ルール01.魔法が効かないことに、私こと桜侑那が愕然とすること ならびに、柊一路の特異性について考察すること 32 |
「罠、だよねぇ」 どっしりと聳えるのは、磨きこまれた黒壇の扉。 そのど真ん中に貼り付けられた羊皮紙には達筆な筆文字で、でかでかとこう書いてあった。 『王子、在ります』 冗談のような一文に、もはや苦笑するしかない。 うん……罠以外のなにものでもないわ。そしてあまりのばかばかしさにため息も出ないわ。 ハハハハ、どーしたもんかしらねぇ。 大体にして、奪えって言ってたものに対して、懇切丁寧に場所を示したりしないでしょうよ。 あの悪魔が消え去って。とりあえずじっとしてても仕方が無いと捜索を開始したわけだけど。 しばらくしたらなんと吃驚。廊下のあちこちに現れたのは、蛍光色の矢印だった。 繁華街のようにてらてらと辺りを染める桃色に唖然としつつも、示された方向に進んでみたのは、あちらの思惑がどうであれ乗ってみるかと思ったからだ。 十中八九、罠だろうなとわかっちゃいたんだけど、その結果がこれ、だ。 手がかりがまるで無かったからとはいえ迂闊だった、かも。 まるで店先の広告を思わせる一枚の貼り紙に、頭痛がする。 使われている紙は上質そうだってのに、書かれている内容からかもし出されるこのチープさったらどうよ。 悪魔のセンスって、わっかんないわぁ。わかりたくもないけどさあぁぁ。 がんっ、と拳で扉を殴りつけた。ノックとしては乱暴すぎる力の込め具合で、そのまま二度三度。 「たーのーもー、ちょっと、いるの王子様。いるんなら返事くらいしなさいよ」 返事は無かった。それどころか物音ひとつしやがらない。 これ、人いるの? 罠は罠でも、空の宝箱系ってこと? もしそうだったら、無駄に歩き回った徒労感は半端ないことになりそうで、げんなりする。 怪物が入っていたり呪いがかかる系じゃないだけましかも知れないけどさ。 ――やれやれ、そんじゃあ行ってみますか。 「ノックはしましたよ、と」 意識を向けた指先に火花が散る。磨きぬかれた黒壇を人差し指で弾く。 同時に、ばきんっと小気味よく鍵の壊れる音がした。 指先でそっと押すと、軋むこともなく木製の戸は部屋の内側へ滑るように開いていく。 中は、ぼんやりと明るかった。窓は無く、扉のある壁以外は書棚で埋まっているように見える。 けれど細部まで見渡すことなく、私の視線は部屋の中心、その一点に向いていた。 「柊、先輩?」 革張りの椅子に両手を縛り付けられた男が、ゆるりと顔を上げる。 相変わらずの仏頂面は、間違いなく柊一路に見えた。 ……本物? 頭をよぎった疑問は、けれど柊一路の赤黒く染まったこめかみを見た瞬間に吹っ飛んだ。 「怪我したんですか!?」 駆け寄って、右頬に触れる。ざらりとした感触。血は止まってる、けど。 さらに傷口を見ようと、血のついて固まった髪を掻き分けた。 柊一路が低い呻き声をあげる。 「すみませ……っ」 慌てて手を離した直後、柊一路が軽く頭を振った。 両手を挙げた姿勢で止まった私を、はっきりした意思の宿る目で見返してくる。 無事、だ。 張り詰めていた緊張が一気に解ける。 完全に無傷というわけじゃない。けど、動いて喋ってる。 「……いや、いい。それよりコレ、外してくれ」 肘掛が軋んだ音を立てた。 ロープでくくり付けられた手首を目線で示した柊一路の眉間に、かすかに皺が寄っていた。 ……だいぶ不愉快らしい。 まあ、拘束されてるんだから、愉快なワケがない。 「ああ、はい」 気の抜けきった返事をし、とにかく解こうと固い結び目に触れたところで、ふと先ほどの疑問がよみがえってきた。 「つかぬ事を窺いますが……柊先輩ですよね?」 「それ以外の誰にみえるんだヨ」 うわぁお、眉間の皺が素敵にくっきり。 ううう、だけど確認はとっておくべき、なんだろうなぁ。 この人が柊一路本人であるか確かめる方法――確実なものっていったら、いまのところはひとつしか思い浮かばない。 好ましいやり方じゃあないし、とおおおっても不本意。 だけど、仕方ない、か。幸いにして、ここなら他人に被害が及ぶことは無いだろうし。 鼻腔に残った血の匂いを振り払うため、ふっと息を吐く。 両手の指先に意識を集中する。焦げ付くような熱さが腕の末端に編まれていく。 そして、柊一路の手に自分の手を重ねた。ひやりと冷たい手の甲に向け、力を放つ。 一旦集結した力の糸はするりと解け、私の傍を通り過ぎ――そして。 ぼんっと後方で音がした。 何が起こったか、半ば以上理解しながら振り返った。 薄く白煙が漂う中で、残念なことに私の予想は見事的中だった。 わぁお、木製の扉になんて素敵な焦げ目。 ……くあああこの手ごたえの無さったら! 扉、焦がしちゃったし! ご免ね扉! ちょっと、いやかなり、やけくそだった。しかも、だ。 「オイ、魔女?」 なにやってんだおまえ的な不可解な視線に晒され、がっくりとうなだれるしかなかった。 悲しいやらうれしいやら、とんでもなく複雑な気分だわぁ……ううう。 ――本物、か。 「なんでもないです」 「なんでもないのに扉が黒焦げかヨ」 「ちょっとした手違いです」 顔の前でパタパタと手をふり、こげた匂いを追い払う。 はーっとため息をついて、柊一路を拘束している縄に取り掛かった。 うがーっ、かた結びとか面倒なことこの上ないんですが。 四苦八苦すること、しばし。ようやく解き終わると、柊一路が無言で立ち上がった。 縛られていた手首をさすっている。 まったく。とらわれの王子様ってやつは手間のかかること甚だしい! そもそも魔法が効かないとか、イレギュラー過ぎるっつの。 「侑那」 「なんですか」 呼ばれて、ちょっと切れ気味に上向く。 噛み付くようにキスされ、た。 「……んっ……なっ」 僅かな隙間から発した言葉が途切れる。 ど、どうし? えええ、なん? ええええええ!? 指先が私の髪の中に滑り込み、頭に触れる。 背中に回された手に強く引き寄せられ、柊一路の腕の中に捕らわれた。 「んん、んっ」 息! 息が出来ないっ! いや、それもそうだけど、これはナニゴト!? 唐突過ぎて何が起きているのやら、考えが追いつかない。 今までも突然暴挙に及んでくることはあったけど、ここまでじゃなかった気がしなくも無い……ことも、ない、こともなかった、ような。 「離、し」 硬い胸に肘を当てて押し返す。 ああああびくともしないとかっ! そうだった、忘れてたけどこの男、意外に力があるんだった。 「なんで? 俺を捜しに来たんダロ、侑那」 信じられないくらい甘ったるいささやき声に、ぞわっと肌があわ立った。 これが柊一路であることは、魔法が効かなかったことから考えても、ほぼ間違いはない、はず。 でも、この言動は明らかにおかしい。幾らなんでもこんな局面でこんなことをしてくる男じゃ、ない。 だとしたら――考えられる可能性は。 操られてる、とか? ……つまり、これが面白い趣向って事か! くっそ、とんでもなく、悪趣味!! 縄を解く前にその可能性に思い当たらなかった私も私だけど! でもあの受け答えの仕方は間違いなく柊一路だった。もしかして拘束を解くことで発動したのかも――。 「……っ」 キャミの下に入り込んだ手が、下着のラインをなぞった。 短い悲鳴が咽喉に絡む。 暢気に分析してる場合じゃないよ、私! それにしても。 こ、のっ、大馬鹿ああああ! 間抜けええええ! さくっと簡単に操られてんじゃないっつーのよおおおぉっ! 柊一路へ向けた罵倒の言葉が絶え間なくあふれてくる。 その間にも、無遠慮な手は肌を撫で上げ、そのたびにざっと鳥肌が立った。 これって、局部を蹴り上げるとか、そういう手段が許されるレベル? ショックで正気に返るかも知んないし。 ああでも悲しいかな。後の報復がとんでもないことになりそうな予感がたっぷりだわあぁ! 「柊先輩、正気に戻ってください。自分の意思をしっかり持って」 蹴り技は最終手段として、まずは言葉での説得を試みる。 「正気だし、しっかりしてる」 正気じゃない! 全然ちっとも正気じゃない! わき腹をするっとなで上げられ、一瞬、息が止まった。 だ、駄目だ。だいぶ駄目だわ。 悠長に事を運んでる猶予はない、気がする。 かといって、突如として名案がひらめくはずもない。 困窮しているうちに、なぜか両足がふわりと浮いた。 気づいたときには、背中が絨毯につき、圧し掛かってきた柊一路に見下ろされていた。 お、押し倒され、た? 「怪我」 「え?」 ぼそっといわれて、なんのことかわからなかった。 柊一路は私の手首をつかんでる。そして、じっと見ているのは、手のひら、だ。 もしかして、こけたときに――いや違うか、悪魔を撃退するために魔方陣を書いて出来たんだったかな? とにかく切り傷のことだよねぇ? 正気に、戻ってる? と、思ったのも束の間。手のひらに口付けられて、淡い期待は霧散した。 うああああ、やっぱまだ駄目だ! 「なんで抵抗すんの? こんなにぼろぼろになってまで俺を捜しにきたんダロ?」 「私が捜しに来たのは、柊先輩、ですっ」 「だから、俺ダロ?」 「違う。少なくともいまのあなたではない」 組み敷かれたままの姿勢で端正な顔を睨みつける。 柊一路の顔が、束の間、苦しそうにゆがんだ気がした。 けど、首筋に唇を寄せられ、きつく吸われた痛みに、深く考えることは出来なかった。 「……せん、ぱいっ」 柊一路は無言だ。 ええいっ、しち面倒くさい! 勝手気ままに蹂躙され、振り回されて。いい加減忍耐の限界だ。 もう、後からの文句なんてどうだっていい。 最終手段に、出てやる。 勢い良く振り上げた膝は、けれど私の動きを予測していたらしい柊一路の手に押さえつけられた。 ……操られてるくせに、なんでこんなとこだけ冷静な判断しちゃってんのこの男は。 じっとりと嫌な汗をかきながら見上げる先では、眉間にくっきりしわを寄せた柊一路が、ナニゴトかを言いたげだ。 「……ぷっ」 どこからとも無く、こらえ切れず吹き出したような声がした。 姿を消して覗き見してるんだろうなと思っちゃいたけど、つい舌打ちが漏れる。 「やめたほうがいいわ、膝蹴り。しばらく使い物にならなくなっちゃうもの」 頭上で、ふわりと風が逆巻いた。 ――でやがったわね。 思いっきり首をそらして頭の上をどうにか視界に納める。 本棚を背景に、しゃがみこんだ自分の膝に肘をのせて、頬杖をつく少女が微笑んでいた。 「ねえ、貴方はどこまで自分を犠牲に出来る?」 鉄壁の愛らしさで首をかしげながら、問いかけられた。 意図を計りかね黙り込む私を、余裕たっぷりに覗き込んでくる。 「その身を与えれば、彼、正気に戻るわ」 悪魔自身の口から告げられた答えに、耳を疑った。 は? その身を与えればって……。 「食われろっての!?」 ついうっかり、自分の内臓やらなにやらで血みどろのワンシーンを想像、流れるように意識が暗転。 うん、いまちょっと気を失いかけた。 悪魔が弾けるように笑い出す。 「あはは、違う違う、何も本当にバリバリ食べられろとは言ってない。操をささげろってことよ」 みさお? 美佐雄? だれそれ……ではなく。 多分おそらくなんて疑うまでも無く、操、で間違いないだろう。 「冗談じゃ」 ないわよ、と言い切る前に、楽しげな声がかぶさった。 「もちろん冗談じゃない。ああそうそう、決断は早くしたほうが良いわ。このままの状態で放置すれば、あと数時間で精神崩壊だから」 ああああ、聞かなきゃよかった! つまり、壊れるって事よね? これ以上に。 ますますなにをしでかすかわからない男になるだなんて、ふざけるのもいい加減にしろってのよおおお! 「……こんの、下衆っ」 華奢な姿に罵声を浴びせるが、効果は薄い。 それどころか、ころころと鈴を転がすような声で更に笑い出す始末だ。 ――操をささげろって? そんなの――土台が無理な話だ。 いまだって暴走しそうな力をギリギリで押さえている。 これ以上は……絶対まずいことになる。どう考えてみたところで火を見るより明らか、だ。 けど、このままいけば柊一路が壊れるっていうのも、おそらく、事実。 「先輩、正気に戻ってくださいっ」 呼びかけに効果はない。悪魔の罠だ、そう簡単にとけるわけがないってことはよくわかってる。 くあああああああ、どうしろってのさ! くっそぅ! 「侑那」 甘くささやかれ、唇が重なる。 「ん、う……んんっ」 思わずぎゅっと目を瞑ってしまって、失敗したことを悟った。 見えない分、感覚がより鮮明になる。 この馬鹿馬鹿馬鹿! 正気に戻ったら絶対一発殴る! 殴り倒す! 「……や、めっ」 下唇を舌でなぞられ、もう限界だった。 これ以上は、押さえられない。 これが本当の本当に最後の奥の手。ええい、この! お願いですから、正気に戻りやがれ! 「捜し人を、見つけまし、たっ」 絞り出した言葉に、足をなで上げていた手が止まった。 そろりと目を開ける。 じっと見つめてくるのは感情の読めない黒と茶色の瞳、だ。胸がざわつく。 この反応をどう捕らえるべきか困惑したまま、私の吐き出す荒い息だけが、静かな空間でやけに大きく聞こえる。 「柊、先輩?」 戻った? それとも――。 「――逃げるゾ」 は? 倒されたときと同じように、ふわりと身体が浮いた。 柊一路に引っ張り起こされたんだと理解するよりも早く、駆け出す羽目になった。 「せん」 「話は後で聞く」 うん、そりゃそうだ。 どかっと盛大な音を立てて、扉が蹴破られた。ゆがんだ蝶番を尻目に、廊下に飛び出す。 「ねえ、どこにいくつもり? 逃げ場なんてどこにもないわよぉ、柊センパイ」 背後から追ってきた声に、ぞっとした。 長く尾を引く笑い声に、湧き上がる不安を抑えることができなかった。 |
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