ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること ならびに、柊一路の特異性について考察すること 30 |
「侑那ちゃん、こんなところでどうかした?」 ぽん、と肩に手を置かれ、くるりと振り向く。 ……ああ、またあなたですか。 さすがにもう驚かなかった。 例によって例の如く、私の背後に足音も立てず忍び寄ってきたのは、これまた例によって例の如く、夏目氏だった。 あっけらかんとした笑顔で、ちょっと首をかしげている。 なんて悩みがなさそうな……この能天気さがいまはすこしだけ羨ましい。 「ため息が重いなー」 どんよりとうつむく人間の気力を更に奪う、恐ろしくいい笑みに、どっと肩が落ちた。 さっすが柊一路のご友人。すてきな性格をしていらっしゃる。 昼休み、三年の教室がギリギリ見える廊下の一角。 柊一路がいるはずもないのに、屋上から戻る途中、自然と足が向かってた。 もう習慣――っていうか、やっばいなぁ、私。犯罪者予備軍チックだよねぇ……気をつけよう。 柊一路の姿が掻き消えて。空は憎らしいほど青くて。私は、おばあちゃんの真意をまるでつかめていなかった。 小さかった私の記憶を封印したとき、何があったんだろう。 見えてきた答えの代わりに差し出されたのは、新しい謎だったなんて、マトリョーシカじゃあるないし……。 「……柊先輩、戻って来てないですよね」 「戻ってないねぇ」 にこやかに言われ、僅かな希望も粉砕された。 わかりきってはいたけど、もしかしてなんていう可能性にちょっと期待してたんだけどなぁ。 まあ、さっきの華麗な退場から一転、何食わぬ顔で授業を受けてたら、それはそれで喜劇だよねぇハハハ。 「担任に休むって連絡あったみたいだよ?」 「え、連絡、あったんですか?」 意外なところできっちりとした性格だな柊一路。 ……いや、無断欠席はまずいから、か。余計な悪目立ちはしたくないってところだよね、多分。 でもさ。学校に連絡入れるくらいなら、私に対してもっと説明していくべきなんじゃないの? 私の携帯番号だって知ってるんだから。ああああ、いらんときには遠慮なくかけてくるくせに! この局面で使わないって、なにごとさ! 文明の利器が大号泣だわ! 「で、ゆーなちゃんはどうしてここに?」 「ああ……ちょっと諸事情ありまして」 上の空で答えると、夏目先輩が黙り込んだ。 微妙な沈黙に、いやぁな予感がむくむくわきあがる。 「……なにか?」 「いやあ、一路とゆーなちゃん、一緒にサボったってみんな思ってたんだけど、違ったみたいだね」 「ええ、違いますね」 「じゃあ、ゆーなちゃんはこの後、ちゃんと授業に出たほうがいいかもね?」 「……? どうしてですか?」 「んーとね。つまり仲直りした一路とゆーなちゃんは学校を抜け出してらぶいちゃっていうのが、大方の結論みたいでね?」 左手の人差し指を顎にあて、首をややかしげる夏目氏は、心底楽しそうだった。 「ら……」 唖然とする。二の句が継げない。 ら、らぶいちゃって! なんじゃそりゃああああっ! 「今朝のやり取りでいろんな憶測が飛び交ってたんだけど、最終的にそこに落ち着いたみたい」 みたいって……えっらい濡れ衣なんですが。甘っちょろい噂とはまるで正反対な状況ですからあああ! ひ、人が屋上でどんだけ真剣に考え込んでたと思ってんですか! 考えすぎて禿げるんじゃないかってところまで自分を追い込んでたっつーの! その間に、そんなトンデモな噂に結論って! もおおおおおお! なんなのさあぁぁぁ! 「ゆーなちゃん、首まで真っ赤」 「……っ」 咄嗟に、首元をばっと両手で覆ってしまった。 「かーわいいなー」 ……っ、ほんと、この人、曲者っ。 「いいんですかそんなこと言って。彼女に怒られるんじゃありませんか」 「んー、大丈夫大丈夫。もちろん彼女の方が可愛いから」 いけしゃあしゃあと言ってくれるわね。 そうですか、それは野暮なことを聞いてスミマセンデシタ。 「侑那ちゃんて、やっぱり一路のこと好きなんだねぇ」 しみじみ投げかけられた一言を理解するまでに、かなりの時間が必要だった。 「――は?」 いやいやいや、私ってばいまなにか聞いた? つーか、なに言ったこの人。 愕然と見上げる。と、感心したように夏目氏がうなずいていた。どんなしたり顔だそれは。 「その結論に至った根拠をぜひお聞かせ願いたいんですが」 「根拠? んん、そうだなー……、あ、そうそう」 やや考え込んだ夏目氏だが、何事か思いついたらしく、ぱんっと両手を合わせた。 「俺ね、ゆーなちゃんが一路の彼女になったって、噂で聞いたんだよね。つまり一路からは何も聞いてないの」 「――へえ。そうなんですか」 それは夏目氏が友人としてあまり信用されていないからでは? と嫌味を付け加えそうになったけど踏みとどまった。 間違いなくそんな理由じゃないだろうことは、自分で厭って程わかってる。 暫定彼女になったのは、ほぼ成り行き。柊一路が友人に対して、私が彼女だと言いたくなかったってのは、アリだ。 「ゆーなちゃん、眉間に皺寄ってるよー」 「気のせいじゃありませんか?」 うそ臭さ満載の笑顔を無理やり浮かべる。 内心、ひやりとしていた。まったくもって厭なところをついてくる。 ……アリだと、思ってる――のに。どうやら私は、ちょっと……かなり、むかっと……してる、ようだ。 あーやだ。こんなの身勝手。別にこっちも彼氏だなんて本気で思ってるわけじゃあない。 お互い様ってやつなんだから、腹を立てる筋合いなんてそれこそまったくない。 「あのね、はっきりいっていい?」 「どうぞ」 良く考えもせず答えてしまってから、はっとした。ふふふ、と夏目氏が妖しく笑っている。 純然たる気持ち悪さに背中がぞわぞわする。 「ゆーなちゃんて、男から見て可愛くない女だよね」 束の間、絶句する。 ……ほんっとにはっきり言いやがった、よ。 それは柔和そうな外見をすっぱり裏切る暴言だろう夏目氏よ。 いかにも邪気の無いといった様子がまた怖い。 柊一路より、この人の方が実は性質悪いんじゃないの? ふとよぎった考えは、意外と的を射ている気がする。 「否定は、しません」 ため息混じりに頷く。事前申告があったんじゃ、怒るに怒れない。 それに、夏目氏の言うことは間違っちゃいない。 別段、異性に可愛いと思ってもらえなくても不都合は、ない。 自分でも地味な部類に入ることは自覚しているし、寧ろ、目立たない為には、好都合ですらある。 「あ、誤解しないで? 俺は可愛いと思うよ? ゆーなちゃんのこと」 「そうですか、ありがとうございます」 今更なフォローをさらっと受け流す。 うわぁ素っ気無いなー、なんてわざとらしく言われてもさぁ。 そんなつるっつるうわべをすべりまくっているような調子のどこを信用しろと? 「一路もね、ゆーなちゃんのこと可愛いって」 「それはどうもありが…………は?」 受け流そうとしたのに、予想外の変化球だった。なんだこれデッドボールか。 「だからね、一路もゆーなちゃんのことかわ」 「か、勘弁、してくださいっ」 重ねて言おうとする夏目氏の前に両手を突き出す。 な――なん、の。なんの冗談。 あああああありえない。そんなこという柊一路なんて、恐ろしすぎる。心臓、心臓が痛い! 思わず想像しちゃったじゃないの、しっかりあの仏頂面で! 「あ、やっぱり」 やっぱり? 恐る恐る手を下ろすと、ちょっと申し訳なさそうに眦を下げた夏目氏と目が合った。 「ごめんね、いまのは嘘です」 えへっと首をかしげる夏目氏の語尾には、楽しげな音符が確実にとんでた。殺意が芽生える。 「ほらね」 ほらね? なあぁにぃがっ、ほらね、かぁぁぁ! 意味がわからんわあああ! くっそう、こんなところに三匹目の悪魔がいるとは! 想定外だ! ぎりぎりと奥歯を噛み締める。 もうね、一匹目の仏頂面悪魔と、二匹目の正真正銘悪魔だけで私は手一杯なの! 三匹目にからかわれる余裕なんて、これっぽっっっっちも、ありません! 「意味のわからない嘘はやめてください」 ぎらっと睨みつけながらの抗議は、ほぼ唸り声に近かった。 「意味ならあるよ。ゆーなちゃん、いっつもクールなのに、一路のことになると百面相じゃない」 「……っ、なんですかそれっ」 「だから、根拠。――いやあ、面白いよね。当事者って、ホント気づかないものなんだねぇ」 俺も気をつけなきゃなぁ、なんて隠れ悪魔が暢気につぶやく。 つまり、いまのが、私が柊一路を好きだと思う、根拠? はあああああ? 夏目氏の思考回路ってどうなってるんだか。 「そうそう、さっきの言葉、訂正するね。ゆーなちゃん、一路の前にいると可愛く見えるんだよ」 「もう夏目先輩の言葉は信用しません」 「いや、ホント。だからいま、ゆーなちゃんの株、急上昇中」 どこでそんなもんが急上昇してるっての。上場した覚えなんてないっつーのよ。 ……駄目だ、すっかり夏目氏のペースに巻き込まれてる気がする。 ふうっと息をつく。落ち着いて、冷静に。 いつもの自分を取り戻し、ついでに会話の主導権も取り戻すべく、気を引き締める。 「夏目先輩には、なかったんですか?」 「うん?」 虚をつかれたらしい夏目氏が口をつぐむ。 人間、意味のつかみにくいことを言われると一瞬黙っちゃうんだよね。 「柊先輩からの連絡、です」 「ああ、それかぁ。うん、なかったね」 そうですか、と平坦に返した私に、夏目氏は実にわざとらしいため息をついた。 「一路ってば冷たいよね」 そんなもん、私に同意を求められても困るっつーの。 いまの私ほど柊一路のことがわからなくなっている人間は、いない。 残念なことに、確信を持って言えちゃうからね。 冷たいのか、温かいのか、はたまた淡白なのか情熱的なのか。 私への依頼で、なにをしたかったのか。――私に、なにを望んでいるのか。 すっっっごく、認めたくない、けど。 私がまず信じていたのは、実体の無い噂ばかり。いやになるほど、柊一路っていう人間がみえてなかった。 人の本質を見極める、それも魔女には必要不可欠な要素だっていうのに。 意外に、女性関係にだらしなくは、ないってこと。 ……少なくとも、私と付き合いだしてから他の子とどうこうあったなんて噂は聞かない。 意外に、やさしいってこと。 ……身を挺して、私をかばってくれようとした。心配、してくれてたのもいまならわかる。 わかりにくかったけど……すんごく。 うん、総論として、えらくわかりにくいんだよ、柊一路、あんたって男は! よくよく考えたら、腹が立ってきた。ふつふつと湧き上がってくる怒りに、ぐっと拳を握り締める。 そうだよ! 柊一路、アンタにだって充分非はある! まるで女子扱いされてないってのに、初ちゅーは奪われるし、その後もスキンシップ過剰だし、粗だらけで暴君。 ――そんな有様だから、今まで素直に考えることができなかったんじゃないの! 「……ええっと、ゆーなちゃん?」 黙り込んだ私に、恐る恐るといった様子で夏目氏が声をかけてきた。 「夏目先輩、柊先輩の代わりに、ちょっと私に殴られてくれません?」 咄嗟に怒りの矛先が、夏目氏に向いてしまった。理不尽だっていうのは、よくわかってる。 「大丈夫、一発だけですから」 「いやいやいや、ちょっとまってゆーなちゃん」 じりっと迫る私に、夏目氏が慌てながら後ずさる。 「侑那」 「え?」 夏目氏の背後から、よく見知った顔がひょっこり覗いた。 「那珂?」 三年の教室ばかりがあるこの辺りは、一年がそうそう足を踏み入れるような場所じゃあ、ない。 いままで幾度となくここに足を運んでるけど、那珂に会ったのは初めてだ。 「こんなところでどうしたの?」 「あんたこそ。てっきり今日はサボったのかと思ってた」 「サボってない。学校にはいたし」 「いや、授業にでてない時点でサボりでしょ。それよりそろそろ時間ヤバイよ、教室もどろ」 腕時計をみれば、確かにもうタイムリミットだ。そろそろ次の授業が始まる。 二の腕を那珂につかまれ、ぐいっと引っ張られる。 ここに居ても仕方ない。それはわかってるのに、私の足取りは超絶に重い。 「それじゃあ、夏目先輩、失礼しまーす」 のろのろと歩き出す私にかわって、挨拶と一緒に那珂がぺこりと頭を下げた。 「はーい、バイバイ。ゆーなちゃん、那珂ちゃん」 ……あれ? 夏目氏ってば、那珂の名前、どうして知ってるんだろ? あ、私がいま呼んだからか。それにしても、いきなり名前呼びってある意味すごいな。 軽いのかはたまたフレンドリーなのか判断に迷うところだ夏目氏よ。 腕を引かれ、ずるずると廊下を進む。夏目氏の姿が遠のいてゆく。 ――これからどうしよう。 ぼんやり遠い目をした直後、すぱーんっ、とスリッパで頭をひっぱたたかれたような衝撃に襲われた。 「ちょ……っ、侑那?」 急に足を止めた私に、つんのめった那珂が抗議の声を上げる。 「ゴメン。私、ちょっと用ができた」 腕をつかんでいる那珂の手をさっと外し、駆け出す。 背後から那珂の呼びかけが聞こえたけど、振り返る余裕は無かった。 いま、確かに見覚えのある姿が、廊下を横切った。 ――罠? でも、このままみすみす逃がすわけには、いかない。 廊下を横切った女子生徒。 ふわりとスカートを翻した一瞬に見せた顔は、確かにあの悪魔だった。 「……見みうしなっ、た……」 肩を上下させながら息をすると、喉が痛んだ。 両膝に手をついて身をかがめる。 那珂とわかれた後。 現れたり消えたりを繰り返し、どう考えてもからかっているとしか思えない姿を追って、学校の中を駆けずり回った。 本鈴はとっくに鳴りおわり、辺りに人の気配は、ない。 これ以上あまりおおっぴらに走り回ると、先生に見咎められる。 ――さっきまでは、ちらちらと見えていたのに。やっぱりからかわれた、か。 私もかなりの力を削がれているが、そもそもあちらだって完全には回復していないはず。 真っ向勝負を挑んでくる確立はかなり低い。 「……さがし回って、ばっかりだわ……」 ここまでなにもかもが思い通りにならないのは、人生ではじめてかもしれない。 ついもれた自嘲気味な笑い声に、ふと、疑問がわいた。 そうだった? 本当に今回が、初めて? 昔も、こんな風に思ったことはなかった? 「やっとあの男を見限った?」 ふっと吐息と共に左耳にささやかれて、全身があわ立った。 ――誰も彼も! 気配なく人の背後に立つなってーのよ! ばっと耳を押さえて振り返る。払いのけようと咄嗟に出た腕は見事なまでにかわされた。 後ろに一歩分、ひらりと軽やかに跳んだ悪魔は、後ろで手を組んでにっこりと笑んでいた。 ……っ、こい、つ! よくものこのこと! 乱れた息を根性で押さえ込む。相手を見下すようについっと顎を上げ、臨戦態勢を整えた。 「見限る? なんのこと」 「とぼけないで、柊センパイのことよ」 先輩、のところに若干馬鹿にしたような皮肉な響きが混じる。 実際のところはわからないけど、まあたぶん、この彼女が柊先輩よりだいぶ年上なんだろう事は想像にかたくない。 私としては出来るだけ年増じゃないことを願うだけだ。長年生き残っているってことはそれだけ力が強いか、狡猾か。 どちらにしろありがたくない話だわぁ。 「アンタの目的は?」 「なんだと思う?」 ふふふと笑いながら、くるりと一回転。 ふわりとスカートがなびいて、すらりとした白い腿がのぞいた。 「もう彼はあきらめなさいよ。そしたらあなたと私はずいぶんいい関係を築けると思うのよ?」 ――いい関係? 柊一路の命を狙っておきながら? 柊一路に怪我をさせたくせに? ふざけんな。ふつふつと怒りが沸騰する。あまりにも頭にき過ぎて言葉がでてこない。 その私の静けさをどう解釈したのか知らないが、彼女の細い指先が私の髪に触れた。 ぞっとする。この指先が。この手が。柊一路を、傷つけた。 ぱんっと音が弾ける。彼女の腕に当った手の甲が、ひりひりした。 「柊一路の敵は、わたしの敵よ」 私に払いのけられた腕をもう片方の手でつかみ、大きな目を更に大きくして。 ぽかんと口を開けていた悪魔は、その後、はじけたように豪快に笑い出した。 可笑しくてたまらないというように、身体をくの字にしている。 ……ちょっと、そんなに笑えることを言った覚えはないんですけど。 いい加減、笑いやんだらどうよ。 ものすんごく不愉快な時間は、幸いなことにそう長くは続かなかった。 どうやら満足したらしい彼女が、まだ大笑いの余韻を残しているとはいえ、ようやく身を起こしたからだ。 「いいわ、やっぱりこうなるのね。なら、私も契約どおりに動くだけ。あの男をあなたの前から消してあげる」 「――は?」 消す? 私の、前から? 「なにっているの、ちょっと待って」 「いやぁよ、じゃあね」 さっときびすを返した彼女に追いすがり、けど、捕らえ損ねた。華奢な姿が一瞬で霧散する。 空を切った腕をそのままに、立ち尽くす。こめかみをぽたりと汗が滑り落ちた。 まずい。もしかして、火に油を注いだ? つーか、私の前から柊一路を消すって……。 どういうこと。それが彼女の目的? やばいやばいやばい! 柊一路が、絶対的にやばすぎる! あああああ、もう! すべてが裏目だわ! まったくこれだから悪魔なんてもんには関わりたくなかったのよ! これまでの情報が交じり合って渦を巻く。頭を押さえ、必死で考える。 どこ? どこに行けばいい? いやまって。もしかして、挑発にのって、私が柊一路の元に行くのを待っているってことも考えられる。 なら、あの黒猫に、すべてを任せてしまう? 浮かんだ考えに、ふるふると頭をふる。 それは――絶対なし、だ。 |
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