ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること ならびに、柊一路の特異性について考察すること 24 |
「どう、して……」 我ながら馬鹿な事を訊いてる。 どうしてもなにも、彼女がここにいる以上、私が失敗したっていう結論以外、ありえない。 「異界強制送還の呪、だったかしら。確か直接触が絶対条件よね?」 見事に言い当てられたけど、驚くことはなかった。 彼女がこの術の存在を知っているのは当たり前、ただ、私が使えるとは思っていなかったってだけのこと。 かなりの高等魔術だし、私にしたって使うのは今回が初めてだ。 だからこそ、完璧に隙をつけたと思ったのに――。 ぎりっとさらに引っ張られた髪につられ、ふらりと足が動く。 彼女の脇に引き寄せられた私の喉元に、鋭利な刃が押し当てられた。 骨の髄まで凍えさせるような、冷気。ほんの少し彼女が気まぐれを起こすだけで、この刃はたやすく私の首に埋められるのだろう。 「いいわね、その悔しそうな顔」 嬉々とした彼女の様子が、目の端に映りこむ。 ――これは……。どう判断すべき、かな。 術は、発動した。それは間違いない。 その証拠に、少なからぬダメージを彼女は受けている。 こめかみから流れ落ちる一筋の赤、それに服は酷く汚れているうえ破れているし、右手首は黒く焼け焦げている。 確かに一度は送り帰せたはず、だ。でも思ったほどには、力を削げなかった? 私が――力負けしたせい? いや、それにしたって、どうも妙な気がする。 「どうして私が戻ってこられたか、知りたい?」 鈍い金の瞳を輝かせる彼女に、反論することが出来なかった。 とっておきの秘密を告げるように、くすくすと笑い声が零れる唇に人差し指を当て、彼女が思いがけないことを言う。 「残念だけれど、あなたの右手、穢れてるわよ?」 ……穢れ? 右手に残った傷のことを思い出し、はっとする。まさか、外の結界を破ったとき、に? 愕然とした。傷口に違和感を覚えたのは、完全に直りきっていなかったからだけじゃ、ない。 弾けとんだ剣の欠片にまじって、彼女の力に傷つけられていたから、だ。 胸に苦いものがひろがる。気づけなかった自分の怠慢が情けない。なにやってんのよ、私の大馬鹿ッ。 幾ら彼女が手負いとはいえ、いまは私が圧倒的に不利だ。 貞操の危機から一転、生命の危機。笑えないったらありゃしない。 どっちがましかと問われれば――……答えは保留ってことにしとこう、うん。 とにかく今は、すべきことを、しなくちゃ。 「柊先輩、いますぐこの場から離れてください」 柊一路は、私が突き飛ばしたままの所に佇んでいた。 たぶん、いつもの仏頂面でいるんだろうけど、あたりが薄暗くてどうにも判然としない。 「――それで? アンタは?」 「私は魔女ですよ? 自分の身くらいどうとでもなります。だから、先輩はここから離れてください」 柊一路が、腰に手を当て少し考えるように俯いた。ため息が聞こえる。 薄闇の中、その視線がまっすぐに私をとらえたことだけは、わかった。 「魔女、オレがいま言いたいこと、わかるカ?」 平坦な声。そこに込められた感情なんて、少しもわからない。 なのに、どうしてだか少しだけ肩が震えた。 柊一路が、言いたいこと、か。うん、多分、わかる。っていうか、わかってると思う。 今の私は、自分の怪我さえ治せないほど消耗している。柊一路の手を振り払うのすら精一杯。 だから、柊一路はさっきと同じことを言いたいんだろう。 ――無計画に突っ込むつもりナラ、却下。 やっぱ、痛いところをついてくるな柊一路。でも今回だって、引かないし、怯まない。 「大丈夫です。行ってください」 まっすぐに、見返す。さっきと同じように。 喉元に当てられた刃も、力の入らない足も、震える手も、私に勝ち目なんて無いって告げている。 それでも、柊一路だけは逃がす。これは、私のプライドの問題。 かーなーりー、ギリギリの強がりなんだけどね。笑っちゃうくらい崖っぷち。 だから、さっさと行っちゃってよ柊一路。これ以上情けない姿をみられるのは、ちょっと勘弁、だわ。 「はい、お話は、そこまでよ」 この場にはまるでそぐわない陽気な声には、ちょっとした無駄口を注意するような気安さすら含まれていた。 先ほどとは違い、表面上、彼女に悪意はまったくみえない。 やあねぇ、とっても楽しそうだこと。まったくさあ、怖いったらないわ。 「ごめんなさいねぇ、私、あなたのことちょっとなめてた。まさかあんな大技使えるとは思わなかったの。けど、もう奥の手はないみたいね」 突きつけられた刃に力が込められた。ぱたり、と胸元に落ちた赤いしずく。ちりちりと喉元が痛む。 すとんと落ちそうになった意識は、どうにか踏みとどまった。 体の中に重苦しく泥が溜まっていくような、叫びだしたいような……これが、恐怖ってやつ? 「やめろ、それに傷をつけるな」 こんの、ウルトラ馬鹿……っ、なんで余計な口出ししてくるかなっ! アンタはさっさと逃げる! 私は大丈夫だって言ってるでしょうに! 「あら。そうねえ、こんなもの無粋よね」 ふふっという笑い声と共に喉もとの圧迫感がなくなる。すっと引かれた刃はそのまま彼女の手から滑り落ち、硬い音を床に響かせた。 ほっとする間もなく――今度は細い腕が私の首を締め上げる。 たしか格闘技の技でこんなのがあった気がする――って、苦しい! この細腕のどこにこんな馬鹿力が隠されてん……ちょっ、本気で駄目、かもしんないっ。 「先輩。ね、わたしとひとつになってくれるでしょう?」 「だ……っ、逃げ、柊先……っ!」 彼女の腕を思いっきり引っかいてやろうにも、指先が震えて、うまく力が入らない。 噛み付こうにも、首が動かせない。柊一路以外の相手に、ここまで無力になるなんてっ。 柊一路、逃げて。こんなときぐらい、言うこと訊けってのよ、馬鹿! 「本当はね、ちょっと生死の境をさまよわせて、その間に乗っ取っちゃおうかなって思ってたの。でもこうなれば結果オーライよね」 心の底から今の状況を楽しんでいるのだろう彼女は、独り言のように呟いた後、満面の笑みを浮かべた。 一部の隙もない綺麗な笑顔の後ろに見え隠れする、負の感情。 どろどろと滲み出るそれは黒く禍々しい。ねっとりと渦巻く闇の中核は、純粋な悪。 「先輩、あなたの持ち物をなにかわたしにくださいな」 華奢な少女の仮面をかぶって、無邪気にねだるこの存在は、魔女、じゃあ、ない。 私が相手をしようとしていたのは、それよりも、もっと性質が悪い、モノ。 まず間違いなく、彼女は――悪魔、だ。 遠のきそうになる意識を懸命に手繰り寄せ、かすむ視界に柊一路の姿を捉える。 「嫌だっていったら?」 ここから離れるそぶりがまるでないどころか、挑戦的ですらある。 ああもう、自分が何を相手にしてるのかわかってんの? ここは逃げるが勝ちの場面でしょうが! 空気を裂くように、小さな稲妻が柊一路の傍で爆ぜた。 「……っ、ひいら……っ」 「あら、暴れちゃ駄目よ。うっかり首を折ってしまうわ」 額を押さえた柊一路の指の間から、赤いものがぽたりと床に落ち、小さな染みを作る。 目だけを動かし、ぎっと彼女を睨み付けたが、余裕の笑みでかわされた。圧倒的有利にいることを確信している強者の態度に、噛み締めた歯がぎりっと鳴った。 「ふふ、先輩、あなたに拒めるの? 今の私に、手綱はついていないわよ」 なに? 手綱? ああ、それよりも駄目、なにもあげちゃ駄目だ。 自分の持ち物を渡すって事は、相手に乗っ取る為の力を与えてしまうはず。 「柊一路! だ、め……っ! なにもわたさな……は……っ」 「しー、余計なこと、言わないで。ね?」 飛び切りの笑顔が、最高に怖い。なまじ整った顔立ちだけにその迫力たるや凄まじい。 きつく締め上げられ、口を聞く事も出来なくなった私の前で、柊一路がポケットから何かを取り出す。 だめ、だめってば! だめ……っ! 必至に眼で訴える私を完璧なまでに無視した後、握ったそれを一度だけ見遣って、柊一路が大きく放り投げた。 彼女が、大きく息を呑むのがわかる。全身からにじみ出る、歓喜。 締め付けられていた力がふっと緩み、前に突き飛ばされた。酸欠のおまけもあり、踏ん張りがきかない。その場にへたり込む。 魔法が使えなきゃ、私は何一つ出来ないのか。 悔しさに唇を噛みしめる。舌先に鉄の味が染みる。 ああ、ここで颯爽とエクソシストな司祭さんが登場してくれたら、惚れちゃうかもしれない。 だけど私は、聖職者には頼れるような身の上じゃあ、ない。 だから、自分で頑張るしかないじゃないの。いつだって、そうしてきたんだから。 力の入らない足に喝をいれ、なんとか立ち上がる。 動け、足! 彼女が柊一路の放り投げた物をつかむ前に、なんとかしなきゃ……っ! 「侑那、動くな」 大声だったわけじゃない。なのに、空気を貫くように柊一路の声は届いた。 一分の隙もなく終始一貫、えっらそうなその口調に、不覚にも逆らえなかった。 伸ばしかけた腕が止まり、私の横をすり抜けた彼女が空中にある小さな物体を掴み取る。 しまった、と思ったのも一瞬。 ――絶叫。鼓膜を劈くような、悲鳴。 長く尾を引く甲高さに思わず両耳を覆わずにいられなかった。 きなくさい、というか焦げ臭い。 な、に? なにがおきたの? どうしたの? ややして、辺りを覆うように漂っていた白煙が薄れはじめた。 わけがわからず呆然としている私の足元に、ぽつんと取り残されていたものがその姿をあらわす。 我が目を疑った。 私、ちょっと疲れてるのかもしれない。いや絶対に疲れてるんだよ。 だがしかし。ぱちぱちとまばたきして、ついでに両目をこすってみたりしたけど、それはまったく変わることなく泰然とそこにあった。 うん、幻覚じゃあ、ないな。それじゃあ改めまして。 なんっじゃあああこりゃあああっ!! それ以外に思いつく言葉が、ない。まったくもって、ない。 天に向かって伸ばされた手足。可動式と思しきそれは、小さな小さな木製のボタンで胴に縫い付けられている。 真っ黒なプラスチック製の目はつぶらで、まるくころんとした両耳は、ふっくらしている。 つんととがった鼻の先は、茶色の刺繍糸で出来た逆三角形。そこから下に伸びた直線と。それに続く山形の口。 乙女チックは小花柄で出来たそれは、小さなクマのマスコットだった。 なんという、ばっちりしっかり有無を言わさぬファンシーっぷり……。 『やあこんにちは、僕はクマのテディだよ、君の名前は?』 なんて、話しかけてきそうなほどの、みごとなクマさんだ。 え、だってこれ。柊一路が放り投げたものだよ、ね? ちいさな子や女の子が持っている分には違和感の無いそれも、柊一路の持ち物としては一向にそぐわない。 唖然として見つめていると、すいっとクマが拾い上げられた。 「どうやら逃げられたナ」 「え……――あ、ああああっ!」 一瞬、言われていることがわからなかった。 が、柊一路にくいっと顎で示され、ばっと振り向くと、彼女のいた辺りに、奇妙な景色の歪が出来ていた。 これって、空間転移の痕跡? え、逃げた? 逃げられた、の? 散ってゆく残滓のような白い煙を、抜け殻のようにぼんやりと目で追う。 助かった……というべきなんだろうか。ぎりぎりの窮地をどうにか脱したのは多分間違いない、けど。 結局のところ、私は何も出来なかった。 いくつかわかったことはあっても、事態が好転してるとは、とてもいえない。 骨折り損のくたびれもうけ、とか泣きそうだ、くそう。 「魔女」 呼びかけられ、さっと血の気が引く。うわぁ、まさに後門のトラ。 背後の存在が、悪魔なんぞよりよっぽど未知で恐ろしい、と思っちゃうのは、喉もと過ぎればなんとやらってやつだろうか。 うん、これはちょっと振り向けない、ぶっちゃけ顔を見るのが怖い……。 「あの……逃げられちゃいました、ね?」 「それはさっきオレが言ったカラわかってる」 ですよね。簡潔に言い切られ、二の句がつげない。くっ、会話って一人の努力じゃ続かないものなのね。 無理やりなんとか会話をつなげようとしてみたけど、あの、その、程度の単語しかでてきやしない。 しかたなく、そろりそろりと振り返ってみて、ぎょっとした。 「額……っ」 柊一路の右こめかみあたり、髪に隠れているけど、確かに赤黒く染まってる。 あわてて立ち上がろうとして、足に力が入らないことを思い出した。 前のめりに倒れた私を、柊一路の腕が支える。おもいっきり胸に顔を突っ込んだ。 ……うああああっ! ばっと、両手で柊一路を押し返す。目があった、というか、あってしまった。 「……ありがとう、ございます」 「どういたしまシテ」 いつも通りの淡々とした答えだ。いつもどおりだとこの後セクハラまがいのあれこれが……あれ? あっさりと、腕が解かれた。 ちょ……っ、ちょっとまて! なんだってこんなときにはすんなり離れてっちゃうのさ! 慌ててシャツをつかんだら、いぶかしそうにみられて、一瞬、怯む。 あ、しまった。しかも私ってば、ハンカチないんだった。粉々の布切れになっちゃったんだよねぇ。 どうしようか考えて、とりあえず傷の具合を確かめることにした。 引き止めた私の意図を察したのか、柊一路がそれ以上動くことはなかったんだけど、どうも物珍しそうな視線を感じる、ような。 傷に触れないように栗色の髪を指先でそっと掻き分ける。血で濡れた真新しい裂傷が見えた。 一瞬、呼吸が止まる。また、守ることができなかった。 それどころか逆に、守られただなんて……。 「大したことない。アンタは?」 「私は、大丈夫です。その額、早く手当てを……」 しないと、といい掛けたところで、どっと全身の力が抜けた。 腕がぱたりと膝の上に落ちる。 知らず知らずのうちに漏れた溜息は、自分でもわかるほどの苦さをたっぷり含んでいた。 よくよく考えなくても、私の行動はいろいろ迂闊だった。 右手のこと然り、もっとさかのぼれば柊一路を置いて猫を追いかけたこと然り。 あの猫――使い間は、完全に囮だ。じゃなきゃ、捨て台詞に、もう充分だろ、なんてどう考えてもおかしい。 柊一路は、気付いてた。そのうえで私に後を追わせて。 指輪は間違いなく柊一路自身の意思で手放したんだと、今の私には確信があった。 「自分を餌に、犯人をおびき出すつもりだったんですね」 見上げた先、黙り込む柊一路に驚いた様子はない。 ただ、目の端をかすめて流れた血を手の甲でぬぐうと、天を仰いで嘆息した。 「もうすこし楽に片がつくと思ってたんだけどナ」 肯定を含んだ平坦な声を聞いた直後、私は柊一路の頬を思いっきりひっぱたいていた。 ぱんっ、と音がして。自分の唇が震えていることに、気がついて。 怪我人のほっぺたを思いっきり張り飛ばした自分の行動が、信じられなかった。 柊一路が、こちらを見つめている。 「二度と、しないでください」 声も震えてるよ。なんだこれ。 怒ってるのか悔しいのか悲しいのか、自分でもよくわかんない。 ただ――怖かった。柊一路がこんな無茶をする奴だなんて想定外だ。 ……違う、本当は、わかってた気がする。 私を庇ったりする必要なんて、ない。自分の身を守ることだけ優先してくれれば、いい。 こんな簡単なこと、どうしてわかってくれないんだろう。 視線が交差する。茶化すことなく、逸らすことなく、まっすぐに。 仏頂面、というよりも無表情な柊一路が、私よりも早く、ふっと目を伏せた。 「わかった。二度は、しない」 ぐいっと頭を引っ張り寄せられる。 また噛み付くつもりじゃないだろうなと疑ったけど、ただ抱きしめられただけだった。 いや、だけってことは無い! まずい、私ってば完全に感覚が麻痺してきてる! ああ、でも柊一路の馬鹿力は身を持って知ってるし、暴れても無駄なんだろうなー。 まあ、力の暴走もないし、柊一路は妙に素直だし。それになにより、余分な体力なんてもう小さじほども残ってないよ……。 「あの……叩いて、すみませんでした、怪我、大丈夫ですか」 「まあ、左頬だし。アンタこそ全然ちから入ってなかったケド?」 ああ、自分じゃ力いっぱいのつもりだったんだけど、ね。 「で、アレの正体は? わかったんダロ」 どう答えたものか、少し迷った。 正体か……。わかっちゃいる、けど。果たして言っていいものかどうか……。 「魔女、返事は」 逡巡する私を柊一路が促す。正直に答えるべきだろうと、心が決まった。 黙っていて無茶をされるより、少しは危機感を持ってもらえるかもしれない。 それに、柊一路は私に対する絶対的な命令権を持ってる。知りたいことなら、最終的にはどうやっても聞き出すに決まってる。 「悪魔、だといって、信じてもらえますか」 「まあ魔女がいるならそれもありだナ」 ――あれ……? え、ええええ!? そ、そんなあっさり!? まるで躊躇うことなく頷くとか、どういう神経してるんだ柊一路っ。むしろこっちが吃驚だよ! 慄くわ! ……まてよ。 もしかして、だよ? 彼女の正体を、ある程度予測してた、とか? あり得る、気がする。 そもそもさっきのクマ。あれいったい、なに? 悪魔を退けたってことは、術具か、もしくは、悪魔祓いの道具? どう頑張っても、聖水やらストーラやら十字架やらには見えなかったけど。クマだったけど。 「先輩、エクソシストなんですか」 万に一つもそんな可能性はない、と思いつつも訊かずにはいられなかった。 「おれは仏教徒……でもないナ、まあ無神論者ってのが近いか」 だよねぇ。こんなんが司祭様とか言われたら、世も末だ。 「なら、さっきのクマ、アレは」 「ああ、あれは――」 「あれは?」 ぐいっと腕を伸ばして柊一路から距離をとる。 ぱっと見上げると、いつもの仏頂面が目に飛び込んできた。 期待に満ちて見つめていたら、ぴたりと柊一路が口を閉じてしまった。 ――ん? 続きは? 「おしえナイ」 おしえ……え? おしえないーっ!? なんっだ、それぇぇ! 教えてくれたっていいじゃないのよ! 秘密にする意味がまったくわからんわあぁぁ! 「あの、先輩。どうしても知りたいなー、なんていう場合は」 「対価」 やっぱり、そうくるのか。 「何が欲しいんですか」 「自分で考えタラ」 その答えも予想できてたよこんちきしょうめ。 なんだか機嫌悪く立ち上がった柊一路の、意外にがっちりした背中に、本気の怨嗟を向けたくなった。 ああ、やっぱぜんぜん素直なんかじゃない。いつもの柊一路以外の何者でもない。 だけど。駄目もとってわかっていても、もうひとつだけ訊いてみたいことがあった。 「最後にひとつだけ。先輩は、彼女の正体がわかってたんですか?」 「……いや?」 おおい、こらこら、ちょっとまて。答えるまでの微妙な間はなんだ、その間はっ。 ある程度、わかってやがったわね――やっぱり。 となると、狙われる心当たりが柊一路にはあるってこと、か? けどそれを私に云う気はない、と。 別にね。完全に信用されてるなんて思ってなかったけど。 なんだか、がっかりだ。 ……がっかり? 一瞬、思考が停止した。 なに、馬鹿なこと考えてるんだろ。別に依頼主が何かを隠すなんて、今までだってあったことじゃないの。 そりゃいい気分じゃないのは確かだけど……胸がもやもやというか、むかむかするなんて、私は柊一路になにを、期待して――。 ……違う! いまは私の気分なんぞ検証している場合じゃないっ。 そんなことより、柊一路が今回の作戦に打って出る気になった原因は、十中八九、あのクマとみるべきだ。 どんな手を使って、どこで手に入れたのか。 ものすんごく気になるところだけど、道具としてのレベルは相当なものだと思う。 とはいえ、作戦としては、ずいぶんと乱暴だったような……。 掛かってるのは自分の命だってのに、柊一路の行動は思い切りが良すぎるっていうか、どこか焦ってる? 一歩間違えば。今頃、私は悪魔にのっとられた柊一路と対面していたのかもしれない。 のんきにジーンズの埃を払っている柊一路の背中をみているうちに、身体の芯から、冷たいものがじんわりと広がった。 早く、傍から離れたい――離れなきゃ、いけない。 いままで、さんざん縁を切りたいって思ってきた時には感じなかった、身震いするような焦燥。 経験したことのない感情は、みぞおちの辺りが締め付けられているような、心臓が収縮するような、ひどく奇妙な――。 ん? おおお? 柊一路がいつの間にか振り向いて、こっちを見てる。 「じゃあオレからもひとつ。あんた、なんでおれのことフルネームで呼んだワケ?」 困惑している真っ最中に、さらに困惑の極みに叩き込むような一言を頂戴した。 「は?」 フルネーム? え、呼びました? いやうん、心の中じゃいつもフルネームですけどね? 実際はちゃんと柊先輩、と礼儀正しく……。 「呼んだダロ、あいつに首絞められてるとき」 「いやだぁ柊先輩ったら、またそんなこといって」 うふふふふ、とほっぺに手を沿えちょっと首をかしげてみたりなんか、してみる。 呼んだ、かもしれない。そんな気がする。いや、それよりも。 あんな緊迫した場面でのそんなささいなことを覚えているってどうなのさ。 「ふぅん……まあいいケド」 お、おおう? なんだどうしたえらくあっさり引き下がるな柊一路。 「次、呼んだらペナルティ」 「はあ?」 い、意味がわからない。まったくぜんぜん意味がわからない。ペナルティ!? 「因みに、どんな」 恐る恐るたずねると、柊一路は鋼鉄の仏頂面で口を開いた。 「こうご期待」 ぬああああああああ! いやああああっ! 期待ってなにっ、なんなの!? それもこれも、全部、ぜええんぶ、あの悪魔の所為だ! エクソシズムなんて、魔女の私からしたら範囲外もはなはだしいんだからねえええ! だけど! だけども! 今度会ったら、全身全霊をかけて、けっちょんけちょんにしてくれるわーッ! そんなわけで。ほぼ八つ当たりな決意を固めてた私は。 まだもうひとつ試練が待ち受けているってことを――さっぱりすっきり忘れ果てていた。 おばあちゃん、私、なんだかとっても魔女としての王道を逸れていってる気がするんだけど、気のせいだよね? あああ、気のせいだと言って欲しいっ! |
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