ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

25




「コレ、何がはいってんの?」

私が初めてここに来たとき、部屋の主はずいぶん弱った様子でこのローソファにごろりと伸びてた。
それが今日はずいぶんくつろいだ様子で腰掛けたうえ、私が常備している軟膏のケースをつまみ上げて興味深そうに観察なんかしてる。

「調合内容は秘密ですけど、効き目は確かです。明日の朝にはかなり治ってるはずです」
「ふぅん、魔女の秘薬ってわけか。この間の飲み薬も良く効いたしナ」
「そうですか、それはよかったです」

ああ、なんだって、こんなことになってんだろ。

お父さん、お母さん、ごめんなさい。
私がいるのは那珂の家じゃなく、暫定彼氏の家だったりします。
ああああっ、頭を抱えたい。本当に! なんだってこんな面倒なことにっ!

苦悩する私のことなんて、ばっさり眼中にない様子でくつろぐ柊一路が、にくったらしい。

やっぱり、あのまま学校で一泊のほうがマシだった。
一度はわかりましたと承知しようとしてたものの、再びの彼女登場でうやむやになったと思ってたのにいいぃ。

まさかもう一度、オレん家に来れば、なんて言われるとは、露ほども思わなかった。
更に消耗したうえ、怪我も増量で、ますます家に帰れなくなってたのは確かなんだけどさぁ。

それでも往生際悪くあがいてたら、柊一路からいつのも決め台詞が炸裂ですよ。

『バラすけど』

柊一路……常々思ってたけど、それは完璧に悪役の立ち位置だと思うの。
もういっそばらされたら楽になれるのかしら……そうなのかしら……フフフ。

「手が止まってる」
「あ、はいはい」

うつろな幻想から立ち返ると、ハイは一回、と子供のようなことで柊一路に叱られた。
慌てて手を動かすものの、軽くため息がこぼれる。

どのみち、柊一路の怪我の手当てをしなきゃいけなかった、から。
と、無理やり自分を納得させてみるけど、手当ては学校でもできたんじゃないの、と思えば心底納得できるはずもなく。

まあねぇ、案外無頓着って言うか、ひとりでおいといたら、怪我とかそのまま放置しそうな気がするのは確かだ。
おかしな具合に悪化されても困るし、今日はこのまま大人しくさせておくための監視役、と考えれば……うん、前向きにがんばれ私。

「だいぶ慣れてきたナ」
「ええおかげさまで」

どなたかの怪我が絶えなくて、慣れざるをえなかったんですよ。とは、言わないでおいた。
それに、いくら手際がよくなったからといって、血が苦手なことには変わりない。

幸いなことに、柊一路の傷はどれも軽いものだった。でなきゃ、こんな軽口をたたける筈もなく、それはまあ良かったんだけど。

ひとつひとつは浅い擦り傷が多かったし、傷口に破片も入っていない。血は殆どは止まっていた。
ただ、深く切れていた額の傷だけは、消毒液で拭った後、軟膏をつけたガーゼをあて紙テープで止めた。
ちょっと不恰好になったけど、私にしては及第点、だ。

「はい、終わりました」

最後の紙テープをはり終え、柊一路の頭にぽん、と手をのせる。
それまで伏せられていた瞳が、ちらりとこちらを見た。

「――ん? なんですか?」
「……俺は子供カヨ」

は? 子供? 柊一路が? いやいや、こんな態度のでっかい上に屈託ありすぎな子供は嫌すぎる。

あー……もしかして、この手? そういえば、つい頭に乗せちゃった、よ。
私から柊一路に触るとか、なんか今日は、変。
無言で、すすすっと、手を引く。さりげなく、距離をとってみたりなんかも、した。

「あ、えっと、先輩。これ、洗って返しますから、一度持って帰ってもいいですか?」

無言になるのがなんとなく耐えられなくて、ぐいっと上着の前身ごろを引っ張って訊いてみる。

紺色のジャージは、私にはかなりだぶだぶで、だいぶ不恰好にみえた。
袖は長すぎて手が出なかったからまくってるし、裾も長くて、ちょっと短めなワンピースみたいなことになってる。

私の物じゃないから当然なんだけど、ここまでサイズが合わないとは……。
大は小をかねるって言っても、大きすぎるのも問題かもねぇ。

今度から体育がなくても、学校にジャージ置いとこう……人生、備えあれば憂いなし。

まさか柊一路から借り受ける羽目になるとは露ほども思ってなかったよ、ハハハ。
いつもならたとえ服が汚れても、魔法でささっと修復できたから、こういうのは、ホンット想定外。

それにしても、こうして落ち着いてみると、なんとも理不尽な体格差だわー。
スカスカする胸元を眉根を寄せてむうっと見下ろす。

ふっと手元が翳ったなと思ったら、思いっきりジャージのファスナーが引き下げられた。

「……っ!?」

ふおおおう!? な、なななな!? なにごと!
いや、そりゃあね、下に服着てるよ? 着てるけど! ジャージ返してほしいの? そうなの?
返してほしかったらまず口で言ってよ!

いきなり! 仮にも乙女の服を剥ごうとするとか、柊一路よ、貴様は鬼か!

がばっと前を掻き合わせ、両手でがっちりガードを固めてから、慌てて後ろへ飛び退る。
ソファから前かがみになって身を乗り出していた仏頂面の柊一路が、ややして少しだけ唇の片端を持ち上げた。

「そういんじゃないカラ」

人差し指が、すっと私の肩辺りに向けられる。

肩? ……ああ、肩。

そういえば怪我、してたんだっけと、ようやっと思い出した。
うん、確か焦げてた。あ、意識したら急に痛くなってきた。

「納得したのナラ、傷口みせろ」
「大したことないのでいいです。自分で手当てできますからお気遣いなく」

僅かな間も空けずに応答する。

「あ、そう。じゃあ、ドウゾ?」

再び体勢を戻してふんぞり返った柊一路は、できるもんならやってみろとでも言いたげだ。

つくづく失礼な奴。自分の怪我の手当てぐらいできるっつーの。まあ、やったことないけどさ。
っていうか。このパターン、つい最近もあった気がするんだけど、気のせいだろーか。

「わかりました。先輩、後ろ、向いててください」

言ったからには後には退かない。ええ、それが信条ですとも! 割といま考えた信条だけど、女に二言はないのだ。
目に物見せてくれるわ柊一路め。

柊一路が、あっさり後ろを向いた。――ありがたいけど、あっさりすぎてちょっと気持ち悪い。

向けられた背中を見て咄嗟にでてきた感想に、自分の品性をちょっとどうかと思った。
人の厚意を素直に受けられないなんて、相当、柊一路に毒されてる。

そうそう、たまには信用してみなきゃ。

ひとりうなずき、ガーゼと紙テープを手にして、迷うことなく、くるりと柊一路に背を向ける。

だって。ほら。一応、ね? 保険的な?
ブラウス脱がなきゃいけないし。そしたら、着てるのキャミソールだけになるし。万一振り向かれてもこれなら背中しか見えないし。

うんうんと自分を納得させて、手当てを開始した。

――そして。格闘すること、数分。

「ん、ん、んん?」

私の手には、くしゃくしゃになったガーゼの残骸があった。
おかしいなあ、こんなはずじゃ。よし、もう一度挑戦……って、あれ?

今しがた手にした新しいガーゼが手の中から消えていらっしゃるのは何故でしょうね。

「ホント、不器用だナ」

ぼそっとした低い声に、心臓が縮み上がった。

「……っ! う、しろ、向いててくださいって、いったじゃ……っ」

背後に、柊一路がいる。それも、息がかかるくらい間近、に。

背中全体に広がっていた私の髪が、柊一路の手によりまとめられ、怪我をしていない側の肩に回された。
指先が首の後ろに触れて、びくっと身体が震えた。胸元で押さえたブラウスを、ぎゅうっと両手で握り締める。

「いいカラ、おとなしくしてろ」

耳の外側を、節ばった手の甲が掠めていく。傷口にひやりとしたものが乗せられる。
どうやら、軟膏がうまく塗れてなかったらしい。ばっちりやり直されているとか……くっ。

……息が、詰まりそうだ。体ががちがちで、指先ひとつ、動かすことができない。

「借りてきた猫だナ」

くっと、柊一路が笑った。見えないけど、そんな気配が、した。

こんな男の一人やふたり、魔法が使えさえすれば! ……いや、使えても、この男には効かないの、か。
なんかもう勝てる気がしないとか、弱気になるのは、きっと疲れてるから、だ。

「それ、べつにそのまま置いて帰ってかまわないカラ」

それ? それって?
なんだかわからず黙り込むと、柊一路が私の足元に畳まれたジャージを軽く叩いた。

ああなんだ、ジャージのコトね。うん、わかった。わかったから、背中に密着するのはやめてください。

「……洗って、返します」
「アンタって、へんなところで律儀だよナ」

すっと背中の温みが遠ざかり、ほっとする。
もうなんでもいいから早いところ終わらせてもらえないだろうか。

が、私の願いをまったく無視するように、柊一路の手が止まった。

なに? 今度は何をしでかすつもり?

「魔女、黒猫を追って、なにを見た?」

淡々と尋ねられ、しばらく考えてしまった。

あー、ああ、そっかそっか、なるほど。……今日の私は駄目駄目だなぁ、ホントに。

名前ではなく、魔女、と呼びかけられた。なら、柊一路が求めているのは――報告の義務、かな。
どんな経緯であったとしても、依頼主。
依頼主と、調査員。はっきりした関係性を示され、あらためて自分の役割を思い出した。

「私と同業の方が住んでいる――いえ、住んでいたであろう場所に飛ばされました」

だから。桜侑那としてじゃあ、なく。いまは柊一路から依頼を受けた魔女として答えた。

でもさあ、柊一路が私のことを呼ぶ名称って侑那だったり魔女だったりするんだよねぇ。
どんな基準が設けられているのか、ちょっとだけ訊いてみたい。

「それで?」

促され、あの館であったこと思い出していく。幾つも幾つも、不思議なことがあった、気がする。

柊一路を見つけたところまでを、思い出せる限り詳細に話していった。
ふたりの子供を見たってことだけは、どうするべきか迷ったけど、曖昧すぎる上に情報が確かじゃないから、省くことにした。
そうして、一通りの出来事を話し終えると、整理がついたような、ますます分からなくなったような、妙な気分に陥っていた。

「……柊先輩?」

話を聞いている間も、話し終えてからも黙り込んだままの柊一路に声を掛ける。
びっと紙テープを切る音が、した。

このまま、なにも言わないつもり? なにひとつ、手の内を明かす気は、ないってこと?
そりゃあ、そっちにはそんな義務、ないでしょうけど、協力する気は欠片もないっての?

「先輩、何を知ってるんですか。あの猫と、あの悪魔。隠していることがあるのなら、教えてくれませんか」

かなり直球の攻め方だけど、生半可な変化球が通じる相手とも思えない。
だから、ずぱっとストレート。一切の小細工なし、だ。

「どうして」
「あなたを守りたいから」

柊一路から対価の要求がなかったことにも驚いた、けど。
それ以上に、なんの躊躇いもなく飛び出た自分の答えに、吃驚した。

ええ、と。守るってのは、間違いない、けど。いつもなら、契約完遂のため、とか、いうところだよ、ね?
っていうか、そこで黙り込まないでくれ柊一路。笑うんでも貶すんでもいいから、反応してよ!

握り締めた手の中でじっとりと脂汗が。
あまりの静けさに、口を開こうとしたところで、ふぅとため息をついた柊一路が、ぼそりと呟いた。

「――猫は、別口」

……ん? 別口?

「先輩、それはどういう……」

――別口。まさか。別口? 違う、の? 猫は悪魔と繋がってない?

私が飛ばされたあの館、確かに禍々しさはなかった。生命の危機らしい危機も感じなかった。
彼女があそこの主だったのなら、ああも簡単に抜け出せたか、怪しい。

おいてあった魔術書の類にしても、悪魔が必要とするものかと考えると――たしかに、妙、だ。

ってことは……マジか、そうか……別口……。
ああああ、ってことは仮に彼女を退けたとして、まだ黒猫は残るってこと。
全面解決、とはいかないわけね……。今の状態じゃ、どちらかを排除することすら難しいってのに。

「あの黒猫は、アンタに危害を加えない」

……なに? どうしてそんなこと、断言できるの。

一体、なにを言って……この人は――。

「なにを知ってるんですか、柊先輩」

ざわりと空気が動いた。

黒猫のおかしな言動。柊一路の大雑把過ぎる依頼。
悪魔は別口で、このところ聞こえるおかしな幻聴は、どうしてだか私を責めている。

屋上に入るときにみたまぼろし。あれが実はずっとひっかかってた。

あの場所は、黄昏館じゃなかっただろうか? あの、男の子が――柊一路の捜し人、ってことは、ありえないだろうか?
そして。あの、女の子。魔法を使おうとしていた女の子――あの子が……声の、主?

でも、私と女の子の関連性がわからない。それ以上に、柊一路がどう関わっているのかもさっぱり、だ。

「あのっ」

思わず振り向いてしまった私を、柊一路の強い視線がとらえた。

「柊、先輩?」
「アンタさ、四歳ごろのことって覚えてるカ?」

さらりとたずねられ、数回、瞬きする。
四歳くらい? そりゃあまた、ずいぶん昔の話を……まあでも物心はついてた頃だと思うけど……って、なんだこの唐突さ。

茶化す雰囲気でもないけど、何か意味があるっての?
ええと、四歳、ね。四歳、そりゃあ、もちろん、色々覚えて――覚えて?

長期休暇のたび、おばあちゃんと一緒に過ごしてた、あの頃。

あれ? いろいろあったよ、ね? たとえば、暖炉の傍でおばあちゃんと話したのはいつだった?
冬、だった。でも、何歳だったのかは――断言、できない。たしかに覚えてる、のに?

「魔女?」

訝しげな柊一路が私の肩を軽く揺する。

ふらふら、ゆらゆら。なんだろう、これ。頭の芯が、かすむ。ものを考えるのがひどく億劫、だ。

勝手に身体が、動く。柊一路の足を跨いで、膝の上に座り込む。
胸元で押さえていたブラウスが、ぱさりと落ちて、私の肌には片側の肩紐が落ちたキャミソールだけが残った。

柊一路の手から紙テープを払い落とし、自分の手を絡める。
骨ばった指と指の間に自分の指を差し入れて、きゅっと握り締めた。

……おかしい、私、なにしているんだろ?

「おい、魔女……侑那?」

柊一路の胸に片手をついて、ゆっくりと体重をかけた。二人分の重みに、柊一路が背にしているソファが、ぎしりとたわむ。

黒と深い茶色の瞳が、私を見上げている。
ひきつけられるように上体を倒して、間近に整った顔立ちが迫り、焦点がぼやけ――そこで意識が途切れた。



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