女はたいそう気が短いらしい。 残念そうに呟いた後、その細い指が柊一路の首にかかった。ゆっくりと力が入っていく様がみてとれる。 形のよい柊一路の眉が顰められる。か細い女性の力じゃ到底ありえないくい込みかたをする指先を見て、血の気が引いた。 まずい、それは、とってもまずいっ。 本気で首の骨をへし折りそうな勢いに、思わず足が動いた。 彼女がいままで柊一路を狙っていた犯人だとすると、いまここで柊一路の命を絶つことに躊躇するとは思えない。 なんだって告白なんてものをした挙句に命を狙ったりするのか、まったく理解しがたいが、それすらも全部、暇つぶし程度のものだったと思えば納得できないことも、ない。 彼女ら……彼らは、概して気まぐれだ。 「でてくる、ナ……っ」 何の策を講じる暇もなく、ただ飛び出そうとした私を、柊一路の絞り出すような声が押し止めた。 一瞬、足がとまる。 「先輩は、黙っていて?」 喉を締め付けている指にぐっと力がこめられたらしく、柊一路がごふっと嫌な咳き込み方をする。 ……っ、出てくるな、なんて……おとなしくきけるわけないでしょ! がつっと床を蹴り、相手に私の姿がすべてみえるよう壁から離れる。 「ご要望どおり出てきたわよ。――ところでそれ、何プレイなわけ?」 右手をスカートのポケットに突っ込み、左手を腰にあてて呆れた風を装う私を、彼女の冷たい瞳がとらえた。 検分するようにじろじろとみられるのは、気分がよくない――なんてもんじゃ、ない。 微かにとはいえ、指先が震えてる。自分の弱気をぎゅっと拳の中に握りこみ、彼女に組み敷かれている柊一路の様子をうかがう。 首に回されたままになっている両手はそのままだけど、私に注意が向けられたせいか力の入れようはだいぶ緩んだようだ。 その分余裕ができたっぽい柊一路は、無言でこっちをにらんでいた。 き、機嫌悪っ……、でもさ、助けに来たってのに、なんでにらまれにゃならんの、意味わからんわ。 「適度な締め付けは快楽につながるの。知らなかった?」 私の観察を一通り終えたらしい彼女が、ふっと微笑んだ。 そんなマニアックな趣味知るか。しかもさっきのあれが適度とかなさ過ぎるっつの。思いっきり骨が軋んでたでしょうが。 もちろん、この手合いにまっとうな理屈も理論も抗議も通じやしないのは承知してる。 「へえそうなの、それは邪魔してごめんなさい。ああそれと、嬉しくないから」 「……?」 意味がわからなかったらしい彼女が、小さく首をかしげた。 くそ、やっぱ見た目だけは可愛いな。たとえ中身がなんであれ。 「柊先輩は別に私に義理立てしてるわけじゃなく、あなたに魅力がないってだけでしょ。そんなの嬉しくないって言ってるの」 わかった? とにっこり笑ってやる。 激昂させれば隙もできるんじゃないかなーっていう、作戦? 我ながら無謀なことしてるよなー。 「いってくれるわねぇ、小娘が」 真っ赤な唇が、にやりと笑んだ。面白くてたまらないというように細められた瞳が――どろりとした鈍い金色に染まる。 美少女の仮面が! 仮面が剥がれそうですよ! ……っていうか、もう隠そうとしてないんだろうなぁ……ハハハ。 煽ったのは私なんだけど、さ。それにしても私に小娘って、アンタは幾つなんだっつの。 ……はっ、こっわいわねぇ! 「柊先輩っ」 右手に握り締めていたものを柊一路に向け、床すれすれに投げつける。 どこでもいい、柊一路の身体にあたってくれればそれで十分な効果を期待できるはず。 キンッと一度、床に跳ねた小さなそれは、確かに柊一路の指先を掠めた。 よしっ! ちいさくガッツポーズを決めた私の前で、柊一路が馬乗りになっていた彼女を――蹴り飛ばした。 盛大な音を立てながらかなり遠くまで吹っ飛ばされた彼女が、腹部を押さえてうずくまる。 ちょっ、容赦ないな柊一路! でもいまはそれが正解だ柊一路! よくやった柊一路! フェンス傍に駆け寄り、柊一路に背を向けて立ちふさがる。 「大丈夫ですか?」 まだ咳き込んでいる彼女に視線をすえたまま柊一路にたずねると、背後からややかすれた声が返ってきた。 「――程ほどには。拘束が解けたのはコレの所為カ?」 コレと言われても私の背中には目がないので見えませんけどね。 まあ間違いなく私が放り投げた物のことを言っているんだろうと、軽くうなずく。 「ええ、そうです。結構万能でしょ? 先輩はずいぶん邪険に扱ってくれたみたいですけど」 ふん一応役にはたつんだな、とふてぶてしい柊一路の態度にムカっとはしたけど、大人な私はぐっとこらえた。 えらいなあ、私。自画自賛しちゃうよ、誰も褒めてくれないからね。うん、なんだか、ちょっとむなしいとか思うのは気のせいに違いない。 私が放り投げたもの。柊一路がコレと言ったもの。 ずいぶんな手間隙を掛けて作り上げたってのに、身に付けるのを拒否された挙句、どうにか渡せたと思ったらセクハラまがいの方法で勝手に返された守護符――指輪のことだ。 「それより出てくるなっつたのに、ナンデ出てきた」 「私が出てこなきゃ確実に死んでましたよ先輩」 「知るカ。お仕置き確定だから覚えとけ」 た、助けにきたのに!? それおかしいだろ! いやぜったいおかしいってばっ。 「なぁに? 私を無視して睦みあい? 嫌になっちゃうわねぇ」 思わず振り向こうとした私を、ゆらり、と立ち上がった彼女の言葉が押しとどめた。 「……言い合ってる場合じゃないみたいですね」 ごくり、と喉が鳴る。ずいぶん緊張しているらしいことが、自分でもわかる。 けれど、びりびり痺れるような感覚とは別に、頭の芯はクリアだ。 これは敵の正体がある程度しぼれたってことが大きいんだろう。 もっとも、まったく見えていなかったいままでよりマシかっていうと――判断に困るところだ。 「勝算は」 背後から低く尋ねてくる声は、ずいぶんと近いところから聞こえた。どうやら座り込んでいなければならない程のダメージは無かったらしい。 ほっとしつつ、私の後ろから出てこないようにと片腕を少しだけ斜めにあげて牽制した。 「はっきり言っていいですか」 「ああ」 「五分五分です」 勝てる気はしない。もちろん、負ける気も、さらっさらないけど。 そんな私の内心を知ってか知らずか――まあまず間違いなく知らないだろうけど――柊一路は短く「そうか」とだけ言うと黙り込んでしまった。 ……それだけ? 文句のひとつやふたつやみっつやよっつは覚悟してたんだけど、ちょっと拍子抜けだ。 なんだかその態度は調子が狂うっていうか薄ら怖いっていうか、とにかくどうした柊一路。 さすがに殊勝になってるっぽい? 絞め殺されかけたしねぇ……そりゃ大人しくもなる、か。 「あーあ、せっかく貴方がいない隙をついたのに、こんなに早く結界を解いてきちゃうとは思わなかった」 肩をすくめて嘆息するという、なんとも人間臭い仕草でおどける彼女を見て、皮肉な笑みがこぼれる。 人の真似事がうまい、それは人との関わりがそれだけ多かったということだろう。 どれだけの人間が彼女の餌になったのかと思えば――まったくぞっとしない。 「どうも。私ってばとっても優秀なもので」 「あら、それなら簡単にご主人様のそばを離れるなんてうかつなことしちゃ駄目じゃない」 ……ぐっ、にこにことした笑顔で痛いところを突いてくれる。 つか、主人てなんだ。これは雇い主であって主人なんてもんじゃない。 「突然あらわれた黒猫のかわいらしい後姿に抗いがたくて。でも残念なことに中身はとんだ性悪」 彼女の仕草を真似、肩をすくめながらふぅと息を吐く。猫、と小さく呟いた彼女の視線が、わずかに揺らいだ。 んん? 一瞬とはいえ、明らかに怪訝そうな様子だった。 結果的にとはいえ、黒猫を使って私を引き離したのは自分でしょうに――なんだその反応。 「あの黒猫――」 「迂闊さんねぇ、そんなことじゃ、大切なものは守れないわよ?」 謡うように私の言葉を遮り、赤い唇に人差し指をあてた彼女がふふっと優雅に笑う。 細められる鈍い金の瞳、やわからそうな髪がふわりと揺れ――夕闇の中、華奢な体の向こうから靄が漂いはじめた。 薄い灰色から黒へと、まるで彼女の周囲だけ大気の流れが凝ったように色を濃くしていく。 邪気、瘴気、どろりと留まる悪意の、塊。 ……戦闘開始ってわけ? 上等! 「先輩。指輪、今度は絶対に離さないでください」 柊一路にだけ聞こえるよう低くささやき、軽く足を開いて体勢を整える。 力みすぎないよう軽く息を吸って吐き出し、右手を軽く動かすと、指先に微かな違和感があった。 さっき魔方陣を描くときに傷つけた皮膚が、完全には塞がりきっていないらしい。 なにがあるかわからなかったから、とりあえず表面上だけくっつけたけど、やっぱ無理があったか。 軽く撫ぜた皮膚がぴりぴりする。 直後、何の予備動作も見せなかった彼女から強烈な一撃がきた。 「……っ、こ、の!」 不可視の衝撃を跳ね返した右手がじんと痺れる。さすがに、重い。が、弾けないほどではない。 相手にとっても小手調べってところだろう。本気の彼女を相手に、私はどこまで出来るのか。 柊一路を守る、これは最低限。ここでケリをつけられれば最上。 彼女が細い腕を振りかざす。 あそこから放たれる力が重量級って反則過ぎるってのよ、まったく。 来るか、と身構える。が、前方に伸ばされた腕は、地面と水平になったところでピタリと静止した。 ……ん? なんで私、指差されてるの? 「つまらない。つまらないわぁ、あなた」 「は?」 つまんない? そりゃあ面白くは無いかもだけど、こっちは割りと命がけですよ? ここって、つまるつまんないで語っていい局面? 唖然としていると、つんと顎を上げた彼女が「怖がってくれないなんて、とてつもなくつまらないわ」と口を尖らせた。 ああ……そういうことですか。 「いやいやまさかそんなこと。迫力十分すぎて、私ってば足がすくんじゃって。さっすが亀の甲より年の功」 「よく言うわねぇ。口元が笑ってるわよ? 嫌になっちゃう。なかなか無い反応だわ、それ」 ――うん、まあ窮地には違いないけどさ。 柊一路のような特異な相手が既にいるわけだし。 アレにくらべれば、とんでもなくイレギュラーってわけでもない。なにせ、結界も破れたし、指輪も効果があった。 つまり、彼女は私と同じフィールドに立っている存在ってことだ。なら、やりようは、いくらでもある。 右手に意識を集中させる。手のひらに力が圧縮されていく。 たいしたダメージは与えられないだろうけど、牽制くらいにはなるはず。 ふっと短く息を吐き出して、ボールを投げるように力を放り出す。 彼女の伸ばされていた腕に直撃。力が拮抗して――弾けた。 風圧に押され、後ろに体が流れる。靴の底がコンクリとこすれて削れる。衝撃が膝にまで伝わってきた。 「形勢不利か?」 がっと二の腕がつかまれ、背中がどんと受け止められた。ずるずる後退していた足が止まる。 「柊、先輩」 「オレに出来る事は」 「……そうですね、お祈りでもしてもらえます?」 見上げた先で、柊一路がナニ言ってるんだかと言いたげに右の眉だけを器用に吊り上げていた。 「まあ――アンタが望むなら」 ええええ! そこでホントに祈りはじめるの! 無駄にいい声だし! しかもそれお祈りっていうか、お経? 真言? よくわかんないけどせめて聖書の一節とかにしてよ、脱力するっ。 そんな場合じゃないってわかってても、ははっと笑い出したくなった。 私がうかつでした、はいはいすみませんでした。だからもう勘弁して柊一路。 「やっぱり黙ってて下さい、先輩」 気が散りますから、といいざま、前方に駆け出す。 あんまりこういう肉弾戦っぽいものは得意じゃないっていうか、はっきり言って苦手だ。 が、今回ばかりは事情が違う。 一度でいい。一度だけ捕まえられれば……直に触れることができれば。 「闇雲につっこんでくるだけじゃ、返り討ちにしちゃうわよ?」 あらあらと言いたげに彼女が苦笑する。背後の黒い塊から、細かな粒が散弾のように飛び出してきた。 術の発動に何の予備動作も必要ないって便利だけど、それが敵だった場合は、とんでもなく厄介だ。 次に仕掛けてくるものが予測できない。くっそ、それならいまこの攻撃をある程度くらって、懐に飛び込むか。 決断は、一瞬。いまの状況でぐずぐず迷っている暇は、ない。 頭と目を庇うために左腕をかかげる。このまま走りこむつもりだった。 「……っ」 左の肩口を黒い粒が掠める。じゅっといやぁな音。服だけじゃなく、肌も焦げたなこりゃ。 痛みは全部無視する。 とりあえず血が出ないだけ、ありがた……い? あ、えええええっ、いっ!? ぐっと、息が詰まった。床にしたたか打ち付けた尾てい骨の痛みに、涙が滲む。 「い……っ、つ」 ……ひ、柊一路おおお! 突然、人に体当たりとかどういう了見だ貴様! 「ちょ……っ」 「馬鹿かオマエは! なんで避けない!」 邪魔しないでください、と叫ぼうとしたのに。 私を覆うように抱きとめている柊一路の剣幕に気圧されて、声がでなかった。 ぽかんと見上げていると、柊一路が呆れたようにため息をつく。 「バカ魔女」 くいっと目線で促された場所をみて、ぎょっとする。あそこってば、さっきまで私がいたところ、だよね? 恐ろしいことに、硬いはずのコンクリートが、巨大なスプーンですくったようにごっそりと抉れている。 まわりに破片のひとつも落ちていないところをみると――空間転移? 散弾を隠れ蓑に、本命はこっちだった、らしい。 直撃していたらどこにすっ飛ばされていることになっていたか、ちょっと考えたくない。 あれ? つまり……え、えと? これはあれか。私ってばもしかして……また柊一路に庇われ、た? 「だからねぇ、あなたたちってば――いい加減、私のこと無視しないでくれる?」 カツン、とやけに高い靴音が柊一路のやや後ろから響く。 冷ややかな笑みを浮かべる彼女は、掛け値なしの邪気に満ちていた。 ……うわぉ、ものすんごく、ご機嫌斜め? 「先輩」 柊一路のはだけたシャツを引っ張って胸にそっと額を寄せると、自然、自分以外の熱が肌越しに伝わってきた。 うう、致し方ないとはいえ、予想以上にゾワゾワする……っ! 別に引っ付きたいわけでも甘えたいわけでもなく、内緒話にはこれくらいが丁度いい距離ってだけなんだけど、妙な感じ。 「……魔女?」 柊一路すら不審がっている。 やってる私からして気味悪がってるんだから当然過ぎる反応だ。 ふわり、と。鼻先を鉄臭い匂いが掠めた。よくよく見れば、柊一路の肌には細かな傷が幾筋も出来ていた。 あまり深く切れているわけではないようだけど――胸が、むかむかした。 いつものように血を見て目が回りそうっていうのとは、違う。これは……どっちかっていうと、私ってば、むっとして、る? 自分でも不思議に思うんだけど。どうやら私は、柊一路に傷を付けた彼女に対して――腹を立てているらしい。 「合図をしたら、私が彼女に近づけるよう場所をかわってくれませんか」 俯いたまま低くささやく。 すぐに返事があるかと思ったのだが、やや待ってみても一向に柊一路からの反応がない。 悠長にしていられる時間はないってのに、どうした柊一路っ。 焦れて上向くと、私をじっと見下ろしていたらしい柊一路と図らずも見つめあう形になってしまった。 「無計画に突っ込むつもりナラ、却下」 ……うっ、さっきの行動は確かに無謀だったけどさ。そんなに冷ややかに見下さなくても……。 「今度は――無茶、しませんから」 情けなく眦が下がるのを自覚しながら訴える。 あの、いや、その……柊一路、そんなに凝視されると、なにやら動悸息切れがするんですけども。 頭に血がのぼるっていうか、ああやっぱり妙な感じがする! どうにか――主に意地と根性で――目をそらさずにいると、しばらく沈黙した後、柊一路が軽く頷いた。 どうやら一応は了承してもらえたらしいが、思わずほっとしてしまった自分がなんだか悔しい。 別にさ、柊一路の許可なんていらないっていえば、いらないんだよ。フンッ。 カツン、カツッと足音が近づいてくる。柊一路の体越し、すぐそこに制服を纏った華奢な姿が迫っていた。 いまなら――触れることができる。 先輩、と呼び、柊一路の肩をつかむ。 察した柊一路が、私を彼女の方に押し出してくれた。体勢がぐるりと入れ換わる。 思いっきり突き出した右手で、彼女のほっそりとした手首を握り締めた。 指の間から漏れる反応光のまぶしさに、思わず目を細める。私とは対照的に目を見開いた彼女の輪郭がおぼろげに揺らぐ。 赤い唇が開かれた。けれど何を言っているのか聞き取ることはできない。 渦巻く光が圧縮されるように一点に集中し、彼女の姿が掻き消えた。極限まで圧を掛けられた光が、四方に弾け飛ぶ。 しん、と耳鳴りがしそうな静けさが周囲を支配する。 伸ばした腕をそのままに、何の存在も感じられなくなった右手をじっと見つめる。 はたして成功か、失敗か。 緊迫した時間が刻々と過ぎ――、成功だ、と確信した途端、膝がくず折れた。 やった……。 ほうっと安堵のため息が漏れる。ぱたりと身体を折って、そのまま蹲った。 「ナニしたんだ、魔女」 「あるべき場所へ、送り返しました」 あの存在を完全に消し去ることはできない。 でも、ある程度の期間、こちらに戻ってくることを阻止できる程度のダメージを与えて、たたき返すことは不可能じゃ、ない。 柊一路が天寿を全うするまでは、まあ大丈夫、だと思う。 「ふぅん、なるほどナ。――で?」 ……で? まだなんか聞きたい事でも? いやもう完全にオーバーワークだから私。 ちょっとそっとしておいて欲し――。 「アンタはいつまで俺に乗ってるつもり?」 ……のってる? ……ああ、そっかそっか。私ってば、背中を向けて、柊一路の膝の上に、がっつり座ってて……。 だから柊一路の声が後ろから聞こえるのか。うん、それで……ええと……待てよ、座りこん、で? はっ! うぎゃ、うぎゃあああああぁ! 「ち……ちが、違いますっ」 ふ、不可抗力だ! 別に乗ってたわけじゃない! 成り行きって言うか、さっき体勢を入れ替えたときの流れだっただけで! 慌てて飛び退ろうとした私を、背後から伸びたてきた腕が押しとどめた。 ど、どいて欲しいんだったら人の腰をつかむなあああ柊一路ッ! 「あの、離してください」 「なんで」 なんで? なんでって! そんなの当然過ぎて理由なんてあるか! むしろ私がアンタに問いたい、なんで、と! 「い……っ」 なに? 首が、ずきずきと痛い。 とっさに上げた左手は、柊一路に押さえつけられた。 しかたなく目線だけを左側に向け、息を呑んだ。そこにはさらりとした栗色の髪、が。 「なに、して……」 首の付け根に噛み付かれて、る? されている行為に打っ魂消過ぎて――真っ白になった。 皮膚が切れるほどではないけど、確実に痛い。 しばし茫然自失。その後、猛烈に怒りがこみ上げてきた。 ……つか、いい加減にしろってのよ! こういう真似はやめろって再三言ってるでしょうがああっ! 力の暴走が起これば、いくら悪運の強いアンタだっていつもいつも無事でいられるとは限らないんだからね!? みぞおちあたりがずしりと、重くなる。ああ、まずい。暴走しそう。 これ以上押さえ込むには、いまの私は消耗しすぎている。 「柊先輩、やめ」 言いかけたところで、ひゅっと喉元に悲鳴が詰まった。 軽くなった痛みに、噛むのをやめてくれたらしいことはわかった。だがしかぁし。その後で舐めるとかさああぁ! 押さえ込もうとしていた意識がふっと途切れ、まずいと思った時には遅かった。 やば、い……っ! 「はな、してッ、くださ」 このっ、柊一路ってば、ホント無駄に力があるのは何故だ! びくともしない、とか! 傍を離れようとあらん限りの力を出し切って。ぜいぜい荒い息を吐き出し――。 ――あ、れ、おかしい。……暴走、しない? こんなこと初めてだと、しばし呆気にとられた。 けど、震える右手をぼんやり見下ろして、妙に納得してしまった。 ああ――そっかそっか。私ってば、暴走するほどの力も残ってないんだ……なるほどなぁ。 「痛覚はちゃんとあるんだナ」 「……はあ?」 痛覚? そりゃあ、あるよ、当たり前でしょうが。いったい私をなんだと思ってるんだこいつは。 「その割りに自分の怪我に無頓着って、マゾかヨ」 「はあ?!」 だーれーがー、マゾだッ。 痛いのはごめんだし、血は苦手だし、この私のどこにその要素があるってのさ。 「違います、別にそういうわけじゃありません。多少の怪我なら自分ですぐ治せるので問題ないんです」 「へえ、じゃあどうぞ。肩の傷、今すぐ治せるんダロ」 「え、ここで?」 押さえ込まれていた体が自由になる。咄嗟に柊一路の膝から飛びのいて、ばっと後ろを振り向いた。 相変わらずの無表情に見つめ返されて、言葉に詰まる。 力の暴走すらしない今の状態じゃ、怪我を治す程度のことも、多分、無理。 けど、いまさら出来ませんと言って、納得してくれる雰囲気じゃ、ない。 しかたなく肩に手をあててみる。意識を集中してみるものの、案の定、まったく手ごたえがない。 「……その、いまは、ですね――調子が悪いというか」 「つまりできないんだナ」 ずばっと切り返されて、ぐうの音もでない。 オブラートに包むとか、そういう日本の良き習慣を知らんのかこの男は。 「――すみません、先輩。今日は、ここまでみたいです」 ふうっとため息。ものすんごい倦怠感に襲われて、コンクリートの床にぺたりとへたり込んでしまった。 いよいよ限界、らしい。緊張の糸が切れて、一気に反動がきたようだ。 これ以上、柊一路に付き合うのは、とても無理。 「指輪、持ってますよね? 大丈夫だとは思いますけど、ちゃんと身に着けといてください。あ、今度は絶対に外さないでくださいね。それじゃあ、また明日」 ひらひらと手を振るのも億劫に感じるって、相当きちゃってるなー。 全体的にぐったりしている私に一瞥をくれ、柊一路が無造作に立ち上がる。 そのまま帰るんだろうと思っていたら、予想外に声を掛けられた。 「アンタは?」 「……動けるようになったら帰ります」 「参考までに訊くけど、どのくらいで回復するワケ?」 「……そうですね、多分、一晩も寝れば大丈夫なので」 しゃべるのも、考えるのも、ちょっとしんどい。 わずかな、間 「ここで夜明かしでもする気かヨ」 珍しいことに、はっきりと呆れた口調だった。 ああ、そうなるかなあ。どこか適当な教室にでも移動してこっそり隠れてれば一晩、どうにかなるんじゃないかなー。 あ、でも家にはなんて連絡しよう。無断外泊はまずい……。 ううむ、と考え込んでいると、柊一路にひょいっと引き上げられた。 両脇を支えられ、どうにか立っている体裁だけれど、実際、私の足はまったく役に立ってなかった。 ほぼすべてを柊一路に寄りかかっているような始末で、情けないことこの上ない。 「あの、何か……?」 「アンタ、友達いたよな」 この脈略の無さは何なんだ。……そりゃあ、一応いるけどさぁ、友達。 ああ、友達の家に行けってことかな。それも一計だけど、服はだいぶ薄汚れているうえに破けてる。 おまけに怪我はしてるし、惨憺たるありさまだ。 どう考えても理由が説明できない。転んだ、程度じゃ多分納得してもらえないだろう。 「じゃあ、その友達の家に泊まるっていって俺んち来れば?」 「――は?」 「アンタも知ってのとおり、ベッドはひとつしかないケド」 「え」 ポカンとする私を、柊一路が興味深そうに覗き込んでくる。 あれ? 私、なに言われてるんだろう。 「ああ。オレ、寝相はいいほうだカラ。まあベッドに入って寝る時間があるかどうかっていうとそれはまた別だケド」 「――あの、それは……どういう」 にっこりと、まったくもって胡散臭い笑顔が、間近に。 言われたことを理解するより先に、ぞわっと産毛が逆立った。 ……ちょ、ちょっとまてえぇ! なぜそこで笑う! いやあああ気持ち悪い! ありえない! 誰だ貴様は! ごめん、いろいろ撤回する。柊一路よ、あんたには仏頂面が一番似合ってる! お、落ちつけ、落ちつくんだ私ッ。これって――貞操の危機? 危機なの? いやいや、柊一路のことだし……柊一路の……うあああ、危機じゃないって否定できる要素が少なすぎる! それに友達の家に泊まるとか、嘘つくってことじゃんさ。私、嘘はつかないっていうか、つけないし。 後でどんな報いがあるかわかったもんじゃないっていうのに、そんなリスクの高いことまでして柊一路の家に厄介になるなんて、ありえない。 「遠慮しておきます」 きっぱりお断りする。おやっというように、柊一路の笑みが消えた。 ああ落ち着くなぁ、この仏頂面。 「いい加減こりないナ、魔女。……アンタに拒否権は?」 「またそれですか」 ほんとうもう、この男だけはさぁ……っ! 「魔女?」 ギリギリと歯噛みして全身で拒絶の意を表現してみる。が、無駄な足掻きだってコトは、悲しいまでにわかっていた。 予想通り、柊一路が自分の提案を翻すことは無く。結局のところ、私に拒否権は無く。 「――わかり」 ました、と半ギレ気味に言葉を搾り出そうとした――その時。 ぞくり、と背筋が震えた。そんな、馬鹿なこと。 ありえない、と頭は判断している。けど、本能が――尋常でない程の警鐘を打ち鳴らしていた。 多分、この場合、信じるべきは――自分の勘が、正しいッ。 ほんのわずかに残った力の欠片。軽く痺れさせるくらいが精々の一撃ではあっても、柊一路の虚を突くことはできた。 私を支えていた手を振り払って、柊一路を力いっぱい前方に押しやる。直後、千切れるんじゃないかっていう強さで、髪が後ろに引っ張られた。 反り返った首に圧迫され、咳き込む。無理やり首を動かして、肩越しにみた光景に血の気が引いた。 一続きの景色の中に、二の腕でぷつりと切れた白い腕が、浮かんでいた。 屋上の日常風景としてはあまりにも異質で、異様だった。 薄く残照の漂う空間が、突き出た腕を中心に、縦に裂ける。メリメリと音がしそうなありさまで、開眼するように亀裂が広がっていく。 その中心、暗黒の闇を纏って、ゆるりと――彼女が笑った。 |
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