ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

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「――手、痛いんですが」

言うほど痛いわけじゃなかったけど、長くつかまれていた所為か、指先にぴりぴりと痺れがある。
私の手首を余裕でぐるりとつかめてしまう手から伝わってくる熱は、意外に高い。

仏頂面がこちらを向く。……仏頂面って言うか、これは不機嫌、面?

無駄にかもし出される威圧感に、色々考えていた文句を、ついごくりと飲み込んでしまった。

「あの……柊先輩?」

無言、だ。しばらく反応を待ってみたけど無駄だった。
しゃべろうという気概がこれほど感じられない人も、なかなかに稀なんじゃなかろうか。

あああああ、沈黙が痛いっ! この際、阿、でも、吽、でもいい! 極限まで妥協する! だからなんか喋ってくれ!
会話はコミュニケーションの第一歩、さあいまこそ未知なる領域に踏み出すんだ柊一路!

表面上は最低限の平静を保っているように装って。
内心はわけのわからない汁が垂れ流し状態という内情を悟られないよう、柊一路の出方を待つ。

ひどくのんびりのろのろ過ぎていく時間に、じんわりと嫌な汗が胸元を流れた。

さわり、と風に煽られた髪が目にかかり、ほんの僅かの間、視界が暗くなる。
手首の圧迫感が不意に消えた。柊一路を見ると、うつむき加減に私から視線を外していた。

「アンタの望みどおりダロ」
「え?」
「……話がしたいんじゃなかったのカ?」
「ああ……はい、そうですね」

あっけない第一歩に、気が抜ける。
どうして急に、という一言は、ごくんと飲み下した。

とにかく柊一路を連れ出すことには成功したし、どうやら話も出来そうだ。
狐につままれたようで、なんだか良く分からないけど――結果的には問題なし、ではある。

あ、でもこんなことなら夏目氏に携帯番号教えなくてもよかったんじゃ?
まあねぇ、あの人がかけてくるとは思えないから、いいんだけどさ。

「何かんがえてんの」
「え、ああ。夏目先輩のことを」

うーん、一応助けてもらった手前、あれなんだけど、なぁんか、胡散臭いんだよねぇ、あの人。
さっきは勢いに任せて頼っちゃったけど、あんまり借りを作るのは得策じゃない気がする。

ああ、考えれば考えるほど全然冷静じゃなかったなぁ、さっきまでの私。ハハハ……はぁ。

……よし、がっくり一通り落ち込んだ! じゃあ後は前向きに考えることにしよう!

これまでの言動を見る限り、夏目氏は悪人ではない。だろう。うん、きっと。多分。
とりあえず。ありがとう夏目氏、助かりました夏目――ぐはっ!

「侑那」

……っ、ビックリ、した。

いきなり人の頬を両手で挟んだ挙句、思いっきり自分の方に振り向かすとかさぁ!
首がぐきって音立てたわ! なんなの!? 新手の関節技かなんかなの!?

「アンタは、なんだってそうなんダ」
「は?」

いやいやいや。そっちこそなんだっていつもそうなの? こっちが教えてもらいたい。

「俺以外の男にはガードが甘すぎるんダヨ」
「は?」

……言われていることが、よく……?

ガード? そんなもの甘くしたつもりも、ましてや辛くしたつもりもない。
アナタに対する態度がキツイってことなら、これまでの行いを、よくよく反省してください、としか言いようがないわ。

「もっとも計算でやってるなら、たいしたもんだけどナ」

吐き捨てるような言葉に、なぜかずきっと胸が痛んだ……のは、一瞬。
直後に襲ってきたのは、腹のそこから湧き上がるようなムカつき感だった。

柊一路がなにを言っているのかはいまひとつ伝わってこない。
……が! どうやら私に喧嘩を売っているらしいことは、理解したっ!

「ガードが甘かったらなんだっていうんですか」
「開き直りかヨ」

おお、開き直ってやろうじゃないのさ。
柊一路の意味不明な機嫌の悪さにはいい加減、うんざり、なのよおおお!

「アンタ、男なら誰でもいいワケ? なら大人しく俺にしとけば?」
「だっ!? 誰でもいいわけないでしょうっ!」

まだ私の頬に触れていた手を、ぱんっと振り払う。

どうして柊一路にこんなこと言われなきゃいけないの。誰でもいいなんて、そんなのっ!
もう腹が立つより悲しくなってくる。

「じゃあ、誰ならいいんだヨ」
「な、夏目……先輩……?」

自分の口からでた言葉とは思えなかった。咄嗟とはいえ、酷すぎる。
けど、柊一路に通じそうな人物で、私たちふたりに関わりがあるっていったら、この人くらいしか思いつかなかった。

「意味わかんナイ」

きゅっとしかめられた眉が、柊一路の機嫌がさらに悪化した証のように見えた。
人間、理性が飛ぶと、何を言い出すかわかんないもんだなぁ……。他人事みたいに考えてる場合じゃないんだけどさぁ。

「実は、夏目先輩のことが好きなんです、っていったら、柊先輩は、どうします?」

夏目氏のことが好き? ありえない。つまり、私は嘘を、ついている。

あとで必ずしっぺ返しを食らうってわかっているのに、とまらない。
売られた喧嘩は、さらりと受け流す。依頼人に食って掛かるなんて、ばかげている、はず。なのに。

こんなのまるで、子供だ。

「アレには彼女がいるって言ったはずだケド」
「聞きましたけど……好きになるのにそんなこと、関係ないじゃないですか」

何言ってんだろ私。関係あるだろ私。

「それに私が何をしようと誰を好きだろうと、先輩には全然関係ない」

いや、一応付き合ってることになってるからまったく関係ないって事は、ない。
つるつる出てくる言葉はジェットコースターのようで、止めようがなかった。

「あんた、やっぱり魔女だナ――」
「え……」

柊一路の雰囲気が、一変していた。これは多分、不機嫌なんじゃ、ない。私を睥睨する目が、凍りつくよう、だ。

どうやら私は、本格的に柊一路の逆鱗に触れたらしい。

「それ、どの口がほざいてんの? 全然関係ない? 本気で言ってるなら、俺もう我慢しないケド?」
「我慢? 何、ですか、そ」

それ、と最後まで言わせてはもらえなかった。強い力で引っ張られ、瞬く間に攫われ、た。
腕の中に囲われて、呆然とする。はっとして、もがいてみてもすでに遅かった。

「……っ、はな……、」
「ウルサイ」
「……い、やっ」

頬を強くつかまれる、強引に重ねられる、唇。苦しい。息ができない。
もう何度目かわからないキスは、いつだって胸がざわつく。

柊一路はどうして私にチューするんだろう。嫌がらせ、なんだろうか。

どくん。心臓が、痛い。大きな手のひらに鷲掴みされてる、よう、な。
ぎゅうっと心が収縮していく、ような。

――胸が、締め付けられるんです。

ああ、あれって、もしかして、こういう感じのことをいうのか。

女の子たちから貰う依頼メールに何度も出てきたその言葉。胸が締め付けられるんです、と可愛らしく書かれていた。

まさか身をもってそれを体感することになるとは、まったく予想してなかった。
や、想像ぐらいはしていたけど、こんなに早く、しかも相手が柊一路だなんて、想定外過ぎる。

熱い。全身、違う、全部、だ。身体も頭も、心も、熱い。柊一路の熱が、私の中に流れ込んでくる。

「柊、せん、ぱ……」

荒い呼吸の隙間で呼ぶそれは、自分でもわかるほど、甘く。震えていた。

ふっと縛めが緩む。私を翻弄していたはずの動きが、ぴたりと止まる。

「侑那」

じっと見下ろされている。まるで問いかけるように、私を見ている。
さっきまでの冷たい激情は、見当たらない。

ゆっくりと再び重なる唇は、穏やかに体温を伝えてくるだけで、それ以上、私の中に踏み込んでくることはなかった。

拒絶、しなきゃいけない。また力が暴走する。
夕べはほとんど眠れなかったから本調子とはいかないけど、それでも昨日の枯渇状態とは、違う。

どうして、嫌だって思いっきり突き放せないんだろう。引っぱたけないんだろう。
柊一路が考えていることが、わからないから? 違う、気がする。

ためしに、柊一路のシャツを恐る恐る握り締めてみた。ぴくっと僅かに柊一路が反応した。
唇が離れる。再びゆっくりと瞳を覗き込まれる。見据えられる。

もしかして、なんだけど。柊一路は、私が応えるのを……待って、る?
え、いやいやそんな馬鹿な。

突然の思いつきに戸惑って、ますますどうしたらいいのか、わからなくなった。

「――目ぐらい閉じたラ?」
「あ、はい」

なに、素直に従っちゃってるの。あ、唇……あったかい。
頬に触れていた指先が、私の耳朶を撫でる。

突然、耳鳴りが、した。

――魔法が、効かないの?

幼い女の子の、やや舌足らずな声が頭のうちに響く。

――そう。あのね侑那、女性になる前の口付けには特別な意味があるんだよ。

重なるようにおばあちゃんの、声、が。

『女の子になる前に涙を与えて口付けを交わすとね』

うん、と、真剣な面差しで、小さな私が頷く。

『その人が生涯の主になってしまうのさ』

ぎょっとしたように、私はスカートの裾を握り締めて。
女の子になる前って? とおばあちゃんに尋ねる。

『初潮を迎える前ってことだよ。まだ、侑那にはわからないかしらねぇ』

首をかしげてきょとんとする私は、きっと意味を理解していなかった。

『けれど、忘れてはいけないよ? 大事なことだから。いいかい? 涙が効力を持つのは最初の一人だけなんだ』

髪を揺らし、必死にうんうん、と頷く。

『だからね、私のかわいい侑那、お気をつけ――』

頭の中で激しく光がはじけた。目の前がちかちかする。

――思い出し、た。

あああ、なんだって、こんなときに。違う、そうじゃない。たぶん、こんなときだから、だ。
記憶の呼び水は――きっと、柊一路。

「侑那……」

はっと気がつけば、柊一路が私の首筋に唇をつけていた。

ぱちん、と泡が弾けるように、遠のいていた意識が戻る。
改めて自分の状況を鑑みるに……え、私ってば、なんでへたり込んでるの?

しかも。柊一路が覆いかぶさってきてるとか、むちゃくちゃピンチ、じゃない?

「ちょっと、まっ」

このまま押し倒されそうな勢いに、真剣に身の危険を感じた。

「まってください、先輩、先輩ってば」

必死に抵抗する私を、しかしまるで無視して柊一路が私の胸に触れてくる。

な、なぜにこんなことに!? ええええ? さっきまでこんな雰囲気じゃなかったよねぇぇ!?
う、うあああ。お、おばあちゃん、助けてー!

「本気で嫌なら、魔法でどうにか出来るダロ」

そ、それができたらとっくにやってるわーっ!

こ、これは、もう。言う? 言っちゃう?
魔法が効かないって。でも、吉とでるか凶と出るか、柊一路の反応が全然読めない。

うう。でも……でも。やっぱりこのまま流されるよりは、まし! 多分、まし、なはず!
ああああ、今日の私、選択肢が少なすぎる!

「効かないんです」
「ナニが」
「先輩には、私の魔法が効かないんです」
「――効かない?」

小さく頷く。柊一路は、とてつもなく訝しげだ。
ああああ、とうとう言っちゃったよ。

「魔法、使ってたよナ?」
「……柊先輩を対象とした魔法は、正しく発動しないんです。力が捻じ曲がるっていうのが一番近いかもしれません」
「アンタの持ってきた薬や守護符は効いタ」
「薬は多少特殊な材料を使っていますが、私の術が掛かっているわけじゃあ、ないです。守護符は物質の持つ守護の力を利用したものですし」

そのあたりの明確な判断基準は難しいところだけど、柊一路個人に向けて放つ力は駄目って事なのかもしれない。

「――じゃあ、いままで抵抗しなかったのも?」

て、抵抗してたじゃない! あんなに力いっぱいぃっ!
あんたどこに目ぇつけてんの! むしろ目ぇついている!? 大丈夫!?

今度は何も答えずじっと上目遣いに柊一路の様子を窺う。

「なるほどナ。そういうことか……」

無言の意味を悟ってくれたらしい。こういうときは理解が早くて助かる。

「で?」

で? ……で? え、そう切り替えされるとは思ってなかったんですが。

呆気にとられ思考が止まる。てっきり引いてくれるものだと思っていたのに、まさかの展開だ。

「話が済んだなら続きするケド」

いやいやいや! おかしいだろそれ! え、おかしいよね?

「駄目です」
「何で」

……な、なんで? え、何でって言われると、そりゃあ……あ! そう、さっき思い出したことが!
しかも、ものすんごく重要なことを!

「その、色々考えたいことが出来たので、今日のところはこれでお暇いたしたく」
「却下ダナ」

にべも無く一言の元にあしらわれた。

いやいやいやいや! 本当にちょっと色々と考えないといけないことがあるんだってば!

柊一路に魔法が効かない理由――もしおばあちゃんの言っていた通りだとしたら、私はこの男に涙を与え、あまつさえ口付けを交わしたことに、なる。
しかも、初潮を迎える前っていうと、少なくとも中学にあがる前か、あがって直ぐあたりまでに。

あの、小さな女の子の声。生垣越しに見た景色。ふたりの子供。

さまざまな断片は、おそらくつながりを持っている。

あの女の子は――やっぱり私、だったんじゃないかろうか。
そして、もうひとりのあの子は――。

「あの柊先輩、聞きたいこと……が」

あります……と徐々に尻すぼみになったのは、柊一路の伸ばされた腕の先を目で追っていた所為だ。

……う、うぎゃあああ! ブ、ブラウスのボタン! しれっとした顔で外すなーっ!

「待ってください」

がしっと柊一路の手首をつかむ。
さも邪魔だといわんばかりの視線には、きっぱり気づかないふりをした。

これから私がしようとしている質問は、ばかげているのか、そうでないのか。

「私、小さい頃……会ってますよね、柊先輩に」

語尾が少し震えた。さあ、柊一路、どう答える?

重苦しい静けさが満ちる。触れ合った肌から、柊一路の感情が読めればいいのに。

柊一路の仏頂面をじっと見つめる。息がつまりそうだ。
ゆっくりと開く唇。その口角が、僅かだけどあがっているように見えるのは気のせいだろうか。

『なぁんだ、思い出しちまったのかよ』

「……っ」

柊一路の声じゃ、なかった。それもそのはず。そもそも聞こえてきた方向が正面からじゃあ、ない。
ここには、私と柊一路しかいなかったはず、なのに!

背後を、ばっと振り返る。

聞き覚えがあると思ったら、やっぱりか。

ちっ、本調子じゃない時には、会いたくなかった相手だ。
まあ私の都合なんて考えてくれるわけもないから、仕方ないけどさぁ。

「よう。どうした、顔が青いぜ?」

しゃあしゃあと、よくもまあそんなことを。

こちらの実情を少しでも隠すべく、ふっと笑ってみせる。
こういう場合、僅かでも余裕のある振りをしておいたほうが得策だ。

「そう? そっちこそ、今日は艶がないみたいだけど? 昨日はぺしゃんこになった毛皮の毛づくろいが大変だったんじゃない?」

「――けっ、ひよっこが」

ぷいっとそっぽを向いたところをみると、どうやら多少のダメージは与えられたらしい。けっ、ざまーみろと、内心でぺろり舌を出す。

私が睨みつける先、そこには。

抜けるような青空を背景に、黒々とした小さな獣が不快そうに髭を揺らめかせ――ぷかぷかと浮いてた。



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