ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること
ならびに、柊一路の特異性について考察すること

29




真っ青な空を、高い声で囀る鳥が一羽、横切った。

――外と、通じてる。

結界で閉じられた空間になってないことに、いささかほっとする。
癪ではあるけど、今は相手のフィールドで戦えるだけの力はない。

自分に出来ることを、見誤らないこと。柊一路がいるいま、それは絶対だ。

手を伸ばせば届く距離に漂う黒猫はだいぶへそを曲げたのか、あさっての方向を見たまま口をへの字にしている。

このまま相手の反応を待ってみることにした。
普段なら、自分から仕掛けてみるっていう選択肢もあるんだけど、いまの私にできることは、かなーり限られてる。
つまり、まったく心もとない状況ってわけだ。黒猫の出方を待つのが上策、だろう。

握り締めた手の中が、じわりと汗ばむ。

柊一路を背後に置くため、黒猫に一歩分だけ近づいた。

まあ、無駄にでかい図体をした男だ。完全に隠せるわけはない。

……うん、隠せるわけがないのよ。それは私にもわかっちゃいるさ。
だから、気休めってやつかもしれないけどさあ。――こんな局面で、あんたっていう男は、どういう了見。

苦虫をバリゴリ噛み潰しながら見下ろす。私の胸の下には、二本の腕が、しっかりがっちり回されていた。
ああああ! 大人しく引っ込んでるっていう大概において賢明な選択肢をどこにほっぽってきたんだ貴様は!

「邪魔するなヨ。呼ぶまで出てくるなっていったダロ」

――ん?

腕を引っぱたいてやろうと振り上げた手が、止まった。
喉元まで出掛かっていた文句を、ごくっと飲み込む。

邪魔するな。私がまさに言おうとしていた一言。
けど引っかかったのは、そこじゃない。

その後に続いた――呼ぶまで出てくるな、だ。

考えが、上手くまとまらない。

……多分、違う。まとまらないんじゃない。
もう答えは出ているのに、私が認めたくないと思ってるんだ。

「あったりまえだろ、邪魔するっつーの。そいつにはまだ早い」

そいつ、のところで動いた目が私に向けられ、どこかバツが悪そうに、さっと私の背後に戻される。

「意外に義理堅いナ」

低いトーンには、けれど珍しいことに微かな笑みが含まれていた。
この声の。主は。

ここしばらく、散々、厭になるほど聞いてきた。
誰かなんて、考える必要もなくなるくらいに。

私の胴に腕を回している背後の、男。

黒猫が、ちらりと私を見た。否、違う。私の背後を、見てる。

「一路、お前な、自由すぎるんだよ、半端なことしやがって」
「なにが」
「なにがじゃねぇよこのばか野郎」

柊一路と黒猫は実に気楽に、当たり前のように――喋っていた。

そりゃあ、さ。そうじゃないかなぁ、なんて、考えてたよ?
けど、実際目の当たりにして。
どうやら私は思った以上に衝撃を受けているようだ。

「……先輩、お知り合いですか?」

ずいぶん遠くに聞こえる自分の声。間抜けな質問。
黒猫を見据えたままなのは、警戒の意味もあったけど、体が言うことをきいてくれないって方が大きかったかもしれない。

振り向こうとしても、振り向けない。
いま、私の背後にいる男は、柊一路。これまで散々に私を振り回してくれた、意地の悪い依頼主。
柊一路に触れられている部分が、ぴりぴりするような、ぞくぞくするような、妙な感覚に包まれる。

――ああ、チクショウめ。

真相を知ることが……怖い、だなんて。冗談じゃないっつーのよ。ばっかばかしい。
いままで、こんな気持ちになったことなんてなかった。
いつだってどんなことだって、受け入れるべきことは受け入れてきたはずなのに、どうしていまさらこんな。

いつの間にか、深入りしすぎていた? そんなこと、とっくにわかってたじゃないか。
ただの依頼人だったはず、なのに。この男のペースに巻き込まれて、引きずられて。
だから、そんなこと、とっくにわかってたんだってば!

「早い? 遅すぎるくらいダロ」
「そりゃあ、アンタにとってはそうかもしれないけどよ。忘れてないか? 契約」

柊一路の腕に篭った力が、混乱していた私を現実に引き戻した。

――契約? ……誰と? まさかこの黒猫?
ううん、違う。これはただの使い魔。だとしたら、相手は使っている術者本人。

この黒猫の主人その人か。

しっかりしろ、私。
真相、真実。考えなきゃ、求めなきゃ、このまま進めなくなるだけだ。

柊一路の腕の中で強引に身をよじる。
振り向いたと同時に意を決して見上げると、そこには実に端正な、仏頂面。

見事にいつもどおり。そこには一部の狂いも無い。ように見える。
いつもどおり過ぎて、拍子抜けしたような、ほっとしたような、妙な気分、だ。

これで柊一路が満面の笑みなんて浮かべていたら、悪役街道まっしぐらすぎて怖すぎだったとは思うけどさ。
あまりにも態度が同じすぎて呆気にとられているうちに、段々とむかっ腹が立ってきた。
自問。なんで私、こんな男に振り回されてるんだろう。
解答。それがわかったらこんな状況になってるわけがない。うん、不毛だ。まったく持って不毛すぎる。

ため息をぐっとこらえ、黒いシャツの襟元を力いっぱい握って締め上げ、引き寄せる。

「説明を」

細められた黒と茶色の瞳に不愉快そうな色が浮かんだけど、そんなもん知ったことか。

「あいにくと俺はそんなに親切な男じゃナイ」

ああはい、そうでしょうね。それはよおおおく知ってますよ、このやろう。
そんでもって次はこうでしょ。

「知りたかったら」
「対価を寄越せ」

途中から強引に台詞を奪い取ってやった。
毎度おなじみ過ぎて予想の範囲内だわよ。ああああ自分の馴染みっぷりがいやになるっ。

「よくわかってるじゃないカ、魔女」

こんなことで感心されても、ぜんっぜん、うれしくない。

つかんでいた襟元を、諦めと共に離す。
私の握り締めていたところに、ぎっちり皺の寄った黒いシャツ。
しっかり浮き出た鎖骨。喉仏。シャープな顎の線。横一文字に引き結ばれた唇。通った鼻筋。涼やかな目元。黒と茶色の瞳が試すように私を見下ろしている。

――少し、わかった。
柊一路がどんなときに答えをくれないのか。

わかったわよ、わかりました。
自分で考えろってことなんでしょ。考えますよ、どうやら黒猫も静観を決め込んでるみたいだしさ。あー新発見、獣のニヤニヤ笑いって意外と癇に障る。

この黒猫。どうやら私が柊一路に襲われているのを邪魔しに来たらしい。
が、やっぱり全面的に私の味方をしようってわけでもない、か。

誰がどう繋がってる? 私に見えてない関係性、足りてないパーツ。鍵は、なに?

まず、柊一路。最初に接触を持ったのは私から、だった。
給水タンクをぶっ壊した、あの屋上。私にとっては、間違いなくあれが最初、だ。

その後は――ああああ、思い出したくない。

柊一路に振り回されっぱなしで、情けなさ過ぎる一連の出来事が走馬灯のように……。
いまは自分の人生を儚んでる場合じゃないけど、どんな試練なんだこれ、と言いたくなるくらいは許されるんじゃないかなぁ、はぁ。

柊一路……柊一路、ねぇ。思えば、ずいぶんと謎の多い人物ではある。

そういえば、意外な嗜好があるんだっけ。甘いものが好きってちょっと笑える。
いや、男の人って意外と甘味好きって人が多いらしいけどさ。

ラズベリージャムっていえば、おばあちゃんお手製のやつがめちゃくちゃ美味しかったんだよねぇ。
遊びに行くたびにジャムを使ったお菓子を色々作ってもらったなー。そうそう、黄昏館に行くときも、おやつに持たせてもらってたっけ。

あちこち歩き回った後、生垣の中で――と一緒に食べるのがまたおいしくって。

……?

首をひねる。いま、私、おかしなこと考えなかった?
うん、美味しかったんだよ、ね?

美味しかった――誰と、食べるのが?

え、あの辺で誰かと遊んだ覚えなんて、ない。いつも一人だった。
魔法の練習もかねてたんだから、誰かと一緒だったはずが――あ?

「おおーい、魔女、幾らなんでも熟考しすぎじゃねぇの」

てしっと、やわらかいものに額を弾かれた。
途端に、ただでさえおぼろげだった記憶が、引き止める間もなく見事に霧散、霧消。

眼前にぼやけて見えるのは、ふわふわの黒い棒。じゃなく、猫の前足。それが私の額にあてられている。

え? えええ? ちょっ、いま何かちらっと見えたのに! 何か思い出しかけた、気がするのに!
なんてことしてくれたんだ黒猫ーっ!!

「あくまで邪魔する気かヨ」

ん? なんか、右隣から冷気?

何気なく振り向いて、盛大に後悔した。
怖い。掛け値なしに、怖い。柊一路、それはどっからどうみても悪役の面構えだ。

「最大限譲歩してやってるだろうが。とにかく、いまはここまでだっ」

お、おお! すばらしい! 言い返したよ黒猫!
ふん、と鼻を鳴らす猫に、敵とは思いつつも、ついつい拍手を送りたくなった。

いやあ、いい根性してるわぁ。だってさ、あの柊一路に射殺しそうな目で睨まれてるんだよ?
ちょっと視線が泳いでる気がしなくもないけど、なかなかどうしてやるなー、天晴れ天晴れ。

「大体だな、一路、アンタにゃあ、まだ別の問題があるだろうが」

こほんとひとつ咳払いをして、黒猫が忌々しげに髭を揺らした。

……ちょっと聞き捨てならないことを聞いたような。別問題? この上、まだ何かあるの?
どおおして、どうおおおおして平穏無事な人生を歩めないの柊一路ー!

きっと睨みあげると、やれやれと言いたげに柊一路がため息をついた。

「まったく。いい性格だヨ、アンタの主人」
「そっちが掟破りなことをするからだろうが。強引に縁を繋ぎやがって」
「なら、いつまで待てばよかった?」
「時期が来るまで」
「いつだヨ、それ」

縁? 時期? 柊一路と黒猫の会話は、私をすっ飛ばしてどんどん先に進みまくっている。
おおい、ちょっとお待ちなさいってば。完全に蚊帳の外でどうしろってのさ、この状況。

「あの」

柊一路と黒猫が同時に振り返って、ちょっと言葉に詰まった。

……無言の圧力って、こういうのを言うんだろうなぁ。

あのさ、いくら話の途中に割り込まれたとはいえ、そんな険のある目つきをしなくても。
普段が普段だから、顔に出ると半端なく不機嫌そうに見えるんですよ一路さん。

「――ふぅん。まあ、だいぶ綻びちまったが、まだ完全じゃあねぇか」

黒猫の呟きに、柊一路の視線が逸れる。
けど、ほっとしたのも束の間。黒猫が見ているのは私だ。

完全じゃない?

「どういうこと」
「どういうもこういうもねぇよ、ひよっこ」

余計な一言を最後に付け加え、小さな頭がぷいっとそっぽを向いた。髭がひょこひょこ揺れる。
か、かっわいくないわぁ。そもそも私をひよっこってアンタは何様だっつーの。

「おい、魔女。手負いの獣ほど始末におえねぇものはない。――だろ?」

はあ? 手負いの獣ぉ? なにそれ自分のことを言ってるわけ? 
……って、そういうわけじゃあ、なさそうね。
ふん、多分、獣がそのまま獣をさしてるわけじゃあ、ない。まあ、獣と言われることもあるけど、いま心当たりのあるものといったら。

「もしかしなくても昨日の悪魔のことよね」
「おうよ、どうにかしなきゃ不味いぜあれは。完全に目的を見失う前に、片をつけねーと、かなりやばい」

ああ……別問題……そういうことか。できるなら思い出したくなかったなー。
やばいなんて百も承知、なんだけどさぁ。こっちにもこっちの事情ってもんがあるのよ。
ああああ、わかってるの、わかってるんだってば。ええと、そうそう目的を見失う前に……。

「目的――つまり柊先輩の身体ね?」

確認の意味を込めた何気ない質問に、どうせ馬鹿にした答えが来るんだろうと予想してた。
けど、訪れたのは思わぬ静けさだった。

「……ちょっと?」

黒猫はふよふよ浮かんだまま、黙り込んでいる。
ただじっと艶やかに濡れた黒目が、私を諌めているように瞬いた。

あー……、とうとうあんたもだんまり?
ええい、どいつもこいつも! そんなにじっくり見られたって、困るの!
私になにを察しろってーのさ!

「違うの?」
「さぁな、答える義理はねぇ」

まあ、ないわよねーハハハ。
こっちも素直な答えなんてどのみち期待しちゃいなかったわよ。

「いいわ。それで? アンタはとりあえずこっちの味方ってことでいいわけ?」
「まあ、いまんとこはな。そう思ってもらっていいだろ」

あらまあ、ずいぶん不満そう。
まあ、不本意ながらも、とりあえず手を組んでいいっていうのは、ものすっごく癪だけど――正直、助かる。

「さて、そんじゃあ、本題だ。おい、アンタの身柄はこっちで預かることにする。拒否権はなしだ」

ん? 身柄を――預かる? 誰の? って、ここには私と柊一路しかいない。
そして黒猫がいま見ているのは私じゃ、ない。

「断るといったら?」
「アンタが傍にいなけりゃ、アレも無茶はしねぇよ」

しばしのにらみ合い。二人……ひとりと一匹? の間に緊張感が渦巻く。
柊一路がふうっとため息をついた。糸が切れたように、一瞬で空気がゆるむ。

「――わかったヨ」

……わかったって。いや、待って。わかっちゃだめでしょう。

黒猫が後ろを向く。
空間の裂け目が薄っすらと見えた。なるほど、ここから出てきたわけか――なんて、分析してる場合じゃなさそうだ。

「柊先輩、どこに行くつもりですか」

歩き始めた柊一路の前に、両手を広げて回りこむ。
確かに黒猫と手を組むつもりではある。けど、身柄を丸ごと引き渡すなんて納得できるわけないでしょうが!

きっと睨みつける。そりゃあ、いまの私は力不足だ。柊一路を守るのに充分とはいえない。
いえないけど、傍を離れるのは、いやだ。

「先輩」
「魔女、依頼を忘れるな」
「いま、それどころじゃ」

ぐっと二の腕をつかまれた。込められた強い力に、眉をしかめる。

「忘れるナ。いいか、桜侑那。俺はおまえのためにあきらめるつもりは一切ないし、横から掻っ攫われるのも御免だ」
「あきらめる? 攫われる? なんのことですか」

なにがなにやら、さっぱりわけがわからない。困惑しているうちに、柊一路の手が離れた。

「じゃあな」

軽くすがめた目線だけを寄越して、あっさり私の横をすり抜ける。

いやいやいや! ちょっとお待ちなさいって!
駄目でしょ! ここで行かしちゃうわけにはいかないでしょ!

「先輩、待っ……」

黒いシャツの袖を掴む。見上げる。振り向いた柊一路が長身を屈める。言葉が、途切れた。

――絶句。

この男だけはほんとにもうッ!

「こんな時になにしてくれるんですか」

しっかりと感触の残る唇を手で押さえて、ギっと睨み上げる。
途端、びしっとデコピンをくらった。

「……いっ!」
「あーあ、ホントにもうどうしようもナイなアンタは」

は? どうしようもない? え、なんですかそれまさか私に向けた言葉ですか。

――はあ!?

絶句、再び。
あらまあお早いお帰りですね絶句さん――って! 違う! 黙りこんでる場合じゃ、ない。
こらまて柊一路、言い逃げかよ! なにさっさと背中を向けているかこの野郎!

「先輩!」

待って、いやだ。行かないで。いっちゃ、やだ!
――……ちゃんっ、行っちゃ、やだっ!

脳裏に真っ白な光と共に浮かんだのは、さびしそうな、背中。

伸ばした指先が、紙一重で柊一路をつかみ損ねる。
長身の姿が、黒猫と共に消えうせた。

目の前がチカチカする。いまの、は。
いや、それよりも、柊一路、が。

「……っ」

悪態をつきかけ、ぎゅっと唇を噛み締める。罵詈雑言も懇願も、いまは意味がない。
ましてや術者により完全に閉じられた亀裂を、今の私が再び開くことはほぼ不可能といっていい。

明白すぎる事実に、立ち尽くすしかなかった。

けど。あの黒猫は柊一路を傷つけることはない、はず。
多分、柊一路を連れて行ったのは、守るため。本人……本猫? の言を今は信じるしかない。

――依頼を忘れるな。

柊一路の低い囁きが、頭の中で回転する。
右手で額を押さえる。ああああ知恵熱が出そう。むしろもう出てるんじゃないの、これ。

「依頼……私、誰を捜してたんだっけ」

そんなの、決まってる。
私が捜している、すなわち柊一路が捜している人物は、昔、彼が黄昏館で会ったことのある男の子、だ。

柊一路の依頼。それに、私の見る、幻。この二つは多分、関係してる。でも、何かがしっくりこない。ちゃんと嵌っていない。
柊一路が捜しているのは、男の子。私に聞こえるのは、女の子の声。小さな男の子と女の子。

……ん? いま――引っ掛かりを覚えた……ような? んん……んー?

しばし、腕を組んで考え込んでみた。が、今一歩がどうしてもつかめない。
もうそこ! すぐそこまで答えが見えてるのに! ……ええいっ!

考えあぐねた結果、自分の拳を額に打ち付けるという暴挙に及んでみた。
ごつっと結構な衝撃に涙が滲む。

おおおおおおぅ、痛あああっ。くあああ、独り相撲過ぎて、泣けてくるわあぁぁ。

額を押さえてしゃがみこむ。届かなかった指先。あと少しだった、のに。柊一路を捕まえられなかった。

――ああああ、駄目だ、思考の矛先がずれてる。

落ち着け私。確かに、さっき自分の考えに引っ掛かりを覚えた。釈然としない何かがあったはずだ。

どこに引っかかった? 黄昏館? 男の子? 私の見た幻? 女の子?
柊一路の依頼は、捜し人。今は高校生になっているはず。会ったのは黄昏館の庭園。

柊一路の言葉に嘘はなかった、と思う。そう、嘘はなかった。さがしてほしいと心の底から望んでいた。
でなければ、私だって依頼を受けたりは多分、しなかった。……まあ、脅されてたけど……もう少し違う展開になっていたんじゃないかと思う。

目を閉じると、おぼろげな男の子の姿。君は、どこにいるんだろう。

「あ」

頭の中で、何かが閃いた。

……あ? え? ちょっとまって。

「うそ」

そういう、こと? まさか、そんな、馬鹿なこと。
ええええ、だって、回りくどすぎる。

否定ばかりが浮かんでくるのに、頭の芯では確信していた。

だけど、理由がまったくわからない。なんだって柊一路は、私にあんな依頼を――。
だってさ。ちょっと言えば済むことだよね?

ちぐはぐなピース。そうか。これって、ある一点をひっくり返せば、綺麗に嵌る。

……それに、あの黒猫。

あいつ、さっき現れたときに妙なこと言ってた。
確か。『なんだ、思い出したのか』みたいなことだったような……。

甲高く澄んだ鳥の鳴き声。髪が風に弄られる。バタバタとはためくスカートの裾を反射的に手で押さえ込んでいた。

ああ、これは確定――かもしれない。

けど、まだひとつ気になることがある。私自身が、小さい頃のことを幾らなんでも覚えてなさ過ぎる。

おばあちゃんと話したことが、細切れにしか浮かんでこない。教えてもらった術の知識は欠けてないのに、だ。
多分、切っ掛けがあれば思い出せるんだと思う。それは当然のことなのかもしれない。
でも、私のこれは――思い出し方が妙だ。

誰かに、術を掛けられている。おそらく、忘却術を。

特定のことに関する出来事、会話を、記憶の底に封じられた。そういうことなんだと思う。

「どうして」

小さな私に術をかけることが出来た人物。
それも、十年以上の間、綻びをみせることなく効き続ける術を掛けられる人なんて、一人しか思い浮かばない。

――どうして? おばあちゃん。



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